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一度めの夜
1.
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「ユリス。俺の隣に座ってくれるか?」
ユリスが乗るように促されたのは、美しい白に金の装飾が施された煌びやかな馬車だ。他と比べて明らかに特別な物だとわかる。きっと国王のための馬車なのだろう。
「滅相もございません。私には不相応です。私は徒歩で参ります」
馬車に乗ったことすらないのに、いきなり国王の馬車になど足を踏み入れることはできない。
「どうしても嫌か? 俺はユリスとふたりでゆっくり話がしたい。そのために乗るという理由でもユリスは断りたいか?」
カイルはなんということを言うのだろう。ユリスは遠慮したつもりが、これではまるでユリスが我儘を言ってカイルを避けているみたいだ。ユリスはそんなこと許される身分ではないのに。
「いいえ。リーガンベルグ様に従います」
慌ててカイルに頭を下げる。
粗相があっては大変だ。カイルのひと声で、ユリスをはじめ家族、その他ユリスに関わるすべての人の命を奪うことなど造作のないことだろう。
「ユリスは俺が怖いか?」
「いっ、いいえ! 決してそのようなことはございませんっ」
ユリスは必死でかぶりを振る。
どうすればいい。畏まってはいけない。怯えてはいけない。かといって態度を崩して接することなどできるわけがない。
「ユリス。今後俺のことはリーガンベルグではなくカイルと呼べ」
「しかし……」
「まぁいい。怖いなら怖いと言ってくれ。その代わり俺のこれからのすべてを懸けてその気持ちを変えさせて欲しい。さぁ、馬車に乗れ、ユリス」
カイルよりも先に馬車に乗るよう促させる。それもまた恐れ多いことだが、ここでまた拒絶したら温厚に見えるカイルも怒りだすかもしれない。
「はい」
ユリスは頷き、カイルよりも先に馬車に乗り込んだ。
ユリスの乗った馬車は眩しすぎるくらいキラキラと装飾が輝いていた。それはカイルの正装着の金の刺繍の輝きに似ているなとユリスは思った。
「ユリスはこのような旅は初めてのことか?」
「はい。馬車に乗るのも初めてですし、私は祖国を離れたことはございません」
「そうか。疲れたならすぐに申し出るんだぞ。馬車に慣れない者は揺れのせいで酔うこともある。辛いようならすぐに伝えよ」
「承知いたしました」
ユリスの体調うんぬんで、この大所帯の足を止めることなど考えられない。自分が馬車に酔わないことだけを強く願った。
「ケレンディアに来るのも初めてということだな。ユリスに我が国を案内したい。どこか行ってみたいところはあるか?」
隣国なのだから多少の知識はあるが、それも嘘か真か人づてに聞いたものや、古い書物で知ったことだけだ。
「——海」
ユリスの脳裏にふと浮かんだのはいつか絵で見たことがある、広大な青い海の風景だ。
「ケレンディアには海があると聞きました。山に囲まれたナルカには海がありません。もしできるのなら海を一度この目で見てみたいと思います」
ユリスの答えを聞いてカイルは微笑んだ。
「わかった。ユリスを必ず海に連れていく。ケレンディアの南に港町マールがある。そこは日差しが降り注ぎ、白い漆喰の建物が並んでいるのだ。その町に別邸があるからいつかふたりで訪れよう」
「はい。恐れ入ります」
カイルとそのような場所に訪れる日などくるはずもないだろうと思う。それなのにカイルは「ユリスとの約束ができて幸せだ」と笑った。
なんて綺麗に笑う人なのだろう。
レオンハルトにも、従者たちにもカイルは隙のない厳しい顔をしていた。即位して一年ほどの若き王であるカイルは常に国王としての威厳を保たねばならないのだろう。
そのキリリとした強い眼差しにも惹かれるが、ユリスとふたりきりになってからカイルは屈託なく笑う。その笑顔が自分だけに向けられているように感じて、なぜか嬉しくなる。
ユリスがこの完璧な容姿を持つアルファの国王に見惚れていたときだ。
悪路で馬車がガタガタと揺れ、ユリスの身体が思わぬ方向へと飛ばされる。
そのいく先があろうことか、カイルの胸の中だ。
カイルが反射的に自分のほうへ倒れかかってきたユリスを抱き止める。
カイルは馬車の揺れもユリスがぶつかってきた衝撃もものともしない。両腕でしっかりとユリスの身体を倒れないように支えてくれている。
ユリスとしてはこれはありえない失態だ。許可なくカイルの身体に触れるなど、死刑になるほどの無礼だ。
「申し訳ございませんっ」
ユリスはすぐさまカイルから離れる。こんな汚い自分に触れられてさぞかしカイルは気分を害したことだろう。
「き、気にするな。怪我がなくてよかったな」
カイルはそう言ったあと、ユリスとは反対方向を向いてしまった。
ぶつかったのは故意ではないと理解を示し、ユリスを許そうとしてくれているのだろうが、やはり本心はイライラしているのだろう。
「怯えるユリスに俺はなんてことを……」
ユリスに背中を向けたまま、カイルは呟いた。
それきりカイルは何も喋らなくなった。さっきまであんなに饒舌にユリスに話をしてくれていたのに。
ユリスから話しかけることなどありえないので、馬車の中はしんと静まり返り、ガタガタと揺れる車輪の音が妙にはっきり聞こえる。
もう二度と同じ失態はするまいと、ユリスは馬車の手すりをしっかりと握り、万が一のときにもカイルにぶつからないよう距離をとった。
ユリスが乗るように促されたのは、美しい白に金の装飾が施された煌びやかな馬車だ。他と比べて明らかに特別な物だとわかる。きっと国王のための馬車なのだろう。
「滅相もございません。私には不相応です。私は徒歩で参ります」
馬車に乗ったことすらないのに、いきなり国王の馬車になど足を踏み入れることはできない。
「どうしても嫌か? 俺はユリスとふたりでゆっくり話がしたい。そのために乗るという理由でもユリスは断りたいか?」
カイルはなんということを言うのだろう。ユリスは遠慮したつもりが、これではまるでユリスが我儘を言ってカイルを避けているみたいだ。ユリスはそんなこと許される身分ではないのに。
「いいえ。リーガンベルグ様に従います」
慌ててカイルに頭を下げる。
粗相があっては大変だ。カイルのひと声で、ユリスをはじめ家族、その他ユリスに関わるすべての人の命を奪うことなど造作のないことだろう。
「ユリスは俺が怖いか?」
「いっ、いいえ! 決してそのようなことはございませんっ」
ユリスは必死でかぶりを振る。
どうすればいい。畏まってはいけない。怯えてはいけない。かといって態度を崩して接することなどできるわけがない。
「ユリス。今後俺のことはリーガンベルグではなくカイルと呼べ」
「しかし……」
「まぁいい。怖いなら怖いと言ってくれ。その代わり俺のこれからのすべてを懸けてその気持ちを変えさせて欲しい。さぁ、馬車に乗れ、ユリス」
カイルよりも先に馬車に乗るよう促させる。それもまた恐れ多いことだが、ここでまた拒絶したら温厚に見えるカイルも怒りだすかもしれない。
「はい」
ユリスは頷き、カイルよりも先に馬車に乗り込んだ。
ユリスの乗った馬車は眩しすぎるくらいキラキラと装飾が輝いていた。それはカイルの正装着の金の刺繍の輝きに似ているなとユリスは思った。
「ユリスはこのような旅は初めてのことか?」
「はい。馬車に乗るのも初めてですし、私は祖国を離れたことはございません」
「そうか。疲れたならすぐに申し出るんだぞ。馬車に慣れない者は揺れのせいで酔うこともある。辛いようならすぐに伝えよ」
「承知いたしました」
ユリスの体調うんぬんで、この大所帯の足を止めることなど考えられない。自分が馬車に酔わないことだけを強く願った。
「ケレンディアに来るのも初めてということだな。ユリスに我が国を案内したい。どこか行ってみたいところはあるか?」
隣国なのだから多少の知識はあるが、それも嘘か真か人づてに聞いたものや、古い書物で知ったことだけだ。
「——海」
ユリスの脳裏にふと浮かんだのはいつか絵で見たことがある、広大な青い海の風景だ。
「ケレンディアには海があると聞きました。山に囲まれたナルカには海がありません。もしできるのなら海を一度この目で見てみたいと思います」
ユリスの答えを聞いてカイルは微笑んだ。
「わかった。ユリスを必ず海に連れていく。ケレンディアの南に港町マールがある。そこは日差しが降り注ぎ、白い漆喰の建物が並んでいるのだ。その町に別邸があるからいつかふたりで訪れよう」
「はい。恐れ入ります」
カイルとそのような場所に訪れる日などくるはずもないだろうと思う。それなのにカイルは「ユリスとの約束ができて幸せだ」と笑った。
なんて綺麗に笑う人なのだろう。
レオンハルトにも、従者たちにもカイルは隙のない厳しい顔をしていた。即位して一年ほどの若き王であるカイルは常に国王としての威厳を保たねばならないのだろう。
そのキリリとした強い眼差しにも惹かれるが、ユリスとふたりきりになってからカイルは屈託なく笑う。その笑顔が自分だけに向けられているように感じて、なぜか嬉しくなる。
ユリスがこの完璧な容姿を持つアルファの国王に見惚れていたときだ。
悪路で馬車がガタガタと揺れ、ユリスの身体が思わぬ方向へと飛ばされる。
そのいく先があろうことか、カイルの胸の中だ。
カイルが反射的に自分のほうへ倒れかかってきたユリスを抱き止める。
カイルは馬車の揺れもユリスがぶつかってきた衝撃もものともしない。両腕でしっかりとユリスの身体を倒れないように支えてくれている。
ユリスとしてはこれはありえない失態だ。許可なくカイルの身体に触れるなど、死刑になるほどの無礼だ。
「申し訳ございませんっ」
ユリスはすぐさまカイルから離れる。こんな汚い自分に触れられてさぞかしカイルは気分を害したことだろう。
「き、気にするな。怪我がなくてよかったな」
カイルはそう言ったあと、ユリスとは反対方向を向いてしまった。
ぶつかったのは故意ではないと理解を示し、ユリスを許そうとしてくれているのだろうが、やはり本心はイライラしているのだろう。
「怯えるユリスに俺はなんてことを……」
ユリスに背中を向けたまま、カイルは呟いた。
それきりカイルは何も喋らなくなった。さっきまであんなに饒舌にユリスに話をしてくれていたのに。
ユリスから話しかけることなどありえないので、馬車の中はしんと静まり返り、ガタガタと揺れる車輪の音が妙にはっきり聞こえる。
もう二度と同じ失態はするまいと、ユリスは馬車の手すりをしっかりと握り、万が一のときにもカイルにぶつからないよう距離をとった。
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