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8.離れていても
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お互いのサインを交わし合う。
最終確認を終え、契約の際に必要なことがすべて終わった。
村井と浜谷のふたりが話をしている隙に、そっと佐原に目配せをする。佐原は和泉の視線に気がつき、身体を寄せてきた。
「俺が和泉を見捨てることはないからな」
優しい声でそっと耳打ちされた。
責任感でも、なんでもいい。佐原の気持ちを知って胸がいっぱいになる。
離れなければと思っているのに、いざこうして会えると嬉しいと思ってしまう自分がいる。
佐原が隣にいると安堵して、佐原と話すだけで気持ちが上がっていくのがわかる。
「和泉。今後も何かあったら遠慮なく俺を呼べよ」
佐原はサッと身体を離し、「これは俺の仕事でもあるんだ」と何食わぬ顔をしてテーブルに広がっていた契約書類をまとめ始めた。
「良かったよ、佐原くんが来てくれて。そうそう。佐原くん、君に会わせたい人がいてね」
浜谷との話を終えた村井が今度は佐原に声をかける。
「そうでしたね。だから今日、このホテルで会う約束をしましたものね。ところで、どなたですか?」
「それが、ちょっとその前に君に確認したいことがあるんだが、今佐原くんは特定の相手はいるかな? Subのパートナーとか。恋人とか、そういう類いの……」
村井は少しだけ言い淀む。かなりプライベートなことだからだろう。
「いません。失恋したばかりですから」
佐原は臆することなく答えた。
——失恋。
その言葉に思わずピクリと反応してしまう。
佐原が失恋した。
佐原に会わなかったこの期間に、何かがあったのだろうか。
佐原は和泉との偽のパートナーの約束から解放された。
そのことでやっと心も身体も自由になり、自分のことを考えられるようになったのだろう。
罪滅ぼしのためとはいえ、パートナーがいる状態では何もできなかっただろうから。
積年の想いを寄せていたSubについに気持ちを打ち明けたのだろうか。それで、やっぱりうまくいかなくて、その恋を諦めたのだろうか。
佐原を振るなんて考えられない。佐原を振ったその相手と中身を入れ替わりたいくらいだ。
「そうか。君ほどの男でもそんなことがあるのか……。ありがとう、言いづらいことを答えてくれて」
「いえ、事実ですから」
佐原は声のトーンを落とすこともなく淡々と話す。変に誤魔化すこともなく凛とした態度だ。
佐原は強い、と思った。
佐原は叶わぬ恋をしていた。
もしかしたら、前々からこうなることを予想して、失恋を受け入れる覚悟をしていたのかもしれない。結果は失恋という形にはなったが、自分の中で折り合いをつけて、納得のいく恋だったのかもしれない。
「佐原くん、ちょっと来てもらってもいいかな」
「はい」
村井が「佐原くん借りるよ」と言い、席を立ち、佐原を連れて去っていった。
佐原はどこに連れて行かれて、誰と会うのだろう。
恋人の有無を訊かれていたから、お見合いや紹介など、やはりそういう話ということだろうか。
佐原がその気になれば、相手などいくらでもいるだろう。
佐原はどこへ出しても文句なしのいい男だ。容姿に優れていて、社会的立場は次期社長。
優しくて、仕事熱心で、責任感と正義感にあふれている。
佐原みたいな男が家族を持ったらきっと温かい家庭を築くことだろう。子どものこともめちゃくちゃ可愛がるに違いない。
商談が終わったあと、佐原に「来てくれて助かった」とお礼のひとつでも言いたかった。
失恋の話も聞いてみたかった。この短期間で佐原の身に何があったのだろう。
佐原は恋を諦めたのだろうか。佐原が話してくれるのならば、慰めの話し相手くらいにはなれるかもしれない。
「和泉さん。村井さんたちが戻るまで、辺りを散歩しませんか?」
書類やタブレットをしまい終えた浜谷が微笑みかけてきた。
「えっ、あっ、はい。構いません、けど……」
ぼんやり佐原のことを考えていた頭の中を和泉は慌てて切り替える。
最終確認を終え、契約の際に必要なことがすべて終わった。
村井と浜谷のふたりが話をしている隙に、そっと佐原に目配せをする。佐原は和泉の視線に気がつき、身体を寄せてきた。
「俺が和泉を見捨てることはないからな」
優しい声でそっと耳打ちされた。
責任感でも、なんでもいい。佐原の気持ちを知って胸がいっぱいになる。
離れなければと思っているのに、いざこうして会えると嬉しいと思ってしまう自分がいる。
佐原が隣にいると安堵して、佐原と話すだけで気持ちが上がっていくのがわかる。
「和泉。今後も何かあったら遠慮なく俺を呼べよ」
佐原はサッと身体を離し、「これは俺の仕事でもあるんだ」と何食わぬ顔をしてテーブルに広がっていた契約書類をまとめ始めた。
「良かったよ、佐原くんが来てくれて。そうそう。佐原くん、君に会わせたい人がいてね」
浜谷との話を終えた村井が今度は佐原に声をかける。
「そうでしたね。だから今日、このホテルで会う約束をしましたものね。ところで、どなたですか?」
「それが、ちょっとその前に君に確認したいことがあるんだが、今佐原くんは特定の相手はいるかな? Subのパートナーとか。恋人とか、そういう類いの……」
村井は少しだけ言い淀む。かなりプライベートなことだからだろう。
「いません。失恋したばかりですから」
佐原は臆することなく答えた。
——失恋。
その言葉に思わずピクリと反応してしまう。
佐原が失恋した。
佐原に会わなかったこの期間に、何かがあったのだろうか。
佐原は和泉との偽のパートナーの約束から解放された。
そのことでやっと心も身体も自由になり、自分のことを考えられるようになったのだろう。
罪滅ぼしのためとはいえ、パートナーがいる状態では何もできなかっただろうから。
積年の想いを寄せていたSubについに気持ちを打ち明けたのだろうか。それで、やっぱりうまくいかなくて、その恋を諦めたのだろうか。
佐原を振るなんて考えられない。佐原を振ったその相手と中身を入れ替わりたいくらいだ。
「そうか。君ほどの男でもそんなことがあるのか……。ありがとう、言いづらいことを答えてくれて」
「いえ、事実ですから」
佐原は声のトーンを落とすこともなく淡々と話す。変に誤魔化すこともなく凛とした態度だ。
佐原は強い、と思った。
佐原は叶わぬ恋をしていた。
もしかしたら、前々からこうなることを予想して、失恋を受け入れる覚悟をしていたのかもしれない。結果は失恋という形にはなったが、自分の中で折り合いをつけて、納得のいく恋だったのかもしれない。
「佐原くん、ちょっと来てもらってもいいかな」
「はい」
村井が「佐原くん借りるよ」と言い、席を立ち、佐原を連れて去っていった。
佐原はどこに連れて行かれて、誰と会うのだろう。
恋人の有無を訊かれていたから、お見合いや紹介など、やはりそういう話ということだろうか。
佐原がその気になれば、相手などいくらでもいるだろう。
佐原はどこへ出しても文句なしのいい男だ。容姿に優れていて、社会的立場は次期社長。
優しくて、仕事熱心で、責任感と正義感にあふれている。
佐原みたいな男が家族を持ったらきっと温かい家庭を築くことだろう。子どものこともめちゃくちゃ可愛がるに違いない。
商談が終わったあと、佐原に「来てくれて助かった」とお礼のひとつでも言いたかった。
失恋の話も聞いてみたかった。この短期間で佐原の身に何があったのだろう。
佐原は恋を諦めたのだろうか。佐原が話してくれるのならば、慰めの話し相手くらいにはなれるかもしれない。
「和泉さん。村井さんたちが戻るまで、辺りを散歩しませんか?」
書類やタブレットをしまい終えた浜谷が微笑みかけてきた。
「えっ、あっ、はい。構いません、けど……」
ぼんやり佐原のことを考えていた頭の中を和泉は慌てて切り替える。
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