青と白と朧月

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過去のコト

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 次の日の朝、適当に学校のための準備をし、朝ご飯をとっとと食べ、重たい体を引きずりながら学校へ向かう。今日は雨だからか、余計に気だるい。

「おはよーっ」
「おはよう!」
「おはっ!」
 
 教室にたどり着くと僕の友人達が元気に挨拶をしてくれるので僕も「おはよう!」と元気に返す。それから朝のホームルームが始まるまで彼らと笑いあい、とりとめのない話をしながら過ごす。
僕は今、笑顔を作りながら、腹の底ではひどく陰鬱(いんうつ)な気分だ。
 そのうち始まりのチャイムが鳴って、友人たちは各々の席へ散開(さんかい)していく。そして周りの席には大して親しくもない者達が集まってくる。こうなると、僕は本当に独りぼっちだ。
その日の授業はいつも通り居眠りをして過ごした。この三年間こんな調子で学校生活を送ってきたのだ。それでもこれまでのテストは普通に乗り越えてきた。だけれど、いや、だからこそか、僕はあらゆる教師達から「生意気だ」と敵視(てきし)されている。それゆえに授業中、教師達からの質問攻めに毎日苦しめられる。
 奴らは僕が答えられなくて慌てふためいている姿を見て満足そうな顔をしている。なんてつまらないんだろう。だから僕はますます居眠りを続ける。時折(ときおり)、窓の外を眺めてみると雨がグラウンドを激しくたたいてる。
 そんな面白味のない学校生活も、放課後になれば少しは変わる。「疲れたー」などといったお決まりの文句を並べて友人達とぞろぞろ集まり、また朝のようにくだらない話を始める。その中で一人、思い出したように

「そういえばお前! 昨日川下幸江に告白されたんだってな!」

 と言い出した者がいた。このての話題はあっという間に広がっていくものだ。

「うん、まあ」

 少しばつが悪そうに僕は答える。

「まじかよ! ふざけるなよ!」
「はあ、嘘だろー?」
「で、どうしたんだよ?」
 
 理不尽なヤジが飛びかうなか、最後にこう尋ねたのは僕の一番の親友である森(もり)章(あき)文(ふみ)だった。こいつとは小学生からの仲である。

「そりゃもちろん断ったさ」

 僕は誰の目もはっきりと見つめ返すことができずに軽くうつむいている。

「なんでだよ!」
「もったいねー」

 ヤジの中にため息が混じる。僕は少しはぐらかし、強引に話題を変えようとする。そしたら「話題変えて逃げようとするなよー」などと言う者もいたのだが、これくらいの年頃の者達は好奇心が旺盛(おうせい)なのか、はたまた集中力がないのか、あれやこれやという間(ま)に話題はすっとすり替わっていく。
 それからある程度はしゃぎ終わったところで今日はもう解散となった。
 外へ出ると、雨はもうやんでいた。
 正門前で「じゃあな」と別れを告げて各自(かくじ)が家へと帰っていく。僕は、家の方向が同じなのでいつも章文と一緒に帰っている。今日も二人で学校のそばの狭い通路を通りながら歩いていると、さっき友人たちといた時とはうって変わって、彼は寂しそうな顔をしている。

「なあ、やっぱりお前が幸江の告白を断ったのって……」

 彼は、それ以上は特に何も言わなかったが、言いたいことは何となく分かった。

「そんなんじゃない。僕は好きでもない人と付き合うなんてことをしたくなかっただけだよ」
「嘘つくなよ。やっぱりあの子のことが関係しているんだろ。だってお前、本当は幸江のこと好きじゃん」

 章文は目をそらしながらそういった。僕は一言もそんなことを言った覚えはないのだが……。彼とは古い付き合いで、どうやら隠し事はできそうにない。

「……」

 僕は何も答えずに章文のいる左側から、学校のある右側の風景に目を向けた。ここからは、昨日幸江に告白された例の人気(ひとけ)のない校舎裏が見える。そのまま学校の方へじっと目を向けながら歩いていると、学校に生えている桜の木が、時々僕の視界を横切っていく。花びらももうとっくに散り切った桜の木の梢(こずえ)に透かして空を眺めてみると、うっすらとした紫とオレンジのグラデーションの中に、今日降っていた雨のしずくがキラキラと光っていて少しまぶしかった。

「なあ、今から時間あるか?」

 章文が重苦しい声でそう尋ねる。

「ごめん。今日はダメだ」

 反対に僕は軽快な調子でそう答える。章文には特に余計な心配をかけさせたくなかった。
 家に変えるといつも通りにご飯を食べ、歯磨きをし、風呂に入って、母の小言を背中で受け止めながら自分の部屋へと向かう。それから今日は余計なことはせずにさっそく布団に入る。そして仰向けになり目を閉じて半(なか)ば現実(げんじつ)逃避(とうひ)気味に記憶を探る。

    五

 僕と彼女が初めて出会ったのは小学校の入学式で、その時はもちろん、その子のことが好きだという感情はなかった。ただ、その子は小学校で初めて見た時にはすでにいじらしくて可愛らしい子だった。入学式でみんなはすぐに打ち解けて遊びだしている中で、その子だけは母親からじっと離れずにいた。それが僕にはすごく印象的だった。先生がどんなに頑張ってみんなと仲良くさせようとしても、むしろ、よりいっそう母の陰に隠れていったことを覚えている。

 そんな性格だから、最初の方はまだよかったが、クラス内にグループが形成し始めると自然とその子は孤立していった。

 小学校低学年のうちは無邪気なもので、子供たちは孤立している彼女を積極的に遊びに誘い、そして彼女もそれに応じて遊びに参加するというふうだった。彼女はとてもはにかみ屋で、こちらから誘わない限り一人で休み時間も教室に残って何やら難しそうな本や、植物図鑑などを読んでいた。

 しかし小学校高学年にもなってくると「いじめ」という、大抵の教師が頭を抱える問題が発生してくる。そして彼女は、高学年の時にはすでに大概の女子からは嫌われていた。
 だから、女子はもちろん、男子までも彼女をいじめるようになっていった。なぜなら、男子としては、もし彼女をいじめたとしてもほかの女子たちからのブーイングがくることもなく、むしろほかの女子たちと仲良くするためのきっかけにすらなり得るものだったからだ。
 小学六年生のころにはすでに彼女へのいじめはゲーム感覚に行われていて、彼女をいじめることが一つの勲章(くんしょう)にすらなっていた。ある時は教科書を隠しておろおろとしている彼女を見て楽しみ、又ある時は彼女の座っている机を強くけり、どんな反応をするか予想して楽しむなどといった行為もあったらしい。(らしいというのは、これは僕が章文から聞いた話でしかないからだ。僕は彼女とは別のクラスで、章文は彼女と同じクラスだった)
 こういった話を聞いてはいたけど、初めのうちは少し気の毒に思うくらいしか何も感じなかった。しかし、ある日、さすがに許すことのできない事件が起きた。
 
 ある時、彼女が学校を一週間くらい休み続けるということがあり、学校では色々なうわさが流れた。ついに不登校になったんだとか、もう転校してしまったんだとか、みんなが、彼女の休みについてあまりにワイワイ騒いでいるのを聞いた先生はどうしても堪えきれなくなり、

「おまえら! 不謹慎(ふきんしん)だぞ! いいか! あの子はなあ……!」

 とまで言ったが、とうとう泣き出してしまった。(この声は隣の僕らのクラスにまで聞こえてきたほどだった)。そして話を聞くに、あの子の母親が亡くなり、登校どころではないので休んでいるとのことだった。僕はそう聞くと、あの日、入学式の日に、いつまでも母の腕にしがみついているあの子の姿を思い出した。そして彼女の母の、しわくちゃな笑顔を思い出した。
 ようやく彼女が登校してきたのは約二週間後だった。そして、事件はこれから起きる。
 彼女の母が亡くなって三か月くらいたっただろうか、もう少しで冬休みに入るという十二月初め頃、冬には似つかわしくないほどの晴れ渡った比較的暖かい日のことだった。僕は居残りの掃除を終え、一人で家に帰ろうとしていた。葉もほとんど散り終えた細い枯れ木たちを眺めながら正門の方へ向かっていると、どこからか女の子のすすり泣く声が聞こえてきた。
 どうやらその声は、今ではもう古いウサギ小屋の裏の方から聞こえてくるらしかった。そのウサギ小屋はいたるところがさびていて、なによりも、臭い。だから普段はエサやり当番の生徒くらいしか立ち寄ることはない。そしてこの時間帯だと、当番の者はもうすでに帰っているはずである。

 僕は少し不審(ふしん)に思って恐る恐るウサギ小屋の裏を覗こうとした。ウサギ小屋の中からするどこか青臭い獣(けもの)臭(しゅう)に顔をしかめながらも裏を覗くと、そこには、足を抱えて座り込んで泣いているあの子と、彼女を見下しながらはしゃぎまわっている男子三人がいた。

「ずっと泣いてても、お母さんは助けに来てくれないぞ!」

 男子の中の一人がそう茶化(ちゃか)した。その言葉で状況はほとんどつかめた。僕はどうしても許せなかった。頭が真っ白になって、気づけば男子三人に向かって、何か叫びながら突進していた。僕の中にある、あの子の母親の笑顔が、僕にそうさせたのだ。そこからあまり良く覚えてないのだが、確か途中で先生の怒鳴り声と、こちらに向かって走ってくる足音が聞こえてきて、男子三人が蜘蛛(くも)の子を散らすように走ってどこかへ逃げていったと思う。僕のわけの分からない叫び声が先生に届いたのか、ともかくも僕は幸運だった。先生は、泣きながらその場に立ち尽くす僕と、座り込んで泣いている彼女を一瞥(いちべつ)した後、退散した三人を追いかけるためにどこかへ走って行った。
 その場に残された僕たちはお互い少し気恥(きはずか)しくなって、しばらくすると何も言わずにそれぞれの家へと帰っていった。
 その次の日のことだった。僕は放課後、校長室に呼び出された。いざ到着すると、四角い小さなガラス張りのテーブルを囲んで、右側に僕の両親、左側にあの子とその父親、正面に校長先生が座っていて、校長先生が僕の姿を確認したなり

「さ、よく来てくれたね。お父さんとお母さんの隣に座りなさい」
 
と優しく、しかしどこかせわしなくそう言った。僕は両親の間にある椅子にゆっくりと腰を下ろし、あの子とその父親に真っ直ぐ視線を向ける。あの子の父親の顔は青白く、頬は黒くこけていてかなりやつれていた。目はどこを見ているかいまいちよく分からなくて、充血した真っ赤な目の真ん中に、漆黒(しっこく)のヒスイが浮かんでいるようだった。そして手をテーブルの下に隠し、せわしなく手もみをしていた。あの子は相変わらず、うつむきながらじっと座っていた。
 校長室で何の話をしたかというと、やはり昨日の件についてである。あの三組は学校の方で厳重注意ということで話はおさまったらしい。あの子の父親は、三人組に会って直接叱るには、あまりに精神的に参ってしまっているそうだ。無理もないだろう。
この話の中で、あの子の父は時々額を指でぎゅっと抑えながら、絞り出すように

「すまない……ありがとう……」

 と何度も繰り返した。あの子はそんな父の隣で、肩を震わせながら時折すすり泣いていた。その度に僕の両親は、あたかも自分の手柄みたいに

「いえいえ、当然のことですよ」

 と僕の代わりに言っていた。
 そんな陰鬱(いんうつ)とした話し合いも三十分くらいで無事終わり、あの子の父も、あの子も先に校長室から退室した後、校長先生が僕に

「勝手なお願いだが、この先、できるだけあの子を気にかけてやってほしい。もちろんあの子の担任の先生にもそう
伝えてある。だが、君にしかできないこともあるだろう」

 と言ったのを覚えている。僕はその日から積極的にあの子に関わっていった。学校に来ないときは家までプリント
を届けたり、帰りは、章文と僕とであの子を家まで送り届けたりと、思いつく限りのことを僕はした。帰り道、話題が途切れることが多かったので(章文は女子がいる時はほとんど喋らない)僕は頑張って花について、それこそ頭を抱えながら勉強したり、たまに花をプレゼントしたりなどもした。一番多くプレゼントしたのは確かバラだったと思う。
とにかく、気づいた時にはすでにあの子のことが好きだった。
 不登校気味だった彼女が、中学にあがってから毎日登校するようになった時は、うれしくてそのことを何度も親に話してうんざりされた。
 中学校では僕たち三人で、静かに過ごせそうなかるた部に入った。かるた部の新入部員は僕ら三人だけで、章文は野球部も掛け持ちしていたので、部活動中はあの子と僕の二人で行動することが自然と多くなり、それだけ彼女と親密になっていった。

 中学二年生の春、僕はあの子と同じクラスになり、ますます親しくなってきたころ、章文の粋(いき)な計らいで二人きりになれるタイミングと場所を用意してもらい、たどたどしい告白をして僕とあの子は付き合い始めた。
そこから二年間は夢のように過ぎていった。喧嘩をしたこともあったけど、毎日一緒に帰り、帰った後もよく遊び、とにかく幸せだった。
学校から家に帰るとき、辺りに僕たち二人しかいないと確認した日には手をつないで帰っていた。お互いの家に行く時もあったけど、時折彼女が少し震えている姿を見て、僕はあの子に何もできなかった。その代わりに、手をつないであげると彼女の体の震えは止まり、そこからまた笑って話をつづけた。彼女の手は小さくて、ふんわりとしていた。

 本当は抱きしめてあげたかったが、臆病なのでできなかった。それが今では一番の心残りとなっている。

「ねえ、この夏休み、どこか旅行に行こうよ」

 あの子は、高校に入ってもうすぐ夏休みだという時分(じぶん)にそう言った。その提案に僕は大賛成だった。しかし、あの子は夏休みに入るとすぐに亡くなった。
 葬式の日、あの子の父に会った。あの子の父は以前よりさらにうつろな目をしていて、僕と目が合うと、軽く会釈だけをして去っていった。あの子の父の目は、ぽっかりと穴が開いているようだった。それ以来、あの子の父は見かけてない。



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