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5.約束
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「ただいま」
部屋の電気が真っ暗なので遠堂はいないとわかっているが、独り言がついて出る。
だって今日は紀平の誕生日だ。
自分から遠堂に「俺、もうすぐ誕生日なんだけど、祝ってくんない?」とは言えず、なんとなく遠堂の側から何かしら言ってもらえるかなと期待していたのだが、今日の今日になっても遠堂からそのような話は一切なかった。
——まさか、あいつ、俺の誕生日を忘れたりしてないよな……。
別に派手なサプライズや高級なプレゼントが欲しいわけじゃない。ただ、忘れずにいて欲しいという気持ちだけだ。
男同士とはいえ、恋人同士なのだから「おめでとう」のひと言くらい、その日の夜を一緒に過ごすことくらい、遠堂に期待してもいいじゃないかと紀平は思ってしまっている。
——俺から誕生日だって言った方が良かったのかな……。
でも誕生日アピールなんて、なんか女々しく思えて、紀平には無理なことだったなと思い直す。
いつからかは忘れたが、幼い頃から、友達だった頃から遠堂は紀平の誕生日には何かしら紀平を祝ってくれていた。その期間、十年くらいにはなるのではないか。
何も要らない。ただ「誕生日おめでとう」と今年も遠堂から言ってもらいたかった。
紀平のスマホがピロンと鳴った。飛びつくようにしてその画面を見る。
『俺、これから急にバイトに行くことになった。ごめん』
短い、ただの連絡事項みたいなLINE。それは紀平の心を抉るに十分な破壊力を持っていた。
「それだけかよ……」
少しでも遠堂に期待した自分がみじめに思えてきた。
——バイトくらい断れよ。今日は恋人の誕生日だって!
今度は妙にイライラしてきた。
——俺のことなんてどうでもいいんだな。誕生日もどうせ忘れてるんだろ……。
虚しくて自分が馬鹿みたいに思えてきて、涙が溢れる。
「遠堂……。俺もう耐えられないよ……」
環との浮気だって、遠堂が紀平を好きでいてくれているならと耐えられたのに。
きっと遠堂は、紀平と同じ熱量で想ってくれてはいないのだろう。
お互い好きだと想いを確かめ合って、恋人同士になったのに、時とともに気持ちが冷めるなんて珍しいことじゃない。
遠堂の気持ちが自分からどんどん離れていることをいい加減認めなくてはいけないのだろう。
どこで間違えたんだろう。紀平なりに遠堂に愛想を尽かされないようにと努力はしたつもりだ。
「好きだよ、遠堂……」
止めどなく流れる涙。もういっそ全てを洗い流してしまいたい。
最近、遠堂の笑顔なんて見ていなかったことに気がついた。
同じ家に暮らしているのに、環との浮気が発覚した日以来、遠堂も紀平も何もなかったかのように振る舞っているのだが、どうしてもギクシャクしてしまっている。
そういえばあの日以来、遠堂は一度も夜に紀平の部屋に来ていない。こんなにも長く遠堂と身体の関係がない期間は今までになかった。
——あの日の遠堂に会いたいよ……。
紀平のことだけを見て、なんでもない毎日でも、いつも幸せそうに笑ってくれていた。紀平に愛を囁いて抱き締めてくれてキスをして。あの頃の優しかった遠堂はきっともういない。
その時再び紀平のスマホが鳴った。今度は宮内からの着信だった。
その着信を無視したら、今度はLINEが送られてきた。
『紀平。誕生日おめでとう。今からでもお前に会いたいんだ。お前の家に行ってもいい? プレゼントだけでも受け取って欲しいんだ』
「宮内……」
宮内は一途だ。こんないい奴と離れて、遠堂にしがみつく自分はきっと間違っているのだろう。
結局、遠堂は帰って来なかった。
二人の約束だったから、紀平も遠堂も外泊なんてしたこともなかったのに、その日初めて遠堂は外泊した。
一晩中家に帰って来なかった。
『俺たち別れよう』
朝になっても遠堂が帰って来なかったので、直接話し合うこともできない。紀平は短いLINEを遠堂に送りつけた。
遠堂は「外泊しない」という二人の約束を破った。もともと口約束だったし、もしかしたらそんな約束を律儀に守っていたのは紀平だけだったのかもしれない。でも、どうしても許せなかった。しかも初めての外泊がよりによって紀平の誕生日だ。もう遠堂の心は紀平にはないことは明白だ。
はっきり遠堂に別れを突きつけたら、少し気持ちも落ち着いてきた感じがする。
このメッセージを見て、遠堂はどう思うのだろうか。
とりあえず荷物をまとめておこうと思った。すぐには出て行けないが、もうきっとこの部屋は解約することになるだろう。
片付けていて、気がついた。この部屋には悲しいくらいに遠堂との思い出が溢れている。
二人で新生活に必要なものを買いに行った日。遠堂が何もかもを紀平とお揃いにしようとするので「人が遊びに来たら恥ずかしいだろ」と説得するのに苦労した。でも結局、食器もベッドも机も椅子も収納ケースやハンガーまで全て同じものだ。
遠堂と初めて身体の関係を持ったのは、紀平の部屋のベッドでのことだった。「これからは毎日一緒に寝よう。別に毎日ヤろうって言ってるわけじゃない。ただ一日の終わりに紀平を感じたいだけだよ。夜にひとりじゃさみしいからお互い外泊は禁止。これ、約束な」と言って遠堂は紀平を抱き締めてきた。
最初の頃は毎日紀平のベッドに来てくれたのに、だんだんとその回数が減り、環と浮気をした日以降はパッタリと遠堂は紀平の部屋に来なくなった。
高校の時の制服を見つけた。変態エロ遠堂は、「実は高校の時のお前とヤりたかったんだ」とバカなことを言い出して、大学生の紀平に高校の制服を着るように迫ってきた。
机の上にある、iPadとBluetoothキーボードは、一昨年の誕生日に遠堂が贈ってくれたものだ。その横に飾ってあるわけのわからない、ゆるキャラフィギュアもVillage Vanguardでお前に似てるキャラ売ってたから」と遠堂がくれたもの。そういえばさらに隣に置いてある赤のワイヤレスヘッドホンも「紀平に似合いそうだと思って」と遠堂が去年の誕生日に贈ってくれたものだ。赤いスニーカーと共に。
「去年までは誕生日、覚えててくれてたのにな……」
去年の誕生日は良かった。遠堂がケーキとワインを買って帰ってきてくれて、二人で作った料理を食べ、「二十歳になったから、アルコール解禁だな」と紀平は初めての乾杯を遠堂と二人でした。
なんで浮気されるほど遠堂に嫌われてしまったんだろうと考えたが、紀平には何も心当たりはなかった。そもそも原因さえわかっていたらこんな事態にはならなかったのだろう。
これといった大きな原因はないのかもしれない。一緒にすごしているうちに蓄積されていく、小さな不満。小さな我慢。小さな不一致。そういったもので、二人の関係性は緩やかに壊れていったのかもしれない。
昨夜は一睡もできなかったから、今頃になって眠気が襲ってきた。
今日は午後に一限だけだし、一回くらい休んでも問題ない。紀平は自室のベッドにフラフラと倒れ込んだ。
部屋の電気が真っ暗なので遠堂はいないとわかっているが、独り言がついて出る。
だって今日は紀平の誕生日だ。
自分から遠堂に「俺、もうすぐ誕生日なんだけど、祝ってくんない?」とは言えず、なんとなく遠堂の側から何かしら言ってもらえるかなと期待していたのだが、今日の今日になっても遠堂からそのような話は一切なかった。
——まさか、あいつ、俺の誕生日を忘れたりしてないよな……。
別に派手なサプライズや高級なプレゼントが欲しいわけじゃない。ただ、忘れずにいて欲しいという気持ちだけだ。
男同士とはいえ、恋人同士なのだから「おめでとう」のひと言くらい、その日の夜を一緒に過ごすことくらい、遠堂に期待してもいいじゃないかと紀平は思ってしまっている。
——俺から誕生日だって言った方が良かったのかな……。
でも誕生日アピールなんて、なんか女々しく思えて、紀平には無理なことだったなと思い直す。
いつからかは忘れたが、幼い頃から、友達だった頃から遠堂は紀平の誕生日には何かしら紀平を祝ってくれていた。その期間、十年くらいにはなるのではないか。
何も要らない。ただ「誕生日おめでとう」と今年も遠堂から言ってもらいたかった。
紀平のスマホがピロンと鳴った。飛びつくようにしてその画面を見る。
『俺、これから急にバイトに行くことになった。ごめん』
短い、ただの連絡事項みたいなLINE。それは紀平の心を抉るに十分な破壊力を持っていた。
「それだけかよ……」
少しでも遠堂に期待した自分がみじめに思えてきた。
——バイトくらい断れよ。今日は恋人の誕生日だって!
今度は妙にイライラしてきた。
——俺のことなんてどうでもいいんだな。誕生日もどうせ忘れてるんだろ……。
虚しくて自分が馬鹿みたいに思えてきて、涙が溢れる。
「遠堂……。俺もう耐えられないよ……」
環との浮気だって、遠堂が紀平を好きでいてくれているならと耐えられたのに。
きっと遠堂は、紀平と同じ熱量で想ってくれてはいないのだろう。
お互い好きだと想いを確かめ合って、恋人同士になったのに、時とともに気持ちが冷めるなんて珍しいことじゃない。
遠堂の気持ちが自分からどんどん離れていることをいい加減認めなくてはいけないのだろう。
どこで間違えたんだろう。紀平なりに遠堂に愛想を尽かされないようにと努力はしたつもりだ。
「好きだよ、遠堂……」
止めどなく流れる涙。もういっそ全てを洗い流してしまいたい。
最近、遠堂の笑顔なんて見ていなかったことに気がついた。
同じ家に暮らしているのに、環との浮気が発覚した日以来、遠堂も紀平も何もなかったかのように振る舞っているのだが、どうしてもギクシャクしてしまっている。
そういえばあの日以来、遠堂は一度も夜に紀平の部屋に来ていない。こんなにも長く遠堂と身体の関係がない期間は今までになかった。
——あの日の遠堂に会いたいよ……。
紀平のことだけを見て、なんでもない毎日でも、いつも幸せそうに笑ってくれていた。紀平に愛を囁いて抱き締めてくれてキスをして。あの頃の優しかった遠堂はきっともういない。
その時再び紀平のスマホが鳴った。今度は宮内からの着信だった。
その着信を無視したら、今度はLINEが送られてきた。
『紀平。誕生日おめでとう。今からでもお前に会いたいんだ。お前の家に行ってもいい? プレゼントだけでも受け取って欲しいんだ』
「宮内……」
宮内は一途だ。こんないい奴と離れて、遠堂にしがみつく自分はきっと間違っているのだろう。
結局、遠堂は帰って来なかった。
二人の約束だったから、紀平も遠堂も外泊なんてしたこともなかったのに、その日初めて遠堂は外泊した。
一晩中家に帰って来なかった。
『俺たち別れよう』
朝になっても遠堂が帰って来なかったので、直接話し合うこともできない。紀平は短いLINEを遠堂に送りつけた。
遠堂は「外泊しない」という二人の約束を破った。もともと口約束だったし、もしかしたらそんな約束を律儀に守っていたのは紀平だけだったのかもしれない。でも、どうしても許せなかった。しかも初めての外泊がよりによって紀平の誕生日だ。もう遠堂の心は紀平にはないことは明白だ。
はっきり遠堂に別れを突きつけたら、少し気持ちも落ち着いてきた感じがする。
このメッセージを見て、遠堂はどう思うのだろうか。
とりあえず荷物をまとめておこうと思った。すぐには出て行けないが、もうきっとこの部屋は解約することになるだろう。
片付けていて、気がついた。この部屋には悲しいくらいに遠堂との思い出が溢れている。
二人で新生活に必要なものを買いに行った日。遠堂が何もかもを紀平とお揃いにしようとするので「人が遊びに来たら恥ずかしいだろ」と説得するのに苦労した。でも結局、食器もベッドも机も椅子も収納ケースやハンガーまで全て同じものだ。
遠堂と初めて身体の関係を持ったのは、紀平の部屋のベッドでのことだった。「これからは毎日一緒に寝よう。別に毎日ヤろうって言ってるわけじゃない。ただ一日の終わりに紀平を感じたいだけだよ。夜にひとりじゃさみしいからお互い外泊は禁止。これ、約束な」と言って遠堂は紀平を抱き締めてきた。
最初の頃は毎日紀平のベッドに来てくれたのに、だんだんとその回数が減り、環と浮気をした日以降はパッタリと遠堂は紀平の部屋に来なくなった。
高校の時の制服を見つけた。変態エロ遠堂は、「実は高校の時のお前とヤりたかったんだ」とバカなことを言い出して、大学生の紀平に高校の制服を着るように迫ってきた。
机の上にある、iPadとBluetoothキーボードは、一昨年の誕生日に遠堂が贈ってくれたものだ。その横に飾ってあるわけのわからない、ゆるキャラフィギュアもVillage Vanguardでお前に似てるキャラ売ってたから」と遠堂がくれたもの。そういえばさらに隣に置いてある赤のワイヤレスヘッドホンも「紀平に似合いそうだと思って」と遠堂が去年の誕生日に贈ってくれたものだ。赤いスニーカーと共に。
「去年までは誕生日、覚えててくれてたのにな……」
去年の誕生日は良かった。遠堂がケーキとワインを買って帰ってきてくれて、二人で作った料理を食べ、「二十歳になったから、アルコール解禁だな」と紀平は初めての乾杯を遠堂と二人でした。
なんで浮気されるほど遠堂に嫌われてしまったんだろうと考えたが、紀平には何も心当たりはなかった。そもそも原因さえわかっていたらこんな事態にはならなかったのだろう。
これといった大きな原因はないのかもしれない。一緒にすごしているうちに蓄積されていく、小さな不満。小さな我慢。小さな不一致。そういったもので、二人の関係性は緩やかに壊れていったのかもしれない。
昨夜は一睡もできなかったから、今頃になって眠気が襲ってきた。
今日は午後に一限だけだし、一回くらい休んでも問題ない。紀平は自室のベッドにフラフラと倒れ込んだ。
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