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呵責 1

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 物心がついた時、いつも傍にいてくれたのは悠だった。

 始まりは、至極単純なものだ。

 家が二軒隣で、付き合いが長くなるに連れて互いの親は用事があれば互いの子供の面倒を見る……、そんな繰り返しが、徐々に二人の関係を築きあげて行った。


 泣き虫だった伊織の面倒を見るのは、同じ年の割にしっかりとしていた悠の役目だった。


 幼い頃から整った顔立ちをしている事で頻繁に「女顔」とからかわれ、遊びの輪には入れてもらえず、公園の隅っこにたった一人で泣いている姿を見つけ、一緒に遊んでくれていたのは、悠だ。

 大嫌いな虫を持って追いかけられ、一目も憚らずに大泣きしながら家に帰って来た時も、
泣き声を聞きつけ優しく抱きしめてくれたのも、母親ではなく、悠だった。

 いつ、どんな時でも、悠はひとりぼっちになってしまわないように、ひとりで泣いてしまわないように、常に傍にいてくれたのだ。


 そんな二人の関係に変化が起こったのは、小学生の半分を過ぎた頃だ。


 この年頃になれば男も女も思春期を迎え、青年期への成長過程に入った彼らは各々の容姿を気にしてみたり、特定の異性に対して淡い気持ちを抱いてみたりと、多感になって行く。

 特に女の子にはそれが顕著に現れ、綺麗な顔がコンプレックスだったはずの伊織は、そんな彼女達の憧れの対象となり、いつの間にかその容姿が世間にも買われ、中学に上がる頃にはモデルとして華々しくデビューを飾っていた。

 気がつけば、周りには常に多くの人間が集まっていて、幼い頃は周囲に馴染めなかった伊織にとって、その華やかな世界はとても新鮮なものに思えた。


 けれど、同時に襲って来るものは、虚しさと、やはり幼い頃にも味わっていた孤独感だ。

 この華やかな世界に生きる人間は、物事を表面でしか捉えない。

 伊織の容姿を綺麗だと褒める人間さえも、彼にとっては幼い頃に「女顔」とからかった種類の人間と同じように目に映り、そして、この世界に身を置いた直後から、遠ざかって行こうとする悠の後ろ姿が、更に不安を掻き立てるのだ。

 モデルとなり人気の出始めた頃、伊織がファンに囲まれれば傍にいた悠の姿はいつの間にか消え、更に月日が経ってそこそこ顔もメディアに売れ始めた頃には、何らかの理由をつけて登下校の時間までもずらされ、学校で会えばどことなく余所余所しい態度で返されるようになった。

 いつも、どんな事があっても必ず傍にいて、唯一の自分の味方でいてくれた悠がいないだけで、こんなにも心が漣を立てる。

 たくさんの可愛い女の子に囲まれていも、気がつけば伊織の視線は傍らから消えていた悠の姿を追っていて、けれど、彼の視線とそれが交わる事は一度もなかった。



 ……悠とは、もう住んでいる世界が違ってしまったのだろうか。



 この華々しい、けれど虚飾に満ちた世界に飛び込んだのは伊織自身であるはずなのに、満たされる事がないのは、その傍らに悠の姿がないからだ。

 ここに足を踏み入れる度、伊織の存在は次第に悠のいる世界から遠ざかっているようにすら思えた。

 幼い頃から築き上げた二人の、あの優しく温かい世界が、均衡が、崩れて行く。

 あの世界は、伊織にとって何のしがらみにも捕らわれずにいられる、唯一の場所であったのに……。




「悠! 教室で待っててって言ったのに、何で待っててくれなかったんだよ!」




 放課後、今日こそは一緒に下校する事を心に決め、やや一方的にではあったけれど、別クラスの悠の元まで足を運んで約束を取り付けたはずだったのに、悠の姿は既に教室に無く、呆然としていた所でこちらに話しかけて来た女子生徒に気がついた伊織は、捲くし立てるかのように悠の居場所を問いたした。

 伊織の勢いに圧され、呆気に取られ何も答えられずに固まる女子生徒を尻目に、すぐさま校内を探し駆け回り、漸く探し当てた先は図書室のカウンターで、淡々と返却作業をしていた悠に詰め寄れば、彼は小さな溜息を吐き出し持っていた本をカウンターに置くと、


「……ごめん。伊織となら帰ろうと思えばいつでも一緒に帰れるから、クラスの女の子に、譲った」


 悠の言葉に思わず素っ頓狂な声を上げつつ、そう言えば先程教室へ行った時に、何やらこちらに話しかけて来ていた女子生徒がいた事を思い出した伊織は、悠の行動に僅かな頭痛とイラつき、それから寂しさを感じて思わず片手で顔を覆ってしまった。


 どうして、悠には解ってもらえないのか。


 ただ、あの頃と同じように、傍にいて欲しいだけなのに、傍にいたいだけなのに、どうして悠は簡単に自分の傍から離れて行こうとするのか。

 言葉にしたい事があまりにもありすぎて、上手く纏められない自分の頭がこの時ばかりは恨めしいと唇を噛めば、



「……何で、伊織はそんなに俺にこだわってんの?」



 そう言って、こちらの様子を訝しげに見つめている悠の双眸と視線がぶつかった。

 髪の色よりやや色素の薄い瞳に映っているのは、あまりにも情けない顔をした自分で、小さな頃は毎日のようにこんな情けない顔を悠に晒していたのかと、恥ずかしくもどこか懐かしさを感じ、


「だって、悠はいつもオレがひとりにならにように、傍にいてくれただろ?」


 あの頃と同じ笑顔で答えれば、ほんの一瞬、悠の瞳が揺れ動く様子が見えたものの、そこに浮かんだ感情を読み取る隙は与えられないまま、すぐに視線は逸らされてしまった。

 恐らく、動揺しているのだと思う。

 そしてそれは、今の状況を悠自身も望んで作っている訳ではないことを物語っている。

 仮に悠が本当にそれを望んで作っていたとしたのなら、今、ここに彼が大人しく座っているはずもないのだから。


「それに、悠が傍にいてくれないと、落ち着かないんだよ」
「あの頃とはもう違うだろ。それに、俺みたいな陰鬱なのが伊織と一緒にいたら、お前が誤解される」


 僅かに震えている悠の唇が、伊織を突き放すような言葉をわざと選んでいる事も、小さな頃から悠の事をよく見ている伊織には手に取るように解る。

 今ならば、まだあの世界を取り戻す事ができるに違いない。

 今ならば、まだ悠を傍に置いておくことも、悠の傍にいることも、できるに違いない。


「オレは何があっても悠の傍から離れたりしないよ」


 悠は、伊織にとって唯一の安らぎであるのだから。

 望まずとも輝きを放ち、多くのしがらみを引き寄せてしまう伊織ものとは対照的な、しがらみさえも全て塗りつぶし、抱擁と深い安らぎの闇を連想させる漆黒の髪に指を通して微笑って見せると、それを受け入れるように、目を細める悠の顔が見えた。
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