モラトリアムの俺たちはー

木陰みもり

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26、どうして気付かなかったんだ

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「お待たせ」

俺の思った通り、晴兄はまた髪も乾かさずに出てきた。思った通り、まだ怒っているのか、顔は見せてくれなかった。

「また髪びしょ濡れだよ。乾かしてあげ――」
「ドライヤーだけ借りてくからいいよ。陽介も早く入れよ。陽さんにまた怒られるぞ」
「え、でも…」

晴兄は俺の話も聞かずに、俺の背中を無理やり押してきた。こんなに力が強かったかと思うほど、俺は押されるままに、そのまま脱衣所に押し込められた。それから晴兄はすぐにドアを閉めてしまった。

「今日は疲れただろ。ゆっくり入ってこいよ」

ドア越しに呟くと、そのまま晴兄がバタバタと足早に走り去っていってしまった。
 あっという間の出来事で、俺は一体何が起こったのか分からなかった。今まで明白あからさまに避けられたことがなかった俺には相当堪えることだった。
 気付いた時には、俺はそのまま力無く床に座り込んで項垂れていた。

「なんで言われた時、『ある』って言わなかったんだ俺…」

サプライズにしたいとか、ビックリさせたいとか、そんなどうでもいいことで晴兄を傷付けた。俺の顔なんて見たいくないと思うほど、深く傷付いたに違いない。
 それにいつCollarカラーがもらえるか、晴兄は不安だったのかもしれない。
 普段から何かを求められることなんてなかった分、今日のことは晴兄にとってきっと相当勇気がいることだったのだろう。なのにその勇気を踏みにじって、俺は「セックスは卒業まで待って」って言ったり、Collarカラーのこともハッキリとした返事をしなかった。
 思い返せば思い返すほど、自分の都合ばかり優先して、どれも晴兄のことを考えていなかった。

「愛想尽かされて、『さよなら』なんて言われたら…うぅ…」

嫌な考えに取り憑かれた俺は、お風呂に入ることも忘れてそのままうずくまって泣き始めた。
 Collarカラーももらえない、セックスもできない、お金のかかるデートはできない。大人の晴兄にとって俺はまだまだ子供で、晴兄の欲しいものも、やりたいことも、我慢させ続けることしかできない。
 もし今、優しくて酷いことなんてしない、晴兄を大切にしてくれるような大人が現れたら、晴兄は迷わずそっちへ行ってしまうのだろうか。
 いや、きっと行くんだ。たまたま晴兄の周りには暴力的なやつしかいなかっただけ、その中でたまたま俺だけが普通だっただけだ。この先、晴兄が我慢せずに付き合える人なんていっぱい現れる。
 そんなことにも気付かずに、俺は今の環境に胡座あぐらをかいて、何も晴兄にしてこなかった。
 ふと、俺の心に影が差した。目の前が黒いモヤがかかったみたいに見えにくくなっていく。そのモヤはだんだんと人の形を成していき、それはまるで晴兄と俺ではない別の誰かが寄り添っているように見えた。

「誰…それ…」

俺はそんなあり得ない光景を受け入れられず、必死に手を伸ばして晴兄を取り戻そうとした。だけど身体はまるで鎖で床に繋がれたように締め付けられ、足を上げることも、もちろん手を伸ばすこともできなくなっていた。

「動けよ…これじゃ晴兄が…」

必死にもがくが、どうしたって身体は動かなかった。そうしている間に、彼らは目の前で会話を始めた。

――晴陽、Collarカラー似合ってるよ
――ありがとう。すごく嬉しい

「なにいってるの…Collarカラー、俺から欲しいんだよね?」

――今日は夜景の綺麗なホテルを予約してるんだ
――本当?嬉しい

「卒業したら俺と行くんでしょ」

――今日は寝かせないよ、なんてね
――ふふ、何それ…でもいいよ。いっぱい俺を感じて

「俺が、俺が我慢してって言ったのがダメだった?」

――晴陽は笑顔の方が素敵だよ。我慢なんて心に悪いことしないで、なんでも言ってごらん
――じゃ、じゃあお言葉に甘えて…一緒に住めたらいいなって、ダメ?
――はは、先に言われてしまった。もちろんいいに決まってるだろ

「俺はダメでそいつはいいの?なんで…」

――嬉しい、俺●●に出会えて今幸せ…………………

「もうやめて!言わないで、行かないで、晴兄…そんなヤツに触らないで…」

俺はそのモヤたちに見せられる光景に思わず叫んで床を殴った。
 その声に2人の黒いモヤは掻き消え、代わりに目の前が暗い闇に染まっていった。
 その暗闇の中では永遠にさっきの会話が繰り広げられていた。
 もう聞きたくない、言わないでほしい、晴兄は俺のモノだ、そう思って威嚇するように叫んでも、その幻聴は消えることはなく、そればかりか次第に頭に響くほど大きな音になっていった。
 何かに囚われ、叫び、床を殴り、そうしている間に、気付いたら俺は自分のベッドの上で寝ていた。
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