上 下
32 / 128

31.逃亡計画

しおりを挟む
 冬麻が目覚めた場所は、さっきまでいた部屋ではなかった。
 ここは久我のベッドの上だ。

 左足首に拘束するためのものが付いているようだが、それ以外は何もない。かなり身体の自由はある。

 冬麻が寝ている時に、誰かがここまで運んだようだ。そんなことができるのはおそらくひとりしかいないが。


「冬麻っ! 起きた?! 大丈夫?!」

 すぐそばには久我がいた。冬麻が目覚めるなり心配そうな顔で冬麻に近づいてきた。

「ああ、もう、冬麻が倒れてた時は心臓が止まりそうなくらいに驚いたよ」

 倒れてた……?
 冬麻としては寝ていただけのつもりだったのに。

「良かった……」

 久我は冬麻を抱き締めようと両腕を伸ばしてきた。

 久我に触れられそうになって、冬麻は反射的にビクッと身体をこわばらせた。
 無意識のうちに、久我の手を怖いと感じたのかもしれない。

「えっ、冬麻……?」

 久我がひどく驚いた顔をしている。
 でも冬麻だって内心びっくりしている。もう自分は久我を生理的に受け付けない身体になっていたことに。



「水とか栄養ゼリーは枕元に置いてあるから。朝までここで休んで」

 久我は立ち上がり、ウォークインクローゼットに寄って着替えのようなものを手に取り部屋を出て行った。その間一度も冬麻のほうを振り返らなかったから、久我がどんな顔をしていたかはわからない。


 ここは久我の部屋で、これは久我のベッド。
 ここを冬麻が朝まで占領してしまったら、あの人はどこに行くんだろう。





 朝七時きっかりに久我が朝食を持ってやってきた。

「冬麻、おはよう」

 久我はいつもの嘘くさい笑顔で話しかけてきた。冬麻は返事もせず、虚ろな目で久我を見るだけ。

「あれから水も飲んでないの……?」

 久我は枕元に置いてあったトレイを見て表情を曇らせた。

「お粥を作ってきたよ。身体が辛いなら俺が食べさせようか?」

 久我は前夜から置いてあったトレイをデスクの端に移動させ、代わりに枕元にお粥と新しい水の入ったグラスが載っているトレイを置いた。


 久我に反抗して、昨日は一切の飲食を拒絶したが、さすがに辛くなってきた。
 このままじゃ本当に身体が動かなくなってしまう。

 ——そうだ。

 冬麻はここから逃げ出すための作戦を思いついた。
 うまくいくかはわからないけれど。

「久我さん、俺トイレ行ってそれからシャワーを使いたいんですけど」

 すぐそばにいる久我にそう告げると、久我はパッとこちらを振り返った。

「もちろんいいよ、冬麻。いつでも入れるように準備してあったんだ。ちょっと待って」

 久我はポケットから小さな鍵を取り出し、冬麻の左足首に纏わりついていた拘束を解いた。





 ——思ったとおり、全然隙がないな……。

 久我は用意周到だ。トイレの窓も開けられないように施錠されているし、シャワーの間も久我はその場を離れない。離れないどころか今は冬麻の背中を念入りに洗っている。

 せめて久我も服を脱いでくれたら、ここを冬麻が急に飛び出せば、裸で追ってこれないということも考えられたが、「久我さん、服が濡れますよ」と声をかけてみても久我は頑なに服を脱ごうとはしなかった。

 バスルームを出て、用意されていた新しい服に着替えた。
 そのあと久我は鏡の前で椅子に座っている、冬麻の髪を乾かし始めた。鏡に映っている自分は疲れた顔をしているが、対して久我は「冬麻の髪はキレイだね」と、ご満悦の様子だ。


「うう……」

 冬麻は突然うめき声を出して洗面台にもたれかかる。

「冬麻?! どうしたの?!」

 久我が慌ててドライヤーを止め、こちらの様子を伺ってきた。

「久我さ……俺、水が飲みたい……」

 弱々しい声で訴えると「わかった、すぐ持ってくるっ」と久我がその場を離れた。

 ——やった! 離れた!

 具合が悪いふりをして、水が飲みたいと訴えるのは冬麻の策だ。

 この隙を逃したらまたいつチャンスが来るとも限らない。冬麻は玄関に向かって駆け出した。



 靴なんてなんでもいい。シューズクローゼットを開けてすぐに目についた久我のスニーカーを手に取り、急いで履く。


 玄関のドアまで手を伸ばしてもう少し、というところで強い力で玄関の壁に思い切り背中をバンと叩きつけられた。

「冬麻」

 低い、抑揚のない声で名前を呼ばれる。冬麻の両肩を壁に押し付けて、こちらを睨みつけているのは久我だ。

「戻る部屋を間違えたの? 俺が案内してあげるから、その靴を脱いでくれないかな」

 久我の氷のような微笑み。
 怖い。
 この人は怖すぎる。

 乱暴に腕を掴まれ、引っ張られる。
 行き着く先は久我の部屋の奥。あの小さな監禁部屋だ。

「離せっ!」

 必死で抵抗するが、体格では久我に敵わない。

 ——この野郎!

 冬麻は久我の腕に噛みついた。手加減なんてしない、噛みちぎるくらいの勢いで思いっきり噛みついた。

 久我が痛がって、冬麻を掴んでいた手を離すとばかり想定していた。
 それなのに、久我の手は力が緩まることなどない。強い力で冬麻を掴んで離さない。

 噛みついた部位から久我の赤い血が流れ、冬麻の口の中にも生々しい血の味が広がる。

 久我は冬麻に噛みつかれても動じることなく、ただその様子を無表情に見下ろしている。

 反対に怖くなったのは冬麻だ。
 噛み切るぐらいの気概で噛みついたのに、いざとなると、そんなことまではできない。だんだんと噛みついていることすらも、久我の血がどんどん流れていく様も恐ろしくなる。

 冬麻は久我の腕を噛みつくことを止めた。久我の腕には冬麻の歯型がくっきり残っている。そこから流れる血は、久我の腕に滴り雫となって廊下に落ちた。

 久我は抵抗をやめた冬麻を抱え込むようにしてあの部屋に引きずり込もうとする。

 ——ああ。どうすればいいんだよ……。
 この人に抵抗することは、無駄なことなのかもしれない。


 冬麻は再び小さな部屋に連れ込まれ、久我の手によって幾重にも鍵をかけられ、扉を閉められた。
しおりを挟む
感想 48

あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

隠れヤンデレは自制しながら、鈍感幼なじみを溺愛する

知世
BL
大輝は悩んでいた。 完璧な幼なじみ―聖にとって、自分の存在は負担なんじゃないか。 自分に優しい…むしろ甘い聖は、俺のせいで、色んなことを我慢しているのでは? 自分は聖の邪魔なのでは? ネガティブな思考に陥った大輝は、ある日、決断する。 幼なじみ離れをしよう、と。 一方で、聖もまた、悩んでいた。 彼は狂おしいまでの愛情を抑え込み、大輝の隣にいる。 自制しがたい恋情を、暴走してしまいそうな心身を、理性でひたすら耐えていた。 心から愛する人を、大切にしたい、慈しみたい、その一心で。 大輝が望むなら、ずっと親友でいるよ。頼りになって、甘えられる、そんな幼なじみのままでいい。 だから、せめて、隣にいたい。一生。死ぬまで共にいよう、大輝。 それが叶わないなら、俺は…。俺は、大輝の望む、幼なじみで親友の聖、ではいられなくなるかもしれない。 小説未満、小ネタ以上、な短編です(スランプの時、思い付いたので書きました) 受けと攻め、交互に視点が変わります。 受けは現在、攻めは過去から現在の話です。 拙い文章ですが、少しでも楽しんで頂けたら幸いです。 宜しくお願い致します。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ヤンデレBL作品集

みるきぃ
BL
主にヤンデレ攻めを中心としたBL作品集となっています。

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

【完結】悪役令息の従者に転職しました

  *  
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。 依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。 皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ! 本編完結しました! 時々おまけのお話を更新しています。

モテる兄貴を持つと……(三人称改訂版)

夏目碧央
BL
 兄、海斗(かいと)と同じ高校に入学した城崎岳斗(きのさきやまと)は、兄がモテるがゆえに様々な苦難に遭う。だが、カッコよくて優しい兄を実は自慢に思っている。兄は弟が大好きで、少々過保護気味。  ある日、岳斗は両親の血液型と自分の血液型がおかしい事に気づく。海斗は「覚えてないのか?」と驚いた様子。岳斗は何を忘れているのか?一体どんな秘密が?

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...