夜明けの空を探して

澤田慎梧

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夜明けの空を探して

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 ――真夜中だというのに、辺りは異様な明るさに包まれていた。
 町が一つ、燃えているのだ。

他人様ひとさまの城下とはいえ、町が燃える光景ってのは、見てて楽しいもんじゃねぇな)

 土方歳三は、その光景をうすら寒い思いと共に眺めていた。
 蝦夷地(現在の北海道)において随一とうたわれた松前の城下町が今、炎の中に沈んでいた。

 松前を攻めたのは、他ならぬ土方率いる徳川残党軍である。榎本武揚を筆頭に函館・五稜郭を占拠した土方たちは、来るべき新政府軍との戦いに向けて蝦夷地平定を目指していた。
 その手始めが、函館からほど近い松前との戦いであった。

 松前家は蝦夷地唯一の、外様という名がこれ以上ないくらいに相応しい大名家だ。
 だが、先代の当主である松前崇広まつまえ たかひろは外様でありながら徳川の老中まで務めた傑物だった。松前家・家老の松前勘解由まつまえ かげゆも、かのペリー提督の無理難題を退けた気骨のある人物であり、徳川の覚えもめでたかったと聞く。外様の中でも、松前家は徳川に近しい存在だった。
 そういった事情もあり、土方たちは松前家に恭順を求める使者を送ったのだが、それに対する返答は使者の斬殺と挑発という、これ以上ない程に敵対的なものだった。

「蝦夷地にも骨のある奴らがいるじゃねぇか」

 怒りと喜びに打ち震えながら松前を攻めた土方であったが、結果はあっけないものであった。
 前線の松前兵たちは勇敢に戦ったが、軍艦を擁する土方たちは海上より艦砲射撃を行い、終始有利に戦いを進めた。
 そればかりか、土方たちが松前城下へ到着する数日前には、当主・徳広のりひろらは既に松前城から脱出しており、更には戦況が不利と見るや、松前の指揮官たちはこともあろうか城下に自ら火を放ち、逃走した。

 ――聞くところによれば、松前では土方たちが訪れる三月ほど前に、お家騒動があったのだという。
 強かな外交を続けていた松前勘解由は、その際に自刃に追い込まれている。その後、実権をにぎったのは「正議隊しょうぎたい」と称する尊王派の無頼の輩であったのだとか。
 土方たちがやってきたのは、その「正議隊」が先代当主の側近や親徳川派閥の粛正に躍起になっていた頃だったのだ。
 なるほど、兵たちの士気の高さに反し、当主や重臣たちの臆病ぶりが不思議だったが、そういう事情があったのかと土方は得心した。頭でっかちな尊王派が実権を握っていたとあれば、元々の家臣たちもやりにくかったことであろう。

「上が阿呆や臆病者だと、苦労するな」

 松前の為政者によって手ずから焼かれた城下町を眺めながら、土方は我知らず皮肉めいた笑みを浮かべていた。
 何となくではあるが、鳥羽伏見の戦いで自分たちを見捨てて江戸へと逃げた将軍・徳川慶喜のことを思い出したのだ。

 慶喜が逃げたことにより、土方たち新選組も、共に蝦夷地に流れてきた彰義隊も、その他の徳川の家臣たちも地獄を見た。
 恐らくは、主君に見捨てられた松前の兵たちも同じく、地獄を見ていることだろう。

 部下たちには、松前の兵は投降した者、最後まで抵抗した者問わず、無下には扱わず武士もののふとして丁重に扱うよう周知してある。
 今も、土方たちが陣を張る法華寺には、捕らえられた松前兵たちが次々と連行されてきているが、誰も彼もが地獄を彷徨う亡者のような形相をしていた。

 御家を守る為に戦っていたはずが、当主はいち早く逃げ出し、「正議隊」の面々も自分たちを見捨てたばかりか、故郷の町に火をかけ手ずから焦土としたのだ。
 今、彼らは文字通りの絶望のどん底にあると言えた。

(まあ、俺らも似たようなもんだろうがな)

 徳川残党軍は、榎本を代表として函館の地に「新しい国」を作ろうとしている。新政府に負けない、独立した国を。
 しかし、頼りにしていた諸外国の動きは思いの外に鈍く、こうしている間にも新政府は軍備を整えつつあるという。独立どころか、全くの孤立無援である。

 先行きは暗い。あまりにも暗い。徳川という名の日は没し、行く先の見通せぬ真夜中がやって来たのだ。
 いわば土方たちは、月の明かりもない闇の中でもがきながら、道を探しているようなものだった。
 しかし、けれども――。

(なぁに、明けねぇ夜はねぇもんさ。ここいらが踏ん張りどころだ)

 土方は立ち止まらない。仮令たとえ暗闇の中であろうとも、もがき続けることを選んだ。
 そうでなければ、先に逝った仲間たちに申し訳が立たない。斬ってきた者たちも浮かばれまい。

 未だ空を焦がしながら燃え続ける松前の城下町を眺めながら、土方は決意を新たにした。

 ――しかし、土方が真夜中の闇から抜け出すことはなかった。
 松前陥落から数か月後、蝦夷地を平定した徳川残党軍は函館で政府の樹立を宣言した。
 だが、かねてより軍備を増強していた新政府軍の攻勢はすさまじく、函館政府樹立から僅か六か月後、五稜郭は陥落。土方も壮絶な戦死を遂げた。

 その一方で、函館戦争を生き延びた徳川遺臣の幾人かは、後年その罪を許され、様々な分野で活躍し、新しい日本の夜明けの原動力となったという。

 夜は、確かに明けたのだ。

(了)
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