番持ちのオメガは恋ができない

雨宮里玖

文字の大きさ
上 下
7 / 42

7.苦い思い出

しおりを挟む
 北沢は車を走らせる。目の前でワイパーがリズミカルに揺れ、外はかなりの大雨だ。

「……社長、さっきは俺を立ててくれてありがとうございました」

 勇大はポツリ話し出した。
 泰輝に小馬鹿にされてムカついていた。なにも持っていない勇大には言い返すすべもなかったのに、北沢が現れてから形勢が逆転した。

 泰輝に見せつけるようにして、北沢に対して偉そうに振る舞う勇大のことを北沢は大事にしてくれた。それだけで勇大は満足だ。北沢のおかげで、あのムカつく泰輝の鼻を明かしてやることができた。

「知り合いとは驚いた。さっきまで鳥井商事とうちの担当者が商談をしていて、俺も他の会議に出ながら、そっちはオンラインで対応していたんだ」
「そうだったんすね……」
「俺はビジネスに私情は挟まないようにと決めている」
「へぇ……」
「だがな、勇大があんなに嫌がる相手となると無視できないな。初めてだよ、理由もなく断ってやりたいと思った。担当者に鳥井はやめろと言ってやる」

 北沢は大きく右にハンドルを切った。今、どのあたりを走っているかわからない。大雨で外の景色がよく見えないのだ。

「あいつと何があったんだ? 話したくなければ話さなくてもいい。これは俺の興味本位だ」

 勇大は泰輝との過去は人に話したことがない。でもなぜか北沢になら話をしてもいいかと思えた。

「……最初はただの友達でさ。あいつはアルファで頭もいいし、勉強教えてくれたり、普通に親切な奴だったんだ」

 アルファの泰輝はクラスの人気者だった。勇大も友達として付き合っていて、何も嫌ではなかった。むしろ、なんでもできる泰輝に尊敬の念すら抱いていたくらいだ。

 ふたりがアルファとオメガだから、関係がおかしくなったのだ。もしお互いが違うバース性だったら、今でも普通に友達だったんじゃないだろうか。

「で、俺はあいつに好きだって言われて付き合って。いざヤッたら終わり。そういう関係だよ」

 勇大にとって生まれて初めて人から「好きだ」と言われた瞬間だった。こんなクソみたいな自分でも求めてくれる人がいるんだと、正直舞い上がった。

 当時、勇大は高校生。恋も愛もわからないまま、求められてそれに応じてしまった。
 一回ヤったら泰輝の態度は一変。勇大に興味を失ったようで、急に冷たく接するようになった。

 二十五歳になった今ならわかる。泰輝は男オメガはどんなものか、一度でいいから抱いてみたかっただけだったんだろう。
 そんな泰輝の思惑にも気がつかずに、恋人同士なんだからこのくらい普通だと言われ、感じさせられて、身体を開いた。
 若気の至り、今でも苦い思い出だ。

「あいつとヤったのか……」

 北沢の吐き捨てるような低い声。もしかしたら軽薄な関係を結ぶ奴だと、軽蔑しているのかもしれない。

「……まさか、あいつが原因で高校中退したんじゃないだろうな?」

 言われて背中がゾクリとした。北沢は鋭い。勇大が軽く流そうとした話の根幹を簡単に見抜いてくる。

「もう時効かな」

 ずっと自分の中だけにとどめていたことだ。それなのに、今日はなぜか口が軽くなっている。

「あいつさ、俺を弄んだんだ。一度でも抱いたオメガは自分の持ち物とでも思ったんじゃねぇの? ふざけた男たちとさ、俺を集団で……」

 忌々しい記憶だ。泰輝に呼ばれて体育倉庫に行ったら、男たちが勇大にいかがわしいことをしようと待ち構えていた。そのときの裏切られたショックと、集団に襲われる恐怖はいまだに忘れることはない。

「まぁ、暴れたよね。指を骨折するくらい、めちゃくちゃにぶん殴って逃げた。そしたら退学しろって言われて、辞めてやったんだ」

 勇大は被害者だ。それなのにオメガのフェロモンで誘ったんだろうと訳のわからないことを言われて、ろくに話も聞いてもらえなかった。あのときほど、世の中クソッタレと思ったことはない。

 髪を染め、より男らしく見えるファッションをするようになったのは、あのときからだ。
 それが勇大にとって自分自身を守る鎧のようなものだった。大人しいオメガは搾取される。アルファに対する反発心みたいなものもあったかもしれない。

「そのとき、お前は無事だったのか? 変なことは——」
「ああ。させるわけねぇだろ。全員返り討ちにしてやった。俺を舐めんな」

 北沢には強がってみせたが、本当はとても恐ろしかった。今思い出しても震えがくるくらい。
 無我夢中、というのはあのときのことを指すのだろう。必死で自分を守ってみせた。

「それは、怖い目に遭ったな」
「だから! 大したことねぇって……」
「勇大」

 北沢は車を停めた。そこは国道から一本入った、広めの路地裏だった。

「そんな大切なことを、俺に話してくれてありがとう」

 北沢は勇大の右手に触れる。自分でも気がつかなかったが、勇大の手は震えていた。
 人に初めて胸の内をぶつけたからかもしれない。本当に初めてこの話を口にしたから。


「なんか、社長になら話してもいいかと思った」

 勇大はふたつ重なった手に視線を落としながら、ぽつりと言う。勇大の手の上にある北沢の手は勇大よりも大きくて、勇大の手をすっかり覆っていた。 

「俺なら?」
「うん。初めてなんだけどな。この話、誰かに話したのはさ」

 ずっと胸の内に抱え込んでいたものだ。集団に襲われそうになった話なんてカッコ悪いし、思い出したくもないことだった。適当に話を誤魔化すことだってできたはずなのに、なぜか北沢に聞いてもらいたいと思った。

「手、痛かっただろ」
「うん、まぁな……」

 北沢の手の温もりが心地よかった。今、この手がなかったら、勇大の心はボロボロに壊れていたかもしれない。

「お前は間違っちゃいない。いつだって正しい行動をしているだけだ」

 北沢に認められて、なぜか目が潤む。自分ではとっくに過ぎたことだと思っていたし、この件で泣きたくもないのに、初めて人から「お前は正しい」と言ってもらえて心に油断が生じた。

「うるせぇな。いいから早く出発しろよ」

 ダメだ。気持ちが持たない。
 勇大は北沢とは反対方向の窓の外を見る。
 こんなみっともない顔を見られたくなかった。それに今、北沢と目が合ったらガチ泣きしてしまいそうだった。

「わかったよ。お前は腹が減ってるんだもんな」

 北沢は最後に勇大の手をぎゅっと握ってから手を離した。

「勇大、お前やっぱり俺のそばにいろ」
「は? なんでだよ」
「危なっかしいんだよ、お前は。だからそばにいろ。そしたら守ってやるから」

 守ってやると言われて、ぐらりときた。
 勇大は人に守られたいだなんて思ったことはない。それなのに、なぜか北沢に惹かれた。

「いいよ別に。俺はひとりでだいじょ——」
「俺の威を借りればいい」

 北沢に言葉を遮られる。

「勇大。俺はなかなかの後ろ盾になると思うぞ。さっきは役に立っただろう?」

 それを言われると反論できない。北沢の力で勇大はすでに何度も助けられている。

「今までずっとひとりで戦ってきたのか?」
「そうだけど?」
「これからは俺がいる。大いに利用しろ」

 自分を利用しろだなんて北沢は変わった男だ。勇大は見返りなしに手を貸してもらったことなどない。北沢はいったい何を考えているのだろう。

「そんなん俺、カッコ悪……」

 勇大は人に頼るのは苦手だ。今までだってひとりでなんとかやってきた。しかもよりによって頼るのはアルファだなんて。
 視線のやり場がなくて、なんとなく勇大は北沢からそっぽを向き、窓の方角を見る。

 窓の外は雨のせいでまったく見えない。それでも勇大は、ただ車窓を伝う、寂しそうな雨雫を延々と眺めていた。


しおりを挟む
感想 48

あなたにおすすめの小説

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

孕めないオメガでもいいですか?

月夜野レオン
BL
病院で子供を孕めない体といきなり診断された俺は、どうして良いのか判らず大好きな幼馴染の前から消える選択をした。不完全なオメガはお前に相応しくないから…… オメガバース作品です。

もし、運命の番になれたのなら。

天井つむぎ
BL
春。守谷 奏斗(‪α‬)に振られ、精神的なショックで声を失った遊佐 水樹(Ω)は一年振りに高校三年生になった。 まだ奏斗に想いを寄せている水樹の前に現れたのは、守谷 彼方という転校生だ。優しい性格と笑顔を絶やさないところ以外は奏斗とそっくりの彼方から「友達になってくれるかな?」とお願いされる水樹。 水樹は奏斗にはされたことのない優しさを彼方からたくさんもらい、初めてで温かい友情関係に戸惑いが隠せない。 そんなある日、水樹の十九の誕生日がやってきて──。

愛しいアルファが擬態をやめたら。

フジミサヤ
BL
「樹を傷物にしたの俺だし。責任とらせて」 「その言い方ヤメロ」  黒川樹の幼馴染みである九條蓮は、『運命の番』に憧れるハイスペック完璧人間のアルファである。蓮の元恋人が原因の事故で、樹は蓮に項を噛まれてしまう。樹は「番になっていないので責任をとる必要はない」と告げるが蓮は納得しない。しかし、樹は蓮に伝えていない秘密を抱えていた。 ◇同級生の幼馴染みがお互いの本性曝すまでの話です。小学生→中学生→高校生→大学生までサクサク進みます。ハッピーエンド。 ◇オメガバースの設定を一応借りてますが、あまりそれっぽい描写はありません。ムーンライトノベルズにも投稿しています。

誰よりも愛してるあなたのために

R(アール)
BL
公爵家の3男であるフィルは体にある痣のせいで生まれたときから家族に疎まれていた…。  ある日突然そんなフィルに騎士副団長ギルとの結婚話が舞い込む。 前に一度だけ会ったことがあり、彼だけが自分に優しくしてくれた。そのためフィルは嬉しく思っていた。 だが、彼との結婚生活初日に言われてしまったのだ。 「君と結婚したのは断れなかったからだ。好きにしていろ。俺には構うな」   それでも彼から愛される日を夢見ていたが、最後には殺害されてしまう。しかし、起きたら時間が巻き戻っていた!  すれ違いBLです。 初めて話を書くので、至らない点もあるとは思いますがよろしくお願いします。 (誤字脱字や話にズレがあってもまあ初心者だからなと温かい目で見ていただけると助かります)

心からの愛してる

マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。 全寮制男子校 嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります ※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

処理中です...