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第2章「狂竜、ご令嬢ルーシー」
第18話「運命のいたずら」
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運命は時としていたずらを起こすというのは知っていた。自分の予想なんて簡単に覆してしまう。神という不確かなものがいかにいたずら好きであるかも。
――雨だった。ゲリラ豪雨のごとく、土砂降りが数秒の間に降り注ぎ始める。ついさっきまで、雲こそあったものの晴天だったのに、急だった。
くそっ、なんでこのタイミングでっ!
「な、なにっ?」
ミアも突然の雨に困惑を隠せないようだった。しかし、跳躍は止められない。ちょうど竜の体の前に降り立った瞬間、動いた。
「グルルル……」
ロルフとミアが降り立ったのは、竜の眼前。喉鳴りが聞こえた。二人の視線の先、鱗と同様に真っ赤なまぶたがゆっくりと開かれる。人間と同じサイズはあるかという目が。瞳は琥珀のような色だった。その中央に黒い点がある。ぎゅるっと動き、こちらを向く。
雨はいまだに降り続いていた。雨音がうるさい。焦げ臭かったのが湿った匂いに変わり、鼻につきはじめた。
「ルーシーっ!」
ミアが声を荒げる。
まずいな、予定が狂ってしまった。
ロルフの予定では、眠っている間に拘束してから呼び掛けるつもりだった。万が一のために。それが突然の雨で目を覚ましてしまった。これでは、できない。
逃げる準備をする。足に力を込めようとすると、竜が立ち上がった。
その巨大な顔をこちらに向け――かぱっと口が開く。まずい、とロルフが反射的に思った時には遅かった。
音は聞こえなかった。知覚できなかったという方が正しいかもしれない。しかし、分厚い壁にぶつかる感覚だけは分かった。周りの燃えカスともどもロルフはミアを抱えたまま吹っ飛ばされた。
「くそっ!」
「ロルフっ、外に降りるわよっ!」
ミアが吹き飛ばされた自分たちを、外へ誘導するように魔法を掛けた。だが、それも遅かった。
「なっ」
それは、ロルフとミアどちらの声だったか。着地点を見ていたロルフたちの目の前に竜は現れる。
異様な速さだった。その巨躯のどこに俊敏に動ける要素があるのか。完全に見誤っていた。変化をする時、竜した腕を引きづっているのが頭に残っていてしまっていたのかもしれない。
気付いた時には、黒光りする爪が目の前に迫っていた。
「ロルフっ!」
咄嗟にミアを投げ出した。彼女なら自身の魔法でどうにかなるだろう。泣き叫ぶような声が遠ざかっていく。
代わりにやってきたのは痛みだった。
痛い。
頭の中は、ひたすらにそれだけを連呼する。状況を理解する。腹だ。打ちつける雨の中、竜の爪が自分に向かって伸びている。体の内側から焼かれているようだった。声が出ない。息ができない。死ぬ――
ロルフは完全に刺し貫かれていた。それが、自重にしたがってずるずると落ち始める。もはや痛みは感じていなかった。体の中をなにかが抜けていく感触だけを感じる。
落ちる。
ドンっと体が落ちたのを半ば他人事のように感じた。口元から液体が出たのも。
霞がかった世界だった。音も、匂いも、触覚もなにもかにもが感じない。あると分かるのに実感がない。
なにかが近付いてきた。視界にレイラの焦った顔が見える。こんな彼女は初めてだ。なにを言っているのか分からない。しかし、必死に叫んでいるのは分かった。
ぼんやりとお湯の中を漂っているような感覚だった。しかし、それも長くは続かない。
お腹が痒くなりはじめたのを感じ始めたのと同時に、徐々に色々な感覚が戻ってくる。雨粒の感触、湿気と焦げ臭さが混じった匂い、視界の意味を回り始めた頭が理解する。そして声が聞こえた。
「レイラ、やめなさい! 魔法を掛けるなっ!」
「なに言っているの! このままじゃロルフが、ロルフがっ!」
レイラは泣いているせいで声が上擦っている。
「きゃっ! ……竜!」
風圧を感じた。手をかざしていたレイラが視界から消える。
顔を横に向けると、あの竜がいた。
竜は涙を流している。
体が大きいせいか涙まで大粒だ。
雨が降っているのにも関わらず、竜の体から煙が上がり始めている。その音まで聞こえてくる。やがて、中から一人の少女が出てきた。あちこちが鱗で覆われているし、角と尻尾もあるが間違いなくルーシーだった。
「殺す……!」
「やめなさい。ロルフなら生きている」
いつの間にか来ていたサンディが、こっちの状態に気付いたようだ。感覚が戻り始めるにつれ、痛みも消えていく。代わりに痒くてしょうがないが。
この体じゃなきゃ死んでたな。いや、一回死んではいるのか。
「えっ、……本当だ。ロルフぅ~」
「ロルフっ? よかった……」
ミアの声もする。近くにいるらしい。そちらを見たかったが、ルーシーから目が離せなかった。
ルーシーはぼろぼろだった。
通り雨だったのか、止み始めている。
彼女は涙を流している。鱗以外の皮膚の部分は傷だらけだ。とぼとぼと迷子の様にこちらに歩いてくる。
「二人ともやめなさい、もう大丈夫でしょ」
サンディの尖った声が聞こえた。
「う……、あ……、ごほっ、ごほっ……、はぁ……」
咳き込みながらも、なんとか体を起こす。お腹が痒くて新しく出来た皮膚を掻いてしまう。
「ロルフくん? 大丈夫なの?」
「……ああ、それよりも」
今やロルフの体は完全に治っている。我ながら不気味だ。ここまで大怪我なのは久々だった。もっとも前がいつだったかは忘れてしまった。
「ルーシー、お願い……」
ミアのお願いはなんなのか。分かるような気がした。
「……ルーシー」
「ロ、ルフ……?」
後、数歩という所でルーシーは立ち止まった。
雨が晴れ、ルーシーがよく見える。ぺたっとした金髪が顔に張り付いていた。声が聞こえたのか、彼女の顔がくしゃっと歪む。
「生きて、いるの?」
「そうだ、俺は生きている。よく見てみろ」
ぺた、ぺた、と裸足でこちらへ進んでいく。一歩ずつ、確かめるように。体に似合わぬ大きな尻尾が引きずられ、がらがらと木にぶつかる。
目の前に来ると、どさっと膝を落とした。ルーシーの顔が間近に迫る。ここでなにか攻撃されればまた死ぬことになるだろう。
だが、ルーシーの様子を見る限り、それは心配ないはずだ。
そっと手が伸ばされた。頬にルーシーの鱗混じりの手が触れる。固い感触だった。もう片方も伸ばされ両手がロルフを包む。
「死んでないの?」
「ああ」
がばっとルーシーは抱き付いてきた。一瞬、ドキッとしたものの平静を装ってそまま受け止める。
「良かっだぁああ、死ん、じゃった、かもって」
「大丈夫だ、大丈夫」
ルーシーの体は冷たかった。彼女を安心させるために、乱暴に頭を撫でる。ルーシーはずっと泣き続けた。ただひたすらに「よかった」と連呼するばかり。
「ん?」
体に掛かる重さが増したのを感じる。泣いている声しか聞こえなくなったなと思ったら、代わりにスースーと寝息を立て始めた。
「……はぁ、大丈夫? ロルフ」
声がした後ろを振り向くと、サンディが疲れた様子でこちらを見下ろしていた。
「問題ない。俺も、この娘も」
「ふふっ。ルーシー、安心した顔してる」
ミアは嬉しそうだった。結局、なにがあってこうなったかは分からずじまい。だが、とりあえず竜として討伐されることは無さそうだ。あとは彼女にしばらく竜化させなければいい。鱗は要観察といったところか。
「むー、本当に大丈夫なんですか、ルーシーは」
「レイラ。ほら、竜化も解けているし、人間だよ。ルーシーは」
「ロルフくんが言うなら、いいですけどー――そうだ、後で私にもぎゅって抱き締めて下さい。ずるいです」
どさくさに紛れてレイラは自分の願望をねじ込んでくる。
「レイラ、なに言ってるの。そんなことさせるわけないでしょ」
「あら、お嬢様には関係ないじゃありませんか」
「は?」
「なんですか?」
「二人とも元気だね……。なぁ、ロルフ」
「ははは……」
いつの間にか晴れた青空のもとで、明るい太陽が降り注ぐ。ロルフは苦笑いするしかなかった。
――雨だった。ゲリラ豪雨のごとく、土砂降りが数秒の間に降り注ぎ始める。ついさっきまで、雲こそあったものの晴天だったのに、急だった。
くそっ、なんでこのタイミングでっ!
「な、なにっ?」
ミアも突然の雨に困惑を隠せないようだった。しかし、跳躍は止められない。ちょうど竜の体の前に降り立った瞬間、動いた。
「グルルル……」
ロルフとミアが降り立ったのは、竜の眼前。喉鳴りが聞こえた。二人の視線の先、鱗と同様に真っ赤なまぶたがゆっくりと開かれる。人間と同じサイズはあるかという目が。瞳は琥珀のような色だった。その中央に黒い点がある。ぎゅるっと動き、こちらを向く。
雨はいまだに降り続いていた。雨音がうるさい。焦げ臭かったのが湿った匂いに変わり、鼻につきはじめた。
「ルーシーっ!」
ミアが声を荒げる。
まずいな、予定が狂ってしまった。
ロルフの予定では、眠っている間に拘束してから呼び掛けるつもりだった。万が一のために。それが突然の雨で目を覚ましてしまった。これでは、できない。
逃げる準備をする。足に力を込めようとすると、竜が立ち上がった。
その巨大な顔をこちらに向け――かぱっと口が開く。まずい、とロルフが反射的に思った時には遅かった。
音は聞こえなかった。知覚できなかったという方が正しいかもしれない。しかし、分厚い壁にぶつかる感覚だけは分かった。周りの燃えカスともどもロルフはミアを抱えたまま吹っ飛ばされた。
「くそっ!」
「ロルフっ、外に降りるわよっ!」
ミアが吹き飛ばされた自分たちを、外へ誘導するように魔法を掛けた。だが、それも遅かった。
「なっ」
それは、ロルフとミアどちらの声だったか。着地点を見ていたロルフたちの目の前に竜は現れる。
異様な速さだった。その巨躯のどこに俊敏に動ける要素があるのか。完全に見誤っていた。変化をする時、竜した腕を引きづっているのが頭に残っていてしまっていたのかもしれない。
気付いた時には、黒光りする爪が目の前に迫っていた。
「ロルフっ!」
咄嗟にミアを投げ出した。彼女なら自身の魔法でどうにかなるだろう。泣き叫ぶような声が遠ざかっていく。
代わりにやってきたのは痛みだった。
痛い。
頭の中は、ひたすらにそれだけを連呼する。状況を理解する。腹だ。打ちつける雨の中、竜の爪が自分に向かって伸びている。体の内側から焼かれているようだった。声が出ない。息ができない。死ぬ――
ロルフは完全に刺し貫かれていた。それが、自重にしたがってずるずると落ち始める。もはや痛みは感じていなかった。体の中をなにかが抜けていく感触だけを感じる。
落ちる。
ドンっと体が落ちたのを半ば他人事のように感じた。口元から液体が出たのも。
霞がかった世界だった。音も、匂いも、触覚もなにもかにもが感じない。あると分かるのに実感がない。
なにかが近付いてきた。視界にレイラの焦った顔が見える。こんな彼女は初めてだ。なにを言っているのか分からない。しかし、必死に叫んでいるのは分かった。
ぼんやりとお湯の中を漂っているような感覚だった。しかし、それも長くは続かない。
お腹が痒くなりはじめたのを感じ始めたのと同時に、徐々に色々な感覚が戻ってくる。雨粒の感触、湿気と焦げ臭さが混じった匂い、視界の意味を回り始めた頭が理解する。そして声が聞こえた。
「レイラ、やめなさい! 魔法を掛けるなっ!」
「なに言っているの! このままじゃロルフが、ロルフがっ!」
レイラは泣いているせいで声が上擦っている。
「きゃっ! ……竜!」
風圧を感じた。手をかざしていたレイラが視界から消える。
顔を横に向けると、あの竜がいた。
竜は涙を流している。
体が大きいせいか涙まで大粒だ。
雨が降っているのにも関わらず、竜の体から煙が上がり始めている。その音まで聞こえてくる。やがて、中から一人の少女が出てきた。あちこちが鱗で覆われているし、角と尻尾もあるが間違いなくルーシーだった。
「殺す……!」
「やめなさい。ロルフなら生きている」
いつの間にか来ていたサンディが、こっちの状態に気付いたようだ。感覚が戻り始めるにつれ、痛みも消えていく。代わりに痒くてしょうがないが。
この体じゃなきゃ死んでたな。いや、一回死んではいるのか。
「えっ、……本当だ。ロルフぅ~」
「ロルフっ? よかった……」
ミアの声もする。近くにいるらしい。そちらを見たかったが、ルーシーから目が離せなかった。
ルーシーはぼろぼろだった。
通り雨だったのか、止み始めている。
彼女は涙を流している。鱗以外の皮膚の部分は傷だらけだ。とぼとぼと迷子の様にこちらに歩いてくる。
「二人ともやめなさい、もう大丈夫でしょ」
サンディの尖った声が聞こえた。
「う……、あ……、ごほっ、ごほっ……、はぁ……」
咳き込みながらも、なんとか体を起こす。お腹が痒くて新しく出来た皮膚を掻いてしまう。
「ロルフくん? 大丈夫なの?」
「……ああ、それよりも」
今やロルフの体は完全に治っている。我ながら不気味だ。ここまで大怪我なのは久々だった。もっとも前がいつだったかは忘れてしまった。
「ルーシー、お願い……」
ミアのお願いはなんなのか。分かるような気がした。
「……ルーシー」
「ロ、ルフ……?」
後、数歩という所でルーシーは立ち止まった。
雨が晴れ、ルーシーがよく見える。ぺたっとした金髪が顔に張り付いていた。声が聞こえたのか、彼女の顔がくしゃっと歪む。
「生きて、いるの?」
「そうだ、俺は生きている。よく見てみろ」
ぺた、ぺた、と裸足でこちらへ進んでいく。一歩ずつ、確かめるように。体に似合わぬ大きな尻尾が引きずられ、がらがらと木にぶつかる。
目の前に来ると、どさっと膝を落とした。ルーシーの顔が間近に迫る。ここでなにか攻撃されればまた死ぬことになるだろう。
だが、ルーシーの様子を見る限り、それは心配ないはずだ。
そっと手が伸ばされた。頬にルーシーの鱗混じりの手が触れる。固い感触だった。もう片方も伸ばされ両手がロルフを包む。
「死んでないの?」
「ああ」
がばっとルーシーは抱き付いてきた。一瞬、ドキッとしたものの平静を装ってそまま受け止める。
「良かっだぁああ、死ん、じゃった、かもって」
「大丈夫だ、大丈夫」
ルーシーの体は冷たかった。彼女を安心させるために、乱暴に頭を撫でる。ルーシーはずっと泣き続けた。ただひたすらに「よかった」と連呼するばかり。
「ん?」
体に掛かる重さが増したのを感じる。泣いている声しか聞こえなくなったなと思ったら、代わりにスースーと寝息を立て始めた。
「……はぁ、大丈夫? ロルフ」
声がした後ろを振り向くと、サンディが疲れた様子でこちらを見下ろしていた。
「問題ない。俺も、この娘も」
「ふふっ。ルーシー、安心した顔してる」
ミアは嬉しそうだった。結局、なにがあってこうなったかは分からずじまい。だが、とりあえず竜として討伐されることは無さそうだ。あとは彼女にしばらく竜化させなければいい。鱗は要観察といったところか。
「むー、本当に大丈夫なんですか、ルーシーは」
「レイラ。ほら、竜化も解けているし、人間だよ。ルーシーは」
「ロルフくんが言うなら、いいですけどー――そうだ、後で私にもぎゅって抱き締めて下さい。ずるいです」
どさくさに紛れてレイラは自分の願望をねじ込んでくる。
「レイラ、なに言ってるの。そんなことさせるわけないでしょ」
「あら、お嬢様には関係ないじゃありませんか」
「は?」
「なんですか?」
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