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6.芽生えた感情
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富久薬品との商談は大いにうまくいった。佐原とふたりで温泉宿に戻ってきて、温泉を堪能したあと、浴衣姿でお互いを労いつつ夕食を共にしている。
「和泉よかったな! 追加の発注が入ったぞ!」
佐原がビールジョッキを和泉のジョッキにカツンとぶつけてきた。
「それは俺の手柄じゃない。ただタイミングがよかっただけだ」
今日、富久薬品から三億円分の医薬品原料の追加発注をもらったのだ。
もともと取引のあった品目だから、和泉の営業のおかげではないのだが、今期の利益がアップするのは喜ばしいことだ。
「細かいことは気にせず素直に喜べ」
そう言う佐原のほうが和泉よりも嬉しそうだ。ケミカル事業部に移って来て、初めて数字として成果を出せたことが嬉しいのかもしれない。
佐原とくだらない話をしていたとき、佐原に電話がかかってきた。
佐原は席を外し、しばらくして佐原は浮かない顔で戻ってきた。
「どうした? よくないことでもあったのか?」
「あ、いや……問題ない」
佐原はすぐに通常を取り戻し、今までどおり会話をし始めようとする。
少し気になったが、佐原はそれに触れようとはしないし、そのうちいつもの会話に呑まれて詳しく尋ねるきっかけを失ってしまった。
「いいよなぁ。仕事で温泉泊まれるの」
仕事が終わった解放感からか、付き合いの飲みでもないのに佐原はアルコールが進んでいる様子だ。
ここは温泉宿だし佐原がリラックスするのもわかる。浴衣姿で日本酒を呷る佐原は、いつもの隙のないスーツ姿とはまるで違う。
佐原は黒髪だからか浴衣もよく似合う。少しはだけた胸元も男の色気を感じる。
これは仕事の一環なのに、佐原とふたりで旅行に来たと勘違いしてしまいそうになる。
「富久製薬に近いのはこの宿しかないからな」
「そうなんだってな。しかも相棒は和泉だ。和泉の浴衣姿が見られるとは思ってなかった。案外似合ってるじゃないか。スーツもいいけど浴衣もいい」
「どこが。男の浴衣なんてどうでもいいだろ。お前酔ってんのか?」
「ああ、酔ってる」
佐原は気持ち悪いくらいの笑顔だ。これは本当に酔っているのだろう。
仕事上での飲みはいくらアルコールを飲んでも気を張っているのか態度は変わらないが、今日の佐原は素のままに感じる。
「酔わなきゃやってらんねぇよ。頭空っぽにして、今日だけはバカになりたい」
「好きにしろよ、お前の部屋までなら連れてってやるから」
きっと佐原もここで飲んでもすぐに部屋で休めるという安心感があるのだろう。
エリート佐原もこんなくだけた一面があることが知れて、実は嬉しく思っている。
もっと佐原のいろんな姿を見てみたい。佐原は何が好きで、どんなことに喜ぶのか。反対に嫌いなものは何か、何が一番許せないと思うのか。
佐原のことならどんな細かいことでも記憶しておきたい。
「ほら、注いでやるから」
和泉は日本酒のとっくりを持ち、佐原のお猪口に追加の酒を注いでやる。
こうやって佐原と過ごせるのもあと二ヶ月しかない。それまでに佐原のことをどこまで知ることができるだろうか。
そんなことを考えると和泉の胸がチクリと痛む。あと二ヶ月で佐原とは別々の道を行くことになる。
佐原はもとのエネルギー事業部に戻る。偽のパートナーも解消。和泉はまたひとりきりだった元の生活に戻るのだろう。
エネルギー事業部はフロアの階が違うから、普段はあまり顔を合わせないかもしれない。
それでも和泉が昼休みに佐原を誘ったら、食事くらいは一緒に行ってくれるだろうか。それとも佐原はあと二ヶ月できっぱりと和泉と縁を切るつもりなのだろうか。
できることなら佐原との付き合いは続けていきたいと思っている。偽のパートナーでなくなっても、佐原と話せる仲になりたい。
「和泉よかったな! 追加の発注が入ったぞ!」
佐原がビールジョッキを和泉のジョッキにカツンとぶつけてきた。
「それは俺の手柄じゃない。ただタイミングがよかっただけだ」
今日、富久薬品から三億円分の医薬品原料の追加発注をもらったのだ。
もともと取引のあった品目だから、和泉の営業のおかげではないのだが、今期の利益がアップするのは喜ばしいことだ。
「細かいことは気にせず素直に喜べ」
そう言う佐原のほうが和泉よりも嬉しそうだ。ケミカル事業部に移って来て、初めて数字として成果を出せたことが嬉しいのかもしれない。
佐原とくだらない話をしていたとき、佐原に電話がかかってきた。
佐原は席を外し、しばらくして佐原は浮かない顔で戻ってきた。
「どうした? よくないことでもあったのか?」
「あ、いや……問題ない」
佐原はすぐに通常を取り戻し、今までどおり会話をし始めようとする。
少し気になったが、佐原はそれに触れようとはしないし、そのうちいつもの会話に呑まれて詳しく尋ねるきっかけを失ってしまった。
「いいよなぁ。仕事で温泉泊まれるの」
仕事が終わった解放感からか、付き合いの飲みでもないのに佐原はアルコールが進んでいる様子だ。
ここは温泉宿だし佐原がリラックスするのもわかる。浴衣姿で日本酒を呷る佐原は、いつもの隙のないスーツ姿とはまるで違う。
佐原は黒髪だからか浴衣もよく似合う。少しはだけた胸元も男の色気を感じる。
これは仕事の一環なのに、佐原とふたりで旅行に来たと勘違いしてしまいそうになる。
「富久製薬に近いのはこの宿しかないからな」
「そうなんだってな。しかも相棒は和泉だ。和泉の浴衣姿が見られるとは思ってなかった。案外似合ってるじゃないか。スーツもいいけど浴衣もいい」
「どこが。男の浴衣なんてどうでもいいだろ。お前酔ってんのか?」
「ああ、酔ってる」
佐原は気持ち悪いくらいの笑顔だ。これは本当に酔っているのだろう。
仕事上での飲みはいくらアルコールを飲んでも気を張っているのか態度は変わらないが、今日の佐原は素のままに感じる。
「酔わなきゃやってらんねぇよ。頭空っぽにして、今日だけはバカになりたい」
「好きにしろよ、お前の部屋までなら連れてってやるから」
きっと佐原もここで飲んでもすぐに部屋で休めるという安心感があるのだろう。
エリート佐原もこんなくだけた一面があることが知れて、実は嬉しく思っている。
もっと佐原のいろんな姿を見てみたい。佐原は何が好きで、どんなことに喜ぶのか。反対に嫌いなものは何か、何が一番許せないと思うのか。
佐原のことならどんな細かいことでも記憶しておきたい。
「ほら、注いでやるから」
和泉は日本酒のとっくりを持ち、佐原のお猪口に追加の酒を注いでやる。
こうやって佐原と過ごせるのもあと二ヶ月しかない。それまでに佐原のことをどこまで知ることができるだろうか。
そんなことを考えると和泉の胸がチクリと痛む。あと二ヶ月で佐原とは別々の道を行くことになる。
佐原はもとのエネルギー事業部に戻る。偽のパートナーも解消。和泉はまたひとりきりだった元の生活に戻るのだろう。
エネルギー事業部はフロアの階が違うから、普段はあまり顔を合わせないかもしれない。
それでも和泉が昼休みに佐原を誘ったら、食事くらいは一緒に行ってくれるだろうか。それとも佐原はあと二ヶ月できっぱりと和泉と縁を切るつもりなのだろうか。
できることなら佐原との付き合いは続けていきたいと思っている。偽のパートナーでなくなっても、佐原と話せる仲になりたい。
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