上 下
16 / 30

16.落ち着かない旦那さま

しおりを挟む
 シグルドとの誤解が解けてから数ヶ月が過ぎた。

 今日のシグルドは朝からずっとソワソワしている。家の中を無駄にうろついてみたり、植木鉢の花に何度も水をやったり、何かをせずにはいられない様子だ。

 こんなに爽やかな陽気の朝なのに、シグルドは実はかなりの心配性なのだろうか。


「シグルドさま、もう少し落ち着いたらどうですか?」

 侍女のマーガレットにまで突っ込まれているが、シグルドは「でも落ち着かないんだ」と、どこかうわついたままだ。

「リオル、体調はどうだ?」
「えっ? それを聞かれるのはもう三度目だけど」

 思わず笑みがこぼれる。いつも冷静で、隙のないようなシグルドがこんなに挙動不審になっている姿がおかしくて仕方がない。

「こ、今夜あたりか? ヒートは……」
「多分……前回のヒートから今日でちょうど三ヶ月だし、今日か、明日か……」
「きょ、今日がいい。明日まで待ちきれない」

 シグルドとは前々から次のヒートが来たら番になろうと話をしている。それと、ヒートの期間中はふたりで寝室にこもろうと約束している。
 だからシグルドは落ち着かないようだ。


「騎士団長には、以前から七日間の休暇をもらうことになると伝えてある。それが今夜からになりそうだと騎士団長に、つ、伝えても大丈夫だろうか」
「七日間も休んで大丈夫なの?」

 アルファがそばにいてくれるなら、二~三日いてくれれば十分だ。
 わざわざ仕事を休まずとも、帰ってきて夜だけ抱いてくれれば、昼間はひとりでも耐えてみせる。何度かアルファに抱いてもらえれば、なんとかなる。

 そのような内容のことをシグルドに言って聞かせたのに、それでもシグルドは七日間休むと言って聞かなかった。

「当たり前だ。この世にリオルのヒートよりも最優先することなどあるものか。絶対にそばにいる。ひとりになどしない」

 真面目な顔をして言うシグルドがおかしくてふふ、とリオルは笑ってしまった。

 誤解とはいえ、シグルドはあんなに頑なにヒートのときにリオルと一緒にいることを避けていたのに。
 


「なぁ、リオル。ヒートを早めるにはアルファとの接触が多いほうがいいと聞いたことがある。だから今、ちょっと抱き締めさせてもらってもよいか?」
「えっ? 今ここでっ?」

 マーガレットもアリシアも見ている前なのに!

 気持ちを通わせてからのシグルドの愛は重い。ところ構わずリオルを抱き締めようとするクセをなんとかしてほしい。

「わっ!」

 問答無用で、シグルドの腕の中に閉じ込められる。
 シグルドからはすごくいい匂いがする。頭がクラクラしてしまいそうな、リオルの好きな匂いだ。

「ど、どうだ……?」
「あ、あの、とっても気持ちいいです……」

 なんて答えればよいのかわからず、率直な感想を述べてしまった。

「そうか……ど、どうだろう、何か感じるものはあるか?」
「感じるもの……?」
「ほら、熱くなるとか、身体がうずうずするとか。お、俺もよくわからないがそういう類いの……」
「ええっ?」

 恥ずかしくて、ブワッと顔が熱くなる。
 シグルドに抱かれてドキドキする。シグルドの体温を感じてあったかいと思うし、ほのかに香るシグルドのフェロモンはこの上なくいい匂いだ。

 正直、下半身だってピクッと反応しかけている。
 でも、このことをシグルドに言葉にして伝えるのは……。


「効果なし、か……」

 残念そうな様子でシグルドが離れようとするから、咄嗟に「待って!」とシグルドの身体にしがみついてしまった。

「き、きっと時間が短いとダメなんじゃないかな。あ、あと少し……ぎゅっとしてくれたら……」

 リオルが抱擁をねだると、すぐにシグルドの腕が伸びてきて、抱き締められた。
 リオルがシグルドを望めばいつだってそれに応えてくれる。そのことが嬉しくて仕方がない。


「そんな可愛いことを言われたら、リオルを離したくなくなるよ」

 シグルドはリオルを腕に抱きながら、「今日は城に行きたくない。リオルと一緒に家にいたい」と子どもみたいなことを言う。

「シグルド、頑張って。騎士としてのシグルドはすごくかっこいいんだよ」
「本当に?」

 シグルドは少しだけ身体を離し、様子を伺うように、リオルの黒い瞳の奥を宝石みたいな蒼翠色の瞳でじっと覗き込んでくる。

「うん。軍服を着て勲章を輝かせ、悠然としている姿は僕だけじゃない、みんなが惚れ惚れするんだ」

 戦いを終え、城に凱旋する騎馬隊の列にいるシグルドの姿を見かけたことがある。リオルだけじゃない、その場にいた人々もシグルドに見惚れていた。

「他の人にどう思われようが関係ない。ただリオルが惚れてくれるのなら、こんなに嬉しいことはない」

 シグルドは優しい笑みを浮かべている。シグルドは本当に心から喜んでくれているようだ。


「はい。僕の旦那さまは世界一かっこいい」

 これは過大に褒めているのではない。リオルにとっての世界一はシグルドだ。

「リオル、その世界一かっこいい旦那は、世界一可愛い妻をめとったそうだ。足のつま先からつややかな黒髪一本とっても好きだが、顔も可愛いし、なにより優しい心が好きだ」
「やめてよシグルドったら……」

 最近はいつもこうだ。事あるごとにシグルドに可愛い可愛いと言われてしまうので、自分が可愛い顔をしていると勘違いしてしまいそうになる。


「リ、リオル……。つ、次は、あの……ちょっと上を向いてもらえないだろうか」
「上?」

 なんだろうと思ってシグルドを見上げると、シグルドは何かを言いあぐねている様子だ。

「く、口づけもしてみても構わないだろうか? これも効果があると、き、聞いたことがある」

 今ここで? と叫び出しそうになったが、当の本人は至極真面目なご様子だ。今夜ヒートを起こすために、できることはなんでも試してみようと思っているのだろう。
 こんなに必死になられたら「侍女が見てるからダメだよ」と断りたくても断りにくい。

「ど、どうぞ……」

 リオルは目を閉じて、シグルドからのキスを待つ。でも、待ってもなかなかシグルドからのキスがやって来ない。
 おかしいなと思って薄目を開けると、シグルドが頬を緩ませやけに嬉しそうな顔をしていた。

「……シグルド?」
「ああ、すまない。リオルがあまりに可愛くて、見惚れてしまった。俺からの口づけをねだってるように見えて、とても幸せな気持ちになったんだ」

 デレデレしすぎてシグルドのかっこいい顔が台無しになっている。いつもシグルドは、王立騎士団の制服を着こなし、きりりと引き締まった表情をしている。シグルドのファンがこんなシグルドの顔を見たらきっと幻滅するに違いない。
 いや、やっぱり可愛いから、ファンが増えてしまうかも……。


「しないなら僕はこれで——」

 キス待ち顔をからかわれた気持ちになり、リオルがそっぽを向こうとしたとき、いきなりシグルドに唇を奪われた。

「あっ、こら、シグルドっ」

 不意打ちでキスするなんてずるいと文句を言おうとしたら、今度は両頬を掴まれ、もう一度キスをされ、口を塞がれてしまった。

 これじゃ文句が言いたくても話せない。

 すっかりシグルドの甘い手中に収められてしまった。アリシアたちの見ている前でキスするなんて初めてのことで、とても恥ずかしさを覚えた。


「ど、どうだろう? ヒートは早まりそうか?」
「あっ、あの。顔がとても熱くなって、すごくドキドキする……」

 赤ら顔を見られたくなくて、シグルドの胸の中に隠れようとするともう一度シグルドに抱き締められた。シグルドは両腕でわざとリオルの顔を隠すようにしてくれている。

「可愛い。大好きだリオル。ずっと一緒にいたいのに、今日は城まで行かねばならない」
「うん……」
「ヒートのときはそばにいる。七日間ずっと一緒だ。そのときを心待ちにしているよ」

 シグルドは出発の時間いっぱいまでリオルを抱き締めてから、「行ってくる」と出かけて行った。


 シグルドがいなくなってから、アリシアとマーガレットに「お熱いですね」と冷やかされることになったのは、言うまでもない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

番って10年目

アキアカネ
BL
αのヒデとΩのナギは同級生。 高校で番になってから10年、順調に愛を育んできた……はずなのに、結婚には踏み切れていなかった。 男のΩと結婚したくないのか 自分と番になったことを後悔しているのか ナギの不安はどんどん大きくなっていく-- 番外編(R18を含む) 次作「俺と番の10年の記録」   過去や本編の隙間の話などをまとめてます

婚約者は愛を見つけたらしいので、不要になった僕は君にあげる

カシナシ
BL
「アシリス、すまない。婚約を解消してくれ」 そう告げられて、僕は固まった。5歳から13年もの間、婚約者であるキール殿下に尽くしてきた努力は一体何だったのか? 殿下の隣には、可愛らしいオメガの男爵令息がいて……。 サクッとエロ&軽めざまぁ。 全10話+番外編(別視点)数話 本編約二万文字、完結しました。 ※HOTランキング最高位6位、頂きました。たくさんの閲覧、ありがとうございます! ※本作の数年後のココルとキールを描いた、 『訳ありオメガは罪の証を愛している』 も公開始めました。読む際は注意書きを良く読んで下さると幸いです!

最愛の夫に、運命の番が現れた!

竜也りく
BL
物心ついた頃からの大親友、かつ現夫。ただそこに突っ立ってるだけでもサマになるラルフは、もちろん仕事だってバリバリにできる、しかも優しいと三拍子揃った、オレの最愛の旦那様だ。 二人で楽しく行きつけの定食屋で昼食をとった帰り際、突然黙り込んだラルフの視線の先を追って……オレは息を呑んだ。 『運命』だ。 一目でそれと分かった。 オレの最愛の夫に、『運命の番』が現れたんだ。 ★1000字くらいの更新です。 ★他サイトでも掲載しております。

バイバイ、セフレ。

月岡夜宵
BL
『さよなら、君との関係性。今日でお別れセックスフレンド』 尚紀は、好きな人である紫に散々な嘘までついて抱かれ、お金を払ってでもセフレ関係を繋ぎ止めていた。だが彼に本命がいると知ってしまい、円満に別れようとする。ところが、決意を新たにした矢先、とんでもない事態に発展してしまい――なんと自分から突き放すことに!? 素直になれない尚紀を置きざりに事態はどんどん劇化し、最高潮に達する時、やがて一つの結実となる。 前知らせ) ・舞台は現代日本っぽい架空の国。 ・人気者攻め(非童貞)×日陰者受け(処女)。

拾った駄犬が最高にスパダリだった件

竜也りく
BL
あまりにも心地いい春の日。 ちょっと足をのばして湖まで採取に出かけた薬師のラスクは、そこで深手を負った真っ黒ワンコを見つけてしまう。 治療しようと近づいたらめちゃくちゃ威嚇されたのに、ピンチの時にはしっかり助けてくれた真っ黒ワンコは、なぜか家までついてきて…。 受けの前ではついついワンコになってしまう狼獣人と、お人好しな薬師のお話です。 ★不定期:1000字程度の更新。 ★他サイトにも掲載しています。

【完結】番持ちのオメガは恋ができない

雨宮里玖
BL
ゆきずりのアルファと番ってしまった勇大。しかも泥酔していて、そのときのことをまったく憶えていない。アルファに訴えられる前に消えようと、勇大はホテルを飛び出した。 その後、勇大は新しい仕事が決まり、アパレル会社で働き始める。だがうまくいかない。カスハラ客に詰め寄られて、ムカついてぶん殴ってやろうかと思ったとき、いきなりクレイジーな社長が現れて—— オメガらしさを求めてこない溺愛アルファ社長×アルファらしさを求めないケンカっ早い強がりオメガの両片思いすれ違いストーリー。 南勇大(25)受け。チャラい雰囲気のオメガ。高校中退。仕事が長続きしない。ケンカっ早い。 北沢橙利(32)攻め。アルファ社長。大胆な性格に見えるが、勇大にはある想いを抱えている。

振られた腹いせに別の男と付き合ったらそいつに本気になってしまった話

雨宮里玖
BL
「好きな人が出来たから別れたい」と恋人の翔に突然言われてしまった諒平。  諒平は別れたくないと引き止めようとするが翔は諒平に最初で最後のキスをした後、去ってしまった。  実は翔には諒平に隠している事実があり——。 諒平(20)攻め。大学生。 翔(20) 受け。大学生。 慶介(21)翔と同じサークルの友人。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...