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69、次の春が来たら 後編
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昨日「あまり期待しない方がいい」なんて言われたもんだから、その日はなかなか寝つくことができなかった。おかげで今日も目の下には隈ができていた。
「一応大切な日なのに…でもこれも俺らしい、のか?」
思い返せば、再会した時も、初めてCollarを渡した時も、晴兄が目を開けてくれた日も、他にもどこを切り取っても万全の俺ではなかった。むしろコンディションは最悪、最高に格好悪い時ばかりだった。
そう思えば今日の目の下の隈も、自然と諦めがついた。
「よし、いってきます」
「いってらっしゃい、気を付けて行ってくるんだよ」
「はーい。父さんも、あまり無理しないでね」
まだ眠っている母さんのかわりに、今日は父さんが見送ってくれた。いつも朝早く出ていく父さんに見送られるのは、少し不思議な気分だった。
そう思いながら、少し疲れた表情の父さんに俺は見送ってもらって、家を後にした。
バス停まで歩きながら、抑制剤を飲み、バスに乗ってからはひたすら頭の中でシミュレーションをした。「あまり期待するな」と言われたもんだから、もっぱら想像は目を覚まさなかった時のことだが、それでも数十回に1回は、目を覚ました時になんて言うかを考えた。
そうしているうちに、バスはあっという間に病院についた。朝一の院内は午前中の患者の対応で、慌ただしく看護師や医者が動き回っている。俺はその横を当たり前のように通り抜け、真っ直ぐ晴兄の病室に向かった。
病室には昨日母さんが飾ったのであろう桜の香りがする造花が生けてあった。
まるで本物のような暖かな春の香りが室内に充満している。その透き通った甘い香りに、久々に晴兄の香りを感じた気がした。
「怪我はほとんど治ったから、晴兄の好きな花を飾ったのかな」
桜を眺めながら、流れた月日のことを考えた。本来ならもっと早く繋がるはずだった骨も、2年という月日がかかった。明らかに遅かったのは、免疫力や体力の低下なのか、原因は分からないがとにかく遅かった。だけどゆっくりと、確実に治っていっていた。
治らないんじゃないかと不安になる時期もあったが、今日この桜を見て、ちゃんと完治することができたのだと実感することができた。
「目覚めて桜が飾ってあるなんて、素敵だよね」
俺は窓際に飾られていた桜を持ち、それをベッドの脇のサイドテーブルに置いた。それからギプスの外された腕に優しく触れ、ゆっくりと割れ物を扱うかのように持ち上げた。ほのかに温かいその手に、久々に晴兄の体温を感じた。
「抱きしめてもいいかな…いいよね、晴兄」
もちろん返事なんて返ってこない。そんなの分かっているけれど、ギプスが外れ、まるでただ眠っているかのような晴兄に、思わず声が出てしまったのだ。
「久々だからちょっと緊張するね」
力を入れすぎないように、赤子を抱くように、俺は細心の注意を払って晴兄の上半身を抱き上げた。
痩せた身体、伸びた髪、漂ってくる消毒液のニオイ、どれも晴兄とはかけ離れている。だけど意外と温かい背中も、サラサラの髪も、少し感じる重さも、どれも嬉しいほどに晴兄だった。
「ずっとこうしていたい…」
そう思いながらも、少ししたら晴兄をまた元のようにベッドへ寝かせた。
カバンからCollarを出して、ベッド脇の椅子に座る。大きく深呼吸をして、俺は晴兄に話しかけた。
「本当に最善か、まだ分からない。晴兄が嫌だったらすぐ新しい物にするから。でももし、もしも嫌じゃないなら、目を覚ましてくれたら嬉しいな」
Collarの入った箱を開け、中身を取り出した。
震える手でようやく掴んだCollarはなんだかずっしりと重く感じて、晴兄の首はやけに遠く感じる。
やめたい。今日はもう晴兄を抱きしめて体温を、重さを感じるだけじゃダメなのだろうか。
そう思いながらも、Collarを付けないと先には進めない気がして、俺はゆっくりと晴兄の首元を目指した。
やっとの思いで手が届いた首は、やっぱり2年前より細くて、ピッタリだったCollarはブカブカになっていた。
それでも今はこれが最善だと自分に言い聞かせ、金具をはめた。パチンという音に、また晴兄が俺のモノになった感じがし、血が湧き立った。
だけど、晴兄はピクリとも動かなかった。
「期待なんてしないって、決めてたじゃないか…」
言われた通り、期待なんてしていなかった。なのに俺は今、ズキズキと痛む心臓を押さえながら泣いている。
「やっぱりダメだった?直したんだけど、新しいのがよかった?今度はちゃんと宝石にして、晴兄にずっと俺を感じてほしてく、選んだんだよ。それでもダメ?」
思わず出た言葉は、まるで晴兄が起きてくれると信じているような言葉ばかりだった。「期待なんてしていない」なんて口で言っていたけれど、心のどこかではCollarをもう1度はめたら起きてくれると俺は漠然と信じていたのだ。
そのことに気付いてしまったら余計に涙が溢れて止まらなかった。
俺は晴兄の上に覆い被さり、泣きながら名前を呼んで、抱きしめて、キスをした。2年間、毎日唇を重ねても、名前を呼んでも起きなかったのに、懲りもせず俺はひたすら同じことを繰り返した。
「晴兄…」
また名前を呼んで、額にキスをしようとした瞬間、思いがけないことが起こった。微かに晴兄の唇が動いて、言葉を発したのだ。
「は、晴兄!」
呼びかけると、また唇が動いた。
「晴兄、戻ってきて!お願い!」
何を言っているのかは分からないけれど、確かにそこに意識があるような気がした俺はこの機を逃すまいと、必死に呼びかけた。
「晴兄!」
「一緒に…」
「一緒に何?晴兄、教えて?」
すると俺の呼びかけに呼応するように、僅かに晴兄の指先が動いた。俺はその手を取り、また呼びかけた。
「晴兄、俺はここにいるよ。今、手繋いでるんだよ。分かったら俺の手を握り返して」
また俺の呼びかに、晴兄の指先が動いて、必死に曲げようとしているのを感じられた。そうして曲げられた指は、確かに俺の手を握り返しているようだった。力はないけれど、確かに握り返している。俺はその手をさらに強く握り返し、晴兄の名前を呼んだ。
「晴兄」
名前を呼びたびに涙が溢れて視界が滲んでいく。ギュッと目を瞑って涙をポタポタと落とす。そして目を開けた瞬間、待ち望んでいた光景が視界いっぱいに広がった。
「一応大切な日なのに…でもこれも俺らしい、のか?」
思い返せば、再会した時も、初めてCollarを渡した時も、晴兄が目を開けてくれた日も、他にもどこを切り取っても万全の俺ではなかった。むしろコンディションは最悪、最高に格好悪い時ばかりだった。
そう思えば今日の目の下の隈も、自然と諦めがついた。
「よし、いってきます」
「いってらっしゃい、気を付けて行ってくるんだよ」
「はーい。父さんも、あまり無理しないでね」
まだ眠っている母さんのかわりに、今日は父さんが見送ってくれた。いつも朝早く出ていく父さんに見送られるのは、少し不思議な気分だった。
そう思いながら、少し疲れた表情の父さんに俺は見送ってもらって、家を後にした。
バス停まで歩きながら、抑制剤を飲み、バスに乗ってからはひたすら頭の中でシミュレーションをした。「あまり期待するな」と言われたもんだから、もっぱら想像は目を覚まさなかった時のことだが、それでも数十回に1回は、目を覚ました時になんて言うかを考えた。
そうしているうちに、バスはあっという間に病院についた。朝一の院内は午前中の患者の対応で、慌ただしく看護師や医者が動き回っている。俺はその横を当たり前のように通り抜け、真っ直ぐ晴兄の病室に向かった。
病室には昨日母さんが飾ったのであろう桜の香りがする造花が生けてあった。
まるで本物のような暖かな春の香りが室内に充満している。その透き通った甘い香りに、久々に晴兄の香りを感じた気がした。
「怪我はほとんど治ったから、晴兄の好きな花を飾ったのかな」
桜を眺めながら、流れた月日のことを考えた。本来ならもっと早く繋がるはずだった骨も、2年という月日がかかった。明らかに遅かったのは、免疫力や体力の低下なのか、原因は分からないがとにかく遅かった。だけどゆっくりと、確実に治っていっていた。
治らないんじゃないかと不安になる時期もあったが、今日この桜を見て、ちゃんと完治することができたのだと実感することができた。
「目覚めて桜が飾ってあるなんて、素敵だよね」
俺は窓際に飾られていた桜を持ち、それをベッドの脇のサイドテーブルに置いた。それからギプスの外された腕に優しく触れ、ゆっくりと割れ物を扱うかのように持ち上げた。ほのかに温かいその手に、久々に晴兄の体温を感じた。
「抱きしめてもいいかな…いいよね、晴兄」
もちろん返事なんて返ってこない。そんなの分かっているけれど、ギプスが外れ、まるでただ眠っているかのような晴兄に、思わず声が出てしまったのだ。
「久々だからちょっと緊張するね」
力を入れすぎないように、赤子を抱くように、俺は細心の注意を払って晴兄の上半身を抱き上げた。
痩せた身体、伸びた髪、漂ってくる消毒液のニオイ、どれも晴兄とはかけ離れている。だけど意外と温かい背中も、サラサラの髪も、少し感じる重さも、どれも嬉しいほどに晴兄だった。
「ずっとこうしていたい…」
そう思いながらも、少ししたら晴兄をまた元のようにベッドへ寝かせた。
カバンからCollarを出して、ベッド脇の椅子に座る。大きく深呼吸をして、俺は晴兄に話しかけた。
「本当に最善か、まだ分からない。晴兄が嫌だったらすぐ新しい物にするから。でももし、もしも嫌じゃないなら、目を覚ましてくれたら嬉しいな」
Collarの入った箱を開け、中身を取り出した。
震える手でようやく掴んだCollarはなんだかずっしりと重く感じて、晴兄の首はやけに遠く感じる。
やめたい。今日はもう晴兄を抱きしめて体温を、重さを感じるだけじゃダメなのだろうか。
そう思いながらも、Collarを付けないと先には進めない気がして、俺はゆっくりと晴兄の首元を目指した。
やっとの思いで手が届いた首は、やっぱり2年前より細くて、ピッタリだったCollarはブカブカになっていた。
それでも今はこれが最善だと自分に言い聞かせ、金具をはめた。パチンという音に、また晴兄が俺のモノになった感じがし、血が湧き立った。
だけど、晴兄はピクリとも動かなかった。
「期待なんてしないって、決めてたじゃないか…」
言われた通り、期待なんてしていなかった。なのに俺は今、ズキズキと痛む心臓を押さえながら泣いている。
「やっぱりダメだった?直したんだけど、新しいのがよかった?今度はちゃんと宝石にして、晴兄にずっと俺を感じてほしてく、選んだんだよ。それでもダメ?」
思わず出た言葉は、まるで晴兄が起きてくれると信じているような言葉ばかりだった。「期待なんてしていない」なんて口で言っていたけれど、心のどこかではCollarをもう1度はめたら起きてくれると俺は漠然と信じていたのだ。
そのことに気付いてしまったら余計に涙が溢れて止まらなかった。
俺は晴兄の上に覆い被さり、泣きながら名前を呼んで、抱きしめて、キスをした。2年間、毎日唇を重ねても、名前を呼んでも起きなかったのに、懲りもせず俺はひたすら同じことを繰り返した。
「晴兄…」
また名前を呼んで、額にキスをしようとした瞬間、思いがけないことが起こった。微かに晴兄の唇が動いて、言葉を発したのだ。
「は、晴兄!」
呼びかけると、また唇が動いた。
「晴兄、戻ってきて!お願い!」
何を言っているのかは分からないけれど、確かにそこに意識があるような気がした俺はこの機を逃すまいと、必死に呼びかけた。
「晴兄!」
「一緒に…」
「一緒に何?晴兄、教えて?」
すると俺の呼びかけに呼応するように、僅かに晴兄の指先が動いた。俺はその手を取り、また呼びかけた。
「晴兄、俺はここにいるよ。今、手繋いでるんだよ。分かったら俺の手を握り返して」
また俺の呼びかに、晴兄の指先が動いて、必死に曲げようとしているのを感じられた。そうして曲げられた指は、確かに俺の手を握り返しているようだった。力はないけれど、確かに握り返している。俺はその手をさらに強く握り返し、晴兄の名前を呼んだ。
「晴兄」
名前を呼びたびに涙が溢れて視界が滲んでいく。ギュッと目を瞑って涙をポタポタと落とす。そして目を開けた瞬間、待ち望んでいた光景が視界いっぱいに広がった。
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