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10.番
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勇大はスイートルームに連れ込まれた。玄関だけで勇大のアパートよりも広く、シックで上品なインテリアの部屋だった。
部屋の中央には広いリビングスペースがあり、ミニバーまでついていた。寝室やバスルームは二つあり、どちらもドアで区切られている。外はあいにくの雨だが、大きな窓からはきっと壮大な都会の夜景が広がっていたことだろう。
「とりあえずベッドで休んでいろ」
北沢は勇大を部屋の一番奥にある寝室に案内した。勇大がふらつく身体でベッドに倒れ込むと、北沢が勇大の身体に布団をかけてきた。
「ひと眠りしたらシャワーを浴びろ」
「うん……」
ベッドに横たわるとすごく楽だ。店を出てすぐに、酔いが回った身体を休めることができるのは正直ありがたい。
「社長」
勇大は立ち去ろうとした北沢の背中を呼び止める。
「ん?」
「行かないで……」
ひとりきりにされるのが怖かった。あと少しだけそばにいてくれれば、眠りが訪れるだろうからそれまで北沢に付き添ってもらいたかった。
「本当にお前は、俺の気持ちを引っ掻き回してくるな……」
北沢は文句を言いながらも、ベッドのそばにしゃがみ込み、勇大の髪を撫でてくれた。
「番なんて要らない……」
勇大はグッと唇を噛み締める。
もっと普通に恋愛をしてみたかった。相手に大した感情もないまま、身体を繋げるんじゃない。ちゃんと誰かを好きになる経験をしてみたかった。
「要らない、か……」
北沢は苦しそうな表情をする。勇大が気の毒だと思っているのかもしれない。
「そうだな。番なんていなきゃよかったな」
北沢は髪を撫でていた手を勇大から離した。
「社長は? 本当は番がいるんじゃねぇの……?」
北沢はアルファなのにオメガの勇大に手を出してこない。この余裕は、もしかしたら北沢には性的欲求に応えてくれるパートナーがすでにいるせいなんじゃないかと思った。
「俺に……?」
「いるなら、もう俺に構うな」
番の存在はオメガにとって簡単なものじゃない。もし北沢に相手がいるなら、勇大なんて構っていないでそっちに行ってほしい。『番ったアルファは番オメガのそばにいなきゃいけない』という法律を制定してほしいくらいだ。
番がいるのに、その番アルファに放置されるオメガの辛さは、勇大には痛いほどわかるから。
「俺に番はいない」
北沢はきっぱりと言い切った。
迷いのない言葉だった。
「結婚もしていない。恋人もいない。どうだ? これで安心したか、勇大」
「まぁ……ちょっとは……」
本当はちょっとどころじゃない。北沢が勇大から離れて行かないことがわかってとても嬉しい。
勇大はついニヤけてしまう口元を布団で覆い隠す。
「少し寝ろ。寝つくまでそばにいてやるし、そのあとだって俺は隣の部屋にいるから」
「ありがと、社長」
勇大はひとりが好きだ。それなのに、人がそばにいて安心するなんて今日はどうかしている。
多分酔って気持ちが弱くなっているせいだ。
こんなときそばにいるのは誰だっていいはずだ。北沢が特別なわけじゃない。
勇大は微かな北沢の気配を感じながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。
勇大が目覚めたときは早朝だった。外はすでに眩しくて、昨晩の雨はすっかり上がっていた。
のそのそと起き上がり、頭を掻きながら勇大は部屋を出る。リビングにいた北沢は、昨日のスーツ姿とは異なり、ゆったりしたスウェットの上下を着て朝からパソコン作業をこなしていた。
「おはよう勇大。そろそろ起こそうかと思ってたところだったんだ」
朝は死んだ魚のような目をしている勇大とは真逆、北沢は朝から爽やかな笑みを勇大に向けてきた。
昨日食事を終えて部屋に戻ったのが二十三時ごろ。今は五時。その間、シャワーなど寝る支度の時間もある。さらに朝も夜も仕事をしていたら北沢はいつ寝ているのだろうか。
「社長、ちゃんと寝てんの?」
「ん……? ああ。寝てるよ、それなりにな。勇大が俺を心配してくれたのか?」
北沢が嬉しそうな顔をするから、勇大は慌てて「そんなんじゃねぇしっ」と否定する。
「今日は新しい取引先と話をするから、それまでに仕上げたい仕事があって、時間に追われてるんだ。いつもならもっと寝る時間は確保してる」
時間がないなら、昨日、勇大とのんびりフレンチディナーを食べなきゃいいんじゃないのかとツッコミを入れたくなる。
仕事が立て込んでいるのに無理をしてまで、どうして勇大と会おうとするのだろう。
「ホント変な奴……」
「ん? 何か言ったか?」
「……いえ。すんません。シャワー借ります」
「ああ。あっちだ」
北沢が立ち上がって案内しようとしてくるから、勇大は「大丈夫っす」と制してひとりシャワールームへと向かう。
勇大はシャワーだけでいいと言ったのに、北沢はご丁寧にアロマバスまで用意してくれていた。
シャワーを浴びて、風呂に浸かる。酔いも覚め、体調はすっかり良くなったが、勇大には別の大問題が発生している。
北沢は勇大から離れて行かなかった。
勇大には番がいる。抱けないオメガだと知れたら、北沢と縁が切れると思っていた。
それなのに北沢は勇大を見限らない。今朝の北沢は、勇大に接する態度も今までどおりだった。
「どーしたもんかな……」
アロマの癒しの匂いに包まれながら、勇大はぼんやり考える。
北沢に誘われるのも、北沢と一緒にいるのも全然嫌じゃない。むしろ楽しいから困っている。
北沢に与えられた恩をこの身体で返せればどれだけ楽だったか。社長の愛人枠に収まれたらよかった。そうすることで関係に線引きができたから。
北沢に番はいない。恋人もいないと言っていた。あんないいアルファがフリーでいるなんてもったいない。忙しくてオメガとの出会いもあまりないだろうし、番えない勇大なんかと遊んでいる場合ではないんじゃないか。
いっそこっちから縁を切ってやろうか。そう思った途端に、なぜか胸が苦しくなる。
北沢に会えなくなるのは寂しいと思った。
もし北沢が会って話をするだけの関係でもいいと本当に思ってくれているのなら、このままでいたい。
「友達って感じか?」
契約社員のくせに社長と友達。なんだか違和感しかないが、それ以外に北沢との関係を説明する言葉が勇大には見つからない。
「それだな。それ」
勇大はザバーっと風呂から立ち上がる。
深く考えるのはやめた。
北沢に会う気があるのなら、あともう少しだけ、この関係のままでいよう。
いつか北沢がちゃんと番えるオメガのパートナーを見つけて、別れが訪れるときまで。
部屋の中央には広いリビングスペースがあり、ミニバーまでついていた。寝室やバスルームは二つあり、どちらもドアで区切られている。外はあいにくの雨だが、大きな窓からはきっと壮大な都会の夜景が広がっていたことだろう。
「とりあえずベッドで休んでいろ」
北沢は勇大を部屋の一番奥にある寝室に案内した。勇大がふらつく身体でベッドに倒れ込むと、北沢が勇大の身体に布団をかけてきた。
「ひと眠りしたらシャワーを浴びろ」
「うん……」
ベッドに横たわるとすごく楽だ。店を出てすぐに、酔いが回った身体を休めることができるのは正直ありがたい。
「社長」
勇大は立ち去ろうとした北沢の背中を呼び止める。
「ん?」
「行かないで……」
ひとりきりにされるのが怖かった。あと少しだけそばにいてくれれば、眠りが訪れるだろうからそれまで北沢に付き添ってもらいたかった。
「本当にお前は、俺の気持ちを引っ掻き回してくるな……」
北沢は文句を言いながらも、ベッドのそばにしゃがみ込み、勇大の髪を撫でてくれた。
「番なんて要らない……」
勇大はグッと唇を噛み締める。
もっと普通に恋愛をしてみたかった。相手に大した感情もないまま、身体を繋げるんじゃない。ちゃんと誰かを好きになる経験をしてみたかった。
「要らない、か……」
北沢は苦しそうな表情をする。勇大が気の毒だと思っているのかもしれない。
「そうだな。番なんていなきゃよかったな」
北沢は髪を撫でていた手を勇大から離した。
「社長は? 本当は番がいるんじゃねぇの……?」
北沢はアルファなのにオメガの勇大に手を出してこない。この余裕は、もしかしたら北沢には性的欲求に応えてくれるパートナーがすでにいるせいなんじゃないかと思った。
「俺に……?」
「いるなら、もう俺に構うな」
番の存在はオメガにとって簡単なものじゃない。もし北沢に相手がいるなら、勇大なんて構っていないでそっちに行ってほしい。『番ったアルファは番オメガのそばにいなきゃいけない』という法律を制定してほしいくらいだ。
番がいるのに、その番アルファに放置されるオメガの辛さは、勇大には痛いほどわかるから。
「俺に番はいない」
北沢はきっぱりと言い切った。
迷いのない言葉だった。
「結婚もしていない。恋人もいない。どうだ? これで安心したか、勇大」
「まぁ……ちょっとは……」
本当はちょっとどころじゃない。北沢が勇大から離れて行かないことがわかってとても嬉しい。
勇大はついニヤけてしまう口元を布団で覆い隠す。
「少し寝ろ。寝つくまでそばにいてやるし、そのあとだって俺は隣の部屋にいるから」
「ありがと、社長」
勇大はひとりが好きだ。それなのに、人がそばにいて安心するなんて今日はどうかしている。
多分酔って気持ちが弱くなっているせいだ。
こんなときそばにいるのは誰だっていいはずだ。北沢が特別なわけじゃない。
勇大は微かな北沢の気配を感じながら、ゆっくりと眠りに落ちていった。
勇大が目覚めたときは早朝だった。外はすでに眩しくて、昨晩の雨はすっかり上がっていた。
のそのそと起き上がり、頭を掻きながら勇大は部屋を出る。リビングにいた北沢は、昨日のスーツ姿とは異なり、ゆったりしたスウェットの上下を着て朝からパソコン作業をこなしていた。
「おはよう勇大。そろそろ起こそうかと思ってたところだったんだ」
朝は死んだ魚のような目をしている勇大とは真逆、北沢は朝から爽やかな笑みを勇大に向けてきた。
昨日食事を終えて部屋に戻ったのが二十三時ごろ。今は五時。その間、シャワーなど寝る支度の時間もある。さらに朝も夜も仕事をしていたら北沢はいつ寝ているのだろうか。
「社長、ちゃんと寝てんの?」
「ん……? ああ。寝てるよ、それなりにな。勇大が俺を心配してくれたのか?」
北沢が嬉しそうな顔をするから、勇大は慌てて「そんなんじゃねぇしっ」と否定する。
「今日は新しい取引先と話をするから、それまでに仕上げたい仕事があって、時間に追われてるんだ。いつもならもっと寝る時間は確保してる」
時間がないなら、昨日、勇大とのんびりフレンチディナーを食べなきゃいいんじゃないのかとツッコミを入れたくなる。
仕事が立て込んでいるのに無理をしてまで、どうして勇大と会おうとするのだろう。
「ホント変な奴……」
「ん? 何か言ったか?」
「……いえ。すんません。シャワー借ります」
「ああ。あっちだ」
北沢が立ち上がって案内しようとしてくるから、勇大は「大丈夫っす」と制してひとりシャワールームへと向かう。
勇大はシャワーだけでいいと言ったのに、北沢はご丁寧にアロマバスまで用意してくれていた。
シャワーを浴びて、風呂に浸かる。酔いも覚め、体調はすっかり良くなったが、勇大には別の大問題が発生している。
北沢は勇大から離れて行かなかった。
勇大には番がいる。抱けないオメガだと知れたら、北沢と縁が切れると思っていた。
それなのに北沢は勇大を見限らない。今朝の北沢は、勇大に接する態度も今までどおりだった。
「どーしたもんかな……」
アロマの癒しの匂いに包まれながら、勇大はぼんやり考える。
北沢に誘われるのも、北沢と一緒にいるのも全然嫌じゃない。むしろ楽しいから困っている。
北沢に与えられた恩をこの身体で返せればどれだけ楽だったか。社長の愛人枠に収まれたらよかった。そうすることで関係に線引きができたから。
北沢に番はいない。恋人もいないと言っていた。あんないいアルファがフリーでいるなんてもったいない。忙しくてオメガとの出会いもあまりないだろうし、番えない勇大なんかと遊んでいる場合ではないんじゃないか。
いっそこっちから縁を切ってやろうか。そう思った途端に、なぜか胸が苦しくなる。
北沢に会えなくなるのは寂しいと思った。
もし北沢が会って話をするだけの関係でもいいと本当に思ってくれているのなら、このままでいたい。
「友達って感じか?」
契約社員のくせに社長と友達。なんだか違和感しかないが、それ以外に北沢との関係を説明する言葉が勇大には見つからない。
「それだな。それ」
勇大はザバーっと風呂から立ち上がる。
深く考えるのはやめた。
北沢に会う気があるのなら、あともう少しだけ、この関係のままでいよう。
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