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第2章「未来はなにも分からない」

第26話「二階層」

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 洞窟らしさを兼ね備えていた通路を出ると、太陽がミラ達を出迎えた。一瞬、外に出たかと思ったがそうではなさそうだった。なにしろ、一階層から下ってきてここに出たのだから。

 二階層はジャングルだった。前世の熱帯雨林を思い出す。先輩達に聞いていた通りの場所だった。鬱蒼と茂る森の緑臭さが鼻から肺を支配する。床は水溜りが延々と続いているように茶色い水で埋まっていた。

 あちこちから獣の声がする。一回層とはまるで違う。騒がしい雰囲気。空気の通りがいいのか、距離が近いのか、戦闘音があちこちから聞こえてきた。

「あっつい……、さっさと三階層に行こう、ジャン」

「そうだな……、いるだけで体力が奪われる」

「ここは、とにかく一番奥に行けばいい。方向はあの樹が目印だ」

 ジェイの指差す方向にはある程度の高さで止まっている樹木の中、一際大きい樹だった。遠目に見てもかなり大きいのが分かる。まるでビルだ。

 デタラメな空間。先輩方に聞いていなかったら、戸惑うこと間違いなしね。

 不快だが、じゃぶじゃぶと浅い水を踏み付けて、走って行く。道中、小さいモンスターが襲ってくる。やたらと手足の長い猿に、神々しさを感じる鹿。ミニサイズの数百羽の蝙蝠。

 ミラ達の手こずるような相手ではないが、何回も足止めされるとうっとおしい。蒸し暑さに、ぬかるんだ道、小蠅のように周囲から襲ってくるモンスター。

 まるで、ここに侵入してくる人間をイライラさせることに特化したような空間だった。

 当たり散らすことはないが、次第に無言になっていく。汗が体にへばりつき、集中力を奪っていく。三人のバシャバシャとした足音が響き、時折モンスターを殺していく。

 大樹は、もうすぐ目の前に迫っていた。近くなり見上げるのが辛くなる高さに近付いた頃、あたりの木々が消える。うっとおしかった根っこも、生い茂る葉もない。茶色い水が、薄く溜まっているだけの空間。

 いい加減うんざりし始めていたが、ようやく三階層の入口に到着したらしい。開けた空間の向こうには、大樹の根元と樹木にぽっかり開いた穴があった。

「あれだな」

 ジャン王子が疲労からか、ぽつりとこぼす。ミラとジェイは短く返答した。

 あの穴に入って三階層へ向かえばいいのだが、目の前では戦闘が起こっていた。避けながらなので遠回りになる。

 足を取られそうな浅い水の上で戦っているのは三人組、一つのみ――サディア達のパーティーだった。相手しているのは、人間よりも大きな蛙だ。

 眠たげな顔している土気色の蛙。背中にぶつぶつがあり、口を開くとぬめっとした液体が糸を引く。ピンク色の舌がサディア達を襲っていた。

 ただの蛙ではない。でぷっとしている巨躯は近くの樹木よりも高く、太い。それにも関わらず、動きは俊敏。おまけに、紫色の液体――明らかに毒としか思えない――を撒き散らしていた。

 サディア達が剣を振るえば刺さることなく、ぬめっとした表皮に滑っているようだった。

 蛙はサディア達に集中している。ここは彼女達に譲り、さっさと三階層に行かなければ。

「さすが迷宮って感じ。倒しにくそう」

「この分だと、次は何が出てくるか分からないな……」

「三階層か……、先輩の言う通りだとすると面倒そうな場所だったな……」

 ジェイが不穏なことを言う。フラグが立つのでそういうのはやめて欲しい。

 戦闘中の彼女らを眺めながら、三階層への入口に向かって走っていると、サディアがこちらに気付いた。瞬間――彼女の目が見開かれる。

 ビシ、とサディアの体が固まった。

 ちょっ、危ない――

「サディアっ!」

 ニールの叫び声が響いた。彼は固まっているサディアの元に瞬間移動すると――ミラにはそうにしか見えなかった――彼女を抱え、蛙が出した毒液を被るのを防ぐように逃げた。

 ほっ、と一安心していると、ニールに抱えられているサディアの鋭い視線を感じた。ニールとニコラも気付いたようで、戦闘中にも関わらず睨んでくる。

 しかし、蛙はそんなことはお構いなし、と止まっている彼女らに向かって毒液を撒き散らした。

 それに気付き、サディア達は戦闘に戻っていく。こちらに構っている暇はないだろう。

 バチャバチャと、蛙の毒液が水に落ちる音が聞こえてくる。

「ミラ、あまり見ていると蛙の注意がこっちに向くぞ」

「う、うん」

 ミラはサディアのさっきの反応が気に掛かりながらも、三階層の入口に向かった。

 大樹の根元にぽっかりと開いた大穴。そこが三階層への道だった。入口付近でも分かる冷ややかな空気。

 ここから先は極寒の世界になる。

 入る直前でお互いに魔法を掛け合う。寒さでも耐えられるように、互いの周囲の空気を一定にする。

 あまり使用すると疲労してしまうため、ここ熱帯林ではしようしなかったが、さすがにこの先では厳しい。

「温度は大丈夫か? 二人とも」

「問題ない」

「大丈夫だよ、ジャンは?」

「ああ、完璧だ。ミラ」

 ジャン王子が頭を撫でてくれる。えへえへとだらしな笑みが零れてしまっている気がした。ニヤつく顔が止められない。この世界に来て、魔法の習得はかなり苦労したのだ。言語も発音も違うし、根底にある価値観も違う。分かることは出来ても理解が難しい。誰だって、苦労して手に入れたものを褒められれば嬉しくなる。だから、これはしょうがない。不可抗力だ。

 後ろの戦闘音の激しさが増す。ドオンっと爆発音のような音と、ニコラの「お止めください、お嬢様っ!」という叫び声が聞こえてきた。

 なんだろ、後ろを見るのが怖い。

「……俺の前でイチャつくな。疲れる」

「い、イチャついていないよ……?」

「俺はそのつもりなんだが……。愛が足りなかったか?」

「や、やめて、ジャンっ……」

「はぁー……、行くぞー、追いつかれちまう」

 ジェイが諦めきった声で、三階層へ潜っていく。

「ジェイっ! もう終わり、行くよっ!」

 ジェイの声が掛かったにも関わらず、いまだに頭を撫でてくるジャン王子の手をぺいっと捨てて、後を追う。

「はいはい」

 なんとも軽い返事がジャン王子から返ってきた。

 三階層は極寒の地だ、と聞いていたが――別の意味でも寒気がしてくる場所だった。三階層へはツルツルとした氷の上を滑って、降り立った。

 だが、すぐに滑って落ちそうになる。それぞれ剣を突き立て、滑りを止める。

「ふうっ……」

 一息吐いたのも束の間、突き立てた剣の先で氷がピキピキと音を立てているのが分かり、頬が引き攣る。

 氷は透明度が高かった。透き通るような氷だ。これが遠目で見るなら、綺麗だな、で終わるのだろうが――ミラの見えている視線の先は空だった。

 雲が見え、さらにその下は空の青さだけが分かる。深い青、微かな風がミラの顔を撫でる。

「ゆっくり立て、二人とも」

「うん……」

「ああ」

 自然と声が静かになる。ミラはおそるおそる腕を立て、足を立てる。氷はヒビを広げていく。だが、止まるわけにはいかない。冷や汗がぽたぽたと氷の上に落ちて行った。

「立てた? 二人とも」

 ミラは二階層からの出口に一番近い場所にいた。後ろから声が掛かる。

「ああ」

「立ったぞ。この後どうする、ジャン」

「この階層は一本道だ。とにかく真っ直ぐ行けばいい。階層主までずっと氷の道。ただ、この氷は走ったそばから割れる」

「道は後ろ? ジャン」

「ああ、一回後ろを見よう。……ゆっくりな」

 ミラは氷に負担を掛けないように、ゆっくりと後ろを向く。今の所、二階層から誰か降りてくる気配はない。だが、この状態で来ようものなら確実に氷が割れ、落下する。

「ねえ、これ落ちたらどうなるんだっけ」

「迷宮の外に出される、振り出しだ」

「死ぬことはないんだよな」

 ゆっくり、ゆっくりと後ろを向く。一方であまり悠長にしていられない。氷が割れていないということは、少なくともここ数分は人が来ていないということ――チャンスだ。

「死にはしないが、死ぬような恐怖は味わうだろうな」

 そうでしょうね。なにしろ見る限り底は見えない。ただ深い青が広がっている。

 ようやく後ろを振り向くことに成功する。幸い、氷のヒビは広がっていなかった。時折、不吉な音はしているが。

 広大な空間だった。二階層同様、デタラメな空間。上も下も横も、奥行きも何もかも端が見えない。遠近感が狂い、ふらつきそうになる光景だった。

「ねえ、これ、割れた後は引き返せないんだよね?」

「先輩の言う通りならな。しばらくは戻らないはずだ」

「一気に走るしかないのね……」

 ミラの視線の先――ジャン王子とジェイの背中の向こうには、透明度の高い氷の道が真っ直ぐに伸びていた。横幅は三、四人が横並びに出来る程度。一斉に階層主まで走るしかないだろう。

 まぁ、それはまだいい。問題はモンスターの存在だった。悠々と飛行している何百という鳥。一体一体は小さいのだが、それが固まって大きな鳥のように飛んでいた。
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