モラトリアムの俺たちはー

木陰みもり

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62、将来の夢

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「陽介、早くしないと遅刻するわよ」

いつもの母さんの元気な声が鳴り響く。だけど最近は前にも増してイキイキした声に聞こえた。

「はーい。今行くー」

俺もいつものように返事をして、俺は身支度を整える。階段を勢いよく駆け下り、目の下の隈が少しずつ薄くなっていっていることを確認した。寝癖を整えて、リビングでパンを咥えて、俺は勢いよく家を飛び出した。

「行ってきまーす」
「ちょっと、ちゃんと食べなさいよ行儀悪い!」

遠くから「行儀悪い」と怒る母さんの声が聞こえたが、お構いなしに走った。少し行ったところで朝食のパンをたいらげ、それからまた、走り始めた。
 俺は今、気持ちが昂って、身体を動かさずにはいられなかった。
 走って、走って、いつもより早く着いた学校で、俺は自分の教室ではなく、晴兄と過ごした個別指導室という紙が貼られた教室に向かった。
 元々倉庫だったそこは、晴兄が使う時以外鍵が空いていた。俺はそこに迷わず飛び込んだ。
 教室の鍵を閉め、乱れた呼吸を整える暇もなく、俺は机を漁った。基本的に私物は置いていなかった晴兄だったけど、唯一1つだけ、机の引き出しから取り出していたものがある。

「何で毎回違う場所にしまったんだ」

俺はそれを必死に探した。もしかしたら回収されたかもしれない、そうも思ったけど、漠然とあるような気がして俺は探し続けた。
 引き出しは謎の資料でいっぱいだった。きっとこの中に挟んで隠していたんだろう。俺は資料の束をペラペラとめくりながら、丁寧に素早く探した。

「あっ、あった…」

俺は複数の資料の束から数冊のノートを見つけ出した。それは晴兄が用意してくれた俺のためのノートだ。“陽介のための受験必勝ノート”と可愛くデコレーションされた、俺のためだけのノート。
 俺は昨日、病室で今年に入ってからの晴兄の日記を読んだ。そこにはこのノートのことが記されていた。
 それを読んだ時、晴兄が隠れて作っていたことを思い出したのだった。
 晴兄はこっそりここで作ってたみたいだけど、俺が問題を解いてる間に作業していたからバレバレだった。
 だけど声をかけると急いで隠してたから、きっとバレたくないのだろうと、俺もそれに乗っかって気付いてないフリをしていたっけ。ドキドキしながら受け答えする晴兄を昨日のことのように思い出す。
 そんな晴兄が一生懸命作ってくれたノートだけど、これはもう使えなくなってしまった。そう、俺は進路を変更することにしたからだ。
 元々晴兄を探すために、わざと少し離れた文学部に行く予定だった。だけどその必要がなくなって、俺は家から近い文学部に変えた。だから晴兄のノートはその大学専用なのだ。
 でも俺はまた進路を変えた。厳密にはなりたいものが決まったのだ。

「俺、教師になるよ、晴兄。晴兄と同じ教師になりたいんだ。せっかく作ってくれたのにごめんね」

俺は大学に入った晴兄の日記を読んで、教師になりたいと思った。
 晴兄は初め日記で「文化祭や体育祭を楽しんでみたいのが動機」だと書いていた。だけどそのあと、自分のように第二性のせいで学校に通いづらい子たちに寄り添い、楽しい学校生活を送れるように手を貸してあげたいと書いてあった。
 その後にはSubサブという性が邪魔なのだとも綴ってあった。Subサブの言うことなんて、なんの説得力も持たないだろうとも。
 そうして出来上がったのが、春に再会した晴兄だった。

「俺は晴兄の夢を台無しにしたよね。俺とパートナーになって、旅行に行かなかったらずっと教師だっただろうし、晴兄に手を差し伸べてほしい人もいたと思うんだ」

日記を読んで、俺はずっと後悔していた。だけど昨日読んだ今年の日記は、初めの1ヶ月を除いて、幸せで溢れていた。
 俺の勉強を見ている時のこと、他の生徒に教えている時のこと、授業と関係ない質問をされたけどそれが楽しかったこと、生徒が悩み相談に来てくれたこと、何よりもみんなが受け入れてくれたこと。晴兄の教師生活は楽しくて幸せそうだった。
 晴兄のことでいっぱいいっぱいだった俺は独占欲で「話しかけるな」って心の中で叫んでたけど、きっとその中には晴兄に話して救われた人もいるのだろう。そう思うと、教師の晴兄を誇らしく思った。

「意志を継ぐなんて烏滸がましいことは言わないよ。ただ、大人になる手前の俺たちには悩みが尽きなくて、それに寄り添ってくれる大人は多い方がいいと思ったんだ。親の他に身近な大人って、教師だと思うんだ」

ノートを握りしめ、俺は決意を胸に教室を後にした。
 自分の教室に戻ると、ちらほらと生徒が登校していた。勉強をする人、残り少ないクラスメイトとの会話をする人、日直の仕事をする人。各々が残りの高校生活を過ごしていた。

「やっぱりいた。大貴、おはよ」
「はよー。いつもギリギリなのに今日はやけに早いな」
「たまにはね。それよりさ、志望校変えたら、教えてほしい教科があるんだけど――」

俺は教育大学に行くために、推薦で受験を終えた大貴に勉強を教えてもらうことにした。残り3ヶ月ちょっとしかないのに、急に志望校を変えたことに驚いていたが、大貴は快く教えてくれることになった。
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