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第1章「炎狼、シスターレイラ」
第9話「来ちゃいました」
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全身が痛い。そうじゃない場所がない。だがそれはすぐに無くなっていく。
ロルフはレイラをお姫様抱っこする。いつも通りの彼女なら照れて、先ほどまでの性格ならぶっ飛ばされるかもしれない。そんな二通りのレイラを思い浮かべて、ロルフは一人苦笑した。一つの体に二人のレイラ、か。
「んー、寝ちゃったのー?」
「ああ、みたいだ」
ルーシーの方へ振り返り、ロルフは答える。自分でも疲れた声であることが分かった。全身が痒い。再生の後遺症だ。全身を焼いたのだ、数日は鱗に悩まされそうだ。
彼女はレイラの寝顔を覗き込んで、つんつんと頬をつついている。レイラは呻くだけで、起きなかった。こうして、寝ている分にはいつものシスターの可愛らしい姿だった。
「ロルフ。レイラはもう大丈夫なんだよね?」
サンディがつかつかと近付いてきて偉そうな声で聞いてくる。
「サンディ。偉そうー」
「なっ」
いつもの喧嘩だ。いや、喧嘩にすらなっていなかったか。言い合いを始める二人をよそに、ロルフは考える。
結局、レイラがなにに悩んでいたのかは聞きそびれてしまった。彼女をここまで追いつめていたのはなんだったのか。後できちんと訊いておかないと。
ふと思う。自分はなにをしているんだろう、と。……なぜここまでしているのだ。レイラとはごく最近知り合ったばかりなのに。一目惚れということもない。恋などという甘酸っぱいものでは決してないのに――気持ちが焦っていた。なんとかしなければ大変だと思っていた。
――なぜ?
サンディの王冠も謎だ。以前なら確かにあのモザイク状の場所に見えていたはずなのに。
そういえば……、こんなに蝶がいたか?
ロルフの視線の先、満月が闇夜を照らす中、空には数百匹はいるだろう蝶が羽ばたいていた。
◆
教会前の大広場の騒ぎから、炎狼の被害は無くなったようだ。噂はいまだに続いているが、過去の記憶になるのも時間の問題だろう。
幸い、あの場の三人以外にレイラの仕業だというのは気付いていないらしい。それも不思議な話だった。
レイラがあれだけ大暴れしたのに、衛兵が一人も来なかった。おまけに――これは本当に驚いたのだが――次の日には、何事も無かったように大広場が直っているときている。傷一つ、ついていない。
眠りこけていたレイラは、あの場で唯一単身で住んでいるサンディに預けた。こっちはミアが、ルーシーは親がうるさいのが目に見えたからだ。助けるといったそばから役に立っていないが、今後のことを考えると騒ぎになるのは避けたかった。
だが、サンディが言うには翌日にはいなくなっていたらしい。世話になった旨だけ書かれた置手紙があったそうだ。
ギルドには炎狼と遭遇したが逃がした、とだけ伝えていた。そのせいで見回りは続いているが、いずれ無くなるだろう。レイラがまた暴れなければ大丈夫なはずだ。
姿を消してから今日まで、サンディ、ルーシー、自分も含めて誰もレイラを見ていない。だが、教会には顔を出しているようだった。元気だというのも人伝てに聞くことが出来ていた。
教会に行くことも考えたが、わざわざ置手紙までしていなくなったのだ。ロルフは結局教会には行かず、いずれ話す時がくるだろうと思っていた。
結果として、呆れるほどいつもと変わらない日常がやってきていた。そして、あの場にいた四人以外誰もそのことに疑問を抱いていない。しかし、一点だけ気になり始めていたことがあった。
――蝶だ。昼夜問わず、紫色の蝶が街中でそこら中にいるのだ。というか、今までもいたはずなのにずっと気にしていなかったのかもしれない。その理由がいまだに分からない。見えているはずなのに意識していなかったというか……。
レイラに悩みを聞けなかったこと、蝶のこと、どちらももやもやとしていた。
そんな気持ちを引きずりながら一週間をロルフは過ごしていた。その間、レイラは相変わらず続いている見回りも、依頼の受注にもギルドへはやってこなかった。分かるのは人伝ての様子だけ。
姿を現わしたのは騒ぎから一週間を過ぎた、次の日だった。
屋敷の正面玄関でロルフは頭を抱えた。
「来ちゃいました」
レイラがロルフの前に姿を現して、発した第一声がこれだった。
にっこり微笑む姿が憎たらしい。レイラを知らない男が見たら、間違いなく惚れたであろう、そんな笑顔。ギルド敷地内の屋敷――ミアとロルフが住まう場所に、彼女は朝一番に訪問してきた。
目の前のレイラは修道服ではない。街娘のような格好だ。後ろには大きな旅行カバンまである。ただの訪問には思えない。
「来ちゃいましたって、……その後ろの荷物はなんだ?」
「え? 引っ越しの荷物ですよ。今日からここに住みますので。……聞いていませんか?」
やや不安そうな顔でレイラが尋ねる。
いや、聞きたいのはこっち――そういえば、新しくメイドを雇うって執事長が言っていたような……。
前世でこんな場面をアニメやマンガ、ライトノベルで見た気がするが、まさか自分がその当事者になるとは。
「まさか、新しいメイドって……」
「それが私ですー。住み込みでって聞いています。まぁ、それが良いってお願いしたんですけどね。今日からよろしくお願いしますねっ」
心底楽しそうに言うレイラに、ロルフはため息をつきたくなる。まさかこんなことになるとは。予想外すぎる。こんな形で彼女に再会するとは思わなかった。
「ロルフさん、あの日、広場で言って下さいましたよね。いつでも守ってやるって。側にきてやるって。私、嬉しかったんですよ。それは、もうときめくくらいには。だから、私の方から来ましたっ」
傍から聞けば、誤解しそうな風潮でレイラが告げる。
いや、ええー。そうなるのかー。あれは、なにか助けを求めているようだったから、少しでも救いになればと思ったからなのに……。
「はぁ……、悩んでいたことは解決したのか?」
「ああ、それはですねー。……うーん、解決というか、消え失せてしまったというか――」
消えた? どういう意味だろう? ロルフが訊く前に、ドタドタと二階から誰かが降りてくる足音が聞こえてくる。
「ロルフー、誰か来たのー」
ミアの声だった。足音が止まる。
後ろを振り返れば、階段下で制服に着替えたばかりのミアが目を見開いて固まっていた。目線がレイラ、おそらく後ろの荷物も見えたのだろう。忙しなく動いている。嫌な予感が背筋に駆け上った。
そういえば、この二人って――
これは面倒なことになりそうだ。ロルフはそっと耳を閉じた。
「出て行けーっ!」
ギルド敷地内、ギルドマースターとその娘、執事のロルフが住まう屋敷に新たなメイドが加わった。ミアのよく通る声が屋敷中に響き渡った。
ロルフはレイラをお姫様抱っこする。いつも通りの彼女なら照れて、先ほどまでの性格ならぶっ飛ばされるかもしれない。そんな二通りのレイラを思い浮かべて、ロルフは一人苦笑した。一つの体に二人のレイラ、か。
「んー、寝ちゃったのー?」
「ああ、みたいだ」
ルーシーの方へ振り返り、ロルフは答える。自分でも疲れた声であることが分かった。全身が痒い。再生の後遺症だ。全身を焼いたのだ、数日は鱗に悩まされそうだ。
彼女はレイラの寝顔を覗き込んで、つんつんと頬をつついている。レイラは呻くだけで、起きなかった。こうして、寝ている分にはいつものシスターの可愛らしい姿だった。
「ロルフ。レイラはもう大丈夫なんだよね?」
サンディがつかつかと近付いてきて偉そうな声で聞いてくる。
「サンディ。偉そうー」
「なっ」
いつもの喧嘩だ。いや、喧嘩にすらなっていなかったか。言い合いを始める二人をよそに、ロルフは考える。
結局、レイラがなにに悩んでいたのかは聞きそびれてしまった。彼女をここまで追いつめていたのはなんだったのか。後できちんと訊いておかないと。
ふと思う。自分はなにをしているんだろう、と。……なぜここまでしているのだ。レイラとはごく最近知り合ったばかりなのに。一目惚れということもない。恋などという甘酸っぱいものでは決してないのに――気持ちが焦っていた。なんとかしなければ大変だと思っていた。
――なぜ?
サンディの王冠も謎だ。以前なら確かにあのモザイク状の場所に見えていたはずなのに。
そういえば……、こんなに蝶がいたか?
ロルフの視線の先、満月が闇夜を照らす中、空には数百匹はいるだろう蝶が羽ばたいていた。
◆
教会前の大広場の騒ぎから、炎狼の被害は無くなったようだ。噂はいまだに続いているが、過去の記憶になるのも時間の問題だろう。
幸い、あの場の三人以外にレイラの仕業だというのは気付いていないらしい。それも不思議な話だった。
レイラがあれだけ大暴れしたのに、衛兵が一人も来なかった。おまけに――これは本当に驚いたのだが――次の日には、何事も無かったように大広場が直っているときている。傷一つ、ついていない。
眠りこけていたレイラは、あの場で唯一単身で住んでいるサンディに預けた。こっちはミアが、ルーシーは親がうるさいのが目に見えたからだ。助けるといったそばから役に立っていないが、今後のことを考えると騒ぎになるのは避けたかった。
だが、サンディが言うには翌日にはいなくなっていたらしい。世話になった旨だけ書かれた置手紙があったそうだ。
ギルドには炎狼と遭遇したが逃がした、とだけ伝えていた。そのせいで見回りは続いているが、いずれ無くなるだろう。レイラがまた暴れなければ大丈夫なはずだ。
姿を消してから今日まで、サンディ、ルーシー、自分も含めて誰もレイラを見ていない。だが、教会には顔を出しているようだった。元気だというのも人伝てに聞くことが出来ていた。
教会に行くことも考えたが、わざわざ置手紙までしていなくなったのだ。ロルフは結局教会には行かず、いずれ話す時がくるだろうと思っていた。
結果として、呆れるほどいつもと変わらない日常がやってきていた。そして、あの場にいた四人以外誰もそのことに疑問を抱いていない。しかし、一点だけ気になり始めていたことがあった。
――蝶だ。昼夜問わず、紫色の蝶が街中でそこら中にいるのだ。というか、今までもいたはずなのにずっと気にしていなかったのかもしれない。その理由がいまだに分からない。見えているはずなのに意識していなかったというか……。
レイラに悩みを聞けなかったこと、蝶のこと、どちらももやもやとしていた。
そんな気持ちを引きずりながら一週間をロルフは過ごしていた。その間、レイラは相変わらず続いている見回りも、依頼の受注にもギルドへはやってこなかった。分かるのは人伝ての様子だけ。
姿を現わしたのは騒ぎから一週間を過ぎた、次の日だった。
屋敷の正面玄関でロルフは頭を抱えた。
「来ちゃいました」
レイラがロルフの前に姿を現して、発した第一声がこれだった。
にっこり微笑む姿が憎たらしい。レイラを知らない男が見たら、間違いなく惚れたであろう、そんな笑顔。ギルド敷地内の屋敷――ミアとロルフが住まう場所に、彼女は朝一番に訪問してきた。
目の前のレイラは修道服ではない。街娘のような格好だ。後ろには大きな旅行カバンまである。ただの訪問には思えない。
「来ちゃいましたって、……その後ろの荷物はなんだ?」
「え? 引っ越しの荷物ですよ。今日からここに住みますので。……聞いていませんか?」
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いや、聞きたいのはこっち――そういえば、新しくメイドを雇うって執事長が言っていたような……。
前世でこんな場面をアニメやマンガ、ライトノベルで見た気がするが、まさか自分がその当事者になるとは。
「まさか、新しいメイドって……」
「それが私ですー。住み込みでって聞いています。まぁ、それが良いってお願いしたんですけどね。今日からよろしくお願いしますねっ」
心底楽しそうに言うレイラに、ロルフはため息をつきたくなる。まさかこんなことになるとは。予想外すぎる。こんな形で彼女に再会するとは思わなかった。
「ロルフさん、あの日、広場で言って下さいましたよね。いつでも守ってやるって。側にきてやるって。私、嬉しかったんですよ。それは、もうときめくくらいには。だから、私の方から来ましたっ」
傍から聞けば、誤解しそうな風潮でレイラが告げる。
いや、ええー。そうなるのかー。あれは、なにか助けを求めているようだったから、少しでも救いになればと思ったからなのに……。
「はぁ……、悩んでいたことは解決したのか?」
「ああ、それはですねー。……うーん、解決というか、消え失せてしまったというか――」
消えた? どういう意味だろう? ロルフが訊く前に、ドタドタと二階から誰かが降りてくる足音が聞こえてくる。
「ロルフー、誰か来たのー」
ミアの声だった。足音が止まる。
後ろを振り返れば、階段下で制服に着替えたばかりのミアが目を見開いて固まっていた。目線がレイラ、おそらく後ろの荷物も見えたのだろう。忙しなく動いている。嫌な予感が背筋に駆け上った。
そういえば、この二人って――
これは面倒なことになりそうだ。ロルフはそっと耳を閉じた。
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