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懐柔

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「瑠璃、俺を他の男と一緒にするな」

シンと静まり返る寝室に響く彼の声。ドクンドクンと心音が聞こえ落ち着く。
「…みんなそう言ってたよ、結局別れたけど」
自嘲する私を彼は窘める。
「瑠璃、自暴自棄になってはいけないよ」
優しい声に顔が歪む。
「…健吾さんには…私の気持ちなんて」
「瑠璃」
私の顎に手置き持ち上げ、視線を無理矢理上げさせられた。真剣な眼差しの彼に吸い込まれてしまう。
「健吾さん」
「愛してるよ、誰よりも…この気持ちは誰にも負けないよ」



「…私も…私も好きよ…でも」

好きなのに彼を完全に信じられない自分が嫌になる。
「…なら…そうだな、お試しで住んで見ないか?」
彼の親指の腹が私の唇を何度もなぞる。
「…お試し?」
彼の手首に手を置くと、目が細まる彼は嬉しそうだ。
「そう、1週間だと少ないから2週間共に過ごすんだ、朝から晩まで、ね」
「…でも」
ーーその間に嫌いになられたら…
不安な顔の私の背を撫でる。
「とりあえずやってみない事には、いつまで経っても堂々巡りだしね」
にっこり微笑まれ、反論が出来ない。
「…なら…お試しで」
気圧されて、コクと頷く。


「そうしよう、でもやっぱり2週間も少ない気がするから1ヶ月にしよう」




********************


お試しで一緒に住むと決まってからは、じゃあ明日からねと決まった。…今日は元々泊まる予定だったから、カウントしないらしい。
週末泊まりに来ていたので、私の服はたくさんあるし仕事洋服もある。

朝彼の腕の中で目が覚め、照れ臭くて彼の胸に顔を埋めて挨拶をする
「おはよう」
「おはようございます」
そんな私を揶揄うのでもなく、頭を撫でてまったりとした、ひと時が過ぎる。
起き上がり朝の準備を始める。シンプルな黒のジャケットに白いブラウス、黒いスカートを履いてリビングに行くと、すでに彼がキッチンにいた。
コーヒーショップに行く事もなく彼と笑いながら朝食を作り食べる。
「美味しいなぁ」
「うん、美味しいね」
コーヒーショップと同じで向かい合わせになって食べるが、お店といる時とは違う、のんびりとした朝に、幸せだなぁ、と思う。

私がお皿を洗い、彼が軽くテーブルを拭いていると、
「そろそろ、行こうか」
彼のひと言で一緒に出かける。
玄関で靴を履き荷物を持つと、彼は私の腰を寄せ向かい合って顔が近づく。
「いってらっしゃい」
「いってらっしゃい」
ふふふと、笑いながら啄むキスに、そういえば今日はまだキスをしていない事に気がついた。
額を合わせて、彼の口づけを受ける。
「一緒に住むからって、毎回きっちりしなくてもいい」
低い落ち着いた声が私に届く。
「健吾さん」
彼と視線を合わせる。
「一緒に居たいだけ…でも朝はキスしたいからその時間だけは取るよ」
うん、と答え彼の唇に自分から口をつけた。




「沖田さん、この指示書間違えているわ」
営業2課のお局様ーー山本さんが、今朝私が出したばかりの
指示書を持って私の机にやってきた。
「どちらですか」
手渡された紙を見て、"違う"とメモしてある付箋が貼られている箇所の金額を見るが、
「…この金額は、課長に言われた額をそのまま入力しました」
「でもそんなの聞いてないわ、あなたの聞き間違いじゃないの?」
聞き間違いと言われれば、調べなければいけないので、引き出しの中にある同じ指示書の私の控えと課長の言っていたメモを取り出して、彼女に渡した。
「こちらが、課長に言われた金額です」
課長の字で書かれたメモと指示書を見比べ、ちっと舌打ちをする山本さん。
「……あなたって本当嫌味ね」
目の前で舌打ちをされ、びっくりと固まっている間に彼女はスタスタと立ち去ってしまう。
「…おお、怖っ…彼女根に持つタイプだからな」
私の横にいるほのかが小声で呟く。
「嫌だな、最近特に声掛けられる事が多くてさ」
「…ああ、多分嫉妬だよ」
同情的な眼差しで私を見るほのかに、意味がわからなくて困惑する。
「…嫉妬って?」
「山本さん、部長の事好きだからさ」

ほのかに告げられた言葉を理解するまでに時間が必要だった。

「えっ」

しーっ!と人差し指を口の前に立て、私の大きな声を咎めた。
驚いて大きな声を出してしまい、周りの人達が私のいる方へ顔を見たのに気がつき、慌てて俯く。

ーーそんな…山本さんが健吾さんを…好き?

知り合いが、自分の彼氏を好きな人と知るのは、初めての事で、もやもやとした気持ちが溢れる。

ーー本人に聞いたわけじゃない…けど健吾さんと話す様になった社員旅行以前から当たりがキツかった…どういう事なんだろうか


でもひとつだけはっきりしたのは、

ーー健吾さんを好きなのは、私だけでいい

それだけだった。



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