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第1章「悪役令嬢の無双」

第7話「メインヒロイン、ジャン・フリッド王子」

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 ジャン王子が住んでいるのは王城だ。今日は週一の逢瀬の日。もっとも微妙な距離なので、今は逢瀬とは言い難い。どちらかというと、単に友達の家に遊びに行くと言う方が近い。相手は国のトップの家系ではあるが。ミラは、それにしても、と思う。

 王族って本当に城に住んでるんだ……。

 いや、何度も来ているので知ってはいるのだが、灯里の記憶を取り戻した今では違う感想になってしまう。

 荘厳さ、豪華さ、呆れるほどのスケール感に驚く。いくら魔法があるとはいえ、よく建築したものだと思う。その方面に明るいわけではないので、凄い、しか感想が浮かばないのがもったいないところかもしれない。そう考えると一周回って前世の建築物ってすごいのかもしれない。ミラは前世の自分のあまりの引きこもりぶりに少しだけ後悔した。もう少し外を見て回ればよかったかもしれない。今はもう見られないのだから。

 王城へは正門への橋でしか通れない。そこには衛兵が橋の両端で二十四時間見張っているらしい。橋以外の周りは堀になっており、水がたっぷり入っている。噂では『死の水』らしく、毒が混入されているのだとか。おまけにそんな水なのでなにも生息していない様に見えるのだが、毒にも耐えられる魚がいるのだという。魚は侵入者を発見するともの凄い勢いで鳴き出し、かつ侵入者に群がってピラニアのごとく噛み付いてくる、らしい。もっとも一度も実物を見たことのないミラには上手い想像が出来なかった。

 魚が鳴き出すってなんなのだろう? まあ、気にしてもしょうがないか。ここに忍び込むことなんて無いんだから。

 ミラは馬車に揺られ、王城への橋を渡っていた。結果的にはただ楽しく終わったニアのお茶会から数日経っている。

 お茶会ではニアの一悶着があったが、ジャン王子とより仲良くなったというのは無かった。やはり二人きりで仕掛けないとそうそう簡単には変わらないらしい。いくらゲームではチョロインといえども。

 今のミラは外行きの格好だった。婚約相手、それもこの国の第一王子に会いに行くのだから、おめかしはしておかないとお母様に怒られる。今のミラにとっては戦装束でもある。ジャン王子を惚れさせないと自分の命が危ういのだから、この逢瀬はある意味戦争でもある。相手を惚れさせる戦争。

 前回か前々回か。ジャン王子からは毎回そんなに着飾ってこなくていいと、女心をまるで理解してなさそうな発言が飛び出していた。ミラの記憶では幼いながらに腹立たしかったようだが、特に何も言わなかった。だが、そこまで言われると火がつき、ミラは可愛いといってもらえるまで服装に精を出しているようだった。

 過去のミラのためにも、今後そんなことをジャン王子がのたまうようであれば、説教してあげなければ。その前に言わせないような仲にしたいが。

 それにしても、ジャン王子に褒めてもらうために服を選んでいるミラ可愛いらしかった。自分の記憶でもあるのでいくらでも振り返れる。

 こう、頭を撫で回したい感情に囚われる。もっとも今は自分のことでもあるのでそんなことは出来ない。

 今日、屋敷を出る前――全身鏡でミラは自分の服装を確認していた。ジャン王子をたじたじにさせるためにも準備は入念にしたのだ。

 それなりに可愛い服装。華美すぎず、あくまで子供らしさと可愛さを強調した服。精神年齢的にはフリフリのスカートが少々きついが、今の実年齢なら問題ない。お付きのメイドは可愛いですよと褒めてくれていた。体に精神年齢が引っ張られているのか、照れくささよりも嬉しさの方が勝った。全身鏡で自分の姿を見た時には見惚れそうにもなった。

 いくら悪役令嬢と言っても、いや、だからこそ美人であることには変わらない。今はまだ幼いが、それはそれで代わりに可愛さが勝っている。

 ミラのやや褐色の肌に対して、服は全体的に黒を基調としたものだった。シースルーのフリフリのせいか、ミラの美貌のせいか、この年にして若干の妖艶さを醸し出してしまっているのはもはや事故だ。

 将来のジャン王子の性癖が少しばかり心配にもなった。

 ミラは馬車の中で一人意気込む。

「これなら……」

 さすがにこういう格好なら、朴念仁なあの王子様でも多少は動揺してミラを見るだろう。

 ――そう思っていた時もあった。

 馬車が王城内に入り、メイドに案内されること数分。

 ジャン王子は自分の部屋で本を読んで待っていたようだった。メイドが開けた扉から中に入ったが、彼は特に何も言わなかった。見向きもしない。ミラがジャン王子の対面に座るまで特に喋りもしないし、服装についても褒めることもしない。ないない尽くしだった。ミラは若干イラっとする。

 うーん、せめてこっちを見てくれても良くないかなー?

 ミラは読書に夢中なジャン王子の横に移動した。ここにきて彼はようやく顔を上げる。ミラはジャン王子の顔面の良さに悶えた。

 やっとこっち見た。うーん、改めて見るとイケメンだなー。

 これが将来の旦那様か。きちんと振り向いてもらわないとそうはならないが。

「ジャン。何か言うことはないですか?」

「な、なんだよ」

 ジャン王子は本で顔を隠す。だが、持っている本が逆さまだった。

 意識してもらうためにわざと近付いたのだが、この反応。もしかして、幼いミラのジャン王子に対する印象がツンケンしていただけで、脈ありだったのか。ミラの中で徐々に確信に変わっていく。そう考えると彼が可愛くてたまらない。彼のうるうるとした目で見つめられると、きゅんきゅんしてくる。それにしても、照れているのだろうか? 耳も赤い。

 ふと、思い出す。そういえば今日は香水をつけてきたのだ。可愛らしいバラの香り。その香りに気付いているのかもしれない。お子様には少々早いと思ったのだが、お付きのメイドが薦めるのものだから大丈夫だろうと考えて身に纏ったのだが、上手くいったようだ。

 思っていたよりも脈ありだった。でも、油断は出来ない。いつ、どこの馬の骨――『悲劇のマリオネット』の主人公、ハンナ・ロール――に掻っ攫われるのか分かったものではない。

 じっとジャン王子の様子を観察して、ミラはもう少し反応が欲しくなった。ジャンってわざと呼び捨てにもしているのに気付いているのだろうか。二人だけの時はその方が雰囲気が出ると思ったのだが。この年で雰囲気も何も無いとは思うけど。

「本、逆さまですよ、ジャン」

「……っ。今日、おかしいぞ、ミラ」

 王子は常に呼び捨てだ。基本的に誰にでもそうだからしょうがない。立場上仕方ないのは分かってはいる。それでも名前で呼ばれるというのは、ジャン王子なら嬉しい。

「なーんにも、おかしくないですよ。それより、ほら、どうですか」

 ミラはソファを降り、ジャン王子の前でくるっと一回転する。ついでに香水の香りもふわっと彼に香るように。

 さて、効果のほどは、とジャン王子をちらっと見ると、顔を真っ赤にしていた。どうやら少しは効果があったようだ。ミラは、ジャン王子の口からの褒め言葉が欲しくなった。ジャン王子をじっと見て、名前を呼ぶ。

「ジャン」

「……可愛い」

 彼はぼそっとそう呟いて、そっぽを向いてしまった。この婚約者ちょっとあざと可愛すぎないだろうか。

 やり過ぎたかもしれない。ジャン王子はそっぽを向いたまま元に戻らない。どうしよう。とうとうこっちを見なくなってしまった。

 ミラは不思議に思う。ゲームでは、ここまで純情じゃなかった。子供の頃のジャン王子がここまで可愛いとは。

 でも、これでは話が出来ない。なにか、ジャン王子の興味のあることは――

 ミラはジャン王子の隣に座り直し、話しかけた。

「ジャン、剣に興味はある?」

「なんだよ、急に」

「こないだ、ニアに剣でぼこぼこにされちゃったのよね」

「なっ、おい大丈夫なのか、それは」

 ジャン王子がようやくこちらを見る。だが、ミラの顔を見るなり、すぐに逸らしてしまった。

 男の子なら剣に興味を持つかなと思ったが、予想以上に反応が良い。もっと仲良く、というか交流を深めるためにもこれがいいかもしれない。

「大丈夫か、は微妙ですが……。私は悔しいんですよ」

 ずいっとジャン王子に近付くと、彼が狭いソファーの中で後ずさる。

「ですので、ぜひともジャンに剣の稽古をしてほしいなーっと」

「剣の稽古?」

「ダメですか?」

 ミラはジャン王子の腕を掴んだ。さらに上目遣いで彼を見る。

 ここでダメ押しの上目遣い。ミラは必殺技を決めた気持ちだった。

「~~っつ。……ダメなんて言ってないだろっ! いいから離せ」

「じゃあ、稽古してくれる?」

「する、するからっ」

「よろしくお願いします。ジャン」

 パッと手を離すと、すぐさま本でまた顔を隠される。実に残念だ。照れているジャン王子は可愛らしいというのに。

「なんで顔を隠すの? ふふっ」

「うるさい。ミラはもう少し……」

「もう少し何?」

「……なんでもない」

 ジャン王子はそのまま押し黙ってしまう。こういう反応をされるとミラであることも忘れて、ついついいじめたくなってしまう。楽しくてしょうがない。

 だが度が過ぎると嫌われかねないので、この辺にしておかなければ。

「そう? それじゃ、早速稽古して」

「え? 今からか?」

「してくれないの?」

「だって、ミラのその服装……」

 ジャン王子はちらちらっとミラを見る。そんな風に見るなら、しっかりこっちを向いてくれればいいと思う。

 それにしても服装か。ミラは少しだけ考え――

 まぁ、破かなければ大丈夫でしょ、と自身を納得させた。

「汚したらジャンが綺麗すればいいよ」

「なんで、俺が……」

「だって、私、綺麗にする魔法使えないんだもん」

「……やっぱり別の日の方がよくないか」

「えー? あっ、ジャンは私に負けるのが嫌なんでしょー」

「なっ、負けるわけないだろ」

 男の子らしい。挑発に簡単に乗ってくれる。こういう単純な所もいい。可愛らしくて好きだ。

「本当ー?」

「……今からするぞ、稽古」

「うんっ!」

 ジャン王子はさっきとは一転して、ぶすっとした顔だった。
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