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39、ダメだとわかっているけれど ③
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「全部話して」
「い、いいのか?」
「ここでやめられる方が気持ち悪い」
なんて思いやりのない言い方と声なのだろうか。
それでも晴兄は俺が話を求めたのが嬉しかったのだろう。俺の方に近寄ってきて、俺の手をぎゅっと握ってきた。
「こんな俺を母さんは『醜くて卑しいSub』だって、人のものを奪ってまで生きたいのかって、たくさん背中を鞭で打たれたよ」
そう言うと晴兄は俺の手を離し、背中を向けてきた。
「裕人との傷は手足の付け根に、父さんと父さんが連れてきた人たちとの傷はお腹や胸元に、そして母さんとの傷は背中に。まるで俺の身体の支配領域がはじめから決められていたかのように、みんなそこだけを念入りに。おかしいだろ」
晴兄は笑いながらゆっくりとタオルを取り、湯浴み着を下ろしていく。笑っていないと現実を受け止めきれないのだろう。その震える声が悲しくてたまらなかった。
「でも俺が裕人を頼ったことも、俺が治療費を払わせたことも、父さんを母さんから奪ったことも、俺が全部悪いからしょうがないんだ」
『しょうがない』と諦めの言葉を発していても、やっぱりやるせない思いがあるのだろうか。どんどんと晴兄の呼吸は浅く不規則になっていき、今にも過呼吸で倒れそうなほど身体が揺れ始めた。
「母さんには父さんしかいなかったのに、それを奪ったんだ。しょうがないよな。これは当然の罰なんだ」
全てを脱ぎ捨てフラフラと晴兄は立ち上がった。月明かりがまるでスポットライトかのように晴兄だけを照らす。濡れた髪がたまに光を反射し、キラキラと輝いているようだった。
だけど背中に目をやると、そこは無数の赤黒い痕で埋め尽くされていて、晴兄の本来の肌の色はほとんど見えなかった。
「いつか許してくれる、優しい母さんに戻ってくれるっていっぱい耐えたけど、結局こんな汚い俺は捨てられた。お金にもならないって家を追い出されたよ」
悲しい声だ。切ない声だ。寂しい声だ。会いたいと、愛してほしいと切に願う声だ。
俺はその声に引き寄せられるまま、晴兄の背中にそっと触れた。その瞬間、ビクッと晴兄の身体が大きく1回跳ねる。そのあとは小刻みにひたすら震えていた。
「それでもペンダントを見るたびに、これを持っていれば優しい頃の母さんが迎えにきてくれるんじゃないかって、バカなフリして現実逃避してた。傷痕からも目を背けて」
ペンダントのことを口にすると、晴兄は急に息を整えるように深呼吸をし始めた。何度か息を詰まらせながら、それでも徐々に震えも、呼吸も落ち着かせていく。
そうして整った頃、晴兄はゆっくりと俺の方を向いた。
それは突然で強制的に俺の目の前に背中とは違う痕が現れた。切り傷にケロイド状の丸い痕が無数に散りばめられていて、それはなぜか花のように見えた。それを目の当たりにした俺は一瞬で、晴兄は弄ばれていたのだと理解した。
「陽介に大切にされるほど、求めてくれるほど、罪悪感がすごかった。でも愛されてるんだって、これが愛されるってことなんだって、初めての感覚に戸惑いもあったけど、それが俺を変えてくれた。素直になれって言ってくれたから、現実を見ようって思えて、話すなら今かもしれないって思った」
そう言うと晴兄は大きく両手を広げた。
「ペンダントはまだ捨てられない。そこまでの勇気はない。でも手元からは離したい。どんなことがあってもやっぱり大切なものに変わりはないから大切な人に持っていてほしい。過去と決別する時、一緒にさよならを言ってほしい。優柔不断でごめん。それでも、こんな俺でも、まだ抱きしめてくれるか?」
不安そうに笑いながら晴兄は俺を見た。曝け出したものがあまりにも大きすぎて、本当に受け止めてもらえるのか不安だ、そう顔に書いてあった。
確かにあまりのことに今の俺では受け止められそうにない。でも伸ばされた手を取らないという選択肢は俺にはなかった。
俺は膝で立ち、割れ物を持つかのように晴兄の背中に手を回してそっと触れた。
「ありがとう…」
ぽたぽたと上から降ってくるのは晴兄の髪から滴る水か、それとも違うものか。この体勢では何も分からない。
けれども不規則に当たるその雫がなぜだか心地良かった。温かくて冷たくて、当たるたびにほんのりと俺の心と身体を解きほぐしていく、そんな感じがした。
「身体、冷えちゃってるよ」
「座らせて?」
「いいよ、Kneel」
俺と晴兄は身体を寄せ合うように座った。初めて触れる晴兄の素肌は凹凸がたくさんあって、ざらついていて、決して綺麗とは言えないものだった。
これが現実で、今までのは全て俺の夢で妄想だったのだと、思い知らされた。そしてそれのせいで傷つけてしまっていたことも。
だけどそれ以上に、俺以外が晴兄に痕を残していることが許せなかった。俺の証はCollarしかないのに、全身には色んなヤツの証が蔓延っている。
いっそ上から何もかも上書きできたらどんなにいいだろうか。そんなことを思いながら俺は晴兄の首筋に必死にキスマークを付けた。それでも拭えない怒りや悔しさ、もどかしさを抱え、思考を巡らせた。
これ以上他人が触れられないようにしまっておかなければ。そんな考えが頭を過った。
その度にそれはダメだと自分に言い聞かせながら、俺はただひたすらに何時間も俺のものだという印を身体中に付けていった。
だけど、晴兄を閉じ込めたい思いは膨れ上がり続け、止まるところを知らなかった。
「い、いいのか?」
「ここでやめられる方が気持ち悪い」
なんて思いやりのない言い方と声なのだろうか。
それでも晴兄は俺が話を求めたのが嬉しかったのだろう。俺の方に近寄ってきて、俺の手をぎゅっと握ってきた。
「こんな俺を母さんは『醜くて卑しいSub』だって、人のものを奪ってまで生きたいのかって、たくさん背中を鞭で打たれたよ」
そう言うと晴兄は俺の手を離し、背中を向けてきた。
「裕人との傷は手足の付け根に、父さんと父さんが連れてきた人たちとの傷はお腹や胸元に、そして母さんとの傷は背中に。まるで俺の身体の支配領域がはじめから決められていたかのように、みんなそこだけを念入りに。おかしいだろ」
晴兄は笑いながらゆっくりとタオルを取り、湯浴み着を下ろしていく。笑っていないと現実を受け止めきれないのだろう。その震える声が悲しくてたまらなかった。
「でも俺が裕人を頼ったことも、俺が治療費を払わせたことも、父さんを母さんから奪ったことも、俺が全部悪いからしょうがないんだ」
『しょうがない』と諦めの言葉を発していても、やっぱりやるせない思いがあるのだろうか。どんどんと晴兄の呼吸は浅く不規則になっていき、今にも過呼吸で倒れそうなほど身体が揺れ始めた。
「母さんには父さんしかいなかったのに、それを奪ったんだ。しょうがないよな。これは当然の罰なんだ」
全てを脱ぎ捨てフラフラと晴兄は立ち上がった。月明かりがまるでスポットライトかのように晴兄だけを照らす。濡れた髪がたまに光を反射し、キラキラと輝いているようだった。
だけど背中に目をやると、そこは無数の赤黒い痕で埋め尽くされていて、晴兄の本来の肌の色はほとんど見えなかった。
「いつか許してくれる、優しい母さんに戻ってくれるっていっぱい耐えたけど、結局こんな汚い俺は捨てられた。お金にもならないって家を追い出されたよ」
悲しい声だ。切ない声だ。寂しい声だ。会いたいと、愛してほしいと切に願う声だ。
俺はその声に引き寄せられるまま、晴兄の背中にそっと触れた。その瞬間、ビクッと晴兄の身体が大きく1回跳ねる。そのあとは小刻みにひたすら震えていた。
「それでもペンダントを見るたびに、これを持っていれば優しい頃の母さんが迎えにきてくれるんじゃないかって、バカなフリして現実逃避してた。傷痕からも目を背けて」
ペンダントのことを口にすると、晴兄は急に息を整えるように深呼吸をし始めた。何度か息を詰まらせながら、それでも徐々に震えも、呼吸も落ち着かせていく。
そうして整った頃、晴兄はゆっくりと俺の方を向いた。
それは突然で強制的に俺の目の前に背中とは違う痕が現れた。切り傷にケロイド状の丸い痕が無数に散りばめられていて、それはなぜか花のように見えた。それを目の当たりにした俺は一瞬で、晴兄は弄ばれていたのだと理解した。
「陽介に大切にされるほど、求めてくれるほど、罪悪感がすごかった。でも愛されてるんだって、これが愛されるってことなんだって、初めての感覚に戸惑いもあったけど、それが俺を変えてくれた。素直になれって言ってくれたから、現実を見ようって思えて、話すなら今かもしれないって思った」
そう言うと晴兄は大きく両手を広げた。
「ペンダントはまだ捨てられない。そこまでの勇気はない。でも手元からは離したい。どんなことがあってもやっぱり大切なものに変わりはないから大切な人に持っていてほしい。過去と決別する時、一緒にさよならを言ってほしい。優柔不断でごめん。それでも、こんな俺でも、まだ抱きしめてくれるか?」
不安そうに笑いながら晴兄は俺を見た。曝け出したものがあまりにも大きすぎて、本当に受け止めてもらえるのか不安だ、そう顔に書いてあった。
確かにあまりのことに今の俺では受け止められそうにない。でも伸ばされた手を取らないという選択肢は俺にはなかった。
俺は膝で立ち、割れ物を持つかのように晴兄の背中に手を回してそっと触れた。
「ありがとう…」
ぽたぽたと上から降ってくるのは晴兄の髪から滴る水か、それとも違うものか。この体勢では何も分からない。
けれども不規則に当たるその雫がなぜだか心地良かった。温かくて冷たくて、当たるたびにほんのりと俺の心と身体を解きほぐしていく、そんな感じがした。
「身体、冷えちゃってるよ」
「座らせて?」
「いいよ、Kneel」
俺と晴兄は身体を寄せ合うように座った。初めて触れる晴兄の素肌は凹凸がたくさんあって、ざらついていて、決して綺麗とは言えないものだった。
これが現実で、今までのは全て俺の夢で妄想だったのだと、思い知らされた。そしてそれのせいで傷つけてしまっていたことも。
だけどそれ以上に、俺以外が晴兄に痕を残していることが許せなかった。俺の証はCollarしかないのに、全身には色んなヤツの証が蔓延っている。
いっそ上から何もかも上書きできたらどんなにいいだろうか。そんなことを思いながら俺は晴兄の首筋に必死にキスマークを付けた。それでも拭えない怒りや悔しさ、もどかしさを抱え、思考を巡らせた。
これ以上他人が触れられないようにしまっておかなければ。そんな考えが頭を過った。
その度にそれはダメだと自分に言い聞かせながら、俺はただひたすらに何時間も俺のものだという印を身体中に付けていった。
だけど、晴兄を閉じ込めたい思いは膨れ上がり続け、止まるところを知らなかった。
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