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第1章「なにも知らない姉」
第5話「あいつは誰だ」
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結が友人から衝撃的な目撃談を聞いて、三日が経っていた。三日間の間、結は悠の部屋に入ろうとしては、怖気づき、悠本人にも訊けないでいた。
頭の中には、本当に恋人だったらどうしよう、とそればかりが巡っていた。もちろん、その場合には相手方も家に呼んで窘めさせたうえで別れさせるのは決まっているのだが、恋人がいるという事実に耐えられそうになかった。
四日目の夜――例によって両親が出張中のため、二人で結が作ったカレーを夕食としてリビングで食べていた。
結はいい加減、決心がつき、ついに口を開いた。
「ゆ、悠。お話したいことがあるんだけど」
「ん、なに?」
カレーを食べながら悠が首を傾げる。悠がカレーを美味しそうに食べていることに幸福を感じつつも、結は心を切り替える。
「あのね、お姉ちゃんのお友達から聞いたんだけど――」
結は友人から聞いた内容をそのまま話した。ただ一点、恋人である可能性については除いて。
「私の知らない人だなーって思ってね。悠ちゃんはそのお姉さんとどういう関係なの?」
「……姉さんのお友達さんはなんて言ってたの?」
「悠ちゃんのお友達のお姉さんじゃないかって」
悠はそのまま考え込む。結はこの奇妙な間が嫌でしょうがなかった。なぜ、ここで黙ってしまうのか。まさか、本当に恋人なのか。
「――姉さんのお友達の言う通りだよ。僕の友達のお姉ちゃん。僕の友達も近くにいたんだけど、見えなかったみたいだね」
「そう。……お姉ちゃんに嘘はついてないよね?」
「うん」
悠の黒い瞳はまっすぐに結を見ている。いつしかカレーを食べる手は止まっていた。嘘はついていない、結はそう判断した。
「そっか……。でも今度から女の人と会ったらお姉ちゃんに教えてね。急に知ったらお姉ちゃんの心臓が止まっちゃう」
「いいけど……。なんで、そんなに知りたいの?」
「お姉ちゃんは悠ちゃんが大好きだから知りたいの。もし危ない目に巻き込まれてたら助け出せないでしょ?」
「ふーん……」
悠は半信半疑といった様子だ。しかし、結としてはこれで納得してもらわないと困る。ただでさえ危ない体質の悠に、さらに女性関係で危ない目に合ってほしくない。さらに言えば、自分以外の女性など信用ならない。
「まあ、いいけど」
悠はそうぽつりと漏らすと、もくもくとカレーを食べ始めた。
内心でほっとしつつ結も食事に戻る。結局は友人の言う通り、ただの知り合い程度の人ではあった。そこで、ふと思う。
友達のお姉さんとやらは、また会う可能性があるのだろうか。
結は一応、釘を刺しておくことにした。
「悠ちゃん、そのお友達のお姉さんにまた会ったりする?」
「えー、分かんないよ。そんなこと」
「これはお姉ちゃんからのお願いなんだけど、できればそのお姉さんとはもう会わないで欲しいなーって……」
「別にいいけど……。もう会うことはないと思うし」
「そっ、良かった」
ここで結はようやく気持ちが晴れる思いだった。可能性は少ないけど、悠がそのお姉さんに惚れてしまう可能性もある。それは避けなといけない。
結は食事をする前とは打って変わって、上機嫌にカレーを食べ進めたのだった。
◆
一日、二日は結にとって平和な日々が続いた。しかし、友人からの写真付きのメッセージで結はまた落ち着かない日々を送る羽目になった。
夕食の買い物に出掛けていた結に、一通のメッセージが届く。
結はスーパーの買い物袋を持ったまま、スーパーから出て内容を確認した。時間を確認しようとスマホの電源を点けた時に目に入ったのだ。相手は、悠が「友達のお姉さん」と話しているの目撃した友人。
メッセージアプリを開く。
『これ送るの忘れてたわ』
友人からは簡素な一文とともに、写真が一緒に送られてきていた。
写真は駅のホームを写している。ホームの反対側には悠がいた。隣には綺麗な女性がいる。長い茶髪のスーツ姿の女性。
結は彼女を見た瞬間、男が好きそうな人だ、と真っ先に思った。美人系の顔立ちにグラマラスな身体。妖艶な雰囲気が彼女から漏れ出ているような錯覚を覚える。
『ありがとう』
短文でそう友人に返信し、結はまじまじと悠の隣にいるその女性を見つめる。
危険だ。
見れば見るほど、結にはこの女性がよくない人間に見える。もちろん、悠に近付いている女性というだけで結には多分に悪印象をもたらすのだが――それだけじゃない。直感でそう思うだけであり、何の根拠もない。
だが、この女性が悠に話しかけていたのだと思うと結は心がざわついてしょうがなかった。
結はこの女性のことを調べようと決めた。悠の近くにいるだけで不安になる。悠にも改めて忠告することを考える。
スマホをポケットに突っ込み、ぐるぐると思考を回す。友人から聞いていた通りの情報ではあった。綺麗な女性。だが、結にはそれだけに感じなかった。
スーパーの出入り口か何人かの人が出てくる。結はなんとなくそれを目で追っており――その中に件の女性がいるのを発見した。
あまりの偶然に結は一瞬、呆けた。思考が止まり、ぼうっと写真の中と同じスーツ姿の彼女を目で追いかける。
追いかけなくちゃ。
結は買い物袋を持ったまま、女性の後を追いかけ始めた。
◆
女性は近くの駅の方に向かっているようだった。スーパーを出て大通りに出ると、しっかりとした足取りでどこかに向かって行く。
結はそんな彼女のあとを、数メートル後方から尾行していた。結の憶測では家に帰る途中と判断していた。時間は夕方。見る限り社会人の彼女は、仕事を終えて帰宅途中にスーパーに寄り、これから家に帰る。
なにもかも結の憶測でしかないが、結にとっては充分だった。むしろ、家に帰るのだとしたらラッキーだと思っている。家の場所を突き止めておけば何かあった時に、圧をかける材料になる。悠のことが念頭にあるせいか、今の結は少々危なげな思考に偏っていた。
女性は一旦出た大通りから信号機を渡り、再び狭い道に入って行く。周辺には住宅が増え、公園も見え始めた。女性はアパートや一軒家が並ぶ住宅街の中をじぐざぐに曲がっていく。結はその進み方に違和感を覚えたものの、気にせず彼女の後をつける。
数度目の角を曲がり、女性の姿が消える。
これまでと同じように結は彼女の後を慌てて追った。
夕方の住宅街には、女性と同じように帰宅途中らしいサラリーマンや夏休みを満喫しているだろう子供たちが歩いていた。
女性のあとを追って角を曲がる――結の視線の先には女性の背中はなかった。代わりに、蠱惑的な微笑みを湛えている女性の姿があった。
「人のあとをつけるなんて感心しないわよ」
とっさに逃げようと後ろを振り向くが、女性が結の腕を掴む方が早かった。しかも、かなり力が強く結は逃げることができない。
「ちょっ、離してっ」
「なんで私をつけていたのか話したら、離してもいいわよ」
女性の声には余裕があった。力がまるで敵わない。周囲を歩く人は不審な目で見ている。
家の場所を分かれば、と思っていた考えが崩れ去る。しかも顔を見られている。
結は結果的に抵抗をやめた。このまま何も知らないで逃げるよりも、話して情報を得た方がいいと考えたのだ。
「あら、大人しくしてくれるの?」
「……ここで話すの?」
「そうねー、近くにいいカフェがあるからそこに行きましょ」
女性はいたって上機嫌に提案した。
頭の中には、本当に恋人だったらどうしよう、とそればかりが巡っていた。もちろん、その場合には相手方も家に呼んで窘めさせたうえで別れさせるのは決まっているのだが、恋人がいるという事実に耐えられそうになかった。
四日目の夜――例によって両親が出張中のため、二人で結が作ったカレーを夕食としてリビングで食べていた。
結はいい加減、決心がつき、ついに口を開いた。
「ゆ、悠。お話したいことがあるんだけど」
「ん、なに?」
カレーを食べながら悠が首を傾げる。悠がカレーを美味しそうに食べていることに幸福を感じつつも、結は心を切り替える。
「あのね、お姉ちゃんのお友達から聞いたんだけど――」
結は友人から聞いた内容をそのまま話した。ただ一点、恋人である可能性については除いて。
「私の知らない人だなーって思ってね。悠ちゃんはそのお姉さんとどういう関係なの?」
「……姉さんのお友達さんはなんて言ってたの?」
「悠ちゃんのお友達のお姉さんじゃないかって」
悠はそのまま考え込む。結はこの奇妙な間が嫌でしょうがなかった。なぜ、ここで黙ってしまうのか。まさか、本当に恋人なのか。
「――姉さんのお友達の言う通りだよ。僕の友達のお姉ちゃん。僕の友達も近くにいたんだけど、見えなかったみたいだね」
「そう。……お姉ちゃんに嘘はついてないよね?」
「うん」
悠の黒い瞳はまっすぐに結を見ている。いつしかカレーを食べる手は止まっていた。嘘はついていない、結はそう判断した。
「そっか……。でも今度から女の人と会ったらお姉ちゃんに教えてね。急に知ったらお姉ちゃんの心臓が止まっちゃう」
「いいけど……。なんで、そんなに知りたいの?」
「お姉ちゃんは悠ちゃんが大好きだから知りたいの。もし危ない目に巻き込まれてたら助け出せないでしょ?」
「ふーん……」
悠は半信半疑といった様子だ。しかし、結としてはこれで納得してもらわないと困る。ただでさえ危ない体質の悠に、さらに女性関係で危ない目に合ってほしくない。さらに言えば、自分以外の女性など信用ならない。
「まあ、いいけど」
悠はそうぽつりと漏らすと、もくもくとカレーを食べ始めた。
内心でほっとしつつ結も食事に戻る。結局は友人の言う通り、ただの知り合い程度の人ではあった。そこで、ふと思う。
友達のお姉さんとやらは、また会う可能性があるのだろうか。
結は一応、釘を刺しておくことにした。
「悠ちゃん、そのお友達のお姉さんにまた会ったりする?」
「えー、分かんないよ。そんなこと」
「これはお姉ちゃんからのお願いなんだけど、できればそのお姉さんとはもう会わないで欲しいなーって……」
「別にいいけど……。もう会うことはないと思うし」
「そっ、良かった」
ここで結はようやく気持ちが晴れる思いだった。可能性は少ないけど、悠がそのお姉さんに惚れてしまう可能性もある。それは避けなといけない。
結は食事をする前とは打って変わって、上機嫌にカレーを食べ進めたのだった。
◆
一日、二日は結にとって平和な日々が続いた。しかし、友人からの写真付きのメッセージで結はまた落ち着かない日々を送る羽目になった。
夕食の買い物に出掛けていた結に、一通のメッセージが届く。
結はスーパーの買い物袋を持ったまま、スーパーから出て内容を確認した。時間を確認しようとスマホの電源を点けた時に目に入ったのだ。相手は、悠が「友達のお姉さん」と話しているの目撃した友人。
メッセージアプリを開く。
『これ送るの忘れてたわ』
友人からは簡素な一文とともに、写真が一緒に送られてきていた。
写真は駅のホームを写している。ホームの反対側には悠がいた。隣には綺麗な女性がいる。長い茶髪のスーツ姿の女性。
結は彼女を見た瞬間、男が好きそうな人だ、と真っ先に思った。美人系の顔立ちにグラマラスな身体。妖艶な雰囲気が彼女から漏れ出ているような錯覚を覚える。
『ありがとう』
短文でそう友人に返信し、結はまじまじと悠の隣にいるその女性を見つめる。
危険だ。
見れば見るほど、結にはこの女性がよくない人間に見える。もちろん、悠に近付いている女性というだけで結には多分に悪印象をもたらすのだが――それだけじゃない。直感でそう思うだけであり、何の根拠もない。
だが、この女性が悠に話しかけていたのだと思うと結は心がざわついてしょうがなかった。
結はこの女性のことを調べようと決めた。悠の近くにいるだけで不安になる。悠にも改めて忠告することを考える。
スマホをポケットに突っ込み、ぐるぐると思考を回す。友人から聞いていた通りの情報ではあった。綺麗な女性。だが、結にはそれだけに感じなかった。
スーパーの出入り口か何人かの人が出てくる。結はなんとなくそれを目で追っており――その中に件の女性がいるのを発見した。
あまりの偶然に結は一瞬、呆けた。思考が止まり、ぼうっと写真の中と同じスーツ姿の彼女を目で追いかける。
追いかけなくちゃ。
結は買い物袋を持ったまま、女性の後を追いかけ始めた。
◆
女性は近くの駅の方に向かっているようだった。スーパーを出て大通りに出ると、しっかりとした足取りでどこかに向かって行く。
結はそんな彼女のあとを、数メートル後方から尾行していた。結の憶測では家に帰る途中と判断していた。時間は夕方。見る限り社会人の彼女は、仕事を終えて帰宅途中にスーパーに寄り、これから家に帰る。
なにもかも結の憶測でしかないが、結にとっては充分だった。むしろ、家に帰るのだとしたらラッキーだと思っている。家の場所を突き止めておけば何かあった時に、圧をかける材料になる。悠のことが念頭にあるせいか、今の結は少々危なげな思考に偏っていた。
女性は一旦出た大通りから信号機を渡り、再び狭い道に入って行く。周辺には住宅が増え、公園も見え始めた。女性はアパートや一軒家が並ぶ住宅街の中をじぐざぐに曲がっていく。結はその進み方に違和感を覚えたものの、気にせず彼女の後をつける。
数度目の角を曲がり、女性の姿が消える。
これまでと同じように結は彼女の後を慌てて追った。
夕方の住宅街には、女性と同じように帰宅途中らしいサラリーマンや夏休みを満喫しているだろう子供たちが歩いていた。
女性のあとを追って角を曲がる――結の視線の先には女性の背中はなかった。代わりに、蠱惑的な微笑みを湛えている女性の姿があった。
「人のあとをつけるなんて感心しないわよ」
とっさに逃げようと後ろを振り向くが、女性が結の腕を掴む方が早かった。しかも、かなり力が強く結は逃げることができない。
「ちょっ、離してっ」
「なんで私をつけていたのか話したら、離してもいいわよ」
女性の声には余裕があった。力がまるで敵わない。周囲を歩く人は不審な目で見ている。
家の場所を分かれば、と思っていた考えが崩れ去る。しかも顔を見られている。
結は結果的に抵抗をやめた。このまま何も知らないで逃げるよりも、話して情報を得た方がいいと考えたのだ。
「あら、大人しくしてくれるの?」
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