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決意 2

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 剣道部に入部してから間もなく。

 持ち前の要領の良さと才能があったのか、あっと言う間にその実力を見せつけ、周囲からは驚きや賞賛と共に、嫉妬や羨望を一身に受ける事になった。

 けれど、これまでも幾度となく向けられてきたそれらは、伊織にとっては今更なもので、多少の嫌がらせがあっても下らないとただ鼻で笑って受け流し、特に気に留める事もなく充実した日々を送っていた。

 現に、準レギュラー枠に入り、嫌がらせを受けている事を知った匂坂が牽制をかけたのか、直後から伊織に対するあからさまな嫌がらせはなくなっている。
(小さなものは多少続いてはいたけれど)


 そう、思っていたのだ。


 だからこそ今までと変わらず思ったまま素直に行動を起こし、自信満々で高梨にレギュラーの座をかけ勝負を挑んだ事もあった。
(結果はお察しだったが)

 そして、自分のこうした行動に対する周囲の苛立ちの矛先が、まさか悠にまで及ぶとは思いもしなかったのだ。

 それを知ったのは、珍しく匂坂の機嫌が悪い日の事だった。


 本来練習にあるべき高梨の姿が見当たらず、数人の生徒が主将である匂坂に何かを伝えに代わる代わる訪れる様はあまりにも異様で、彼らの話を聞いた後に副主将の木崎を連れ出て行く匂坂を、伊織はこっそりと尾けていた。

 半分は興味本意、もう半分は、耳が辛うじて拾い上げた「図書室」と言う言葉にひどく胸騒ぎを覚えたからだ。

 図書室と聞いて伊織が連想するのは当然悠で、何故だか今日に限ってはそれがとてつもなく嫌な予感にしか結び付かず、バレれば間違い無く匂坂からお叱りを受けるだろう事を承知で、練習を抜け出したのだ。

 慎重に二人から距離を保ちながら、木崎が図書室のドアを開け中へ踏み入り、その後を続く様に匂坂が足を踏み入れたタイミングを見計らって、そっとドアの影に隠れ中を覗き込むと、そこに広がっていた光景に思わず目を見張り固まってしまった。


 木崎に掴みかかる高梨を一喝した匂坂と、木崎の腕に抱えられ気を失っているのか、ぐったりとしたまま動かない悠の姿。

 木崎に抱えられた悠の制服は酷く損傷していて、どう考えても暴行を受けたものである事は明白だった。


 恐らく、高梨の手で。


 何故、などと野暮な事は聞かずとも解っている。

 自身への嫉妬、羨望、苛立ちの矛先が歪み、一番傍にいた悠へ向けられたのだ。

 今よりずっと昔にもこれと似たような事があって、だからこそ親しい限られた人間にしか悠との関係は公にはしていなかったのだが、まさか、高梨がこんな暴挙に走るとは思わなかった。


 ……いや、失念していたのだ。


 高梨が、「他人のモノを欲しがる」事を。

 食べ物だろうと人だろうと、肩書きだろうと、何でも。

 けれど、まさか悠にまで手を出すとは思いもしなかったのだ。

 衝撃のあまりに足が竦みその場から動く事が出来ず、高梨が乱暴にドアを開けて図書室を出てきた所で鉢合わせ、彼は伊織の姿があった事に一瞬驚いてはいたものの、


「……ごちそーさま、伊織クン。楽しませてもらったよ」


 ファンの女の子だけならまだしも、悠にまで手を出したのかと、どことなく軽い足取りで去っていく彼に思わず掴みかかりそうになったのだが、不意に視線を感じ、薄く開いていたドアの向こうから匂坂が見ている事に気がついた伊織は、それに耐え切れず逃げるようにこの場から走り去った。

 後を尾けていた事や見ていた事を咎められるのが怖かった訳ではなく、悠が高梨に何をされたのか、それを聞くのが怖かったからだ。


 それも、原因が自分のせいであるが故に。


 しかし、この場から逃げた所で所詮は一時しのぎにしかならず、後日、匂坂直々の呼び出しで真相を知る事になるのだけれど。

 そして、それが現実となっている今、伊織は決断を迫られていた。


「久世。今回は目撃していた生徒がすぐに報告をくれたおかげで、最悪の状況を回避できたが……、今後も似たような事は起こるだろう。お前が剣道部に所属し、悠と親しい間柄である限りはな」


 ……それは、高梨だけとは限らない。


 匂坂の言葉は、まるで剣道を捨てるか悠を捨てるかを迫っているようにも聞こえ、けれど、どちらも伊織にとっては大切なものであり、どちらかを選ぶ事など出来る訳がない。

 それに、剣道部に入ってから、漸く本気で打ち込めるものが出来て良かったと悠も喜んで応援してくれていたのに、これが切っ掛けで退部したとなれば、彼は必ず責任を感じてしまうだろう。

 悠自身には、何の非はなくても、一緒にいる事で自分の足を引っ張ってしまったと引け目を感じ、再び避けられてしまい兼ねない。

 かと言って、伊織には悠を守れる程の力もない。


 それならば……、





「匂坂くん……、悠を守ってやって欲しい……」





 自身が悠の傍にいる事で悠が危険な目に遭うと言うのなら、悠に恨まれても嫌われても、一度完全に彼から離れ、危害を加えた所で意味はないとアピールする事くらいが精一杯だ。

 そして自分の目が届かない所は、事情を知る匂坂に頼む他はない。

 理事長の息子である匂坂が傍にいれば、きっと、誰も悠に手出しはできないはずだ。


 これが最良の決断だと匂坂を見やれば、彼は小さな溜め息を吐き本当にそれで良いのかと訊ね、溢れそうになる涙を堪えながら、構わないとくちびるを噛んで頷けば、


「先に言っておく。お前は必ず、この選択を後悔する事になる」


 答えは決して二択とは限らないのに、と、そう続けた匂坂の言葉を理解しないまま、伊織は部室を飛び出した。

 途中、すれ違った取り巻きの女の子達が何かを話しかけていたけれど、それに応える事なく伊織は真っ直ぐに目的の場所へと足を向ける。

 昼休みのこの時間……、おそらく、悠がいるだろう司書室へ。


 偽りの別れを切り出す為に。


*
*
*


 後は悠の知っている通りだと僅に伏せていた顔を上げれば、驚きに見開かれた悠の双眸が伊織を真っ直ぐに捕らえ、直後、その瞳からぽろりとひとつ、涙が溢れ落ちた。



「悠……、」



 ひとつ、またひとつと溢れ落ちて行く悠の涙を拭おうと手を延ばしたものの、そんな権利は今の自分には無い気がして、指先が空を掻いた。

 悠は何も言葉を発する事なくただ泣いているだけで、やはり、話をした所で悠を更に傷つけてしまう結果になってしまったのかと、痛む胸を押さえた。

 こんな真相を今更話した所で、悠をひどく傷つけた事実が変わる事はない。 

 結局、自分が招いた災いは何ひとつ解決出来ずに、すべて匂坂へ放り出して逃げたと同じなのだから。


 許して欲しいとは、思っていない。


 例え悠に会うのがこれで最後になったとしても、事実を話すチャンスを与えられただけで十分ではないか。


「伊織……、勝手すぎるだろ」
「ごめん、……悠」


 悠に罵られようが何をされようが、全て受け入れる覚悟は、出来ている。

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