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憂慮 1
しおりを挟む荷物をまとめ、別れの挨拶もそこそこに部室から飛び出すように踏み出すと、まことは待ち合わせに指定された場所を目指す。
少しだけ駆け足気味になっているのは、久しぶりに悠と会える事が嬉しいからだ。
悠とは中学の時に同じ図書委員として一緒に仕事をする内に親しくなり、進学先が別々になった今も不定期ではあるが、こうして時間を見つけて会うこともしばしばだった。
現在、すっかり売れっ子モデルとなった悠の活躍はテレビや雑誌でよく目にしていた為、仕事が多忙を極め、以前のように会うことすら難しいのではないかと心配していたけれど、彼は学業優先で仕事も一定量しか請けない事にしているから大丈夫だと、まことの心配を余所に、電話の先でそう言って笑っていた。
現在、時刻は午後七時を回ろうとしている所で、帰宅途中のサラリーマンやOLの波を器用に避けながら、目的の人物の姿を探すべく視線を彷徨わせば、それは思いのほかあっさりとまことの視界へ飛び込んでくる。
ごった返す人波の中、不自然な女性の人垣が出来ており、けれど特にこれと言った混乱もなく、ただそれは遠巻きに目的の人物を恍惚とした表情で眺めているだけだった。
彼女達の視線の先には、ベンチに座ってスマホに視線を落としている悠の姿。
誰でも日常的に行うような動きであるにも関わらず、彼女達は挙ってそのひとつひとつに反応を示し、そしてうっとりとしているのだから、この光景を初めて見た人がいるのなら、ある種の宗教と思われてもおかしくはないだろう。
けれど実際、悠の容姿を見ればその気持ちもわからなくはなかったし、どこぞのうるさい自称イケメンモデルとは違って、それを自覚し鼻にかけるような事も無く接してくれる彼を、まことは気に入っていた。
(その自称イケメンモデルと悠は幼馴染であったのだが、今は置いておくとする)
人垣の間を掻き分け悠の前に立つと、彼は弄っていたスマホから視線を外し、まことの顔を見上げ「久しぶり」と微笑んだ。
先程の悠の醸し出していた雰囲気が一変し、あんなにも近づき難く遠巻きに人垣を作らせていたとは思えない程の暖かな微笑みが、昔となんら変わっていない事に安堵し、つられるようにまことの顔も綻んで行く。
「お待たせ、悠くん」
「こっちこそ、急がせたみたいで、ごめんね」
汗かいてるよ、と迷うことなくまことの頬に触れた悠の指先が、流れていた汗を拭い去って行く仕草に思わず身を引くと、彼はそれを拒絶と取ったのか、鞄から小さなタオルハンカチを取り出しまことに差し出した。
「ごめん、嫌だった?」
「ううん、そうじゃなくて……、悠くんの指、汚れるから」
差し出されたハンカチを受け取って、先程汗を拭った悠の指先を覆えば、そんなこと気にしないのにと笑う顔が目に映る。
モデルとして雑誌やテレビで取り上げられる、仕事向けのものとは違う自然なその笑顔は、久世が悠の隣からいなくなった今、自分だけに向けられる特権であるのだと心の片隅にある優越感に溺れそうになるのを堪えながら、今日はどこで一緒に時間を過ごそうか提案すれば、彼は少しだけ考える素振りを見せた後、いつもの所とだけ口にし、座っていたベンチから立ち上がると、躊躇することなく人垣へ向かって歩き出した。
進む方向がそちらであるのだから当然と言えば当然なのだけれど、人気モデルとして広く顔の知れた人間が平然と取るような行動では無いような気もする。
しかし、そんなまことの心配は無用のようで、悠が人垣の中へ足を一歩踏み入れると、それは打ち合わせでもしていたかのように彼の行く道を綺麗に左右へ割って見せたのである。
まるで、モーセが海を割っているようだと悠の後ろ姿を追いながら周囲の顔を見やれば、洗脳でもされているのかと思える程に蕩けきっていた。
「……すごいなぁ、悠くん」
何が、と言うように後ろを歩くまことを振り返った悠の顔は、周囲の様子を気にする素振りも無く、やはりあの頃の彼に違いなかったのだけれど、こうして周囲の状況を改めて目にしてしまうと、どうしても自分との違いを見せ付けられているような気がして、
「何だか、住んでいる世界が違うみたい」
どこと無く感じてしまった寂しさにポツリと呟けば、困ったような寂しそうな顔をして、
「まことにそう言われると、流石にこたえるな。……俺、そんなに変わった?」
それでもすぐに笑って見せると、彼はまことの手を取り再び歩き出した。
ごく自然に、流れるように取られた手を振り解く事などできるはずも無く(これがあの自称イケメンモデルだったら迷わず振り解いているだろう)、大人しくその手を握り返せば、彼は満足そうに頷いて見せる。
この時ばかりは周囲の視線が自分へ突き刺さっている事に気がついたけれど、そんな事すらどうでも良くなるくらい、悠と一緒にいられる時間はまことにとって大切なものだった。
『あれ……、悠って、まことと友達だったの?』
そこへ割り込んで来るあの男は今、悠の傍にはいないのだと、再び湧き上がる優越感に頬を緩ませた。
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