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32.隣にいたいから
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タクシーで到着したのは、東京駅近くのレストラン会場だ。結婚式や企業イベントなどを行うための施設のようで、正装した人たちばかりあふれ、遠くには螺旋階段で写真撮影をする花嫁と花婿の姿もある。
勇大は北沢とともに受付を済ませてパーティー会場の中へと入る。
会場の奥の中央には「創立10周年記念パーティー」の垂れ幕がかかっており、会場には着飾った人々がグラス片手に談笑している。
立食パーティーなので、決まった席はない。どこでどうしたらいいのかわからない状態だ。
雰囲気に呑まれて気負ってしまいそうになるが、堂々としている北沢を見て気持ちを落ち着ける。北沢の隣で挙動不審になるわけにはいかない。北沢がどういうつもりで連れてきたのかわからないが、足を引っ張りたくはない。
「井野台さん!」
北沢は知り合いを見つけたようで、早速どこかのビジネスマンの集団に混ざり、親しげに会話を始めた。
北沢の知り合いの井野台は、恰幅のいい、四十代くらいの男で、ピンストライプのダークグレーのスーツを着ている。
「北沢くん! 活躍の噂は聞いているよ。鈴木会長が君を理事に考えてるというのは本当かっ?」
「いやいや、どうでしょう。俺はまだだと思いますけどね」
北沢は調子を合わせて話をするのが上手だ。あっという間に井野台たちのグループに溶け込んでいく。
勇大は北沢のそばに立ち、まるでSPのように斜め後ろに控えている。
「北沢くん、こちらの方は? 新しい秘書さん?」
井野台がふと勇大に視線を向けてきた。それに気がつき北沢が答える。
「ああ。うちの社員です。俺にはない観察眼を持っているので連れて来ました」
「へぇ。社員ですか。たしかにいい目をしてる」
井野台にじっと顔を覗き込まれ、勇大はなんだか落ち着かずに目をしばたかせる。経営者はみんな、人を見定める癖でもあるのだろうか。
「南勇大です」
「南くん、よろしく。イノザイムアセットマネジメントの井野台です」
井野台は革製の名刺入れを取り出し丁寧に手渡してきた。
「あ、すみません俺名刺持ってなくて……」
名刺を受け取りながら勇大は謝罪する。
「いいよ。気にしないで。俺は北沢くんの命の恩人だから」
「えっ?」
勇大がどういうことか聞き返そうとすると、すかさず北沢が「井野台さん」と止めに入る。
「その節は本当にありがとうございます、でも今それを言いますか?」
「はっはっは、ごめん。君にも立場があるよなぁ?」
北沢も井野台も和やかに話をしている。なんだか旧友に会って話をしている雰囲気で、とても経営者のトップ会談には見えない。
井野台は、談笑しながら空のワイングラスを飲もうとして「空だ」と笑う。
「飲み物持ってきます。社長も。スパークリングワインでいいですか?」
勇大は井野台と北沢にアルコールの希望を聞き、バーカウンターへと走る。
無事にスパークリングワインを入手して北沢たちのところへ戻ると、北沢の周囲には勇大の知らないモデルみたいに美人な女がいる。
茶髪をアップスタイルにして、色っぽいうなじを見せつけて、長い美脚をこれでもかと披露している。その女がまた親しげに北沢の腕にボディタッチするから、イラっとした。
女が何か北沢の耳元で囁くと、北沢が笑顔で頷いた。
「あいつ……!」
北沢の笑顔があの女に向けられていることが面白くない。何を言われてあんなに嬉しそうに鼻の下を伸ばしているんだか。
「お待たせしました」
勇大は井野台にスパークリングワインを手渡す。代わりに井野台の空のワイングラスを受け取った。
「ありがとう、南くん」
井野台はスマートに礼を告げてきた。井野台は本当に腰の低い、決して偉ぶらない人だ。
「社長もどうぞ」
勇大はもうひとつのスパークリングワインを北沢に差し出す。北沢も「ありがとう」とにこやかに受け取った。
「勇大。紹介するよ」
勇大のモヤモヤした気持ちも知らずに、北沢は無邪気に隣の女を勇大と引き合わせる。
笑顔だ。笑顔。
俺の番に馴れ馴れしく触るなよ、と睨みつけたくなる気持ちを押し込めて、勇大は笑顔を作る。
「俺の幼馴染。幼稚舎から一緒の綾瀬。元モデルで、今はアパレルブランドを立ち上げてるよ」
「橙利から聞いてる。南くんよね? 一目置いてる社員さんだって。思ってたより可愛い顔してる」
綾瀬は綺麗な所作で笑う。見た目もステイタスも洗練されたイメージだ。同じくスマートなイケメン北沢の隣にいるのが自然に見える。
幼馴染だから当然なのかもしれないが、綾瀬は北沢を名前呼びしている。それも気に食わないが、北沢はさっきから勇大のことを『うちの社員』と人に紹介している。自分の番だということは伏せておきたいのだろうが、それもなんだかモヤモヤする。
「社長。俺、グラス片付けてきます」
勇大の手には井野台から受け取ったグラスがある。やっぱりこの社交場は勇大には似つかわしくない。理由をつけて離れたかった。
「勇大、俺が片付けてくるよ」
グラスを奪おうとする北沢を勇大は「いいです」と制する。
「社長はお友達とゆっくりどうぞ」
引き攣っているかもしれないが、勇大は精一杯の笑顔をみせる。
ここは我慢のときだ。イライラしても、それを表に出しちゃいけない。北沢に恥をかかせるわけにはいかない。
振る舞いのひとつひとつが大切だと、この歳になってやっとわかった。今後も北沢の隣にいたいのなら、北沢の番に相応しい人にならなければいけない。勇大はそう心に決めていた。
勇大は北沢とともに受付を済ませてパーティー会場の中へと入る。
会場の奥の中央には「創立10周年記念パーティー」の垂れ幕がかかっており、会場には着飾った人々がグラス片手に談笑している。
立食パーティーなので、決まった席はない。どこでどうしたらいいのかわからない状態だ。
雰囲気に呑まれて気負ってしまいそうになるが、堂々としている北沢を見て気持ちを落ち着ける。北沢の隣で挙動不審になるわけにはいかない。北沢がどういうつもりで連れてきたのかわからないが、足を引っ張りたくはない。
「井野台さん!」
北沢は知り合いを見つけたようで、早速どこかのビジネスマンの集団に混ざり、親しげに会話を始めた。
北沢の知り合いの井野台は、恰幅のいい、四十代くらいの男で、ピンストライプのダークグレーのスーツを着ている。
「北沢くん! 活躍の噂は聞いているよ。鈴木会長が君を理事に考えてるというのは本当かっ?」
「いやいや、どうでしょう。俺はまだだと思いますけどね」
北沢は調子を合わせて話をするのが上手だ。あっという間に井野台たちのグループに溶け込んでいく。
勇大は北沢のそばに立ち、まるでSPのように斜め後ろに控えている。
「北沢くん、こちらの方は? 新しい秘書さん?」
井野台がふと勇大に視線を向けてきた。それに気がつき北沢が答える。
「ああ。うちの社員です。俺にはない観察眼を持っているので連れて来ました」
「へぇ。社員ですか。たしかにいい目をしてる」
井野台にじっと顔を覗き込まれ、勇大はなんだか落ち着かずに目をしばたかせる。経営者はみんな、人を見定める癖でもあるのだろうか。
「南勇大です」
「南くん、よろしく。イノザイムアセットマネジメントの井野台です」
井野台は革製の名刺入れを取り出し丁寧に手渡してきた。
「あ、すみません俺名刺持ってなくて……」
名刺を受け取りながら勇大は謝罪する。
「いいよ。気にしないで。俺は北沢くんの命の恩人だから」
「えっ?」
勇大がどういうことか聞き返そうとすると、すかさず北沢が「井野台さん」と止めに入る。
「その節は本当にありがとうございます、でも今それを言いますか?」
「はっはっは、ごめん。君にも立場があるよなぁ?」
北沢も井野台も和やかに話をしている。なんだか旧友に会って話をしている雰囲気で、とても経営者のトップ会談には見えない。
井野台は、談笑しながら空のワイングラスを飲もうとして「空だ」と笑う。
「飲み物持ってきます。社長も。スパークリングワインでいいですか?」
勇大は井野台と北沢にアルコールの希望を聞き、バーカウンターへと走る。
無事にスパークリングワインを入手して北沢たちのところへ戻ると、北沢の周囲には勇大の知らないモデルみたいに美人な女がいる。
茶髪をアップスタイルにして、色っぽいうなじを見せつけて、長い美脚をこれでもかと披露している。その女がまた親しげに北沢の腕にボディタッチするから、イラっとした。
女が何か北沢の耳元で囁くと、北沢が笑顔で頷いた。
「あいつ……!」
北沢の笑顔があの女に向けられていることが面白くない。何を言われてあんなに嬉しそうに鼻の下を伸ばしているんだか。
「お待たせしました」
勇大は井野台にスパークリングワインを手渡す。代わりに井野台の空のワイングラスを受け取った。
「ありがとう、南くん」
井野台はスマートに礼を告げてきた。井野台は本当に腰の低い、決して偉ぶらない人だ。
「社長もどうぞ」
勇大はもうひとつのスパークリングワインを北沢に差し出す。北沢も「ありがとう」とにこやかに受け取った。
「勇大。紹介するよ」
勇大のモヤモヤした気持ちも知らずに、北沢は無邪気に隣の女を勇大と引き合わせる。
笑顔だ。笑顔。
俺の番に馴れ馴れしく触るなよ、と睨みつけたくなる気持ちを押し込めて、勇大は笑顔を作る。
「俺の幼馴染。幼稚舎から一緒の綾瀬。元モデルで、今はアパレルブランドを立ち上げてるよ」
「橙利から聞いてる。南くんよね? 一目置いてる社員さんだって。思ってたより可愛い顔してる」
綾瀬は綺麗な所作で笑う。見た目もステイタスも洗練されたイメージだ。同じくスマートなイケメン北沢の隣にいるのが自然に見える。
幼馴染だから当然なのかもしれないが、綾瀬は北沢を名前呼びしている。それも気に食わないが、北沢はさっきから勇大のことを『うちの社員』と人に紹介している。自分の番だということは伏せておきたいのだろうが、それもなんだかモヤモヤする。
「社長。俺、グラス片付けてきます」
勇大の手には井野台から受け取ったグラスがある。やっぱりこの社交場は勇大には似つかわしくない。理由をつけて離れたかった。
「勇大、俺が片付けてくるよ」
グラスを奪おうとする北沢を勇大は「いいです」と制する。
「社長はお友達とゆっくりどうぞ」
引き攣っているかもしれないが、勇大は精一杯の笑顔をみせる。
ここは我慢のときだ。イライラしても、それを表に出しちゃいけない。北沢に恥をかかせるわけにはいかない。
振る舞いのひとつひとつが大切だと、この歳になってやっとわかった。今後も北沢の隣にいたいのなら、北沢の番に相応しい人にならなければいけない。勇大はそう心に決めていた。
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