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惨痛 1
しおりを挟む目の前で深々と頭を下げているこの年配の男性は、悠の記憶が正しければ、確か所属事務所の社長と言う肩書きを持っていたはずである。
社長……、某国式で例えるのならイコールではないが恐らくCEO、チーフ・エグゼクティブ・オフィサー、即ち、この事務所では最高経営責任者にあたる人物だ。
誰もがその姿を目にすれば即座に四十五度のお辞儀をし、畏怖と敬意を払う存在であるはずの彼が、何故、今、事務所の社長室で秘書の目も悠のマネージャーの目も憚らず、こうして頭を下げているのか。
事の発端は、数日程前にまで遡る。
その日、とある大手芸能事務所の創立記念パーティが開かれており、勿論悠が所属している事務所の社長にも招待状が届いていた。
その招待状の中には所属モデルを同伴させても良いと言う文言が添えられており、その白羽の矢が見事に的中したのは言うまでも無く、現在絶大な支持を受け活躍している悠だ。
けれど、残念ながら未成年である悠がパーティへ顔を出すにしては時間があまりにも遅すぎると言うことで、丁重にその申し入れを断り社長を見送ったまでは良かったのだが、どうやら先方は悠本人が目的であったらしく、同伴で来場できなかった事にひどく肩を落とし、見るに見兼ねた社長が代わりに用件を聞く事を提案した所、折り入って相談があるのだと、別室へと通されたと言う。
そこで打ち明けられた相談と言うのが、その大手事務所で新たに発掘したタレントを売り出す為に、悠との共演をさせてもらえないだろうかと言う、所謂ビジネスの話で、改まって話す様なことなのかと流石の社長も疑問に思っていれば、どうやら、この大手事務所も現在は経営が非常に厳しい状態であり、何としてでも再起を図りたいのだと、半ば懇願に近い形で協力を頼み込まれてしまったそうだ。
更に時を遡れば、この大手事務所にはこちらの経営が苦しい時に、色々と世話をしてもらっていた事もあり、ここで恩を返しておきたいのだと事の次第を説明する社長に、勿論悠が拒否できるわけもなく、また、タイミング良く悠の写真集の企画が進行していた事もあり、丁度良いのではと提案されるがままに、それを受け入れる事となったのである。
そして現在。
写真集の撮影は順調に進んでいて、けれど相手方のタレントのスケジュールが中々合わないと言う理由で、未だに悠一人での撮影が続いていた。
とは言うものの、写真集のメインはあくまでも悠であり、そのタレントと撮るショットはごく僅かだ。
恐らく冊子になれば、掲載されるものは1~2ページ程に収まるくらいになるだろう。
本当に、こんな事でそのタレントの知名度が上がるのだろうかと言う疑問もあったけれど、とりあえずは世話になっている所属事務所と社長の体裁は守られたのだからと、それ以上、深く考える事はしなかった。
たかれ続けていたフラッシュが止むと、傍で控えていたマネージャーが足早にこちらへ近づき、何かあったのかと訊ねてみれば、漸く先方のタレントのスケジュールに都合がつき、つい先程スタジオに到着した為に、急遽スタジオセットの変更が入った事を告げられ、その間に一旦休憩を取る事を提案される。
特にそれに関して異論は無く、素直に頷いて控え室へ向かおうとマネージャーから視線を外した、その時だ。
薄鈍色の髪が、こちらに近づいている事に気がついたのは。
『俺も是非、オトモダチになりたいと思ってさァ』
脳内で不意に再生されたそれは、忌まわしいほどに生々しい感触を、嫌でも思い出させるあの男の声だ。
セットの変更を始めたスタッフの声や、工具の音で辺りはうるさいはずなのに、一歩一歩、こちらに向かってくるその足音がやけに大きく聞こえる気がして、思わず後ずさり視線を外せば、マネージャーが人の気配に気がついたのか振り返って、
「ああ、申し訳ありません。これから、挨拶に伺おうと思っていたんですが……」
「いいえ。此方の我侭で散々お待たせした上に、僕は新人ですから、こうして挨拶に伺うのが礼儀です」
和やかに交わされる挨拶に恐る恐る視線を上げると、そこにはあの男とは似ても似つかない、優しげな瞳をした好青年がこちらに向かって微笑んでいるのが見えた。
まったくの、別人。
それなのにも関わらず、その薄鈍色の髪が記憶の奥底からあの影を引きずり出してくるような気がして、いつものように、上手く笑う事が出来ない。
けれど、ここで彼に失礼な態度を取ってしまっては、スタッフや事務所の信用にもかかわって来るのだと自分に言い聞かせ、
「彼方、悠です。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。一緒に仕事をさせて頂けるのを楽しみにしてました」
つとめて平静に、動揺を悟られる事がないよう手を差し出せば、目の前の彼もそれに応じるかのように手を伸ばし、悠の動揺に気づく事無く握手を済ませると、撮影準備の為に控え室へと消えて行った。
……大丈夫、あれは、別人だ。
繰り返し自分に言い聞かせ、冷たくなった指先を握り締めながら、一旦気持ちを落ち着かせなければこの後の撮影に響くだろう事を考え、傍で「随分礼儀正しい好青年だな」と先程の彼を評価していたマネージャーの話もそこそこに、気分が優れない事を伝えると、足早にその場を後にする。
背後から大丈夫かと窺う声が聞こえたけれど、それに答える余裕など、悠には無かった。
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