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4.束縛

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「ただいま」

 相変わらずのごちゃごちゃの玄関に自らの靴を捻じ込むようにして脱いで、帰宅する。

「紀平っ、遅いな。どこ行ってたんだよっ」

 リビングのソファーには遠堂がいて、やけに不機嫌だ。

「あー、ごめん。ちょっと友達んち」

 遅くなる時は遠堂に連絡を入れることが多かったが、今日はなんとなく遠堂に連絡をする気にはならなかったなと今さら思った。

「お前さ。まさかとは思うが、浮気してねぇよな?」

 は?
 それをお前が言うのか?!

「俺がそんなことするわけないだろっ」
「へぇ。本当かよ。じゃあ今日は誰とどこにいたんだ?」
「宮内と一緒だった」
「どこで?」
「宮内んちで」

 なんで俺が遠堂に浮気の尋問を受けなきゃならないんだよ。

「またあの男かよ! お前、そいつのこと好きなんだろ」
「やめろよ、あいつは友達だ」
「どうだか。正直に言えよ。もうあいつとヤったのか?」
「は?!」

 聞き捨てならない。
 自分は浮気しておいて、人のことは証拠もないのに疑うのか?!

「遠堂。いい加減にしろよ。そんなに俺が信用できねぇの?」
「ああ。俺以外の男と二人きりになるな! 特に宮内はダメだ。宮内と縁を切れ。友達もやめろ」

 遠堂の目は本気だ。遠堂はいつもこの強い視線で紀平をがんじがらめにする。

「しつこいな。宮内とは何でもねえって……」
「宮内と離れろ。そうしないなら俺はお前と別れる。この家も出て行ってやる!」

 別れる……?

 その言葉、冗談でも禁句だろ。
 少しの友人に囲まれながら、遠堂とずっと一緒に笑って過ごしたいだけなのに。今の紀平にはそれは難題だ。いや、それはすごく贅沢なことなのかもしれない。

「お前って……」

 遠堂を好きでいることは、間違いなのかもしれない。

「残酷な奴だな……」

 紀平が遠堂から離れられないとわかっているからこその条件なんだろう。
 なにがなんでも宮内と紀平の友情を壊したいから。

「わかった。宮内とは会わない」

 遠堂は本当にクズ野郎なのかもしれない。こいつと一緒にいたら、何もかも支配されてしまいそうだ。
 紀平の返答を聞いて、遠堂は急にほっとした穏やかな表情を浮かべた。さっきまでのキツイ視線は嘘のように消えている。

「悪いな、紀平。俺、最近不安なんだよ。お前に捨てられるんじゃないかって」

 遠堂はそっと紀平を抱き締めてきた。怒鳴ったり、急に優しくなったり、遠堂の飴と鞭の横行に紀平の精神がイカれそうだ。

「俺からそんなことするわけないよ。遠堂。お前こそ、いつか俺を捨てる気なんだろう……?」

 遠堂に抱き締められ、紀平も遠堂の背に腕を回す。何をされても、それでも遠堂に縋りつこうとする自分に辟易する。

「紀平。お前はいつもちゃんと俺の言うことを聞いてくれる。約束だって破らない。だから、俺はお前のことを嫌いになったりしないよ」

 酷いなその言い方。言葉をひっくり返すと、紀平が遠堂に逆らったらお前を捨てるぞとの意味なのか。

「そっか……。俺やっぱ遠堂じゃなきゃダメみたいだからさ」

 もういい。全てを捨てても遠堂さえそばにいてくれれば幸せな人生じゃないか。
 遠堂さえ紀平を愛してくれれば、もう他に何もいらない。

「そばにいさせてよ」

 浮気して、束縛して、遠堂は最低最悪のクソ男だ。
 離れた方がいいとわかっているのに。
 それでも、
 好きだ。



「紀平! なんで無視するんだよ!」

 大学の構内から、宮内が紀平を追ってきた。逃げても駐輪場までずっと宮内は追いかけてきた。

「ごめん。さっきも言ったけど、俺はお前とつるむのやめたから」

 紀平は逃げきれなくなり、再び弁明する。ここのところ数日間、『友達をやめたい』旨をやんわりと伝えているのに、宮内は納得がいかないようだ。

「何でだよ。この前の告白のことなら謝るからっ。友達までやめないでくれ」

 宮内は悪くない。謝ることなんて一切していない。悪いのは遠堂に抗えない紀平自身だ。

「ごめん、宮内。俺のことを思ってくれるなら、俺から離れてくれ。そうじゃないと……」
「わかった! 遠堂、あいつだろ?! またお前に何か吹き込みやがったな?!」

 紀平は言葉に詰まる。
 宮内にはやっぱり隠し事はできない。曖昧にせず、はっきり言うしかない。

「そうだ。本当にごめん。宮内と離れるように遠堂に言われたから……」
「おい、紀平……。そんなの無視しろよっ。俺も協力するから。遠堂の前でだけ俺と縁を切ったふりをすればよくねぇ? あいつの言うことなんて聞くな!」

 わかってる。宮内の言うことは間違ってはいない。

「サークルもやめる。宮内、お前は続けろよ。お前、みんなから人気あるんだから」

 紹介者は紀平だが、紀平がいなくても大丈夫なくらいに宮内はサークルの皆に好かれている。

「おい、さすがにやりすぎだろ?! そんなんで遠堂に捨てられたらお前、何にもなくなるぞ?!」
「うるさいな。放っとけ!」

 捨てられるとか、決めつけるなよ。今必死でもがいてるところなんだから。

「放っとけるかよ!」

 宮内は力強く紀平の腕を掴む。

「紀平。もうやめろ。遠堂なんてやめて俺にしろ。俺と付き合ってよ……」

 苦しそうな瞳で懇願され、紀平まで辛くなる。

 ——でもダメだ。

 紀平は強く横に首を振る。

「そうだ、紀平。内緒で付き合おう。無理に遠堂と別れなくてもいい。俺は二股だなんて思わないよ。二番でいい。遠堂の代わりでいいから。頼むよ、紀平」
「宮内。どうしてそこまで……」

 宮内は、遠堂よりも誰よりも紀平の幸せを願ってくれているのかもしれない。
 それでも紀平は宮内の腕を思いきり振り払った。うなだれて泣きそうな顔の宮内。体格の良いはずの宮内がなんだか小さく見えた。

「俺にはお前だけだよ、紀平。そのこと、忘れないでくれ」

 それでも顔を上げ、宮内は紀平になけなしの笑顔を向けてくれた。
 もう紀平に返す言葉などない。そのまま自転車の鍵を開け、無言で立ち去るしかなかった。
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