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23.決別
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まず目についたのは、部屋の片面いっぱいに広がる大きな窓だ。びっしり建っているビル群が夕焼けに照らされて、夜へと向かうかげりを感じる。解放感のある部屋だった。
部屋の中央には、応接会議室としても使えそうなほどの大きなテーブルがあり、その周りをたくさんの椅子が囲む。十人くらいは余裕で話し合いができそうだ。
その奥にあるのがモニターを三台抱える、大きな北沢のデスクだった。
「急に会いに来るなんてどうした? また給湯器が壊れたのか?」
大きなデスクの前に座っていた北沢が立ち上がり、にこやかに勇大に近づいてくる。
北沢は怒っていなかった。
この前、北沢の家で別れたとき、ふたりのあいだに不穏な空気感が生じていた。
そこから、北沢の怒涛の電話とメッセージ。それを勇大が無視したこと。
そんなことなどなかったことかのように、北沢は、ごくごく自然に接してくる。
「あぁ。腹が減ったのか? ちょうどスケジュールが空いてるんだ。今から何か食べに行くか? 寿司でもステーキでもなんでもいいぞ」
そんなことはないはずだ。さっき受付嬢の電話を密かに聞いてしまった。北沢は誰かと会う約束を急遽キャンセルしていた。
自惚れでもなく、北沢は勇大のためにわざわざ予定を開けたのだろう。
やっぱりダメだ。
北沢と一緒にいればいるほど、北沢のことを好きになる。
友達なんかじゃいられない。
「そうだ、勇大を連れて行きたい場所があって——」
「あのさ」
勇大は北沢の言葉を遮った。
「お前とはもう会わない」
決意を秘めた視線で真っ直ぐに北沢を見る。もちろん勇大に笑顔はない。何も楽しくなんてないから。
話しながら勇大に近寄っていた北沢が、ピタリと動きを止めた。同時に笑顔も消えた。
「理由は?」
怒っているかも、呆れているかもわからない、抑揚のない声だった。
「番が見つかったんだ」
それは嘘じゃない。今日の昼間、勇大の番と名乗る男から連絡が来た。まだ会ってはいないが、あの指定された日時に約束の場所へ行けば、番アルファに会えるはずだ。
「そいつが、なんか俺と付き合いたいんだと。俺もまぁ、番っちゃってるし、嫌でもそいつを頼るしかねぇじゃん?」
今度は嘘だ。メールの内容は『番解除について話がしたい』だった。
相手のアルファはきっと勇大と番解除することを望んでいる。そうする前に、一度勇大の許可を得ようとしているような雰囲気だった。
「そいつが他のアルファとは会うなって。だからもう会わない」
勇大は嘘に嘘を重ねる。
勇大の心は限界だった。これ以上深入りしたら、番えないオメガのくせに北沢から離れられなくなる。
北沢にワガママを言いたくなってしまう。こんなに優しくしてくれる、北沢の人生の足を引っ張ることになる。
「へぇ。それはよかったな」
北沢は表情ひとつ変えなかった。北沢にしてみれば、勇大の存在などその程度のものだった、ということなのだろう。
そのことに気がついて、勇大の胸が苦しくなる。
気持ちの重みが違う。
勇大にしてみれば、北沢と会わないと決断したことは大きなことだ。なのに北沢は「よかったな」などと言い、勇大に未練はないようだ。
まぁ、北沢なら勇大の代わりの相手など、いくらでも見つけられるだろう。
「でもお前、ずっと番解除したいって言ってなかったか? 好きでもないアルファなんて無理だって」
「気が変わったんだよ。一応、番だしさ。最悪、三ヶ月に一回会うだけの関係でもいいし。それだけでも身体がだいぶ楽じゃん?」
「そうか。オメガだもんな」
「そうだよ、お前にはわかんないだろうが、ヒートって辛いんだぜ?」
「ヒートの辛さはわかっているつもりだ。だから、お前が番解除を望んでいると知って少し驚いた」
「まぁ、しょうがないよな、俺のせいで番っちゃったんだから。でも、向こうは俺に気があるみたいな感じだったし、この際付き合っちゃおうかなって」
きっと相手のアルファは勇大を抱く気もなければ、付き合う気もないだろう。でもそんな事実をバラしたら、優しい北沢は番解除された勇大に同情して、自分のそばに置こうとするかもしれない。そんな迷惑はかけられない。
「わかった……」
北沢は勇大に歩み寄り、勇大の肩を叩いた。まるで友人にするそれのように。
「待ち合わせには必ず行けよ」
「あ、あぁ……」
勇大には北沢の気持ちがわからない。こうもあっさりと諦められるとは思わずに、内心動揺している。
もっと引き止めてくれるかと思っていた。番だったとしても顔も知らない奴なんてやめておけ、俺にしろと、少しくらい嫉妬してくれるんじゃないかと思っていたのに。
「じゃ、じゃあ、用件はそれだけ。あ、あの、今までありがとな。スッゲェよくしてもらったのに、何も返せないでごめん」
これが北沢と会う最後になるのか、と思った途端に涙腺が緩む。
でも泣いたらダメだ。これじゃまるで北沢との別れを惜しんでいるように思われてしまう。
部屋の中央には、応接会議室としても使えそうなほどの大きなテーブルがあり、その周りをたくさんの椅子が囲む。十人くらいは余裕で話し合いができそうだ。
その奥にあるのがモニターを三台抱える、大きな北沢のデスクだった。
「急に会いに来るなんてどうした? また給湯器が壊れたのか?」
大きなデスクの前に座っていた北沢が立ち上がり、にこやかに勇大に近づいてくる。
北沢は怒っていなかった。
この前、北沢の家で別れたとき、ふたりのあいだに不穏な空気感が生じていた。
そこから、北沢の怒涛の電話とメッセージ。それを勇大が無視したこと。
そんなことなどなかったことかのように、北沢は、ごくごく自然に接してくる。
「あぁ。腹が減ったのか? ちょうどスケジュールが空いてるんだ。今から何か食べに行くか? 寿司でもステーキでもなんでもいいぞ」
そんなことはないはずだ。さっき受付嬢の電話を密かに聞いてしまった。北沢は誰かと会う約束を急遽キャンセルしていた。
自惚れでもなく、北沢は勇大のためにわざわざ予定を開けたのだろう。
やっぱりダメだ。
北沢と一緒にいればいるほど、北沢のことを好きになる。
友達なんかじゃいられない。
「そうだ、勇大を連れて行きたい場所があって——」
「あのさ」
勇大は北沢の言葉を遮った。
「お前とはもう会わない」
決意を秘めた視線で真っ直ぐに北沢を見る。もちろん勇大に笑顔はない。何も楽しくなんてないから。
話しながら勇大に近寄っていた北沢が、ピタリと動きを止めた。同時に笑顔も消えた。
「理由は?」
怒っているかも、呆れているかもわからない、抑揚のない声だった。
「番が見つかったんだ」
それは嘘じゃない。今日の昼間、勇大の番と名乗る男から連絡が来た。まだ会ってはいないが、あの指定された日時に約束の場所へ行けば、番アルファに会えるはずだ。
「そいつが、なんか俺と付き合いたいんだと。俺もまぁ、番っちゃってるし、嫌でもそいつを頼るしかねぇじゃん?」
今度は嘘だ。メールの内容は『番解除について話がしたい』だった。
相手のアルファはきっと勇大と番解除することを望んでいる。そうする前に、一度勇大の許可を得ようとしているような雰囲気だった。
「そいつが他のアルファとは会うなって。だからもう会わない」
勇大は嘘に嘘を重ねる。
勇大の心は限界だった。これ以上深入りしたら、番えないオメガのくせに北沢から離れられなくなる。
北沢にワガママを言いたくなってしまう。こんなに優しくしてくれる、北沢の人生の足を引っ張ることになる。
「へぇ。それはよかったな」
北沢は表情ひとつ変えなかった。北沢にしてみれば、勇大の存在などその程度のものだった、ということなのだろう。
そのことに気がついて、勇大の胸が苦しくなる。
気持ちの重みが違う。
勇大にしてみれば、北沢と会わないと決断したことは大きなことだ。なのに北沢は「よかったな」などと言い、勇大に未練はないようだ。
まぁ、北沢なら勇大の代わりの相手など、いくらでも見つけられるだろう。
「でもお前、ずっと番解除したいって言ってなかったか? 好きでもないアルファなんて無理だって」
「気が変わったんだよ。一応、番だしさ。最悪、三ヶ月に一回会うだけの関係でもいいし。それだけでも身体がだいぶ楽じゃん?」
「そうか。オメガだもんな」
「そうだよ、お前にはわかんないだろうが、ヒートって辛いんだぜ?」
「ヒートの辛さはわかっているつもりだ。だから、お前が番解除を望んでいると知って少し驚いた」
「まぁ、しょうがないよな、俺のせいで番っちゃったんだから。でも、向こうは俺に気があるみたいな感じだったし、この際付き合っちゃおうかなって」
きっと相手のアルファは勇大を抱く気もなければ、付き合う気もないだろう。でもそんな事実をバラしたら、優しい北沢は番解除された勇大に同情して、自分のそばに置こうとするかもしれない。そんな迷惑はかけられない。
「わかった……」
北沢は勇大に歩み寄り、勇大の肩を叩いた。まるで友人にするそれのように。
「待ち合わせには必ず行けよ」
「あ、あぁ……」
勇大には北沢の気持ちがわからない。こうもあっさりと諦められるとは思わずに、内心動揺している。
もっと引き止めてくれるかと思っていた。番だったとしても顔も知らない奴なんてやめておけ、俺にしろと、少しくらい嫉妬してくれるんじゃないかと思っていたのに。
「じゃ、じゃあ、用件はそれだけ。あ、あの、今までありがとな。スッゲェよくしてもらったのに、何も返せないでごめん」
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