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34.あれから

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 今日も特別なことは何もなかった。いつも通りに起床して、仕事に行って、疲れた身体で帰宅する、平穏な日々だ。



「二ノ坂!」

 駅のホームで電車を待っているときに、職場の先輩の市倉から声をかけられた。

「お前がこっから電車乗るの珍しいな、いつもは隣駅まで歩いて半蔵門線に乗ってるんだろ?」

 そうだった。久我の迎えがあったから、外苑前駅から電車に乗らない理由として『一駅歩いてから乗っている』と嘘をついていたんだった。

「毎日歩くのも大変で」

 冬麻は適当な嘘を重ねる。

「それ。俺もそういうの続かないわ。続けるって大変だよ。俺も毎日自炊してたけど、最近面倒くさくなって買って帰ってる」
「ですよね」

 毎日朝晩食事を用意するって、地味に大変なことだ。久我はあの忙しいスケジュールの中、よくそんなことができたな、なんて今さらながらに感心する。


「そうだ。社長の話、聞いたか?」
「社長の話?!」

 つい過剰に反応してしまった。離れてからも、久我がどうしているのか気にしているからかもしれない。
 今の久我のことは何も知らない。あれから一度も会ってないし、声だって聞いていないから。

「飼い犬に手を噛まれたらしいぜ? 全治数週間かかるらしくてずっと包帯巻いてるんだってさ。社長が犬を飼ってたなんて知らなかったな」
「はは……」

 やばい。きっとその怪我は犬のせいじゃない。

「犬種は何かなぁ。社長のことだから普段の世話は誰か雇ったりしてそうだよな。無理だろ、あんなに忙しそうなのに。ペットを構う暇なんてないだろ」
「ですね……」

 いや、本当は異常なくらいに構ってきましたけど……。冬麻、冬麻ってうるさいくらいに。

 ——いやいや、俺は犬じゃない!

 でも、ただ世話をされて飼われていただけだったかもしれない。
 久我は冬麻がいなくなってから悠々自適に暮らせているんじゃないだろうか。冬麻に合わせる生活はかなりの負担だっただろうから。



 それから市倉と別れ、電車に揺られて帰宅する。家と職場の往復、ドアツードアで片道一時間十五分。無理じゃないけど、毎日だとだるく思うときもある。



「ただいま」

 冬麻は実家のドアを開ける。慣れ親しんだ我が家だ。
 ただいまと言ってみるものの、実家は居酒屋経営なので、両親は隣接している店で仕事をしていて当然誰からも返事はない。

 久我の家を出てから実家に戻ってきた。社員寮ではなく、やっぱり家から通いたいと父に言ったら不思議そうな顔をしていたが、戻ることを認めてくれた。



 ——久我さんは今、何してるのかな……。

 適当な夕食と風呂も済ませて早々に自室のベッドに転がるが、眠れなくて色々考え事をしていた。


 ——俺のこと諦めるって言ってたよな。まぁ、もとから俺じゃなくても誰でも良かったんだろうし。

 久我だったら、いくらでも相手はいるだろう。それこそ結婚して子供でも産まれてしまえば我が子を溺愛しそうなタイプだ。


 ——あんなにぐいぐい迫ってきたくせに……。

 しつこいくらいの久我からの連絡もぱったりと止んだ。
 何をしていても自由で、いくら帰りが遅くなっても心配して迎えに来ることもない。
 夜だってひとりきり。隣には誰もいない。



 その時ピロンとスマホが鳴って、冬麻はすぐさまスマホを手に取った。久我からの連絡を期待したけど、メールの相手は久我じゃない、幼馴染の晴翔だった。
 はぁ、と溜め息をついたあと、メールを確認する。

『冬麻。今度の休みいつ? 俺と出かけない?』

 晴翔は冬麻が実家に戻って来たことをすごく喜んでいて、冬麻を心配しているのかしょっちゅう連絡をくれる。そして元気づけのために遊びに誘ってくるのだ。

『いいよ。俺の休みは——』

 久我もいないから、休みの日の予定もない。冬麻は即OKの連絡を返す。

 ひとりでいたら、久我のことばかり考えてしまうからこういうときは誰かといたほうがきっといい。休みの時間なんて自分に与えずに、考える間もないよう予定を埋めてしまいたかった。
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