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八月 親衛隊はルールを破って想いを伝えたら退学になるルール

2.

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 次の日、英語の補講を終え、廊下に出ると生徒たちがバタバタと吉良の目の前を走っていった。

「おい、水泳部の水谷みずたにと湊が対決するんだってよ!」

 気がつけばプールが見える窓に、生徒が集まり始めている。
 水谷はつい先日、バタフライ100mと200mで全国一位という好成績を収めて表彰されていた。高校一年ながらに上級生を押し除けて優勝するのだから本当にすごい奴だ。
 昨日湊が言っていた勝負とは水谷との勝負のことだったのか。
 なぜふたりは対決するのだろう。

 皆、「どっちが勝つか、見ものだな!」などと言って、賭けまでする奴らもいる。
 そうだ、湊に見ていて欲しいと言われていたことを思い出したが、窓には人だかりで対決は見られそうにないなと思っていたときだ。

「吉良、ちょっとだけ付き合ってよ」
「へっ?」

 急に吉良の横に現れ、話しかけてきたのはクラスメイトの日野ひのだ。日野は水泳部のマネージャーとしてチームのサポートやフォームのチェック、データ分析などを担っている奴だ。

「なぁ、この人だかりすごいな。水泳部のふたりが対決するとかなんとか……」
「そうだ。ふたりとも真剣なんだ。こんな機会は二度とないからね。だから吉良、どうか見守って欲しい」

 なんだ? 見守る……?

「プールサイドに吉良専用の席がある。あとは吉良さえ来てくれたら試合開始だから」

「えっ? なんで?」

 日野の言っていることの意味がわからない。水泳部の試合と吉良は無関係のはずだ。

「いいから。早くっ!」

 日野に言いくるめられ、半ば強引に吉良はプールサイドへと連れて行かれた。




 なんだよこの状況は……。

 プールサイドに置かれたベンチに座らされる。
 目の前には25mプールのコースがあり、プールの右側には、水谷と湊がいてウォームアップしていた。

「なぁ、日野。なんで俺がこんな特等席に——」
「当たり前だろ。誰のためにふたりが戦ってると思ってるんだよ」
「は?」

 水谷と湊は誰かのために争っているのか?

「吉良がここに来た途端、ふたりとも目つきが変わった。やばいね。本気だ」

 そうなのか。ここからじゃ遠くてよくわからない。

 やがてふたりがスタートラインに立ち、戦いが始まった。
 どうやら全種目で戦うようで、50m毎に泳ぐ型を変えて泳ぐ200m勝負のようだ。

 水しぶきをあげて戦うふたりに対して声援が飛んでくる。吉良も思わず立ち上がってどちらが勝つか戦況を見守る。

 ——湊が勝ったら俺は告白されるのか……?

 そう思ったらドキドキしてきた。
 湊の告白。
 湊が何を考えているのかわからない。
 ただ告白という言葉に胸が高鳴る自分がいた。


「僅差だ!」

 日野が叫ぶ。確かに最終ターンを終えてふたりの距離はほとんど差がない。

 新進気鋭の一年生水谷と、キャプテン湊、どっちが勝つんだ?!


 結果は、1秒の差で湊が勝った。本当にタッチの差だが、湊の勝ちだ。

 湊は「よっしゃぁぁ!」とめちゃくちゃ喜んでいる。対して水谷は頭を抱えて悔しがっている。


 勝負が終わって、ギャラリーたちがゾロゾロ帰っていく。水泳部の部員はプールの清掃や片付けを始めた。
 だが水谷だけはプールサイドに立ち尽くしたまま動かない。さっきの勝負に負けたことがよほどショックだったのだろう。

「水谷」

 水谷を励ましてやろうと吉良はそっと隣りに並んで声をかけた。

「あっ、吉良先輩……」
「今日のお前はかっこよかった。相手はあの湊だぞ。湊と僅差だったなんてすごいことじゃないか!」

 明るく声をかけたのに、「だって今年で先輩は卒業しちゃうじゃないですか……」と水谷に全然響いていない。

 先輩って、湊のことか?
 湊が卒業したら、もう対決ができないからってことなのか? このまま湊の勝ち逃げのような状態になるもんな……。

「卒業しても会えばいいじゃないか。なんなら同じ大学になるかもしれないし」
「えっ?」

 水谷がパッとこちらを振り返った。

「卒業しても会えるんですか?!」
「え? 逆になんで会えないと思った?」

 水谷も湊も、同じ水泳選手なのだから、それこそどこぞの試合とかで会うんじゃないのか……?

「お、俺、先輩と同じ大学に行きたい……」
「んー? まぁ、いいんじゃない? 大きいプールある大学なんて限られてるだろうしな」

 そんなに湊を敬愛してたのか。水谷はなんといい後輩だ。でも、あの湊なら好かれるのもわかる。

「俺、先輩と海デートするのが夢なんです。その夢、叶えてくれますか?」
「ま、まぁデートくらいなら許されるんじゃないかな」

 男同士でデート……。水谷はまさか湊の親衛隊……?
 確か親衛隊のルールでは、デートは許されるはずだ。

「マジすか! そうですよね! 本当にいいんですか?!」
「ああ、ルール違反じゃないし……」
「え、ちょっと待ってください! 一泊するとかもアリですか?!」
「ダメじゃなかったと思うけど、俺は親衛隊のルールに疎いからそのへんはよくわからない」
「吉良先輩的には、一泊二日海デートはアリですか?!」

 なんだ水谷は。やけにぐいぐい来るな……。

「アリだろ。よくみんな友達の家の別荘に泊まったりしてるみたいだし……」
「ちょ、ちょっと! 先輩ってまさか結構俺のこと好きなんですか?!」

 水谷があまりにも迫ってくるから吉良は後ずさる。
 
「多分……な」

 湊は水泳部のことを愛していると思う。水谷は新エースだ。きっと湊と可愛がっていることだろう。

「ごめんなさい、今すぐ抱き締めたいくらいに嬉しい……」

 よかったよかった。そんなに湊がいいか。それなら湊を呼んできてやろうかな、と思って振り返ったとき、吉良は自分の足場がないことに気がついた。


「うわぁっ!」

 吉良の背後はプールで、足を踏み外した吉良はそのままプールの中にダイブした。

「吉良先輩っ!」

 水に沈んでいく中、水谷の声が聞こえた。
吉良は泳ぎは得意ではないし、しかも濡れた制服が鉛のように吉良の身体の自由を奪う。

 だが吉良の身体はすぐさま水谷の逞しい腕ですくい上げられた。



「ぷはっ」

 プールの中で、水谷に横抱きにされる。た、助かった……と思わず水谷の身体にしがみついた。

「もっとしがみついていいですからね」

 水谷は身長も高いし、腕もしっかりしている。水谷だったら溺れる人がしがみついてきてもそれに耐えられるだけの力を持っていそうだ。

 気がつけば人だかりだった。プールサイドには心配して駆けつけてくれた水泳部の奴らが集まっていて、吉良を救助してくれた。

「大丈夫ですか?!」

 吉良はベンチに寝かされ、タオルで身体を拭かれたり、顔色を伺われたりする。水泳部みんなで構ってくれなくてもいいのにみんな吉良の周りに集まってきた。

「人口呼吸が必要なんじゃないのか?!」

 吉良はベンチで寝てるだけなのに、誰かがそんなことを言い出した。
 それは必要ない。吉良はちゃんと自分で呼吸している。

「俺がやる!」
「俺が!」
 
 いや、だから必要ない。ちょっと体力使ってぐったりしてるだけで——。

「着替えは?!」
「とりあえず服を脱がせたほうがいいか?!」
「俺が脱がす!」
「いや、俺が!」

 待て待て。大丈夫。少ししたら自分で着替えられるから。


「こら、お前ら! もっと離れろ! 妙な真似をするんじゃないぞ! 鈴木は部室で適当な着替えを探してこい!」
「はいっ!」

 湊の声だ。キャプテン湊がその場を仕切り始めた。

「佐藤も先に部室に行って、タオルと吉良が休める場所を用意しろ!」
「はいっ!」

「水谷! 手を貸せ。吉良を部室まで運ぶぞ!」
「はい!」

 水谷と湊がふたりがかりで吉良の身体を持ち上げようとする。

「いいっ、俺もう歩けるよ」
「遠慮するな。部室まで運ばせてくれ」

 本当にすごいなこの水泳部は……。
 人に優しすぎる……。
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