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7.キノ豆のスープ

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「リオル。入ってもいいか」

 コンコンとドアをノックする音とともに、シグルドの声が聞こえた。ここはリオルとシグルド、ふたりの寝室なのだからノックなど要らないはずなのに、シグルドなりに気を遣っているのだろう。

「はい、どうぞ」

 よかった。ちょうど散らかしたシグルドの服を片付け終わったところだ。巣作りなんてしているのがバレたら、政略結婚なのに俺のことが好きなのかと嫌な顔をされるに違いない。


 リオルの返事を待ってから、シグルドが寝室に入ってきた。シグルドはトレイに載った食事を手にしている。

「リオル。俺が話しかけたせいで朝食をほとんど食べられなかったのだろう? 声をかけてすまなかった。ここに持ってきたから、少しでも食べてくれ」

 シグルドは言いながらチラッとベッドに視線をやった。リオルもつられてそちらに視線を向ける。大丈夫だ。巣作りのあとは跡形もなく片付いているし、布団の乱れもない。
 それなのにシグルドはベッドを見て溜め息をついた。何か、問題があったのだろうか。シグルドの考えることはリオルにはまったくもってわからない。


「リオル。とりあえず座るかい?」

 寝室にある、丸テーブルの前の椅子に座るように促され、嫌とは言えずリオルはシグルドの指示に従った。
 リオルの前に綺麗に盛り付けされた朝食のトレイが置かれる。全部、リオルの好物ばかりだ。きっと料理上手なマーガレットが用意してくれたものだろう。シグルドがそんな気遣いをしてくれるはずがない。

「体調がまだよくない? ひと口くらい食べないか?」

 シグルドは丸テーブルの向かい側にあった椅子を移動させ、リオルの隣に座った。

「俺が食べさせてやる。な? だから、少しでも食べて早く元気を取り戻してくれ」

 シグルドはパンをひと切れちぎってリオルの口へと運んできた。
 シグルドの優しさが心に沁みて嫌になる。今はふたりきりだから、無理に仲の良さを演じる必要はない。なのに、どうしてこんなことをするのだろう。

「ひとりで食べられるからいいよ。子どもじゃないんだから」

 きっぱり断ったのに「ダメだ。リオルは信用ならない」とシグルドに怒られた。

「こんなにやつれた顔をして何言ってるんだ。リオルひとりにしたら食事を食べたふりをして捨てるかもしれないだろ? ちゃんと食べたところを見ないと気が済まない。ほら、柔らかいパンだから食べやすいはずだ」

 シグルドがしつこいので、リオルは仕方なくそれを受け入れパンを口にした。

「よかった。次はスープにするか? リオルの好きなキノ豆入りだ」

 キノ豆はリオルの故郷にしかない豆で、シグルドの屋敷の近辺では売っていない。まさかと思ってみたら、本当にスープの中にキノ豆が入っていて驚いた。さっき朝食として出されたスープにはキノ豆は入っていない、別の味のスープだったのに。

 誰が買ってきたのだろう。アリシアがわざわざ使いを出して手間賃を払い、誰かに買いに行かせたのだろうか。

 キノ豆のスープはすごく懐かしい味がした。さすがマーガレットだ。リオルの好みを熟知しているのか、まるで実家のスープの味と寸分たがわぬおいしさだ。
 シグルドと結婚する前は、しょっちゅう食べていたもので、結婚してからはぱったりと食べられなくなってしまったため、少しさみしく思っていた。


「リオル。早く元気になってくれ。父上がリオルのそんな顔を見たらきっと心配なさるから」

 なるほど、シグルドの目的がわかった。今度自分の父親の誕生日パーティーがあるから、そのときにリオルがやつれた顔をしていたら「ちゃんとリオルを大事にしているのか」とシグルドが父親に叱られる。それが嫌で無理矢理食事をとらせようとしているのだろう。


「じゃあシグルドが全部食べさせて」

 そういうことなら遠慮はしない。父親にいい顔したいなら、面倒くさいことをやってみろという意地悪な感情が頭をもたげてきた。

 シグルドはリオルの傲慢な態度に驚いて目をしばたかせていたが、「俺でよければいつでも食べさせてやるよ」と微笑みに変わる。

「リオル、こっちおいで」
「わっ!」

 シグルドに身体を持ち上げられ、膝の上に乗せられた。シグルドの左腕に寄りかかるようにして座らされるのはなんだか落ち着かない。

「このほうが食べさせやすい。リオル、今日の俺は一日中時間があるからいつまでもリオルに付き添う。ゆっくり好きなだけ食べなさい」

 まさかここまでされるとは思わなかった。面倒くさがってどこかに行ってしまうのではないかと思っていたのに。

 でもシグルドに食事を食べさせられながら遠い昔のことを思い出した。王立学校のころ、シグルドの膝の上で昼食を食べさせられたときのことを。

 あのときも小っ恥ずかしかった。でも嬉しかった。人気者のシグルドを従え、独り占めしているような心地になった。
 誰もいない校舎の裏側で、シグルドとふたりきりで過ごした特別な時間。大人になった今も忘れられない記憶だ。

「じゃあさ、シグルド。もう一回スープが飲みたい」

 リオルはシグルドの正式な妻だ。だったらヒート明けで弱っているときくらい夫に甘えてもいいか、なんて思った。
 シグルドだってリオルが食べないと父親に叱られるという問題を抱えているようだし、お互いさまだ。

「わかった。リオルはキノ豆のスープが本当に好きなんだな」

 シグルドは嫌な顔ひとつせず、スープをリオルに飲ませてくれた。
 こんな面倒なことに付き合ってくれるとは、シグルドはよっぽど父親にいい顔をしたいのだろう。

「うん。おいしい。毎日だって食べたいよ」

 理由はどうであれ、シグルドに尽くしてもらえて気分がよくなり、リオルの食欲がわいてくる。
 こんなふうに愛されてみたかった。これが本当だったらよかったのに。

「毎日か……毎日は少し難しいな」

 リオルは言葉の勢いで毎日と言っただけだ。それなのに本気にして悩んでいる様子のシグルドを見て、少しだけ可愛いらしく思った。
 でも王立騎士団の一員として凛々しく戦っているシグルドに可愛いなんて言ったら、きっと怒られるのでそのことは黙っていた。


「……やっぱり故郷に帰りたいんだな」

 ポツリと呟いたシグルドの言葉にリオルは慌てた。
 故郷に帰りたいということはつまり、シグルドと離婚したいと考えていると思われてしまう。

「そっ、そんなことはないよ、別に帰りたくなんか……」
「無理するな。わかっているよ。だがどうしてもお前を放してやれない」

 シグルドはそっと優しい手で抱き締めてきた。
 膝に乗せられ、そこから伝わるシグルドの温もり。抱き締められ背中に感じる温もり。

 こんなことをされると、シグルドに求められていると勘違いしてしまいそうになる。
 でもシグルドがリオルを手放さない理由はただひとつ。リオルと離婚したらせっかく手に入れた家柄を失うことになる。家のメンツだって丸潰れだ。それだけは断固許せないのだろう。

「シグルド……」

 リオルはそっとシグルドの胸に寄りかかる。

 明日からはいつもどおりシグルドに接するから、今だけは本物の夫夫みたいに甘えることを許してほしかった。
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