45 / 52
第3章「運命の日」
第45話「ジャン王子は知らない」
しおりを挟む
王城内にある家に帰ったジャンが自室で夜の魔法訓練の準備をしていると、部屋がノックされた。
なんだ、こんな時間に。訓練用の衣服――真っ白な上着に、ズボン――に着替え終わっていたジャンは、怪訝に思った。
たとえ使用人でも王子である自分の部屋は滅多に人が訪れない。お付きのメイドや執事であれば別だがこの時間は来ない。
嫌な予感がする。
部屋のドアに向かうまでの間、ジャンはいくつかの可能性を考えた。真っ先に思いつくのは王家のことだが、この国は王家争いが激しくない。おおかた、ジャンが王になることで話が進んでいるし、異論もほぼ出ていない。それでも危険分子は存在するが、今は片付いていなくなっているはずだった。
だとすれば、後は王族周辺だろうか。それとも何か危険なモンスターでも出たのか。厄災級の竜でも出れば、その可能性はある。
ジャンは不安に駆られながらも、ドアを開けた。扉の向こうで立っていたのは、壮年の男性だった。
ジャン専属の執事であり、相談役でもある。武術や魔法の腕も彼の方が上手く、師匠でもある。もっとも、今は専属の講師を呼んでいるので、昔の師匠だが。
ロマンスグレーの髪をオールバックにし、歳に似合わない筋力を蓄えた体を執事服の下に隠している。
強面であり、一見厳しい人間のようにも見えるが、実際には、表情が柔和で優しい人物だ。
ジャンはそのことをよく知っていた。
だから、驚いた。
彼が両拳を体脇で血が出そうなほどに、握り締めていたのだから。その時点で、ジャンの中で警戒度は最高潮になる。ジャンにとって悪い話なのも確定だ。
必然、ジャンの声音は低いものになる。一体、なにがあったのか。
「……何があった」
「――ミラ様が誘拐されました。賊は不明。現在、安否の分かっていない状況でございます」
「なに……?」
誘拐された? 誰が。ミラだ。なぜ、どうやって。いつ。
執事の言葉を理解すると同時に、嵐の様な奔流が頭の中をかき乱す。目の前の視界がぶれ、かつてないほどの恐怖を感じた。
「ジャン王子。ジャン王子っ!」
体を揺さぶられ、ジャンはようやく目の前を見た。飛んでいた思考が少しだけ収まる。
「しっかりしてください」
「ああ、すまん……」
執事はジャンを掴んでいた手を離し、淡々と話し始める。時間はついさっき。馬車で下校途中、犯人に襲われた。誘拐犯の身元は不明。現在の居場所も分からない。一緒にいたはずのハンナ・ロールも行方不明になっており、一緒に誘拐された可能性が高い。現場に血痕はなく、怪我した可能性は低い。これだけ誘拐された事実が判明されたのが早かったのは、街中の道路で堂々と犯行が行われたため。
唯一、判明しているのは――
「黒いローブの女?」
「はい。馬車を操作していた御者によりますと、黒いローブ姿をした女性三人に道を遮られ、脅されたそうで……。その間に誘拐された、と」
身に覚えのある話だった。ジャンはついこの間、黒いローブの女を何人も倒した。
「女達は、同じ声だったそうです。しかも、ハンナ様と同じ容姿だと。そう証言しております」
「またか……」
すぐに思いついた想像が当たった。しかし、なんでまた。確かに『竜巫女』を探してはいたようだが、一体何が目的なんだ。大体、アイツらの存在自体がよく分からない。なぜ今代の『竜巫女』予定者と同じ姿をしているのか。ハンナがなにか繋がっている可能性もあるが、そうすると『学園襲撃事件』の際に、こちらに協力していた意図が見えない。
「ロジェ、ジェイにもこのことを伝えて、今すぐニアの元に行くように言ってくれ。俺もミラの家に行く」
「調査は騎士団の方で行っておりますが――」
「俺も探す。待ってなどいられるか」
「承知しました。……私も混ざってよろしいですか」
「大丈夫か? 父上に怒られそうだが……」
「ははっ、その時はその時です。私も少々怒りが収らぬゆえ」
「俺は怒ってないぞ。冷静だ」
「そうですね。コントロール出来ていて、大変すばらしいと思います」
「……ふん。当たり前だろう。お前が教えたことだ」
ジャンの返答に、執事は獰猛さを感じさせる笑みを浮かべた。慣れているジャンでも、背筋が凍りそうだった。まったく、油断ならない男だ。だが、味方であればこれほど頼もしい人物もいない。
「そうですね。ですが、ニア様のもとに行かれるのであれば、もう少しお力を抜いてください。その方がニア様も安心されます」
執事は、ジャンが無意識に握り込んでいた手にそっと触れる。恐怖とない交ぜになっていた怒りがふっと和らぐ。
確かに、今のままではニアを余計に不安がらせてしまう。自分以外にもっとも取り乱すのは彼女だろうから。
「そうだな、気を付ける。私は少し準備を整える。そっちも頼む。……あと、ありがとう」
執事は一礼するとその場から去って行った。扉の外と中、両方に残っている物騒な血痕は、執事がメイドに掃除させるだろう。
ジャンは扉を閉めた。
◆
急ぎで走らせた馬車に乗り、ジャンがミラの家に着くと、すでに大騒ぎだった。バタバタと屋敷内を物騒な男達が走り回っている。普段なら、有り得ない光景だが、ことこの緊急事態ならしょうがないだろう。
シェヴァリエ家の私兵団か。ニア、ミラの姉妹が生まれて以降――特に、ミラの竜の鱗が発現してからは、戦力を増強していると聞いていたが……。
見かける男達、中には女性もいるが、只者には見えない。目つきや体の動かし方、纏っている空気がピリついている。
ジャンに気付き、一瞬剣呑な目を向けるが一礼して去って行く。
ジャンも知っているメイド――モナに案内されて階段を上りながら、彼らのことを頼もしく思う。戦力は多い方がいい。前を行くモナも出迎えから今まで緊張した顔を隠せていない。
こんな時になんだが、ミラは本当に使用人に愛されているだと、嬉しくなった。
案内されたのはミラの部屋だった。ジャンも何度か来たことがある。
「ジャン王子。ニア様はここにいらっしゃるのですが……。その、大変取り乱しておりまして……」
「分かってる。だから来たんだ。ジェイの方にも声は掛けているから、じきに来るだろう」
「そう、ですか。良かったです。……あの、ミラお嬢様のことなのですが――」
「心配するな、と言っても無理だろうが、全力を尽くす。私も捜索するからな」
ジャンがハッキリ言うと、モナはぽろぽろと涙を流し始めた。この家には何度も来ているが、普段、無表情気味の彼女のこんな表情は初めて見た。
「お、願いします。ミラ、お嬢様のこと」
涙を両手で拭いながら、彼女は懇願してくる。
「もちろんだ。君はミラが帰ってきたら、叱ってやってくれ。気を付けろってな」
「はい……」
モナは一礼すると、ミラの部屋の前から去って行った。ジェイはまだ来ていないが、しょうがない。
ジャンは部屋の扉をノックする。
「ニア、ジャンだ。入っても大丈夫か?」
返事はない。勝手に入るのもどうかと思ったが、ここ最近のミラの動向を彼女からも訊きたい。
「入るぞ」
ジャンはもう一度、扉越しにニアに声を掛け、開ける。
軋む音を立てながら、扉が開く。天蓋付きのベッドと姿見のある部屋。ニアはベッドの上で横になっていた。
扉を閉めて近付くと、ようやく彼女の顔がこちらを見た。視線が合う。
「ニア」
「ジャン……」
ニアの口から漏れたのは、やや涸れた声だった。さっきまで泣いていたのかもしれない。
普段の元気さがまるでない。ニアが騒いでないとどうにも調子が狂う。
「ジェイがもうすぐ来るはずだ。落ち込むのは分かるが、必ず連れ戻せるはずだ。冷静になって、考えろ」
少々辛辣かもしれないが、普段の彼女なら出来るはずだ。こういう時、思考を止めて感情のままになるのが一番良くない。出来るはずのことが出来なくなってしまう。
「……怖いのよ。あの娘は『竜巫女』でしょう。命の危険もある。それが恐ろしい。頭の中から離れないの」
「それは俺だって同じだ。だが、最善を尽くさなければ、救えるものも救えない」
「そう、ね……」
ジャンではこの辺が限界だった。むくりと起き上がったニアの顔はまだ優れない。肝心の元気の源が不在なのだから、ジャンではどうしようもなかった。
そこへ、さっきジャンがしたようにノック音が部屋に響いた。
「誰だ?」
「……ジェイだ。ニアは中にいるか?」
「ああ、入ってこい」
部屋の扉が開き、ジェイが入ってくる。彼の姿を見るなり、ミラを捜索する気満々なのが分かった。普段着ではない、動き回るのに最適な服。剣も携帯しており、武装している。
なによりそのピリッとした雰囲気は、何度か見ている現王国騎士長の血を引いているのが分かる。
しかし、ニアの様子を見るなり、それも雲散する。まるで子犬のように眉尻を下げ、ニアのもとに駆け寄る。
「ニア」
一声だけ呼びかけ、彼女を抱き締める。どこかぼうっとしていたニアがぐにゃりと表情を歪めた。
「ジェイ、ミラが、ミラが……」
「ああ、分かってる」
ミラの名前を連呼し、さめざめと泣き出した。学園では生徒の代表として奮闘している彼女だが、幼馴染の仲で一番メンタルが弱いのは彼女なのだ。その辺、ミラの方が強いし、胆力もあるだろう。自分とはとても同じ歳に思えない時がある。
ジェイが来てくれて助かった。このままでは話にならなかっただろう。だが、彼女のためにも……、いや、違うな。ジャン自身のためにもニアには協力してもらいたい。
ジャンにとって少々気まずい時間が流れる。ジャンは訊かなければならない。
「ニア」
「ぐすっ、なに、ジャン」
まだ、若干の涙声のままニアがこちらを見る。ジェイがわずかに視線を向け、睨んでくる。
「俺はこれから、ミラを探す。どんな方法を使ってでもだ。ニアはどうする」
ジェイはいい顔をしないだろう。優先順位はある。それは当たり前の話だ。自分が逆の立場でも同じだ。
「……探す。私もミラを探したい。じっとなんかしてられない」
「だとよ、彼氏様。今は婚約者様か」
「ずるいぞ、ジャン」
「お前だって同じことをするだろう。お互い様だ」
「それでも文句は言いたくなる」
「ジェイも協力してくれるでしょ」
「当たり前だ。ニアを一人で向かわせるわけないだろ」
「さすがね、私のジェイ」
ニアの言葉にジェイは顔を真っ赤にする。ニアの普段の調子が戻ってきたようだ。
さて、どうするか――
ジャンは、ミラを奪還するため頭を巡らせ始めた。
なんだ、こんな時間に。訓練用の衣服――真っ白な上着に、ズボン――に着替え終わっていたジャンは、怪訝に思った。
たとえ使用人でも王子である自分の部屋は滅多に人が訪れない。お付きのメイドや執事であれば別だがこの時間は来ない。
嫌な予感がする。
部屋のドアに向かうまでの間、ジャンはいくつかの可能性を考えた。真っ先に思いつくのは王家のことだが、この国は王家争いが激しくない。おおかた、ジャンが王になることで話が進んでいるし、異論もほぼ出ていない。それでも危険分子は存在するが、今は片付いていなくなっているはずだった。
だとすれば、後は王族周辺だろうか。それとも何か危険なモンスターでも出たのか。厄災級の竜でも出れば、その可能性はある。
ジャンは不安に駆られながらも、ドアを開けた。扉の向こうで立っていたのは、壮年の男性だった。
ジャン専属の執事であり、相談役でもある。武術や魔法の腕も彼の方が上手く、師匠でもある。もっとも、今は専属の講師を呼んでいるので、昔の師匠だが。
ロマンスグレーの髪をオールバックにし、歳に似合わない筋力を蓄えた体を執事服の下に隠している。
強面であり、一見厳しい人間のようにも見えるが、実際には、表情が柔和で優しい人物だ。
ジャンはそのことをよく知っていた。
だから、驚いた。
彼が両拳を体脇で血が出そうなほどに、握り締めていたのだから。その時点で、ジャンの中で警戒度は最高潮になる。ジャンにとって悪い話なのも確定だ。
必然、ジャンの声音は低いものになる。一体、なにがあったのか。
「……何があった」
「――ミラ様が誘拐されました。賊は不明。現在、安否の分かっていない状況でございます」
「なに……?」
誘拐された? 誰が。ミラだ。なぜ、どうやって。いつ。
執事の言葉を理解すると同時に、嵐の様な奔流が頭の中をかき乱す。目の前の視界がぶれ、かつてないほどの恐怖を感じた。
「ジャン王子。ジャン王子っ!」
体を揺さぶられ、ジャンはようやく目の前を見た。飛んでいた思考が少しだけ収まる。
「しっかりしてください」
「ああ、すまん……」
執事はジャンを掴んでいた手を離し、淡々と話し始める。時間はついさっき。馬車で下校途中、犯人に襲われた。誘拐犯の身元は不明。現在の居場所も分からない。一緒にいたはずのハンナ・ロールも行方不明になっており、一緒に誘拐された可能性が高い。現場に血痕はなく、怪我した可能性は低い。これだけ誘拐された事実が判明されたのが早かったのは、街中の道路で堂々と犯行が行われたため。
唯一、判明しているのは――
「黒いローブの女?」
「はい。馬車を操作していた御者によりますと、黒いローブ姿をした女性三人に道を遮られ、脅されたそうで……。その間に誘拐された、と」
身に覚えのある話だった。ジャンはついこの間、黒いローブの女を何人も倒した。
「女達は、同じ声だったそうです。しかも、ハンナ様と同じ容姿だと。そう証言しております」
「またか……」
すぐに思いついた想像が当たった。しかし、なんでまた。確かに『竜巫女』を探してはいたようだが、一体何が目的なんだ。大体、アイツらの存在自体がよく分からない。なぜ今代の『竜巫女』予定者と同じ姿をしているのか。ハンナがなにか繋がっている可能性もあるが、そうすると『学園襲撃事件』の際に、こちらに協力していた意図が見えない。
「ロジェ、ジェイにもこのことを伝えて、今すぐニアの元に行くように言ってくれ。俺もミラの家に行く」
「調査は騎士団の方で行っておりますが――」
「俺も探す。待ってなどいられるか」
「承知しました。……私も混ざってよろしいですか」
「大丈夫か? 父上に怒られそうだが……」
「ははっ、その時はその時です。私も少々怒りが収らぬゆえ」
「俺は怒ってないぞ。冷静だ」
「そうですね。コントロール出来ていて、大変すばらしいと思います」
「……ふん。当たり前だろう。お前が教えたことだ」
ジャンの返答に、執事は獰猛さを感じさせる笑みを浮かべた。慣れているジャンでも、背筋が凍りそうだった。まったく、油断ならない男だ。だが、味方であればこれほど頼もしい人物もいない。
「そうですね。ですが、ニア様のもとに行かれるのであれば、もう少しお力を抜いてください。その方がニア様も安心されます」
執事は、ジャンが無意識に握り込んでいた手にそっと触れる。恐怖とない交ぜになっていた怒りがふっと和らぐ。
確かに、今のままではニアを余計に不安がらせてしまう。自分以外にもっとも取り乱すのは彼女だろうから。
「そうだな、気を付ける。私は少し準備を整える。そっちも頼む。……あと、ありがとう」
執事は一礼するとその場から去って行った。扉の外と中、両方に残っている物騒な血痕は、執事がメイドに掃除させるだろう。
ジャンは扉を閉めた。
◆
急ぎで走らせた馬車に乗り、ジャンがミラの家に着くと、すでに大騒ぎだった。バタバタと屋敷内を物騒な男達が走り回っている。普段なら、有り得ない光景だが、ことこの緊急事態ならしょうがないだろう。
シェヴァリエ家の私兵団か。ニア、ミラの姉妹が生まれて以降――特に、ミラの竜の鱗が発現してからは、戦力を増強していると聞いていたが……。
見かける男達、中には女性もいるが、只者には見えない。目つきや体の動かし方、纏っている空気がピリついている。
ジャンに気付き、一瞬剣呑な目を向けるが一礼して去って行く。
ジャンも知っているメイド――モナに案内されて階段を上りながら、彼らのことを頼もしく思う。戦力は多い方がいい。前を行くモナも出迎えから今まで緊張した顔を隠せていない。
こんな時になんだが、ミラは本当に使用人に愛されているだと、嬉しくなった。
案内されたのはミラの部屋だった。ジャンも何度か来たことがある。
「ジャン王子。ニア様はここにいらっしゃるのですが……。その、大変取り乱しておりまして……」
「分かってる。だから来たんだ。ジェイの方にも声は掛けているから、じきに来るだろう」
「そう、ですか。良かったです。……あの、ミラお嬢様のことなのですが――」
「心配するな、と言っても無理だろうが、全力を尽くす。私も捜索するからな」
ジャンがハッキリ言うと、モナはぽろぽろと涙を流し始めた。この家には何度も来ているが、普段、無表情気味の彼女のこんな表情は初めて見た。
「お、願いします。ミラ、お嬢様のこと」
涙を両手で拭いながら、彼女は懇願してくる。
「もちろんだ。君はミラが帰ってきたら、叱ってやってくれ。気を付けろってな」
「はい……」
モナは一礼すると、ミラの部屋の前から去って行った。ジェイはまだ来ていないが、しょうがない。
ジャンは部屋の扉をノックする。
「ニア、ジャンだ。入っても大丈夫か?」
返事はない。勝手に入るのもどうかと思ったが、ここ最近のミラの動向を彼女からも訊きたい。
「入るぞ」
ジャンはもう一度、扉越しにニアに声を掛け、開ける。
軋む音を立てながら、扉が開く。天蓋付きのベッドと姿見のある部屋。ニアはベッドの上で横になっていた。
扉を閉めて近付くと、ようやく彼女の顔がこちらを見た。視線が合う。
「ニア」
「ジャン……」
ニアの口から漏れたのは、やや涸れた声だった。さっきまで泣いていたのかもしれない。
普段の元気さがまるでない。ニアが騒いでないとどうにも調子が狂う。
「ジェイがもうすぐ来るはずだ。落ち込むのは分かるが、必ず連れ戻せるはずだ。冷静になって、考えろ」
少々辛辣かもしれないが、普段の彼女なら出来るはずだ。こういう時、思考を止めて感情のままになるのが一番良くない。出来るはずのことが出来なくなってしまう。
「……怖いのよ。あの娘は『竜巫女』でしょう。命の危険もある。それが恐ろしい。頭の中から離れないの」
「それは俺だって同じだ。だが、最善を尽くさなければ、救えるものも救えない」
「そう、ね……」
ジャンではこの辺が限界だった。むくりと起き上がったニアの顔はまだ優れない。肝心の元気の源が不在なのだから、ジャンではどうしようもなかった。
そこへ、さっきジャンがしたようにノック音が部屋に響いた。
「誰だ?」
「……ジェイだ。ニアは中にいるか?」
「ああ、入ってこい」
部屋の扉が開き、ジェイが入ってくる。彼の姿を見るなり、ミラを捜索する気満々なのが分かった。普段着ではない、動き回るのに最適な服。剣も携帯しており、武装している。
なによりそのピリッとした雰囲気は、何度か見ている現王国騎士長の血を引いているのが分かる。
しかし、ニアの様子を見るなり、それも雲散する。まるで子犬のように眉尻を下げ、ニアのもとに駆け寄る。
「ニア」
一声だけ呼びかけ、彼女を抱き締める。どこかぼうっとしていたニアがぐにゃりと表情を歪めた。
「ジェイ、ミラが、ミラが……」
「ああ、分かってる」
ミラの名前を連呼し、さめざめと泣き出した。学園では生徒の代表として奮闘している彼女だが、幼馴染の仲で一番メンタルが弱いのは彼女なのだ。その辺、ミラの方が強いし、胆力もあるだろう。自分とはとても同じ歳に思えない時がある。
ジェイが来てくれて助かった。このままでは話にならなかっただろう。だが、彼女のためにも……、いや、違うな。ジャン自身のためにもニアには協力してもらいたい。
ジャンにとって少々気まずい時間が流れる。ジャンは訊かなければならない。
「ニア」
「ぐすっ、なに、ジャン」
まだ、若干の涙声のままニアがこちらを見る。ジェイがわずかに視線を向け、睨んでくる。
「俺はこれから、ミラを探す。どんな方法を使ってでもだ。ニアはどうする」
ジェイはいい顔をしないだろう。優先順位はある。それは当たり前の話だ。自分が逆の立場でも同じだ。
「……探す。私もミラを探したい。じっとなんかしてられない」
「だとよ、彼氏様。今は婚約者様か」
「ずるいぞ、ジャン」
「お前だって同じことをするだろう。お互い様だ」
「それでも文句は言いたくなる」
「ジェイも協力してくれるでしょ」
「当たり前だ。ニアを一人で向かわせるわけないだろ」
「さすがね、私のジェイ」
ニアの言葉にジェイは顔を真っ赤にする。ニアの普段の調子が戻ってきたようだ。
さて、どうするか――
ジャンは、ミラを奪還するため頭を巡らせ始めた。
0
お気に入りに追加
231
あなたにおすすめの小説
【完結】本当の悪役令嬢とは
仲村 嘉高
恋愛
転生者である『ヒロイン』は知らなかった。
甘やかされて育った第二王子は気付かなかった。
『ヒロイン』である男爵令嬢のとりまきで、第二王子の側近でもある騎士団長子息も、魔法師協会会長の孫も、大商会の跡取りも、伯爵令息も
公爵家の本気というものを。
※HOT最高1位!ありがとうございます!
悪役令嬢でも素材はいいんだから楽しく生きなきゃ損だよね!
ペトラ
恋愛
ぼんやりとした意識を覚醒させながら、自分の置かれた状況を考えます。ここは、この世界は、途中まで攻略した乙女ゲームの世界だと思います。たぶん。
戦乙女≪ヴァルキュリア≫を育成する学園での、勉強あり、恋あり、戦いありの恋愛シミュレーションゲーム「ヴァルキュリア デスティニー~恋の最前線~」通称バル恋。戦乙女を育成しているのに、なぜか共学で、男子生徒が目指すのは・・・なんでしたっけ。忘れてしまいました。とにかく、前世の自分が死ぬ直前まではまっていたゲームの世界のようです。
前世は彼氏いない歴イコール年齢の、ややぽっちゃり(自己診断)享年28歳歯科衛生士でした。
悪役令嬢でもナイスバディの美少女に生まれ変わったのだから、人生楽しもう!というお話。
他サイトに連載中の話の改訂版になります。
【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?
つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。
彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。
次の婚約者は恋人であるアリス。
アリスはキャサリンの義妹。
愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。
同じ高位貴族。
少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。
八番目の教育係も辞めていく。
王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。
だが、エドワードは知らなかった事がある。
彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。
他サイトにも公開中。
真実の愛とやらの結末を見せてほしい~婚約破棄された私は、愚か者たちの行く末を観察する~
キョウキョウ
恋愛
私は、イステリッジ家のエルミリア。ある日、貴族の集まる公の場で婚約を破棄された。
真実の愛とやらが存在すると言い出して、その相手は私ではないと告げる王太子。冗談なんかではなく、本気の目で。
他にも婚約を破棄する理由があると言い出して、王太子が愛している男爵令嬢をいじめたという罪を私に着せようとしてきた。そんなこと、していないのに。冤罪である。
聞くに堪えないような侮辱を受けた私は、それを理由に実家であるイステリッジ公爵家と一緒に王家を見限ることにしました。
その後、何の関係もなくなった王太子から私の元に沢山の手紙が送られてきました。しつこく、何度も。でも私は、愚かな王子と関わり合いになりたくありません。でも、興味はあります。真実の愛とやらは、どんなものなのか。
今後は遠く離れた別の国から、彼らの様子と行く末を眺めて楽しもうと思います。
そちらがどれだけ困ろうが、知ったことではありません。運命のお相手だという女性と存分に仲良くして、真実の愛の結末を、ぜひ私に見せてほしい。
※本作品は、少し前に連載していた試作の完成版です。大まかな展開は、ほぼ変わりません。加筆修正して、新たに連載します。
※カクヨムにも掲載中の作品です。
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢は逃げることにした
葉柚
恋愛
皇太子の子を妊娠した悪役令嬢のレイチェルは幸せいっぱいに暮らしていました。
でも、妊娠を切っ掛けに前世の記憶がよみがえり、悪役令嬢だということに気づいたレイチェルは皇太子の前から逃げ出すことにしました。
本編完結済みです。時々番外編を追加します。
悪役令嬢に転生しましたが、行いを変えるつもりはありません
れぐまき
恋愛
公爵令嬢セシリアは皇太子との婚約発表舞踏会で、とある男爵令嬢を見かけたことをきっかけに、自分が『宝石の絆』という乙女ゲームのライバルキャラであることを知る。
「…私、間違ってませんわね」
曲がったことが大嫌いなオーバースペック公爵令嬢が自分の信念を貫き通す話
…だったはずが最近はどこか天然の主人公と勘違い王子のすれ違い(勘違い)恋愛話になってきている…
5/13
ちょっとお話が長くなってきたので一旦全話非公開にして纏めたり加筆したりと大幅に修正していきます
5/22
修正完了しました。明日から通常更新に戻ります
9/21
完結しました
また気が向いたら番外編として二人のその後をアップしていきたいと思います
【完結】伝説の悪役令嬢らしいので本編には出ないことにしました~執着も溺愛も婚約破棄も全部お断りします!~
イトカワジンカイ
恋愛
「目には目をおおおお!歯には歯をおおおお!」
どごおおおぉっ!!
5歳の時、イリア・トリステンは虐められていた少年をかばい、いじめっ子をぶっ飛ばした結果、少年からとある書物を渡され(以下、悪役令嬢テンプレなので略)
ということで、自分は伝説の悪役令嬢であり、攻略対象の王太子と婚約すると断罪→死刑となることを知ったイリアは、「なら本編にでなやきゃいいじゃん!」的思考で、王家と関わらないことを決意する。
…だが何故か突然王家から婚約の決定通知がきてしまい、イリアは侯爵家からとんずらして辺境の魔術師ディボに押しかけて弟子になることにした。
それから12年…チートの魔力を持つイリアはその魔法と、トリステン家に伝わる気功を駆使して診療所を開き、平穏に暮らしていた。そこに王家からの使いが来て「不治の病に倒れた王太子の病気を治せ」との命令が下る。
泣く泣く王都へ戻ることになったイリアと旅に出たのは、幼馴染で兄弟子のカインと、王の使いで来たアイザック、女騎士のミレーヌ、そして以前イリアを助けてくれた騎士のリオ…
旅の途中では色々なトラブルに見舞われるがイリアはそれを拳で解決していく。一方で何故かリオから熱烈な求愛を受けて困惑するイリアだったが、果たしてリオの思惑とは?
更には何故か第一王子から執着され、なぜか溺愛され、さらには婚約破棄まで!?
ジェットコースター人生のイリアは持ち前のチート魔力と前世での知識を用いてこの苦境から立ち直り、自分を断罪した人間に逆襲できるのか?
困難を力でねじ伏せるパワフル悪役令嬢の物語!
※地学の知識を織り交ぜますが若干正確ではなかったりもしますが多めに見てください…
※ゆるゆる設定ですがファンタジーということでご了承ください…
※小説家になろう様でも掲載しております
※イラストは湶リク様に描いていただきました
悪役令嬢、第四王子と結婚します!
水魔沙希
恋愛
私・フローディア・フランソワーズには前世の記憶があります。定番の乙女ゲームの悪役転生というものです。私に残された道はただ一つ。破滅フラグを立てない事!それには、手っ取り早く同じく悪役キャラになってしまう第四王子を何とかして、私の手中にして、シナリオブレイクします!
小説家になろう様にも、書き起こしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる