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31.逃亡計画
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冬麻が目覚めた場所は、さっきまでいた部屋ではなかった。
ここは久我のベッドの上だ。
左足首に拘束するためのものが付いているようだが、それ以外は何もない。かなり身体の自由はある。
冬麻が寝ている時に、誰かがここまで運んだようだ。そんなことができるのはおそらくひとりしかいないが。
「冬麻っ! 起きた?! 大丈夫?!」
すぐそばには久我がいた。冬麻が目覚めるなり心配そうな顔で冬麻に近づいてきた。
「ああ、もう、冬麻が倒れてた時は心臓が止まりそうなくらいに驚いたよ」
倒れてた……?
冬麻としては寝ていただけのつもりだったのに。
「良かった……」
久我は冬麻を抱き締めようと両腕を伸ばしてきた。
久我に触れられそうになって、冬麻は反射的にビクッと身体をこわばらせた。
無意識のうちに、久我の手を怖いと感じたのかもしれない。
「えっ、冬麻……?」
久我がひどく驚いた顔をしている。
でも冬麻だって内心びっくりしている。もう自分は久我を生理的に受け付けない身体になっていたことに。
「水とか栄養ゼリーは枕元に置いてあるから。朝までここで休んで」
久我は立ち上がり、ウォークインクローゼットに寄って着替えのようなものを手に取り部屋を出て行った。その間一度も冬麻のほうを振り返らなかったから、久我がどんな顔をしていたかはわからない。
ここは久我の部屋で、これは久我のベッド。
ここを冬麻が朝まで占領してしまったら、あの人はどこに行くんだろう。
朝七時きっかりに久我が朝食を持ってやってきた。
「冬麻、おはよう」
久我はいつもの嘘くさい笑顔で話しかけてきた。冬麻は返事もせず、虚ろな目で久我を見るだけ。
「あれから水も飲んでないの……?」
久我は枕元に置いてあったトレイを見て表情を曇らせた。
「お粥を作ってきたよ。身体が辛いなら俺が食べさせようか?」
久我は前夜から置いてあったトレイをデスクの端に移動させ、代わりに枕元にお粥と新しい水の入ったグラスが載っているトレイを置いた。
久我に反抗して、昨日は一切の飲食を拒絶したが、さすがに辛くなってきた。
このままじゃ本当に身体が動かなくなってしまう。
——そうだ。
冬麻はここから逃げ出すための作戦を思いついた。
うまくいくかはわからないけれど。
「久我さん、俺トイレ行ってそれからシャワーを使いたいんですけど」
すぐそばにいる久我にそう告げると、久我はパッとこちらを振り返った。
「もちろんいいよ、冬麻。いつでも入れるように準備してあったんだ。ちょっと待って」
久我はポケットから小さな鍵を取り出し、冬麻の左足首に纏わりついていた拘束を解いた。
——思ったとおり、全然隙がないな……。
久我は用意周到だ。トイレの窓も開けられないように施錠されているし、シャワーの間も久我はその場を離れない。離れないどころか今は冬麻の背中を念入りに洗っている。
せめて久我も服を脱いでくれたら、ここを冬麻が急に飛び出せば、裸で追ってこれないということも考えられたが、「久我さん、服が濡れますよ」と声をかけてみても久我は頑なに服を脱ごうとはしなかった。
バスルームを出て、用意されていた新しい服に着替えた。
そのあと久我は鏡の前で椅子に座っている、冬麻の髪を乾かし始めた。鏡に映っている自分は疲れた顔をしているが、対して久我は「冬麻の髪はキレイだね」と、ご満悦の様子だ。
「うう……」
冬麻は突然うめき声を出して洗面台にもたれかかる。
「冬麻?! どうしたの?!」
久我が慌ててドライヤーを止め、こちらの様子を伺ってきた。
「久我さ……俺、水が飲みたい……」
弱々しい声で訴えると「わかった、すぐ持ってくるっ」と久我がその場を離れた。
——やった! 離れた!
具合が悪いふりをして、水が飲みたいと訴えるのは冬麻の策だ。
この隙を逃したらまたいつチャンスが来るとも限らない。冬麻は玄関に向かって駆け出した。
靴なんてなんでもいい。シューズクローゼットを開けてすぐに目についた久我のスニーカーを手に取り、急いで履く。
玄関のドアまで手を伸ばしてもう少し、というところで強い力で玄関の壁に思い切り背中をバンと叩きつけられた。
「冬麻」
低い、抑揚のない声で名前を呼ばれる。冬麻の両肩を壁に押し付けて、こちらを睨みつけているのは久我だ。
「戻る部屋を間違えたの? 俺が案内してあげるから、その靴を脱いでくれないかな」
久我の氷のような微笑み。
怖い。
この人は怖すぎる。
乱暴に腕を掴まれ、引っ張られる。
行き着く先は久我の部屋の奥。あの小さな監禁部屋だ。
「離せっ!」
必死で抵抗するが、体格では久我に敵わない。
——この野郎!
冬麻は久我の腕に噛みついた。手加減なんてしない、噛みちぎるくらいの勢いで思いっきり噛みついた。
久我が痛がって、冬麻を掴んでいた手を離すとばかり想定していた。
それなのに、久我の手は力が緩まることなどない。強い力で冬麻を掴んで離さない。
噛みついた部位から久我の赤い血が流れ、冬麻の口の中にも生々しい血の味が広がる。
久我は冬麻に噛みつかれても動じることなく、ただその様子を無表情に見下ろしている。
反対に怖くなったのは冬麻だ。
噛み切るぐらいの気概で噛みついたのに、いざとなると、そんなことまではできない。だんだんと噛みついていることすらも、久我の血がどんどん流れていく様も恐ろしくなる。
冬麻は久我の腕を噛みつくことを止めた。久我の腕には冬麻の歯型がくっきり残っている。そこから流れる血は、久我の腕に滴り雫となって廊下に落ちた。
久我は抵抗をやめた冬麻を抱え込むようにしてあの部屋に引きずり込もうとする。
——ああ。どうすればいいんだよ……。
この人に抵抗することは、無駄なことなのかもしれない。
冬麻は再び小さな部屋に連れ込まれ、久我の手によって幾重にも鍵をかけられ、扉を閉められた。
ここは久我のベッドの上だ。
左足首に拘束するためのものが付いているようだが、それ以外は何もない。かなり身体の自由はある。
冬麻が寝ている時に、誰かがここまで運んだようだ。そんなことができるのはおそらくひとりしかいないが。
「冬麻っ! 起きた?! 大丈夫?!」
すぐそばには久我がいた。冬麻が目覚めるなり心配そうな顔で冬麻に近づいてきた。
「ああ、もう、冬麻が倒れてた時は心臓が止まりそうなくらいに驚いたよ」
倒れてた……?
冬麻としては寝ていただけのつもりだったのに。
「良かった……」
久我は冬麻を抱き締めようと両腕を伸ばしてきた。
久我に触れられそうになって、冬麻は反射的にビクッと身体をこわばらせた。
無意識のうちに、久我の手を怖いと感じたのかもしれない。
「えっ、冬麻……?」
久我がひどく驚いた顔をしている。
でも冬麻だって内心びっくりしている。もう自分は久我を生理的に受け付けない身体になっていたことに。
「水とか栄養ゼリーは枕元に置いてあるから。朝までここで休んで」
久我は立ち上がり、ウォークインクローゼットに寄って着替えのようなものを手に取り部屋を出て行った。その間一度も冬麻のほうを振り返らなかったから、久我がどんな顔をしていたかはわからない。
ここは久我の部屋で、これは久我のベッド。
ここを冬麻が朝まで占領してしまったら、あの人はどこに行くんだろう。
朝七時きっかりに久我が朝食を持ってやってきた。
「冬麻、おはよう」
久我はいつもの嘘くさい笑顔で話しかけてきた。冬麻は返事もせず、虚ろな目で久我を見るだけ。
「あれから水も飲んでないの……?」
久我は枕元に置いてあったトレイを見て表情を曇らせた。
「お粥を作ってきたよ。身体が辛いなら俺が食べさせようか?」
久我は前夜から置いてあったトレイをデスクの端に移動させ、代わりに枕元にお粥と新しい水の入ったグラスが載っているトレイを置いた。
久我に反抗して、昨日は一切の飲食を拒絶したが、さすがに辛くなってきた。
このままじゃ本当に身体が動かなくなってしまう。
——そうだ。
冬麻はここから逃げ出すための作戦を思いついた。
うまくいくかはわからないけれど。
「久我さん、俺トイレ行ってそれからシャワーを使いたいんですけど」
すぐそばにいる久我にそう告げると、久我はパッとこちらを振り返った。
「もちろんいいよ、冬麻。いつでも入れるように準備してあったんだ。ちょっと待って」
久我はポケットから小さな鍵を取り出し、冬麻の左足首に纏わりついていた拘束を解いた。
——思ったとおり、全然隙がないな……。
久我は用意周到だ。トイレの窓も開けられないように施錠されているし、シャワーの間も久我はその場を離れない。離れないどころか今は冬麻の背中を念入りに洗っている。
せめて久我も服を脱いでくれたら、ここを冬麻が急に飛び出せば、裸で追ってこれないということも考えられたが、「久我さん、服が濡れますよ」と声をかけてみても久我は頑なに服を脱ごうとはしなかった。
バスルームを出て、用意されていた新しい服に着替えた。
そのあと久我は鏡の前で椅子に座っている、冬麻の髪を乾かし始めた。鏡に映っている自分は疲れた顔をしているが、対して久我は「冬麻の髪はキレイだね」と、ご満悦の様子だ。
「うう……」
冬麻は突然うめき声を出して洗面台にもたれかかる。
「冬麻?! どうしたの?!」
久我が慌ててドライヤーを止め、こちらの様子を伺ってきた。
「久我さ……俺、水が飲みたい……」
弱々しい声で訴えると「わかった、すぐ持ってくるっ」と久我がその場を離れた。
——やった! 離れた!
具合が悪いふりをして、水が飲みたいと訴えるのは冬麻の策だ。
この隙を逃したらまたいつチャンスが来るとも限らない。冬麻は玄関に向かって駆け出した。
靴なんてなんでもいい。シューズクローゼットを開けてすぐに目についた久我のスニーカーを手に取り、急いで履く。
玄関のドアまで手を伸ばしてもう少し、というところで強い力で玄関の壁に思い切り背中をバンと叩きつけられた。
「冬麻」
低い、抑揚のない声で名前を呼ばれる。冬麻の両肩を壁に押し付けて、こちらを睨みつけているのは久我だ。
「戻る部屋を間違えたの? 俺が案内してあげるから、その靴を脱いでくれないかな」
久我の氷のような微笑み。
怖い。
この人は怖すぎる。
乱暴に腕を掴まれ、引っ張られる。
行き着く先は久我の部屋の奥。あの小さな監禁部屋だ。
「離せっ!」
必死で抵抗するが、体格では久我に敵わない。
——この野郎!
冬麻は久我の腕に噛みついた。手加減なんてしない、噛みちぎるくらいの勢いで思いっきり噛みついた。
久我が痛がって、冬麻を掴んでいた手を離すとばかり想定していた。
それなのに、久我の手は力が緩まることなどない。強い力で冬麻を掴んで離さない。
噛みついた部位から久我の赤い血が流れ、冬麻の口の中にも生々しい血の味が広がる。
久我は冬麻に噛みつかれても動じることなく、ただその様子を無表情に見下ろしている。
反対に怖くなったのは冬麻だ。
噛み切るぐらいの気概で噛みついたのに、いざとなると、そんなことまではできない。だんだんと噛みついていることすらも、久我の血がどんどん流れていく様も恐ろしくなる。
冬麻は久我の腕を噛みつくことを止めた。久我の腕には冬麻の歯型がくっきり残っている。そこから流れる血は、久我の腕に滴り雫となって廊下に落ちた。
久我は抵抗をやめた冬麻を抱え込むようにしてあの部屋に引きずり込もうとする。
——ああ。どうすればいいんだよ……。
この人に抵抗することは、無駄なことなのかもしれない。
冬麻は再び小さな部屋に連れ込まれ、久我の手によって幾重にも鍵をかけられ、扉を閉められた。
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