幽霊告発

辻田煙

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第2章「空っぽな殺人鬼」

第16話「獲物」

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 会社はてんわやんわだった。

 手首は結局切り取れず、骨の部分だけが残ったが依頼主に写真を送ると、それでもいいとのことだった。そのため、現場には床に倒れおびただしい血を流している手が取れかけの死体が残ることとなった。

 カッターナイフはその晩の内に海に放り投げている。万が一にでも見つかったら面倒だ。たゆたう海の中、誰にも見つからず朽ち果てるだろう。

 雪が咲季を殺害した明朝、彼女の死体は警備員によって見つかったらしい。なにしろ社内を流れる噂を元に情報を組み立てたため、いくつか怪しい部分があるが『OL刺殺事件』と、まるで安いドラマのようにマスコミや警察に銘打たれたこの殺しは、世間をいささか騒がせた。

 雪も警察に事情聴取は受けたが、怪しまれているようには思えなかった。いささか不審な点はあるものの、確証にはいたらない。そんな所だろうか。

 凶器は見つかっていない。犯行現場の映像があるわけでもない。目撃証言もない。唯一私と飲みの約束はしていたが――最後に会った訳でもない。まさにないない尽くしで警察も困っているのだろう。

 缶コーヒーだって私はきっちり回収し、これまた海に放り投げている。まったく海は便利だ。大きなその水の中にいくつもの秘密を取り込んでいる。今回もまた秘密の一つが増えただけ。

 会社は一時休社となったものの、半月後にはある程度の落ち着きは取り戻していた。

 咲季のいたオフィスは今は使われていない。今回のことである意味一番被害を被ったのは、経理部かもしれない。なにしろ、仕事は滞るは、会社のイメージはダウンするし、肝心の仕事場はいわくつきになって、強制引っ越し。さぞかし大変だっただろう。

 とりあえず平常通り会社に通っているが、社内はどんよりとしている。ゴールデンウィーク前の騒がしさはどこにいったのか。完全に死に絶えてしまっている。

 次の殺人依頼はそんな時にやってきた。

 空気が淀んでいるためか、めっきり飲みに誘われなくなった雪はいつも通りに定時に帰り、諸々を済ませていつものようにリビングでPCを立ち上げる。

 ソファーを背もたれにして、ローテーブルの上に置いたノートPCを操作する。

「今日はどうかしら……」

 居空きも殺人も依頼は多くて一月に一度。来ていないのは分かっていてもなんとなく確認したくなる。

 あまり期待せずにいると、別の作業をこなしていた雪のPCに依頼主からのメッセージ通知が入った。前回の咲季の殺害から半月程度しか経っていない。珍しいこともあるものだ、と、おもちゃを前にした子供の様にメッセージアプリを開く。

『殺人を依頼します。相手は――』

 以前より前置きがなくなっている。よほど殺したいのか面倒臭くなったのか。今度はどんな相手なのか。

 雪が依頼主の送って来た殺害相手の情報を見ていくと、少々厄介そうな相手だった。

 名前は明石瀬里奈。私立の小中高一貫校に通う中学三年生で剣道部。私立という時点で警備の関係で校内で殺すのは難しそうだ。だが、出来ないわけではない。というか校内でしか殺せないうような気がする。

 部活で夜まで練習しているだろうし、見る限り電車通学で家が駅に近い。となると通学路で襲うのも難しい。

 家の住所があったのでグーグルマップのストリートビューで見てみると結構な豪邸があった。二階立ての白い壁に、ゆうに車二台は止めれる駐車スペースがある。さらには芝生の庭まで見える。さすが私立の一貫校に通う学生は違う。日付を見ても最近撮影されたようだしこの家だろう。警備はここも高そうだった。かといって、芹沢のように女性的な魅力を使って忍び込むのも難しい。

 あとは友人と遊びに行っている時でも狙うしかないが――依頼主はさっさと殺して欲しいらしい。

 今が五月末だというのに、来週――六月初めまでには殺害して欲しいと言っていた。ハッキリ言えばこんな締め切りに従う必要はないが、難易度が上がるのは面白い。

 現代のお嬢様をどうやって殺害するか。

「えーと、罪状は――『特定人物へのストーカー』?」

 依頼には明石の写真も送られてきている。きりっとした目つきにポニーテールにした黒く長い髪。とてもストーカーなどと陰湿なことをやりそうには見えない。

「私が言えた義理はないか」

 見た目とのギャップという意味では雪自身が同じかもしれない。

「剣道部に、お嬢様……」

 雪は、やはり校内で殺すしかない、と思った。直近で殺すには明石の場所も特定しやすい方がいい。剣道部というからには元気がいいだろう。期間は短いがしっかりと準備しておくか。雪は今まで以上に難易度の高い殺人ゲームに心を躍らせた。



「大きいわね」

 六月初め、やや湿っぽい空気が頬を撫でる中、日に照らされる大学のような校舎を雪は見上げていた。

 校舎全体はL字型になっており、別棟がいくつある。正門には警備員の常駐する小さい建物があり、出入りのチェックを行っている。それ以外に周囲は高い壁で覆われており、簡単に侵入は出来ない。

 雪が居る場所は正門であり、その前を通り過ぎようとしていた。学校の保護者を装い、白いシャツにネイビーのスラックス、さらにパンプス。肩からショルダーバッグを掛けていた。セミフォーマルな感じで、いかにも保護者面をし、マスクでもしていれば勝手に誰かの保護者だと思うだろう。あとは、事前に作っておいた保護者証を首からかければ完璧だ。

 しかし、ここまで用意してもこのまま入るわけには行かない。というか入ることは出来ない。警備員を突破することが出来ないのだ。

 警備員に確認させられると十中八九職員室に連絡がいく。今時、学校の警備は厳しい。ましてやここは私立。たとえ、一時的に本物の生徒の本当の親の名前を装って中に入っても、バレる可能性が高い。

 だから、校舎内に侵入するには学校の敷地をぐるりと囲む塀を越える必要があった。

 だが、雪にとってそこはまったく問題ないと言えた。学校の周辺は道路で囲まれているが――必ずしも通行人が多いわけじゃない。車通りも人も少ない場所が一箇所だけある。雪はそこを目指した。

 歩いている道路を左に曲がる。一方通行の狭い道路。車通りはなく、閑散としている。周りにも企業らしき建物はあるが窓は少なく、雪を見る者はいない。

 高い塀といっても上れない高さではない。

「今なら大丈夫そうね」

 もう少し時間が経つと下校時間になり、生徒が通るようになる。それまでに侵入しなければならない。

「さて、と……」

 雪は道半ばまで来ると身体を伸ばし、準備運動をする。この塀の向こう側はちょうど校舎の裏手側にあたり駐車場になっている。さらに言えば裏口も近い。校舎内にはそこから侵入できる。

 ぐっと身体を伸ばし終え、雪はもう一度あたりを窺う。誰もいないのを確認すると、パンプスを脱ぎ、バッグに入れる。バッグはそのまま塀の向こうに投げた。

 向こう側は見えないため、入った先で見られた場合は運が悪かったと思って逃げるしかないだろう。

 長く息を吐く。周囲に人はいない。雪は塀に向かって地面を蹴った。一歩――二歩――と近付き、大きく跳ねる。塀に裸足の足をかけると文字通り塀を蹴り、ぐうっと腕を先に延ばす。がしっと塀の屋根を雪は捉えることに成功した。両手で掴み、自身の身体を持ち上げさせる。ぐぐっと身体は塀を越え、身を乗り出して塀の向こう側へと雪は乗り越えた。

 足を地面に向け、危なげなく着地する。顔を上げるとすぐ目の前には誰かの黒い車があった。雪はすぐに起き上がり、そばに落ちていたショルダーバッグを手に取ると、中からパンプスと保護者証、マスクを取り出す。

 パンプスを履き、保護者証を首掛けて車の窓ガラスで身だしなみを整える。マスクも付ければ容易には顔が判断しにくい。こういう時は目立ちやすい顔と体型が少しばかりやっかいだ。隠すことには向いていない。

 問題ないことを確認すると、雪はすぐ近くに見えた裏口に向かう。

 雪は明石の通う学園に潜入することに成功した。
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