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第1章「悪役令嬢の無双」

第3話「悪役令嬢、ミラ・シェヴァリエ」

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 ぼんやりと瞼を開けると、真っ白な天蓋が目に入った。まるでどこかのリゾートホテルの様な豪華さ。

 灯里はべたついている髪が気になった。髪に触れるとわずかに湿っぽい。

 ゆっくりと体を起こすと、記憶にある灯里の手ではない自分のものになっている小さな手が目に入る。その手で顔をぺたぺたと触る。耳、頬、鼻、唇。すべてが灯里としての身体の形よりも小さい。あと、熱っぽくもあった。顔を俯けば綺麗な茶髪が流れる。それを掬ってじっと見つめた。普段から手入れされていなければ出せない輝きが出ている。

 綺麗……。毎日ケアされてるもんね……。

 自分の中にあるもう一つの灯里ではない記憶の中で、メイド達の丁寧な洗髪が思い出される。

 今の自分の姿をもっと確認したくなり灯里が周囲を見回すと、大人の身長ほどはある姿見が目に入った。灯里はふらふらとベッドを抜け出て姿見に近付いた。

 姿見の前に立つと、鏡の中にはある意味で見覚えのある――いや、面影のある姿が目に入ってくる。灯里としての意識では自分ではないと感じる。しかし、間違いなく今の自分。灯里としての前世の記憶が誰の姿なのか呼びかけてくる。

「ミラ・シェヴァリエ……」

 それがこの世界での自分の名前だった。同時に前世の灯里が死ぬ前日までプレイしていた乙女ゲーム『悲劇のマリオネット』の悪役令嬢の名前でもある。

 鏡の中のミラに触れる。ゲームの姿よりだいぶ幼い姿だが間違いない。今世の記憶では確か六歳のはずだった。

 頭の中で灯里とミラとしての記憶が混ざり合う。

 亜麻色のサラサラの髪に、色素の薄い琥珀色の瞳。やや褐色の肌は活発そうな印象を与えるが、実際は内向的な上に病弱気味だ。この肌は日焼けではなく、地肌。真っ白な寝間着姿が眩しい。しかし、その美貌は一切服に負けておらず、呆れるほどの美幼女ぶり。前世なら子供向けの雑誌モデルに出ていてもおかしくない。今は、少しばかり顔が火照っている。

 前世で死ぬ前日にプレイしていた『悲劇のマリオネット』の悪役令嬢役。その幼い姿が今、目の前の姿見に自分の姿として映し出されていた。

 おかしな事態にも関わらず、ミラは不思議と混乱はしていなかった。諦めているとも言える。

「でも、こんなの無かったはずだけど……」

 鏡の中のミラが首元に手を伸ばす。まるで首輪のように、首をぐるっと鱗のようなものが付いている。真っ黒な鱗。触れれば魚の鱗のようなザラザラとした感触がある。しかし、魚よりもかなり固い。軽く叩けば、コンっ、とおよそ人間の皮膚ではあり得ない音が返ってきた。

 ……竜の鱗だ。

 鱗の正体をミラは知っている。ただ、今は灯里としての記憶とミラとしての記憶、両方の知識が混ざっている。前世の、それもゲームの中での話では『竜巫女』の象徴として扱われていた。作中のテーマでもあった竜。ゲームには、最も人口を占めるであろう宗教として『竜教』なるものがあり、その巫女。それが竜巫女だ。竜教において特別視されるとても神聖な存在。同時に竜教の政治的なリーダーとして担ぎ上げられる存在でもある。現実に『悲劇のマリオネット』の世界に存在している今のミラの知識でも違いはない。

 ただ、一点だけが違っていた。この鱗、ゲームでは悪役令嬢であるミラではなく、主人公のハンナ・ロールという少女が持っていたはずなのだ。悪役令嬢であるミラにはこんなもの無かったはず。しかし、思い返すとミラの首元は見たことがなかったような気がしないでもない。いつもスカーフや黒いチョーカーを身に付けていた。

 ハンナが真っ白なチョーカーを付けていたのは印象的だったので、気にはなっていた。だが、どういう意味があるのかまではまったく分からなかった。勝手な推測で、ミラのチョーカーはハンナへの愛憎渦巻く当てつけというか嫉妬からくる単なる真似だとばかり思っていた。

 しかし、とミラは思う。もし、この世界でもゲーム同様にハンナが鱗を持っているとすると、おかしい。ゲームでもこの世界でも竜の鱗を持つ者は、*一世代に一人なのだから*。

 確か先代の『竜巫女』が死亡して今は竜教が先代の予言を元に鱗を持つ人間を探している段階のはず。予言まであるなら早く探せばいいと思うが、なんでも先代が亡くならないと次世代には発現しないらしい。従って、先代が亡くなった直後に竜教によって捜索隊が組まれ、現在探している最中らしいのだ。ゲームではそれで竜教によってハンナが見つかり、舞台である学園に入学してくるというストーリーだった。この世界にでも大筋は変わらないはず。

「どういうことなんだろ……」

 そもそも前世の記憶が蘇る前のミラでは、鱗は存在していなかった。それに竜教が竜巫女――ハンナを見つけたと噂は聞かないが、先代の竜巫女が亡くなって一年以上経っているはずだった。それが今になって、なぜミラに。

 ミラはここ数日、流行り病に臥せっており、ようやく起きられたのが今だった。酷い高熱にうなされて、しばらくは寝室にこもりっきりだったのは覚えている。両親に医者、世話焼きのメイド一人――それくらいしか寝込んでいる間に会っていない。全員とても何かする人物には思えない。少なくとも六年間のミラの記憶はそう言っている。

 ミラは自分の鱗を擦りながら考え込むが、結論は出ない。

 その時、ガチャっと静かに寝室の扉が開いた。

 入ってきたのは茶髪の精悍な男だ。ミラを見つけて目を見開く。

「……ミラっ?」

「おとーさま」

 言って少し後悔する。舌足らずなせいで、上手く話せない。

 お父様はミラに近付くと、膝をついてぎゅっと抱き締める。少しばかり苦しい。お風呂に入った後なのか石鹸のいい香りがする。

「おとーさま、びょーきが移っちゃいます」

「問題ない。それよりも、治ったのか?」

 問題はある。お父様が病気になると色々と滞ってしまう。何の仕事をしているのか詳しいことは知らないが、困るだろう。でも、言ったところであまり効果はなさそう。ミラの記憶では、かなりの溺愛ぶりだった。お父様の愛情は過剰だったらしく、ミラはそのスキンシップをちょっと嫌がっている節があった。もっとも灯里としての意識を持っている今のミラにはそれは当てはまらなかった。

「うん、元気になった」

 お父様はミラの肩を掴んで、じっと目を見てくる。その視線が首元に移る。

「ミラ、首は痛くないか?」

「うん、だいじょーぶ」

「そうか」

 ミラの首元の鱗に対してはそれだけだった。あまり気にした様子はない。

「ならいいが……、まだ安静にしてなさい」

 お父様の優し気な瞳が涙で潤んでいる。しかし、次の瞬間には険しい顔つきになってミラを抱き上げた。

 ミラは内心で慌てはためく。灯里としての意識が顔を出す。

 恥ずかしい。でも今はミラか。なら、いいのかな? いやでも……。

 ミラはどうすることも出来ず、お父様にされるがままベッドに寝かされた。布団が優しく掛けられる。

「医師を呼ぶから大人しくしてなさい。動いちゃだめだからな?」

「はーい」

 なるべく子供らしく答えた。鱗のこともあるし、変に勘繰られても面倒だ。

 ミラの返答に頷くと、お父様は医師を呼びに部屋を出て行った。ミラは一つ息を吐いた。

 ……すごい。お父様、すごいイケメンだった。

 今になって、顔が熱くなってくる。汗臭く無かっただろうか。メイド達が汗を定期的に拭いてくれているから問題はないはずだったが。

 それにしても、さすがゲームの世界だ。……だが、このままだと死んでしまう。

 ゲームの物語自体は王国内にある貴族達が通う学園に入ってからが本番だが、いずれのルートでもミラ・シェヴァリエは死亡する。唯一攻略できていないハンナとミラのルートでも死亡する結末しか知らない。そして、他のも含め、悪役令嬢――ミラの最期はほとんどが他殺。つまり、殺されてその生涯を閉じる。他は処刑だ。

 せっかくこんな美幼女に生まれ変わったのに、このままではまた死ななければならないなんて。しかも殺されてなんて絶対にごめんだ。なんとかしなければ。

 ゲーム上の話では婚約破棄されてから、ミラの転落人生が始まっていた。まずは、それを止めなくてはいけない。ゲームの中では婚約者である王子からは嫌われていた。理由は分からない。生まれた時からの婚約だからそれが気に食わなかったのだろうか。

 幸いにして今のミラと王子はそこまで関係が拗れてはいない。とにかく仲良くしなければ。王子だけではない。結局のところ処刑を除いて、誰に殺されるのか分からないのだから、他の人達とも仲良くしないと。

 ミラがうんうんと今後の事を考え込んでいると、いきなり扉が開いた。
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