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第四話「『動く! 校長先生のお面』事件」
4.裏の顔を暴く
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「いつでも歓迎だ、とは言ったが、随分と早いな。美術に興味でも出て来たのか?」
「美術には以前から興味ありますよ。先生の授業だって、真面目に受けているじゃないですか」
「ははっ、確かにそうだな。で、今日は何の要件かね?」
更に翌日。俺達は、再び美術室を訪れていた。
美術部の活動中だったので煙たがられるかとも思ったが、意外にも磯淵先生は歓迎ムードだった。――いや、確か『美術部が活動している時にでも、普通に尋ねてきなさい』と言っていたか。
だったら、邪険にされる理由もない訳だ。
美術部員の人数は六人。全員が女子だ。本当なら部員の数は十人らしいのだが、校内にスケッチに行っていたり、はたまた堂々とサボっていたりしてフルメンバーは中々揃わないのだそうだ。
磯淵先生の雰囲気から、何となく厳しめの部活かと思っていたが、案外と緩いのかもしれない。
「今日はですね――いえ、今日も校長先生のライフマスクを拝見したくて」
「……ほう」
真白先輩の言葉に、磯淵先生が例の不敵な笑みを浮かべて応えた。
――そっと部員達の様子を盗み見ると、何人かが表情を曇らせ、また別の何人かは作業の手が止まっていた。どうやらビンゴらしい。
そのまま、真白先輩は磯淵先生の返事も待たずにライフマスクの前まで行き、おもむろに手に取った。浮き彫りになった校長先生の顔をしげしげと眺めた後に、今度はそれを裏返す。
現れたのは、例のベニヤ板。しっかり貼り付けてあると磯淵先生が言っていた、あれだ。無理にはがそうとすると壊れるかも、とも。
――だが真白先輩は、大胆にもそのベニヤ板に手をかけ、力を込めた!
『あっ』
舞美と二人で、思わず呆気にとられ声が出た。
「しっかり貼りつけてある」はずのベニヤ板が、あっさりと取れたのだ。軽く「ベリッ」という音こそしたが、板もマスクも、壊れたり欠けたりした様子はない。ちょっと力を込めただけで、簡単に取れた証拠だった。
「……やっぱり、ね」
先輩がそう呟きながら、俺と舞美にベニヤ板の裏側――石膏に貼り付けてあった面を見せてくる。板の四隅にはそれぞれ、両面テープのようなものが貼られていた。
「仮止め用の両面テープね。粘着力はそこそこあるけど、力を入れると簡単に剥がれるし、跡も残りにくい……。明らかに固定用じゃなくて、貼ったり剥がしたりを繰り返す為のものね。そして、この板で隠れていたのが――これよ」
先輩がライフマスクの裏面を俺達の方に向ける。そこに現れたのは凹面……ではなく、やはり凸面だった。明らかに浮彫りになっている。
「えっ? 確か裏面は凹面になっているんじゃ? なあ、舞美」
「うん、アタシもそう聞いたけど……どうなってんの?」
校長先生のライフマスクは、表が凸面で裏が凹面になっている。磯淵先生は確かにそう言っていた。
にも拘らず、俺達の目の前に現れたその裏側は、凸面にしか見えなかった。
だが――。
「ふふっ。二人ともよぉく見て? これは本当に浮き彫り――凸面かしら?」
「何言ってるんですか真白先輩。どこからどう見ても膨らんでるじゃないですか」
「果たして、そうかしら」
眼鏡越しに目を怪しく光らせながら、先輩が撫でるようにマスクの表面を撫でる。
すると、驚くべきことが起こった。膨らみを撫でるはずの先輩の指が、なんと沈み込んだのだ。
――いいや、違う。これは。
「ええっ!? どう見ても浮き彫りに見えたけど……これ、もしかして凹んでるんですか!?」
「ご名答。ほら、私が手をどけると……どう?」
「あ、また浮き彫りに見えます! え、ええ? どうなってるんですか、これ!?」
助けを求めるように傍らの舞美を見ると、彼女はもう「思考停止」したように無表情になっていた。駄目だ、全く頼りにならない。
「戸惑うのも無理はないわね。藤本君、二階堂さん。これはね、目の錯覚なのよ」
「これが、目の錯覚……? うわ、でも確かに凹面だって分かってるのにどうしても凸面に見える! 気持ち悪い!」
「人間の視覚というのは案外いい加減なものでね、人間や動物の顔を見た場合、自動的に凸面であると認識してしまうものなの。『顔』という概念は凸面である、という認識がとても強いのね。海外では、この錯覚を利用したトリックアートもあるのよ。もちろん、奇術師もこのトリックを使う」
――余談だが、この錯覚は後の世で「ホロウマスク錯視」と呼ばれ、実に様々なアートや施設に利用されることになる。アートとしては、2020年に虎ノ門駅のホームに設置されたレリーフが有名だ。興味があれば、是非とも訪れてみて欲しい。実際に見ると、かなり不気味で不思議だ――。
「しかもね、この錯覚の効果は、ただ単に凸面を凹面と誤認するだけじゃないの。二人とも、ちょっと左右に動きながらこのマスクを見てもらえるかしら」
「え、動きながら、ですか?」
舞美と二人で顔を見合わせながらも、先輩に言われた通り横方向に動きながらライフマスクを眺めてみる。すると――。
「ぎゃっ!? こ、校長の顔が追ってきた!?」
「わぁ~!! こっちもだよぉ~!?」
右と左、それぞれ同時に動いた俺と舞美が、やはり同時に叫び声を上げた。
そう。俺達の目には、ライフマスクの校長の顔が、こちらの動きに合わせて首を横に振ったように見えたのだ。
「うげげ~、超気持ち悪い~ナニコレ~」
「凹面を角度を付けて見れば、当然顔の左右のバランスは崩れるわよね? でも、人間の視覚はそれを凸面の立体として処理しようとするか、結果として『顔がこちらを向いた』ように見えてしまうのね」
真白先輩がベニヤ板を元通り貼り付けながら説明してくれる。が、口で言われるまでもなく、文字通り「見れば分かる」代物だった。
「これ、顔の形をした凹面の彫刻なら、なんでもこうなるんですか?」
「そうとも限らない、かな。ものによっては普通に凹面に見えると思うわよ。いくつか条件があるみたいだけど、私もまだまだ研究中なの」
「研究中」ということは、どうやら真白先輩もこれと似たようなマジックアイテムを作っているようだ。
……出来れば、あまり不気味なものは作らないでほしい。知っていても、きっとびっくりするから。
「それにしても、これは見事ね。光の当て方にさえ気を付ければ、ほぼ間違いなく目の錯覚が起こる。かなりの試行錯誤をしたんじゃありませんか? 磯淵先生」
「……最初は、ただの偶然だったのさ」
真白先輩の問いかけに言い訳をするでもなく、磯淵先生は訥々と事の顛末を語り始めた。
きっかけは、本当にただの偶然だったらしい。凸面と凹面を備えたライフマスクを部員達と作り、それを眺めている最中に、この仕組みに気付いたのだという。
そうして、興味本位から「どうすればもっと凹面が凸面っぽく見えるのか」「どうすれば、マスクの顔がこちらの動きを追ってくるように見えるのか」を研究し始め、辿り着いたのが今のライフマスクなのだそうだ。
「美術室のどこから見ても、こちらを見ているように感じるマスク」は、磯淵先生が以前言っていたように、部員達が「視線」を感じて気を引き締めるのに役立っていたそうだ。
だが、こんな不気味なものを常に晒しておくわけにもいかない。そこで普段はベニヤ板で隠し、凸面だけを向けて飾っていたのだそうだ。
けれども、ある日のこと。部員達がうっかりマスクの凹面を表側にしたまま、帰ってしまった。磯淵先生も職員室で業務に忙殺されていて、それに気付かなかった。
そうして「動くマスク」の最初の目撃者が発生してしまったらしい――。
「あの日、美術室に向かう途中で、女生徒の悲鳴が聞こえてきたのさ。もしやと思って駆けつけてみると、開けっ放しの美術室の中に、凹面が表向きになったライフマスクが鎮座していた、という次第だ――面目ない」
「じゃあ、イタズラ目的だった訳じゃないんですね」
「それは、芸術の神に誓って」
「先日の、二件目の目撃談も?」
「ああ。『しばらくはマスクの凹面を晒さないように』と注意はしていたんだが、久しぶりに部活に出てきた部員には伝わっていなくてな。私が気付けば止めさせたんだが、あの日は準備室に籠りきりで……全ては私の不徳の致すところだ」
磯淵先生が深く深く頭を下げる。部員達もそれに倣う。
けれども、俺達に頭を下げられたって困るのだ。
「磯淵先生、謝るなら怖がらせてしまった生徒さんに謝ってください。俺達に謝られても、困ります」
「むっ」
「特に、つい先日の目撃者の人には、口裏を合わせて『マスクは動いてないよ』って騙したんですよね? そちらの人には、特に念入りに」
「ぜ、善処する……」
騙されたり怖い思いをしたりした人のことを考えると、ついついむかっ腹が立ってしまった。なので、ちょっときつい言い方をしてしまったのだが……先生も部員達も、すっかりシュンとしてしまっている。
少し言い過ぎたかもしれない。
「貴教って、時々言い方がキッツイよね~」
「……うるさいよ。俺もちょっと自己嫌悪なんだ」
「まあまあ、二人とも。――それに、磯淵先生達も、そんなにしょげないでください。確かに、驚かせてしまった生徒さんや、嘘を吐いてしまった人には謝らないと駄目でしょうね。でも、普通に謝って事実を伝えただけでは、磯淵先生や美術部に傷を残してしまうことになりかねないわ。……そこで、こんなアイディアを思い付いたんですが、いかがでしょうか?」
真白先輩が、ある「解決策」を語りだす。その内容に、美術室にいた全員が絶句することになった――。
***
その後、「動く校長先生のお面事件」は、急速に終息していった。
しばらくは野次馬が美術室に姿を現したのだが、そういう人がやってきても、目にするのは何の変哲もないライフマスクなのだから、当たり前だろう。人の噂は熱しやすく冷めやすいのだ。
「それにしても、なんだか詐欺の片棒を担いだみたいで、気が引けますね」
「あら。詐欺とは人聞きの悪い。ようは見せ方の問題よ」
いつもの放課後の奇術部部室。俺の言葉に、真白先輩が「心外だ」とでも言いたげに、可愛らしく頬を膨らませた。
しかし騙されてはいけない。この人は事態を収めるためなら、平然と嘘を吐けるし、人にも吐かせる人なのだ。
――事の顛末は、こうだ。
磯淵先生と美術部の面々は、きちんと目撃者の人達に謝罪し種明かしをした。それだけだったら彼女らも激しく怒って、美術部と磯淵先生の悪評を周囲に伝えただろうが、そうはならなかった。
種明かしと同時に、彼女らにこんな話をしたのだ。
『あのマスク、実は文化祭の出し物の為に試作中のものだったんだ。とってもびっくりしただろう? 見ての通り、出来は完璧なんだ。でも、予めタネを知っていたら、驚きが半減する。頼める立場ではないが、どうか文化祭までは、事の真相を黙っていてくれないだろうか?』
つまり、美術部の文化祭の出し物用の隠し玉だから、黙っておいてほしいと目撃者の面々に頼みこんだのだ。もちろん、美術部にはあのマスクを出し物に使う予定はなかった。口から出まかせだ。
けれども、そういう理由をでっち上げることで、美術部がマスクの仕組みを必死に隠したことに一定の道理が生まれる。
もちろん、彼らがそれで黙っていることに納得するかどうかは賭けだったが――どうやら、その賭けには勝ったようだった。
その代わり、美術部と磯淵先生は辻褄合わせの為に、予定になかった「目の錯覚を利用した文化祭での出し物」を制作する羽目になった。これについては自業自得なので、なんとも言えない。
一方、美術部と磯淵先生を手の平の上で躍らせた張本人であるところ真白先輩は、「奇術の道具を作ってくれる人が増えたわね」等と宣ってらっしゃる。
この人だけは敵に回してはいけない。そう思い知らされた事件だった。
「美術には以前から興味ありますよ。先生の授業だって、真面目に受けているじゃないですか」
「ははっ、確かにそうだな。で、今日は何の要件かね?」
更に翌日。俺達は、再び美術室を訪れていた。
美術部の活動中だったので煙たがられるかとも思ったが、意外にも磯淵先生は歓迎ムードだった。――いや、確か『美術部が活動している時にでも、普通に尋ねてきなさい』と言っていたか。
だったら、邪険にされる理由もない訳だ。
美術部員の人数は六人。全員が女子だ。本当なら部員の数は十人らしいのだが、校内にスケッチに行っていたり、はたまた堂々とサボっていたりしてフルメンバーは中々揃わないのだそうだ。
磯淵先生の雰囲気から、何となく厳しめの部活かと思っていたが、案外と緩いのかもしれない。
「今日はですね――いえ、今日も校長先生のライフマスクを拝見したくて」
「……ほう」
真白先輩の言葉に、磯淵先生が例の不敵な笑みを浮かべて応えた。
――そっと部員達の様子を盗み見ると、何人かが表情を曇らせ、また別の何人かは作業の手が止まっていた。どうやらビンゴらしい。
そのまま、真白先輩は磯淵先生の返事も待たずにライフマスクの前まで行き、おもむろに手に取った。浮き彫りになった校長先生の顔をしげしげと眺めた後に、今度はそれを裏返す。
現れたのは、例のベニヤ板。しっかり貼り付けてあると磯淵先生が言っていた、あれだ。無理にはがそうとすると壊れるかも、とも。
――だが真白先輩は、大胆にもそのベニヤ板に手をかけ、力を込めた!
『あっ』
舞美と二人で、思わず呆気にとられ声が出た。
「しっかり貼りつけてある」はずのベニヤ板が、あっさりと取れたのだ。軽く「ベリッ」という音こそしたが、板もマスクも、壊れたり欠けたりした様子はない。ちょっと力を込めただけで、簡単に取れた証拠だった。
「……やっぱり、ね」
先輩がそう呟きながら、俺と舞美にベニヤ板の裏側――石膏に貼り付けてあった面を見せてくる。板の四隅にはそれぞれ、両面テープのようなものが貼られていた。
「仮止め用の両面テープね。粘着力はそこそこあるけど、力を入れると簡単に剥がれるし、跡も残りにくい……。明らかに固定用じゃなくて、貼ったり剥がしたりを繰り返す為のものね。そして、この板で隠れていたのが――これよ」
先輩がライフマスクの裏面を俺達の方に向ける。そこに現れたのは凹面……ではなく、やはり凸面だった。明らかに浮彫りになっている。
「えっ? 確か裏面は凹面になっているんじゃ? なあ、舞美」
「うん、アタシもそう聞いたけど……どうなってんの?」
校長先生のライフマスクは、表が凸面で裏が凹面になっている。磯淵先生は確かにそう言っていた。
にも拘らず、俺達の目の前に現れたその裏側は、凸面にしか見えなかった。
だが――。
「ふふっ。二人ともよぉく見て? これは本当に浮き彫り――凸面かしら?」
「何言ってるんですか真白先輩。どこからどう見ても膨らんでるじゃないですか」
「果たして、そうかしら」
眼鏡越しに目を怪しく光らせながら、先輩が撫でるようにマスクの表面を撫でる。
すると、驚くべきことが起こった。膨らみを撫でるはずの先輩の指が、なんと沈み込んだのだ。
――いいや、違う。これは。
「ええっ!? どう見ても浮き彫りに見えたけど……これ、もしかして凹んでるんですか!?」
「ご名答。ほら、私が手をどけると……どう?」
「あ、また浮き彫りに見えます! え、ええ? どうなってるんですか、これ!?」
助けを求めるように傍らの舞美を見ると、彼女はもう「思考停止」したように無表情になっていた。駄目だ、全く頼りにならない。
「戸惑うのも無理はないわね。藤本君、二階堂さん。これはね、目の錯覚なのよ」
「これが、目の錯覚……? うわ、でも確かに凹面だって分かってるのにどうしても凸面に見える! 気持ち悪い!」
「人間の視覚というのは案外いい加減なものでね、人間や動物の顔を見た場合、自動的に凸面であると認識してしまうものなの。『顔』という概念は凸面である、という認識がとても強いのね。海外では、この錯覚を利用したトリックアートもあるのよ。もちろん、奇術師もこのトリックを使う」
――余談だが、この錯覚は後の世で「ホロウマスク錯視」と呼ばれ、実に様々なアートや施設に利用されることになる。アートとしては、2020年に虎ノ門駅のホームに設置されたレリーフが有名だ。興味があれば、是非とも訪れてみて欲しい。実際に見ると、かなり不気味で不思議だ――。
「しかもね、この錯覚の効果は、ただ単に凸面を凹面と誤認するだけじゃないの。二人とも、ちょっと左右に動きながらこのマスクを見てもらえるかしら」
「え、動きながら、ですか?」
舞美と二人で顔を見合わせながらも、先輩に言われた通り横方向に動きながらライフマスクを眺めてみる。すると――。
「ぎゃっ!? こ、校長の顔が追ってきた!?」
「わぁ~!! こっちもだよぉ~!?」
右と左、それぞれ同時に動いた俺と舞美が、やはり同時に叫び声を上げた。
そう。俺達の目には、ライフマスクの校長の顔が、こちらの動きに合わせて首を横に振ったように見えたのだ。
「うげげ~、超気持ち悪い~ナニコレ~」
「凹面を角度を付けて見れば、当然顔の左右のバランスは崩れるわよね? でも、人間の視覚はそれを凸面の立体として処理しようとするか、結果として『顔がこちらを向いた』ように見えてしまうのね」
真白先輩がベニヤ板を元通り貼り付けながら説明してくれる。が、口で言われるまでもなく、文字通り「見れば分かる」代物だった。
「これ、顔の形をした凹面の彫刻なら、なんでもこうなるんですか?」
「そうとも限らない、かな。ものによっては普通に凹面に見えると思うわよ。いくつか条件があるみたいだけど、私もまだまだ研究中なの」
「研究中」ということは、どうやら真白先輩もこれと似たようなマジックアイテムを作っているようだ。
……出来れば、あまり不気味なものは作らないでほしい。知っていても、きっとびっくりするから。
「それにしても、これは見事ね。光の当て方にさえ気を付ければ、ほぼ間違いなく目の錯覚が起こる。かなりの試行錯誤をしたんじゃありませんか? 磯淵先生」
「……最初は、ただの偶然だったのさ」
真白先輩の問いかけに言い訳をするでもなく、磯淵先生は訥々と事の顛末を語り始めた。
きっかけは、本当にただの偶然だったらしい。凸面と凹面を備えたライフマスクを部員達と作り、それを眺めている最中に、この仕組みに気付いたのだという。
そうして、興味本位から「どうすればもっと凹面が凸面っぽく見えるのか」「どうすれば、マスクの顔がこちらの動きを追ってくるように見えるのか」を研究し始め、辿り着いたのが今のライフマスクなのだそうだ。
「美術室のどこから見ても、こちらを見ているように感じるマスク」は、磯淵先生が以前言っていたように、部員達が「視線」を感じて気を引き締めるのに役立っていたそうだ。
だが、こんな不気味なものを常に晒しておくわけにもいかない。そこで普段はベニヤ板で隠し、凸面だけを向けて飾っていたのだそうだ。
けれども、ある日のこと。部員達がうっかりマスクの凹面を表側にしたまま、帰ってしまった。磯淵先生も職員室で業務に忙殺されていて、それに気付かなかった。
そうして「動くマスク」の最初の目撃者が発生してしまったらしい――。
「あの日、美術室に向かう途中で、女生徒の悲鳴が聞こえてきたのさ。もしやと思って駆けつけてみると、開けっ放しの美術室の中に、凹面が表向きになったライフマスクが鎮座していた、という次第だ――面目ない」
「じゃあ、イタズラ目的だった訳じゃないんですね」
「それは、芸術の神に誓って」
「先日の、二件目の目撃談も?」
「ああ。『しばらくはマスクの凹面を晒さないように』と注意はしていたんだが、久しぶりに部活に出てきた部員には伝わっていなくてな。私が気付けば止めさせたんだが、あの日は準備室に籠りきりで……全ては私の不徳の致すところだ」
磯淵先生が深く深く頭を下げる。部員達もそれに倣う。
けれども、俺達に頭を下げられたって困るのだ。
「磯淵先生、謝るなら怖がらせてしまった生徒さんに謝ってください。俺達に謝られても、困ります」
「むっ」
「特に、つい先日の目撃者の人には、口裏を合わせて『マスクは動いてないよ』って騙したんですよね? そちらの人には、特に念入りに」
「ぜ、善処する……」
騙されたり怖い思いをしたりした人のことを考えると、ついついむかっ腹が立ってしまった。なので、ちょっときつい言い方をしてしまったのだが……先生も部員達も、すっかりシュンとしてしまっている。
少し言い過ぎたかもしれない。
「貴教って、時々言い方がキッツイよね~」
「……うるさいよ。俺もちょっと自己嫌悪なんだ」
「まあまあ、二人とも。――それに、磯淵先生達も、そんなにしょげないでください。確かに、驚かせてしまった生徒さんや、嘘を吐いてしまった人には謝らないと駄目でしょうね。でも、普通に謝って事実を伝えただけでは、磯淵先生や美術部に傷を残してしまうことになりかねないわ。……そこで、こんなアイディアを思い付いたんですが、いかがでしょうか?」
真白先輩が、ある「解決策」を語りだす。その内容に、美術室にいた全員が絶句することになった――。
***
その後、「動く校長先生のお面事件」は、急速に終息していった。
しばらくは野次馬が美術室に姿を現したのだが、そういう人がやってきても、目にするのは何の変哲もないライフマスクなのだから、当たり前だろう。人の噂は熱しやすく冷めやすいのだ。
「それにしても、なんだか詐欺の片棒を担いだみたいで、気が引けますね」
「あら。詐欺とは人聞きの悪い。ようは見せ方の問題よ」
いつもの放課後の奇術部部室。俺の言葉に、真白先輩が「心外だ」とでも言いたげに、可愛らしく頬を膨らませた。
しかし騙されてはいけない。この人は事態を収めるためなら、平然と嘘を吐けるし、人にも吐かせる人なのだ。
――事の顛末は、こうだ。
磯淵先生と美術部の面々は、きちんと目撃者の人達に謝罪し種明かしをした。それだけだったら彼女らも激しく怒って、美術部と磯淵先生の悪評を周囲に伝えただろうが、そうはならなかった。
種明かしと同時に、彼女らにこんな話をしたのだ。
『あのマスク、実は文化祭の出し物の為に試作中のものだったんだ。とってもびっくりしただろう? 見ての通り、出来は完璧なんだ。でも、予めタネを知っていたら、驚きが半減する。頼める立場ではないが、どうか文化祭までは、事の真相を黙っていてくれないだろうか?』
つまり、美術部の文化祭の出し物用の隠し玉だから、黙っておいてほしいと目撃者の面々に頼みこんだのだ。もちろん、美術部にはあのマスクを出し物に使う予定はなかった。口から出まかせだ。
けれども、そういう理由をでっち上げることで、美術部がマスクの仕組みを必死に隠したことに一定の道理が生まれる。
もちろん、彼らがそれで黙っていることに納得するかどうかは賭けだったが――どうやら、その賭けには勝ったようだった。
その代わり、美術部と磯淵先生は辻褄合わせの為に、予定になかった「目の錯覚を利用した文化祭での出し物」を制作する羽目になった。これについては自業自得なので、なんとも言えない。
一方、美術部と磯淵先生を手の平の上で躍らせた張本人であるところ真白先輩は、「奇術の道具を作ってくれる人が増えたわね」等と宣ってらっしゃる。
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