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好奇心 2
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そう言えば。
この艶やかな漆黒の髪は、どこかで見覚えのある色だと思わず指先で触れ、するりと引っかかる事なく抜けて行く感触があまりにも心地良く、ついつい何度も同じ行動を繰り返しながら、一体どこで見たのだろうかと思考を巡らせれば、流石に違和感があったのか、玲央の指先から逃れるように目の前の人物が身じろいだ。
これはもう起きただろうか、と身じろぐ弾みで見えた横顔を覗き込むと、
「あ……、彼方 悠じゃん」
よもや同じクラスの人間とは思わず、しかもそれが玲央さえも唯一一線を引いてしまう人物であった事に驚きを隠せなかった。
巷を騒がす人気モデルとして活躍している彼は、いつも近寄りがたい雰囲気を纏っていて、ミーハーで行動力のある女子でさえ容易にその領域へ踏み込むことが出来ずに、遠巻きから指をくわえて眺めているだけだ。
同じ高校生で人気を集める久世 伊織の持っているものとはまた正反対の独特な雰囲気で、例えるのなら、久世がからりとした青空と輝く太陽をイメージしたのなら、彼方はしっとりとした霧雨……、けれどそれはただ単に陰鬱としたものではなく、どことなく情緒と艶を併せ持っていて、そこがまた既出のモデルとは違って新鮮で良いと、クラスの女子が熱く語っていたのを覚えている。
確かに、普段の彼方からはそんな雰囲気が漂ってはいるけれど、こうして無防備に安らかな寝姿を晒しているところを見れば、むしろこの姿こそが本来の彼そのものであるような、そんな気さえしてしまう。
いつもの彼方は、色々なものを取り繕いながら多くのしがらみに縛りつけられながら、あの世界に無理をして身を置いているように思えるのだ。
確証などなく、それらを裏付けるものすら何一つ、ないのだけれど。
……まあ、ああ言う世界ってのは、俺たち一般人には理解できねーこと、いっぱいあるんだろうしな。
「お疲れさん」
労いの言葉をかけ、本当に、何の気なしに指先に絡めて遊んでいた髪に唇を落とせば、同じタイミングで閉じられていた瞼が薄っすらと持ち上がり、隠れていた双眸が焦点の合わないままに玲央の姿をとらえると、
「 」
「……え?」
か細く掠れた声で呟かれた言葉を再度確かめるように彼方の寝惚け眼を見つめていれば、徐々にその瞳に輝きが戻り始め、ようやく意識がはっきりとした所に目覚めの挨拶を投げかけると、彼は驚きに顔色を変えて警戒し、玲央から身を引くように飛びのいた。
勿論、そんなことをすれば、彼方が座っている椅子から必然的に転がり落ちる訳で、危険を察した玲央が手を差し伸べるも時は既に遅く、直後、図書室に響いたのは椅子が盛大に倒れる音と、彼方の小さな悲鳴だった。
「大丈夫?」
「……あんまり」
幸い頭は打たなかったものの盛大な尻餅はついたらしく、痛みと恥ずかしさに顔を歪めながら涙目でこちらを見上げる彼方の姿は妙に艶かしく、彼のファンであれば垂涎ものだったに違いない。
(現に、玲央でさえも僅かではあるが、その姿に妙な感覚に襲われたのは確かである)
「って言うか……、彼方くんって、意外と無防備でドンくさいとこ、あるんだな」
先程は届かずに宙を舞った手を再び彼方へ向けて伸ばせば、
「……今見たこと全部、忘れてくれないか」
本当に決まりが悪そうに片手で顔を覆い隠し、綺麗な形の耳まで真っ赤に染めている姿が見え、普段とのギャップの差に我慢できず噴出した玲央の笑いが収まるまで、かなりの時間を要した事は言うまでもない。
****
随分と物思いに耽っていたのか、気がつけば悠の髪と肌を弄んでいた手に自分とは違う熱が重ねられていて、徐に視線を辿らせれば、ぼんやりとこちらを見つめている瞳が見えた。
「玲央……」
「よう、寝坊助」
あの時のように、特に驚くわけでも警戒するわけでもなく、重ねられた手をまるで離すまいと言わんばかりにぎゅっと握って再び目を閉じた悠に苦笑すると、起き抜けでまだ覚醒しきっていないのを良い事に、彼の薄い瞼へ唇を落としてベッドで微睡む身体を起こす。
「ほら、早く起きて顔洗って来いよ。朝飯作って待ってっから」
そう言って寝癖のついた髪を軽く手で整えてやり、悠が小さく頷いた事を確認すると、簡単な朝食を作る為にキッチンへ足を向けた。
途中、リビングにあるテレビのスイッチを入れれば、朝から元気なアナウンサーが芸能ニュースを読み上げており、それが先日発売した悠の特集が組まれた雑誌についての話である事を耳で拾い上げながら、慣れた手つきで調理を始めて行く。
テレビで語られる悠の世間での評価を聞き流しながら、こうして彼が自分の前では素を曝け出してくれている事に優越感を覚え、ふと画面に視線を移した所で、玲央の作業が中断された。
今しがた悠で埋まっていた画面の半分……、まるで悠と対照されるかのように映像に割り込んでいたのは、
「久世、伊織……」
彼もまた人気モデルとして巷を騒がせる一人であり、当然玲央もその名を知っている。
そして、
『……伊織……』
あの日、寝惚けた悠が掠れた声で、けれど愛しそうに紡いだそれと一致していることも。
同じモデル業界に身を置いているのだから、この二人が知り合いであってもおかしくはないのだけれど、未だ共演は実現したことが無い事を目の前のテレビでファンが語っていた為、どうやらそう言う仕事関連での知り合いでもないことは窺える。
それに、例え知り合いであったとしても、あんなにも愛しそうに名前を呼ぶなど、ある程度の深い関係が無い限りあり得ない。
そう考えれば、自然と導き出される答えの選択肢は極度に狭まって行く。
……親友、家族……、恋人?
「まさか、な」
けれどあれ以降、後にも先にも悠からは久世の名を聞く事は無かったし、玲央も二人のことについて深く追求することはしなかった。
(プライベートな事にズカズカと土足で踏み込む程、不躾ではないつもりだ)
折角ここまでの信頼関係を築いたと言うのに、余計な詮索をして敬遠されたくはなかったし、何よりあの時と同じように悠を起こしてやれば、真っ先にその唇から紡がれる名は、久世ではなく、玲央のものに変わっていたからだ。
「まあ、とりあえず今は、このポジションで満足しときますか」
欲を出して痛い目を見るのだけは御免だ。
呟いて、鼻歌交じりに止まっている手を動かした。
悠がリビングにやって来たのは、玲央がテレビに映る久世の映像を切ったと同時の事だった
この艶やかな漆黒の髪は、どこかで見覚えのある色だと思わず指先で触れ、するりと引っかかる事なく抜けて行く感触があまりにも心地良く、ついつい何度も同じ行動を繰り返しながら、一体どこで見たのだろうかと思考を巡らせれば、流石に違和感があったのか、玲央の指先から逃れるように目の前の人物が身じろいだ。
これはもう起きただろうか、と身じろぐ弾みで見えた横顔を覗き込むと、
「あ……、彼方 悠じゃん」
よもや同じクラスの人間とは思わず、しかもそれが玲央さえも唯一一線を引いてしまう人物であった事に驚きを隠せなかった。
巷を騒がす人気モデルとして活躍している彼は、いつも近寄りがたい雰囲気を纏っていて、ミーハーで行動力のある女子でさえ容易にその領域へ踏み込むことが出来ずに、遠巻きから指をくわえて眺めているだけだ。
同じ高校生で人気を集める久世 伊織の持っているものとはまた正反対の独特な雰囲気で、例えるのなら、久世がからりとした青空と輝く太陽をイメージしたのなら、彼方はしっとりとした霧雨……、けれどそれはただ単に陰鬱としたものではなく、どことなく情緒と艶を併せ持っていて、そこがまた既出のモデルとは違って新鮮で良いと、クラスの女子が熱く語っていたのを覚えている。
確かに、普段の彼方からはそんな雰囲気が漂ってはいるけれど、こうして無防備に安らかな寝姿を晒しているところを見れば、むしろこの姿こそが本来の彼そのものであるような、そんな気さえしてしまう。
いつもの彼方は、色々なものを取り繕いながら多くのしがらみに縛りつけられながら、あの世界に無理をして身を置いているように思えるのだ。
確証などなく、それらを裏付けるものすら何一つ、ないのだけれど。
……まあ、ああ言う世界ってのは、俺たち一般人には理解できねーこと、いっぱいあるんだろうしな。
「お疲れさん」
労いの言葉をかけ、本当に、何の気なしに指先に絡めて遊んでいた髪に唇を落とせば、同じタイミングで閉じられていた瞼が薄っすらと持ち上がり、隠れていた双眸が焦点の合わないままに玲央の姿をとらえると、
「 」
「……え?」
か細く掠れた声で呟かれた言葉を再度確かめるように彼方の寝惚け眼を見つめていれば、徐々にその瞳に輝きが戻り始め、ようやく意識がはっきりとした所に目覚めの挨拶を投げかけると、彼は驚きに顔色を変えて警戒し、玲央から身を引くように飛びのいた。
勿論、そんなことをすれば、彼方が座っている椅子から必然的に転がり落ちる訳で、危険を察した玲央が手を差し伸べるも時は既に遅く、直後、図書室に響いたのは椅子が盛大に倒れる音と、彼方の小さな悲鳴だった。
「大丈夫?」
「……あんまり」
幸い頭は打たなかったものの盛大な尻餅はついたらしく、痛みと恥ずかしさに顔を歪めながら涙目でこちらを見上げる彼方の姿は妙に艶かしく、彼のファンであれば垂涎ものだったに違いない。
(現に、玲央でさえも僅かではあるが、その姿に妙な感覚に襲われたのは確かである)
「って言うか……、彼方くんって、意外と無防備でドンくさいとこ、あるんだな」
先程は届かずに宙を舞った手を再び彼方へ向けて伸ばせば、
「……今見たこと全部、忘れてくれないか」
本当に決まりが悪そうに片手で顔を覆い隠し、綺麗な形の耳まで真っ赤に染めている姿が見え、普段とのギャップの差に我慢できず噴出した玲央の笑いが収まるまで、かなりの時間を要した事は言うまでもない。
****
随分と物思いに耽っていたのか、気がつけば悠の髪と肌を弄んでいた手に自分とは違う熱が重ねられていて、徐に視線を辿らせれば、ぼんやりとこちらを見つめている瞳が見えた。
「玲央……」
「よう、寝坊助」
あの時のように、特に驚くわけでも警戒するわけでもなく、重ねられた手をまるで離すまいと言わんばかりにぎゅっと握って再び目を閉じた悠に苦笑すると、起き抜けでまだ覚醒しきっていないのを良い事に、彼の薄い瞼へ唇を落としてベッドで微睡む身体を起こす。
「ほら、早く起きて顔洗って来いよ。朝飯作って待ってっから」
そう言って寝癖のついた髪を軽く手で整えてやり、悠が小さく頷いた事を確認すると、簡単な朝食を作る為にキッチンへ足を向けた。
途中、リビングにあるテレビのスイッチを入れれば、朝から元気なアナウンサーが芸能ニュースを読み上げており、それが先日発売した悠の特集が組まれた雑誌についての話である事を耳で拾い上げながら、慣れた手つきで調理を始めて行く。
テレビで語られる悠の世間での評価を聞き流しながら、こうして彼が自分の前では素を曝け出してくれている事に優越感を覚え、ふと画面に視線を移した所で、玲央の作業が中断された。
今しがた悠で埋まっていた画面の半分……、まるで悠と対照されるかのように映像に割り込んでいたのは、
「久世、伊織……」
彼もまた人気モデルとして巷を騒がせる一人であり、当然玲央もその名を知っている。
そして、
『……伊織……』
あの日、寝惚けた悠が掠れた声で、けれど愛しそうに紡いだそれと一致していることも。
同じモデル業界に身を置いているのだから、この二人が知り合いであってもおかしくはないのだけれど、未だ共演は実現したことが無い事を目の前のテレビでファンが語っていた為、どうやらそう言う仕事関連での知り合いでもないことは窺える。
それに、例え知り合いであったとしても、あんなにも愛しそうに名前を呼ぶなど、ある程度の深い関係が無い限りあり得ない。
そう考えれば、自然と導き出される答えの選択肢は極度に狭まって行く。
……親友、家族……、恋人?
「まさか、な」
けれどあれ以降、後にも先にも悠からは久世の名を聞く事は無かったし、玲央も二人のことについて深く追求することはしなかった。
(プライベートな事にズカズカと土足で踏み込む程、不躾ではないつもりだ)
折角ここまでの信頼関係を築いたと言うのに、余計な詮索をして敬遠されたくはなかったし、何よりあの時と同じように悠を起こしてやれば、真っ先にその唇から紡がれる名は、久世ではなく、玲央のものに変わっていたからだ。
「まあ、とりあえず今は、このポジションで満足しときますか」
欲を出して痛い目を見るのだけは御免だ。
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