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番外編
傍観 3
しおりを挟むそれから月日が巡った、とある日の事だ。
「木崎……高梨を稽古に連れ戻す。お前も一緒に来てくれ」
その日、剣道部にはどこか不穏な空気が流れており、その原因が主将である匂坂の機嫌の悪さであることは明白だった。
傍目から見ればいつもと変らない顔をしていたのだけれど、纏っている雰囲気は明らかに刺々しく、勇也ですら近づく事が躊躇われる程で、更にその匂坂の機嫌を損ねる原因となっているのが、諸所で問題を起こしている高梨である事も、この場に居合わせている部員達は理解している。
と言うのも、本来であればこの稽古の場になくてはならないはずの高梨の姿が無く、且つ、つい先程その高梨の不穏な動向を匂坂に報告しに複数の生徒がやって来たのを、この場にいた全員が聞いていたからだ。
……そして現在、居合わせていた部員の中から匂坂直々の指名を受けた勇也は、彼と共に高梨が目撃されたと言う図書室へ重たい足を運んだと言う訳なのだが。
「ねえ……、なに、やってんの」
久しぶりに訪れた図書室のドアを開けた直後に飛び込んで来た光景は、あまりにも衝撃的で、漸く搾り出せた勇也の言葉が探していた人物に届いたと同時に、その腕から乱暴に解放された人影が床に崩れ落ちて行くのが見えた。
ほんの一瞬しかその顔は見えなかったが、助けを求めるように搾り出された声は、あの甘い香りを漂わせながら耳元で囁いた「あの彼」のそれと同じもので、一体彼らの間に何があったのかを考える前に、勇也の足は自然と床に投げ出された人影へと向かっていた。
(匂坂がその行動を止めないと言うことは多分、そうしろと言う事なのだと思う)
気を失ってしまったのか、倒れたままぴくりとも動かない彼の制服は所々損傷し、曝け出された肌に浮かぶ痣が暴行の激しさを物語っており、あまりの痛々しい姿に眉を顰めていれば、「これからがイイところだったのに」と悪びれる様子もなく、再び動かないままの彼に手を伸ばす高梨が見え、すかさずその手を叩き落とすと、高梨から引き離すかのように抱き上げる。
「これ以上、汚い手で触んないでくれる?」
当然、その態度が気に食わないと不満げな顔をし、好戦的な態度で勇也に掴みかかって来た高梨だったが、不穏な空気が流れ始めたところで、一部始終を黙って見ていた匂坂がただ一言「やめろ」と発せば、しぶしぶながらもその手を離し、当り散らすかの如く乱暴にドアを開け、高梨は図書室から出て行った。
しかし、高梨が出て行ったにも関わらず、未だこの空間には奇妙な緊張感が漂っていて、それは勇也に抱えられている人物の状態を見れば、誰しもが即座に感じてしまうものに違いないだろう。
現に、勇也自身もこの彼の姿を目にした直後、最悪の状態を考えてしまっていたのだから。
高梨を見送ったまま、じっと何かを考え込むようにドアへ視線を向けていた匂坂へ窺うように視線を送ると、それに気がついた匂坂は、勇也が抱えたままの彼のひとつひとつの傷の確認をし、
「激しい暴行は受けているようだが……、おそらく、最悪な事態には至っていないようだな」
一通り終えた所でそう呟き、勇也も漸くここで安堵の溜息を漏らし、胸を撫で下ろす事が出来たのである。
匂坂がそう言うのだから、それに間違いはないだろう。
けれど、こうして彼に傷をつけられた事実に変りはなく、今更になって高梨に対し沸々と怒りが湧き上がり、たまらず歯を食いしばっていれば、その様子を見ていた匂坂が物珍しいと言う顔でこちらを見ている事に気がついた。
「珍しいな。お前が他人の事を思いやって、怒りに打ち震えるだなんて」
確かに、匂坂のその言葉は否定出来ないと、自分でも思う。
この彼とは、図書室でチョコレートを貰ったあれ以降顔を合わせた事が無かった上に、未だ名前も知らず、更に言えば、今回の出来事に遭遇するまで、その存在をすっかり忘れていたのだから。
にも関わらず、こうして目の前で彼が傷つけられている姿を見るのが、許せなかったのだ。
何故、と問われても明確に答える事はできないのだけれど、例えて言うのならば、
「なんか、忘れてたお気に入りの玩具を引っ張り出されて、目の前で壊された気分……?」
勇也の非常に稚拙で解りにくい例えに小さく笑った匂坂だったが、その表情は依然として厳しいままで、
「木崎……。この事は、他言無用だ。いいな」
そう言ったっきり黙ったまま、少し先を歩いて行く彼の言葉に、勇也はただ頷く事しか出来なかった。
もしかすると、この件を皮切りに、剣道部内外で何かが大きく変わって行くのかも知れないと、そんな予感を残して。
そして、この彼が久世の話していた彼方 悠である事を知ったのは、それから程なくしての事だった。
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