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19.湧き上がる想い

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 リビングにある、背の低いコンパクトなワインセラーから北沢が取り出したのは白ワインだった。聞けばそこそこ値打ちのあるワインらしい。

 勇大は北沢の家のL字型ソファーの角を堂々と陣取り、キッチンでグラスを用意している北沢を眺めているだけだ。
 スーツのジャケットを脱いだ北沢は、ワイシャツの袖をまくり、ワインオープナーを使ってワインのコルクをポンッと引き抜いた。

「家にワインの冷蔵庫があるなんて、ワイン好きなの?」

 グラスに白ワインを注ぐ北沢の所作を眺めながら、勇大は訊ねた。

「いや。好きなのはビールだな」
「俺と一緒じゃん」
「気が合うな。ワインは自分じゃ買わない。人からよく貰うんだ。それもいいものをもらうから、もったいなくなってセラーを買ったんだよ」
「へぇ。金持ちの世界はすごいな」 

 やっぱり北沢は生きる世界が違う。北沢を取り巻く世界は、勇大には想像もつかないものばかりだ。
 ワインを用意し終えた北沢は、勇大の向かい側のひとり掛けのソファーに座った。
 てっきり隣に座ると思っていたので勇大は拍子抜けだ。
 なんだか距離を取られた気になったが、たまたまかもしれないと思い直した。
 北沢と乾杯して、勇大は白ワインに口をつける。

「めっちゃうまい! これ俺がカ◯ディで買ったやつに似てる!」

 この前、中学の同窓会のときにワインを買って持っていったら、それがめちゃくちゃ当たりの白ワインだったのだ。それと北沢の出してきたワインはすごく味が似ていてとてもおいしい。

「カ◯ディの十倍はするんだろうけどな。喜んでもらえてよかったよ」

 北沢はフッと笑って、いい勢いで白ワインを飲んだ。

「勇大。今度、一緒に水族館に行かないか?」
「あー。いいけど」 

 さっき「失恋したから慰めてくれ」と言った割には、北沢は楽しそうだ。

「店舗内に水槽を置いたらいいんじゃないかと思ったんだ。そのためのイメージを掴みたくてな」
「店に、水槽っ? 誰が管理すんだよ、俺無理だけど!」
「業者を入れるに決まってんだろ。勇大たちにやらせようなんて思わないよ」

 北沢はケラケラと笑う。

「水槽なんて要らなくねぇ? 魚じゃなくて服を見てほしいんだから、邪魔だよ邪魔」

 勇大は言ってから、しまったと思う。さっきまで笑顔だった北沢がピタリと動きを止めたからだ。

「勇大」
「な、なに?」

 勇大はたじろぐ。

「そうだよな……たしかに邪魔かもしれない……」

 北沢は急に考え込んでしまった。

「これ、会議まで通ったんだ。だがやめよう」
「はぁっ? 会議のお偉いさんたちがゴーサイン出したならやれよ」

 勇大の言葉ひとつで会議の決定内容を覆すなんて、さすがにおかしいだろと思う。

「これは俺が言い出した案だ。会議と言っても、俺に意見する人は誰もいない。いつも俺がやると言ったものは、反対意見なしに即座に決定する」
「すげぇな」
「俺が間違ったことを言っても誰も止めない、ということだ。つまり俺は間違えられない。すべての決定事項で正解を出さなきゃいけないプレッシャーがすごい」

 北沢は苦しそうな表情だ。会議で自分の意見が通るのだからいい事かと思ったのに、北沢にとっては決してそうではないらしい。

「勇大くらいだよ。俺にはっきり言ってくれるのは。勇大がいてくれてよかった。持つべきものは友達だな」

 北沢に微笑まれて、顔が急に熱くなる。北沢の笑顔には、相変わらずドキドキさせられる。

「店舗に水槽を置くのはやめる。でも、水族館には行こう。気晴らしがしたい。勇大、付き合ってくれるよな?」
「あ、ああ、いいよ」

 北沢に返事をしながら、勇大はさっきから動揺を隠せない。北沢の態度に何か違和感を感じる。

「ビールも飲むか? この前お前が持ってきてくれたチータラとカルパスもあるから持ってくるよ」

 北沢は立ち上がり、キッチンに向かった。勇大はその間にワイングラスを一気に飲み干す。いろいろ考えるのが面倒になって、早くバカになりたかった。

「ほら」

 北沢に缶ビールとグラスを渡されたが、「このままでいいよ」とグラスは断る。プシュッと音を立ててプルタブを開け、早速ビールを飲む。

 そこから勇大はガンガン飲んだ。
 勇大は飲むスピードが速いほうが、酔いが早く回る。すぐに頭がふらつき始めた。
 そこからさらに調子に乗ってハイペースで飲み続ける。このまま酔って何もかもを忘れたかった。顔も知らない番がいることも、北沢への仄かな恋心も。

「ねぇ、社長の好きだった人って誰?」
「そんなの聞いてどうする」
「いいから教えて」

 どうせ知らない人だろうが、北沢の好みが気になって仕方がない。こんな上位アルファの北沢を振るなんて、どれだけすごいオメガなのだろう。

「お前、かなり酔ってるな」
「うん。酔ってる。早く教えろよ。やっぱオメガでしょ? 顔は? 美人?」

 勇大が上目遣いで、ずいと北沢に迫ると、北沢は諦めたように小さなため息をついた。

「俺の初恋の相手に似てたんだ」
「初恋っ?」
「ああ。馴れ馴れしく声をかけてくるところから似てた」

 北沢も相応に酔ってるのかもしれないな、と思った。北沢はアルコールが入るといつも雄弁になる。

「学生のころから、俺は気取ってた。アルファだから勉強も運動も得意で、周りから見たら鼻持ちならない奴だったんだよ。それなのに、その人は俺に声をかけてきて、ベータのくせに俺に説教して、お節介で、たまには弱音を吐いてみろなんて言うんだ」
「へぇ……」

 北沢の初恋はベータだったんだ、と意外に思った。

「でもさ、その人のおかげで周りに馴染めたんだと思う。アルファの俺を普通扱いしてくれたから」

 北沢は弱々しく笑う。

「なんでそいつとうまくいかなかったの? 告白は? した?」
「してない。それより前に結婚しちゃったんだよ。同僚の先生と」
「先生っ?」
「俺が十五のときに、三十だったから、俺より十五歳年上だった。まぁ、初恋なんてそんなもんだろ?」
「ひぇー……」

 十五歳のときに三十歳の恩師に恋をした。北沢はなんて大人な恋をしたんだろう。

「その人に似てたんだよ。いきなり声をかけてくるところも、臆することなくズカズカと俺の心に入り込んでくるところも、上目遣いも」

 北沢は「好きな人」を思い出したのか、優しい目をしている。

 あの目で今、迫られたら、勇大は確実に落ちる。キスだって、その先だって許すと思う。
 番のいるオメガが、番以外のアルファに抱かれたらどうなるのだろう。
 死ぬほど苦しいと聞いたことがある。本能的に身体が拒絶し、気持ちよさなんてなくて、辛いだけ。
 それでも北沢が求めてくれるなら、勇大を欲しがってくれるなら、最後までだって耐えてみせる。
 番じゃない北沢に抱かれたことで、苦しくて死んでしまってもそれでもいい。

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