モラトリアムの俺たちはー

木陰みもり

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23、どんなに我慢しても 後編

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 晴兄を包み込み、過呼吸になっているその背中を優しく摩った。それなのに晴兄の乱れた呼吸は落ち着かなかった。身体も冷たくて、震えも止まらない。むしろ悪化していくばかりだった。
 俺はもうどうしたらいいか分からなかった。ただ必死に、晴兄に届くかも分からない言葉をかけ続けて、抱きしめ続けた。俺にはそれしかできなかった。

「晴兄、好きだよ、大好き…独り占めしたいくらい好きなんだ。さっきは問い詰めるような言い方してごめんね…怖かったよね…痛かったよね…また腕を強く握っちゃったね…痕になっちゃったかな…」
「…ぁ………っ……」

教室に夕陽が差し込み始めた頃、少しだけ晴兄の声が聞こえた。さっきまでうるさかった蝉も、息を潜めたかのようにパタリと止んでいた。
 それでも集中して聞かないと聞こえないくらい、晴兄の声は今にも消えそうなくらい小さかった。
 俺はその声を逃すまいと、必死に息を殺して晴兄の声に耳を傾けた。

「…こわっ…ぁ…っえ…めたい……ってに…なみ…と……くて…あの…とき…みたい…」

晴兄は力尽きたようにそのまま意識を失ってしまった。
 結局、どんなに耳を澄ませても、最後の「あの時みたい」の言葉以外は何の聞き取れなかった。その「あの時」も、晴兄がどれを指しているのか俺には分からなかった。

「本当にごめんね、晴兄…」

俺はゆっくりと晴兄を持ち上げて、一旦床に寝かせた。持ち上げた時触れた背中は汗でぐっしょりしていて、スーツはじんわりと濡れていた。顔は汗に加えて涙と鼻水でさらにびしょ濡れだった。

「汗が原因で、身体が冷えちゃったのかな…はは、なんちゃって…」

多分その前からずっと晴兄の身体は冷たかったに違いない。汗のせいだったらどんなに良かったか。そう思っても、過ぎた時は戻ってこない。
 俺が晴兄に恐怖を与え、こんな氷みたいに冷たくなるまで追い詰めたんだ。

「泣かせたかったわけでも、気絶させたかったわけでもないのに…俺、ほんと何やってんだろ…」

この結果を招いたのは自分自身で、自業自得で、泣いていい資格なんてないのに、それでも俺は涙を止めることができなかった。そんな弱い自分が悔しくてたまらなかった。
 それでも時間は残酷に過ぎていき、俺に立ちどまる時間なんて与えてくれなかった。
 唐突に、扉をノックする音が聞こえた。

「柊先生?もう何時間も職員室に戻ってないけど大丈夫?また体調が悪いのかな…」

扉を叩いたのは花岡先生だった。どうやら晴兄がずっと戻ってこないことを心配して、探しにきてくれたみたいだ。
 でも晴兄は今見せられない状態だし。一体どうしたらいいのだろうか。

「先生?開けてもいいですか?」

花岡先生がスペアキーを鍵穴に入れた音がした。回して、鍵を抜いたらあの扉が開いて、花岡先生がこの惨状を見てしまう。そうしたら俺も晴兄も学校にいられなくなってしまうかもしれない。
 ガチャリという音がスローモーションに聞こえてきて、俺は何も考えず、自分から扉を開けた。

「え、椎名?」
「せ、先生…柊先生が…」
「どうしたの?」
「た…ね…熱中…症…そう、軽い熱中症みたいで、今日はこのまま帰らせてあげた方がいいんじゃないかなって…」

俺は咄嗟に中に入られればバレてしまう、なんともお粗末な嘘を吐いた。
 花岡先生も俺の挙動不審な態度に、今の話が本当か怪しんでいる。
 それでも先生は無理やり部屋に入ろうとせず、俺の話に合わせてくれた。

「今日はもうこのまま帰ってもらおうと思って鞄を持ってきたの」
「じゃ、じゃあ、柊先生に俺が渡しときますよ。ほんと、体調悪そうなんで」
「ならお願いね。私はまだ職員室にいるから、もし急変して救急車が必要だったら来て。柊先生も、あまり無理しないでくださいね」

先生は晴兄にも聞こえるようにと大きな声で話すと、職員室に戻っていった。
 なんとかこの場を乗り切れたのか分からないけれど、とりあえず晴兄を見られなくて済んだことにホッとした。
 だけど、またここはまたいつ誰が来るか分からない。そう考えたら俺は気が気じゃなかった。
 俺はすぐに晴兄と荷物を担いで教室を飛び出した。幸い学校にはもう先生しか残っていないらしく、生徒に会うことはなかった。
 それでも先生たちはまだ残っている。こんな格好見られるわけにもいかないと、俺は隠れながら、でも急いで学校から出るために一心不乱に走った。
 晴兄の靴も、自分の靴も、変える余裕なんて俺にはなかった。きっと花岡先生は靴が残っていることを不審に思うに違いない。それでも走り始めた足を止めることはできなかった。
 走って、走って、たどり着いたのは自分の家ではなく、あの日と同じ、近くの山の中だった。そこで俺は崩れるように倒れ込んだ。
 晴兄を担いで、2人分の荷物を持って、さらに全力疾走して、山まで登って、俺の体力はもう限界だった。足は鉛のように重く、息は上がりきっていて苦しい。
 それでも俺は這いずりながら進んだ。
 もう少し先に、開けた場所がある。そこにはベンチがあって、晴兄を寝かせられる。

「あと少し…あと少し…なのに…」

あと少しで辿り着けそうなのに、最後の階段がどうしても登れなかった。
 俺はそのまま階段のところでうつ伏せに寝転んだ。

「ちょっとだけ…休憩…」

俺は寝転んだまま、晴兄を背中に乗せて目を閉じた。
 かなり疲れていたのか、目を瞑ると同時に俺は意識を手放した。
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