借金のカタにイケメン社長に囲われる

雨宮里玖

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番外編 忘れられない一日1

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「晴翔。お前の言う通り懐かしい気持ちになったよ。レトロなラーメンも美味いな」

 冬麻は晴翔おすすめの三軒茶屋にある、昔ながらのラーメン屋を出て、晴翔とふたりで三軒茶屋駅方面へと歩いている。

「な! 創作系も好きだけどふっつーのラーメンもなんか時々食べたくなるんだよな」
「それ。わかるわ」

 こういうところは庶民体質なのかもしれない。久我はよく冬麻に食べたいものはないかと聞いてくるから、たまにファストフードを食べたいというと久我は笑っている。それでも「俺も結構好きなんだ」と言ってそれに付き合ってくれるところが、やっぱり好きだ。

「……冬麻、お前なにひとりでニヤけてんの?」
「へっ?!」

 やばい。ニヤけてたのか。友達といるのに恋人のことばかり考えているなんて駄目だ。

「あいつのところに戻って、そんなに楽しいの?」

 晴翔の冷たい視線にギクッとする。

 晴翔にはあれから久我と寄りを戻して再び同居していることを伝えた。冬麻の友人の中で唯一、久我と冬麻の関係を知っていたからだ。晴翔は「やめとけ。あんなクズ男なんて許すなよ」と言っていたが、許す許さないの問題じゃない。冬麻は久我と一緒に日々を過ごせることをとても幸せに感じている。

「うん。晴翔は色々心配してくれてたのに、ずっと話せなくてごめん」

 晴翔は晴翔なりの正義で、冬麻を救おうとしてくれていた。
 久我は悪い男だったのかもしれない。でも今ではそんななりはほとんど姿を消してしまい、ただただ冬麻を愛してくれるだけだ。今日だって晴翔と出掛けることを許してくれるくらいに寛容になった。

「はぁ……」

 晴翔の溜め息に心苦しくなる。晴翔はきっと冬麻のことを心配して損したと思っているのではないか。

「悪い。あ! 晴翔お前、この店も見てみたらいいんじゃないか? 収納とかシーツもあるよ」

 今日は三軒茶屋で晴翔の買い物に付き合う約束をした。それが第一優先だ。

 最近は仕事をしていても久我以外の他の誰かと会っていても、ふと久我のことを考えてしまう自分がいる。よくないことだとわかっているが、気が付いたら頭に浮かんでしまっている状態だ。

「お、いいね!」

 晴翔とふたりで店内に入る。外は猛暑なので店の中に入ると空調が涼しくて生き返ったみたいに感じた。




「冬麻は? なんか買いたいものとかねぇの?」

 ベッドシーツの触り心地を確認しながら晴翔が冬麻を振り返る。

「俺は特に。家になんでも揃ってるんだよ。ほんとすごいんだ」

 久我のマネジメント能力はすごく高いと思う。家の備品や食材の管理も完璧だ。無駄なくなんでも揃っているから、隙がなさすぎてつまらなく思うくらい。
 例えば「牛乳切らしてたよね、買っておいたよ」みたいな会話がない。たまには「買い物に行くならアレ買ってきて」みたいなおつかいを頼んでくれてもいいのに。

「ふーん。ムカつくな、金持ちって」

 晴翔はいつも久我に突っかかる。金持ちに対する庶民のひがみ、みたいな気持ちになるのはわからなくもない。

「住む世界が違うなって、いつも思う」

 久我の身の回りは全部ランクが違うように感じる。持っているもの、よく行く店、会う人たち全てがハイスペックだ。類は友を呼ぶって言うけれど、久我は庶民とは大違いの生活をしているなと思う。

「やっぱ庶民は庶民同士がいいんじゃねぇの?」

 晴翔がチラッと意味深な視線を送ってきた。

「どういう意味だよ」
「そのまんまの意味だよ。気の合わない奴と一緒にいても疲れるから、やめとけってこと」
「合わなくなんかない……」

 久我とこんなに仲良くやっていけているのだから、身分の差なんて関係ない、そう思いたい。

「なんかあったら俺に相談しろよ」
「ありがとう。でもとりあえずは大丈夫だ」

 冬麻が今、悩んでいることなんてない。

 仕事で疲れて職場を出ると久我は律儀に迎えにきてくれて、「お疲れ様。今日はどうだった? 何か困ったこととか俺にできることはない?」と話を聞いてくれる。
 家に着いたら食事から何からなにまで用意され、「ありがとうございます」と言うと、「冬麻大好き」と抱き締められる。
 そんな生活に不満なんてあるはずない。

「おいっ! 冬麻!」
「えっ!!」
「お前マジで顔が緩みっぱなしだ。そんなにあいつと一緒にいるのがいいの?」
「うん」

 つい正直に頷いてしまった。案の定、晴翔は冬麻に呆れている。

「俺の前でそんなにのろけるなよ……。こっちの気も知らないでさ」

 晴翔は怒って冬麻に背を向ける。

「ごめん、たしかに感じ悪いよな……」

 晴翔には彼女がいないと知っているのに、のろけるなんて晴翔がムカつくのも当然だ。

「晴翔許せ。今から心を入れ替えて、お前の買い物にとことん付き合うから。ほら、これなんてどうだ?」

 冬麻は慌ててその辺に転がっていた見本の枕を晴翔に押しつけた。





 晴翔との買い物を終え、冬麻は帰宅した。久我は今日は午前と午後にひとつずつ会議があるだけだから、早めに帰宅してあとは家で仕事をすると今朝、冬麻に話していた。だから今頃は家にいるはずだ。


「久我さん、ただい——」

 広々としたLDKにつながるドアを開けて、久我の姿を探そうとした時に、冬麻は思わず「うわっ!」とのけぞった。

 キッチンに立つ久我は、右手に包丁を持ち、怖いほどの笑顔だ。

「おかえり冬麻。随分と楽しかったみたいだね」

 久我の手にある包丁がキラリと光る。そしてなぜその切っ先をこちらに向けてくるのか。

「は、はい……」
「久しぶり晴翔に会えて楽しかった? 俺は寂しかったけどね」

 怖すぎる。いつかの久我を彷彿とさせる猟奇的な笑顔だ。

「そ、それ、危ないから早くしまってください!」

 包丁が似合いすぎてる。微笑みながら包丁を突きつけるのはやめろ! ヤンデレかよ!

「ああ。ごめん。料理中だったからつい」

 久我は包丁をまな板の上に置いた。
 はぁ……怖いな……。
 冬麻はとりあえず安堵する。

「冬麻が無事に帰ってきてくれてよかったよ。さ、夕飯にしようか」

 久我はコンロに置いてあったル・クルーゼの両手鍋に火をかけた。



 ふたり夕食を済ませたあと、ダイニングテーブルでPC作業をしていた久我が、ソファに座る冬麻のもとに近づいてきた。

「冬麻。俺、今度の金曜日の夜はレセプションパーティーなんだ」
「パーティーですか?」
「うん。今度港区に新しくできた複合施設の中に新店舗がオープンするんだ。そのレストランのレセプションパーティーね。面白いシェフが来てくれたんだよ。ケミカルが得意で理論的な料理をするシェフなんだ」
「はぁ……」

 ケミカル=化学的な料理という意味だろう。

「液体窒素とか、真空調理とかですか?」

 冬麻の専門学校時代に習った料理の知識はそのあたりだ。

「そうそう。それの発展形のね。だから明々後日しあさっては、この家に帰らない」
「そうですか……」

 少し不安になるが、まぁこの先こんなことは起こり得ることだ。状況によっては久我の海外出張などもあるかもしれない。一日くらい、なんでもないと思わなくてはならない。


「冬麻は寂しい?」
「えっ!」
「俺と一緒がいい?」

 久我は顔を寄せてじっと冬麻の反応をうかがっている。
 冬麻はこういう試されるようなものが一番苦手だ。気恥ずかしくて返事に困窮する。

「べっ、別に仕事なら仕方ないんじゃないですか」

 冬麻は久我から目を逸らす。
 久我は「そう……」と言って再びダイニングに戻ってPCの前に座って作業と向き合い始めた。

 久我の期待していた答えは知っている。「久我さんがいないと寂しいです」って言って甘えて欲しかったんだろう。
 でもいつも可愛くなんていられない。つい本音とは違う、あまのじゃくなことを言ってしまう。

 ——こんな調子で愛想を尽かされたらどうしよう。

 久我に限ってそんなことはないと思いたいけれど。
 




 23時。冬麻がバスルームから出ると、久我の姿がない。リビングを見回すと、ベランダで誰かとスマホで通話をしている久我の姿を見つけた。
 夜景を眺めながら、こちらに背中を向けている久我。不意にそのたくましい背中が愛おしく思えてきた。
 久我は冬麻にはわからない、さまざまなものを背負っているんだろう。凄惨な過去も、会社の未来も、目の前にある日常に苛まれながら。

 ——そうだ。

 久我にこっそり近づいて、あの愛おしい背中に後ろから抱きついてやろうと思いつき、冬麻は気配を殺してベランダに近づいていく。
 幸いベランダの掃き出し窓は少しだけ開いていたので、冬麻はそっと外に出る。



「報告ありがとう。三軒茶屋だっていうから戦々恐々とした」

 久我はいったい誰と、何の話をしているんだろう。

「あいつの家に一歩も入っていないことだけ確認できればとりあえずは大丈夫だ」

 三軒茶屋。あいつの家。まさかとは思うが、久我は——。

 冬麻の気配に気がついたのか、久我がこちらを振り返った。久我の表情は固まっている。明らかに話をしている途中だったのに、久我はスマホを耳から外し通話を解除した。


「久我さん。今のはなんですか……」

 久我は何も答えない。言い訳を必死に考えているのかもしれない。

「もうストーカーはしないって言いましたよね?!」

 はっきり言って裏切られた気分だった。まだ自分のことを信用してくれていないのかと。晴翔と会っていいと許可しておきながら、結局誰かに見張らせて、久我は冬麻の動向をうかがっていたのだ。

「もういいです!」

 ベランダから立ち去る冬麻のあとを、久我が追いかけてきた。

「冬麻っ……!」

 久我が冬麻の腕を掴もうとするから、「やめろ!」と叫んだ。冬麻の声に久我の手は止まる。


「久我さん。ルールを作りましょう」

 冬麻は真面目な顔で久我に向き合った。

「ストーカーは禁止です。久我さんは俺のことが心配なんでしょうけど、俺は嫌だ。もう止めてください!」

 ここはビシッと厳しく言わないと駄目だ。
 
「わかった。冬麻。本当にごめん。もうしない。だから——」
「許さない」

 冬麻は久我をキッと睨みつけた。



「いいですか! ストーカーしたら、三日間お触り禁止です!!」


 冬麻の物言いに久我は目をしばたかせている。

「今日から三日間、俺に触らないでください。いいですね? これはルールですから」

 今後のふたりのためにもルール決めは必要だ。
 まずはストーキングをやめさせないといけない。そのために意地悪を言ってやる。

「冬麻……」

 久我はどこかほっとしたような表情をしている。もしかしたらストーキングをしたことで冬麻に別れを告げられる、とまで思っていたのかもしれない。

「俺は冬麻のそばにいてもいいの? 冬麻はここを出て行ったりしない?」
「はい。触らなければ話もしますし、隣に座ってもらっても結構です」

 ストーキングは嫌だけど、それも久我の不安と愛情の表れだ。
 それにこれくらいで久我から離れる気なんてない。

「冬麻……」

 久我がいつもみたいに冬麻を抱き寄せようと手を伸ばしたが、久我はその手を引っ込めた。

「今日、冬麻を監視したことは謝る。冬麻の決めたルールも守る。だから冬麻は俺のそばからいなくならないで」
「はい。いなくなりませんよ」

 冬麻は久我に微笑みかける。

「よかった……」

 久我は心底安心した顔をしている。
 外面は冷静沈着で余裕のあるイケメン社長のくせに、ふたりきりだと冬麻の言うことを聞きシュンとして、しおらしくしている。久我のこんな姿を社内の人が見たらどう思うんだろう。


「あー! 可愛い! 三日……三日か……。可愛いすぎて今すぐ——」

 久我は今にも冬麻のことを抱き締めそうな勢いだ。

「駄目です!」
「わかってる……」
「もう二度と俺を監視したりしないでくださいね!」

 これに懲りて、ストーキングがなくなればいいけれど。

「今日から三日間は俺は自分の部屋で寝ます」
「えっ! 駄目だよ、誓って手は出さないから一緒がいい……」
「いいえ、俺はひとりで寝ます」

 一緒のベッドに入ったら、なし崩しにそういうことになってしまいそうだ。せっかくのルールが守られない可能性が高い。

「冬麻ぁ……」

 そんな情けない声を出すなら、ストーキングなんてするなよ!
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