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第3章「運命の日」

第45話「ジャン王子は知らない」

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 王城内にある家に帰ったジャンが自室で夜の魔法訓練の準備をしていると、部屋がノックされた。

 なんだ、こんな時間に。訓練用の衣服――真っ白な上着に、ズボン――に着替え終わっていたジャンは、怪訝に思った。

 たとえ使用人でも王子である自分の部屋は滅多に人が訪れない。お付きのメイドや執事であれば別だがこの時間は来ない。

 嫌な予感がする。

 部屋のドアに向かうまでの間、ジャンはいくつかの可能性を考えた。真っ先に思いつくのは王家のことだが、この国は王家争いが激しくない。おおかた、ジャンが王になることで話が進んでいるし、異論もほぼ出ていない。それでも危険分子は存在するが、今は片付いていなくなっているはずだった。

 だとすれば、後は王族周辺だろうか。それとも何か危険なモンスターでも出たのか。厄災級の竜でも出れば、その可能性はある。

 ジャンは不安に駆られながらも、ドアを開けた。扉の向こうで立っていたのは、壮年の男性だった。

 ジャン専属の執事であり、相談役でもある。武術や魔法の腕も彼の方が上手く、師匠でもある。もっとも、今は専属の講師を呼んでいるので、昔の師匠だが。

 ロマンスグレーの髪をオールバックにし、歳に似合わない筋力を蓄えた体を執事服の下に隠している。

 強面であり、一見厳しい人間のようにも見えるが、実際には、表情が柔和で優しい人物だ。

 ジャンはそのことをよく知っていた。

 だから、驚いた。

 彼が両拳を体脇で血が出そうなほどに、握り締めていたのだから。その時点で、ジャンの中で警戒度は最高潮になる。ジャンにとって悪い話なのも確定だ。

 必然、ジャンの声音は低いものになる。一体、なにがあったのか。

「……何があった」

「――ミラ様が誘拐されました。賊は不明。現在、安否の分かっていない状況でございます」

「なに……?」

 誘拐された? 誰が。ミラだ。なぜ、どうやって。いつ。

 執事の言葉を理解すると同時に、嵐の様な奔流が頭の中をかき乱す。目の前の視界がぶれ、かつてないほどの恐怖を感じた。

「ジャン王子。ジャン王子っ!」

 体を揺さぶられ、ジャンはようやく目の前を見た。飛んでいた思考が少しだけ収まる。

「しっかりしてください」

「ああ、すまん……」

 執事はジャンを掴んでいた手を離し、淡々と話し始める。時間はついさっき。馬車で下校途中、犯人に襲われた。誘拐犯の身元は不明。現在の居場所も分からない。一緒にいたはずのハンナ・ロールも行方不明になっており、一緒に誘拐された可能性が高い。現場に血痕はなく、怪我した可能性は低い。これだけ誘拐された事実が判明されたのが早かったのは、街中の道路で堂々と犯行が行われたため。

 唯一、判明しているのは――

「黒いローブの女?」

「はい。馬車を操作していた御者によりますと、黒いローブ姿をした女性三人に道を遮られ、脅されたそうで……。その間に誘拐された、と」

 身に覚えのある話だった。ジャンはついこの間、黒いローブの女を何人も倒した。

「女達は、同じ声だったそうです。しかも、ハンナ様と同じ容姿だと。そう証言しております」

「またか……」

 すぐに思いついた想像が当たった。しかし、なんでまた。確かに『竜巫女』を探してはいたようだが、一体何が目的なんだ。大体、アイツらの存在自体がよく分からない。なぜ今代の『竜巫女』予定者と同じ姿をしているのか。ハンナがなにか繋がっている可能性もあるが、そうすると『学園襲撃事件』の際に、こちらに協力していた意図が見えない。

「ロジェ、ジェイにもこのことを伝えて、今すぐニアの元に行くように言ってくれ。俺もミラの家に行く」

「調査は騎士団の方で行っておりますが――」

「俺も探す。待ってなどいられるか」

「承知しました。……私も混ざってよろしいですか」

「大丈夫か? 父上に怒られそうだが……」

「ははっ、その時はその時です。私も少々怒りが収らぬゆえ」

「俺は怒ってないぞ。冷静だ」

「そうですね。コントロール出来ていて、大変すばらしいと思います」

「……ふん。当たり前だろう。お前が教えたことだ」

 ジャンの返答に、執事は獰猛さを感じさせる笑みを浮かべた。慣れているジャンでも、背筋が凍りそうだった。まったく、油断ならない男だ。だが、味方であればこれほど頼もしい人物もいない。

「そうですね。ですが、ニア様のもとに行かれるのであれば、もう少しお力を抜いてください。その方がニア様も安心されます」

 執事は、ジャンが無意識に握り込んでいた手にそっと触れる。恐怖とない交ぜになっていた怒りがふっと和らぐ。

 確かに、今のままではニアを余計に不安がらせてしまう。自分以外にもっとも取り乱すのは彼女だろうから。

「そうだな、気を付ける。私は少し準備を整える。そっちも頼む。……あと、ありがとう」

 執事は一礼するとその場から去って行った。扉の外と中、両方に残っている物騒な血痕は、執事がメイドに掃除させるだろう。

 ジャンは扉を閉めた。



 急ぎで走らせた馬車に乗り、ジャンがミラの家に着くと、すでに大騒ぎだった。バタバタと屋敷内を物騒な男達が走り回っている。普段なら、有り得ない光景だが、ことこの緊急事態ならしょうがないだろう。

 シェヴァリエ家の私兵団か。ニア、ミラの姉妹が生まれて以降――特に、ミラの竜の鱗が発現してからは、戦力を増強していると聞いていたが……。

 見かける男達、中には女性もいるが、只者には見えない。目つきや体の動かし方、纏っている空気がピリついている。

 ジャンに気付き、一瞬剣呑な目を向けるが一礼して去って行く。

 ジャンも知っているメイド――モナに案内されて階段を上りながら、彼らのことを頼もしく思う。戦力は多い方がいい。前を行くモナも出迎えから今まで緊張した顔を隠せていない。

 こんな時になんだが、ミラは本当に使用人に愛されているだと、嬉しくなった。

 案内されたのはミラの部屋だった。ジャンも何度か来たことがある。

「ジャン王子。ニア様はここにいらっしゃるのですが……。その、大変取り乱しておりまして……」

「分かってる。だから来たんだ。ジェイの方にも声は掛けているから、じきに来るだろう」

「そう、ですか。良かったです。……あの、ミラお嬢様のことなのですが――」

「心配するな、と言っても無理だろうが、全力を尽くす。私も捜索するからな」

 ジャンがハッキリ言うと、モナはぽろぽろと涙を流し始めた。この家には何度も来ているが、普段、無表情気味の彼女のこんな表情は初めて見た。

「お、願いします。ミラ、お嬢様のこと」

 涙を両手で拭いながら、彼女は懇願してくる。

「もちろんだ。君はミラが帰ってきたら、叱ってやってくれ。気を付けろってな」

「はい……」

 モナは一礼すると、ミラの部屋の前から去って行った。ジェイはまだ来ていないが、しょうがない。

 ジャンは部屋の扉をノックする。

「ニア、ジャンだ。入っても大丈夫か?」

 返事はない。勝手に入るのもどうかと思ったが、ここ最近のミラの動向を彼女からも訊きたい。

「入るぞ」

 ジャンはもう一度、扉越しにニアに声を掛け、開ける。

 軋む音を立てながら、扉が開く。天蓋付きのベッドと姿見のある部屋。ニアはベッドの上で横になっていた。

 扉を閉めて近付くと、ようやく彼女の顔がこちらを見た。視線が合う。

「ニア」

「ジャン……」

 ニアの口から漏れたのは、やや涸れた声だった。さっきまで泣いていたのかもしれない。

 普段の元気さがまるでない。ニアが騒いでないとどうにも調子が狂う。

「ジェイがもうすぐ来るはずだ。落ち込むのは分かるが、必ず連れ戻せるはずだ。冷静になって、考えろ」

 少々辛辣かもしれないが、普段の彼女なら出来るはずだ。こういう時、思考を止めて感情のままになるのが一番良くない。出来るはずのことが出来なくなってしまう。

「……怖いのよ。あの娘は『竜巫女』でしょう。命の危険もある。それが恐ろしい。頭の中から離れないの」

「それは俺だって同じだ。だが、最善を尽くさなければ、救えるものも救えない」

「そう、ね……」

 ジャンではこの辺が限界だった。むくりと起き上がったニアの顔はまだ優れない。肝心の元気の源が不在なのだから、ジャンではどうしようもなかった。

 そこへ、さっきジャンがしたようにノック音が部屋に響いた。

「誰だ?」

「……ジェイだ。ニアは中にいるか?」

「ああ、入ってこい」

 部屋の扉が開き、ジェイが入ってくる。彼の姿を見るなり、ミラを捜索する気満々なのが分かった。普段着ではない、動き回るのに最適な服。剣も携帯しており、武装している。

 なによりそのピリッとした雰囲気は、何度か見ている現王国騎士長の血を引いているのが分かる。

 しかし、ニアの様子を見るなり、それも雲散する。まるで子犬のように眉尻を下げ、ニアのもとに駆け寄る。

「ニア」

 一声だけ呼びかけ、彼女を抱き締める。どこかぼうっとしていたニアがぐにゃりと表情を歪めた。

「ジェイ、ミラが、ミラが……」

「ああ、分かってる」

 ミラの名前を連呼し、さめざめと泣き出した。学園では生徒の代表として奮闘している彼女だが、幼馴染の仲で一番メンタルが弱いのは彼女なのだ。その辺、ミラの方が強いし、胆力もあるだろう。自分とはとても同じ歳に思えない時がある。

 ジェイが来てくれて助かった。このままでは話にならなかっただろう。だが、彼女のためにも……、いや、違うな。ジャン自身のためにもニアには協力してもらいたい。

 ジャンにとって少々気まずい時間が流れる。ジャンは訊かなければならない。

「ニア」

「ぐすっ、なに、ジャン」

 まだ、若干の涙声のままニアがこちらを見る。ジェイがわずかに視線を向け、睨んでくる。

「俺はこれから、ミラを探す。どんな方法を使ってでもだ。ニアはどうする」

 ジェイはいい顔をしないだろう。優先順位はある。それは当たり前の話だ。自分が逆の立場でも同じだ。

「……探す。私もミラを探したい。じっとなんかしてられない」

「だとよ、彼氏様。今は婚約者様か」

「ずるいぞ、ジャン」

「お前だって同じことをするだろう。お互い様だ」

「それでも文句は言いたくなる」

「ジェイも協力してくれるでしょ」

「当たり前だ。ニアを一人で向かわせるわけないだろ」

「さすがね、私のジェイ」

 ニアの言葉にジェイは顔を真っ赤にする。ニアの普段の調子が戻ってきたようだ。

 さて、どうするか――

 ジャンは、ミラを奪還するため頭を巡らせ始めた。
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