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8.離れていても

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 和泉が意識を取り戻したのは、病院の無機質な白いベッドの上だった。


 状況から察するに、自分はサブドロップを起こして、ここへ運ばれたのだろう。

 見れば和泉の左手首には点滴の管がつけられていて、その先には生理食塩液の点滴とリアンセリン点滴静注液という文字。横にはラミナ筋注というメモ書きもある。
 リアンセリンはSubの精神的な落ち込みを回復させる薬で、ラミナは強力なSub安定剤だ。この薬のおかげでサブドロップから回復できたのだろう。

 サブドロップした場合、DomのパートナーがいるSubならDomの力だけでサブドロップから回復することができるが、和泉のようにパートナーのいないSubはこうやって医学の力で回復させるしかない。

 ラミナは強力だが、それでもDomの力なしに薬のみでサブドロップから回復できる確率は五人にひとりと言われている。助かった和泉はかなり運が良かった、ということだ。



 サブドロップ状態にあるとき、和泉は佐原を何度も思い出していた。佐原に言ってほしい言葉を妄想して、まるで佐原に包まれているようだった。

 これこそラミナの力だ。ラミナには幻覚作用がある。それがうまく機能して、和泉はサブドロップから回復することができたのかもしれない。





 上半身を起こした状態で、ぼんやりとそんなことを考えていたとき、病室のドアがノックされ、誰かが入ってきた。

「あ! 起きましたか! 良かった、すぐに先生呼んできますね!」

 看護師と思われる女性が、和泉の様子をみて声を上げた。

「……あれ? さっきまで付き添われてたかたは?」
「付き添い……?」
「はい。一晩中いらしたようでした。献身的にそばについて看病なさっていましたよ? サブドロップに対する一番の特攻薬はDomの存在ですから」

 和泉の脳裏に咄嗟に浮かんだのは佐原だった。


 佐原が、一晩中そばにいてくれた……?


 サブドロップしているときに感じたものは、薬の影響で和泉の脳内が生み出した幻覚ではなかったのかもしれない。



「あっ、あの、それってどんな人でしたか?」

 医師を呼びに行くため、立ち去ろうとする看護師を慌てて引き止める。

「えーっと、黒髪で、背が高くて、見るからにDomって感じのかっこいい男のかたでしたよ」
「名前は、わかりますかっ?」
「わかります。面会者のところに名前を記入していただいてますから。確認してきましょうか?」
「はい。お願いします」

 看護師は「わかりました」と言って病室のドアを閉め、部屋を出て行った。





 その後ほどなくして、看護師の報告を受けた医師が和泉の診察に病室を訪れた。
 医師の診察を受けたとき、「付き添ってくれたDomに感謝をしたほうがいいですね。運ばれて来たとき、和泉さんはかなり危険な状態でしたから」と言われた。


「あ、和泉さん。先ほどお話ししていた面会者名簿、ご覧になりますか?」

 診察の終わりに看護師がわざわざ名簿を持ってきてくれて、和泉に手渡してきた。

「このかたです。昨日の夜、病棟にいらっしゃったのは、ひとりだけです。通常は面会時間を過ぎていると中に入れませんが、サブドロップしたSubさんに付き添うDomさんだけは例外ですから」

 看護師が指差す面会者名簿の名前を見て和泉は目を見開く。


 そこには『宇月尚紘』と記載されていた。


 見覚えのある、整った文字だ。
 速筆の尚紘とはまったく正反対の字。

「お知り合いのかたですよね?」
「はい……」
「ずいぶんと親身になって和泉さんのことを看病なさってました。あの、和泉さんのパートナーさんですよね?」

 そう聞かれて、一瞬、答えに詰まる。
 だがすぐに自分のパートナーの名前を思い出した。



「はい……宇月尚紘は俺のパートナーの名前です……」

 
 和泉が頷くと看護師は「よかった」とホッとした顔をする。見知らぬDomを病室に案内してしまったのかと心配したのだろう。

「宇月さんは達筆なかたですね。字がとてもお綺麗です」

 この筆跡にははっきりと見覚えがある。
 デカい図体をしているくせに、意外にも繊細な文字を書く男は、再び尚紘のふりをしたのだろう。

 和泉をサブドロップから救うために力を尽くしたくせに、朝になるとすべて幻だったかのように姿を消す。

 そんなことをする男はこの世にひとりしかいない。
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