セヴェリの受難

鳫葉あん

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第一部 Sweet home

09 決断

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 セヴェリはミラと交流を持った。ミラの願い通り対話し、自分の、村の、迷宮の状況を改めて知る。

「この迷宮はね、生きてるの。お父さんの魔力で生み出されたからお父さんの意思に従って動くのよ」

 でもね、とミラは悪戯な笑みを浮かべ、セヴェリにこっそりと教えてくれた。

「わたしはお父さんと、優秀なパパの魔力を継いでるから。ちょっとくらいなら迷宮を従えられるわ」
「……たとえば?」
「あのね、壁を作ったり消したりとか出来るわ」
「すごいね。僕には出来ないよ」
「えっ! えへへへっ! えへっひひっ……すっ、すごいかなぁ~」

 セヴェリに褒められて明らかに浮かれている。セヴェリを養分として生まれ育ったからなのか、悪魔の娘だというのにやけに人間味のあるミラにセヴェリは絆されていた。

 ミラと過ごすことにより少しずつ気力を取り戻し始めたセヴェリはそれまで気付いていなかったものに気付いた。定位置である祭壇の上に座り、床を見ると透明な丸い物体がふよふよと動いている。
 魔物の中でも低級なスライムだ。戦闘知識のない人間には充分な脅威であるが、旅慣れた冒険家なら一瞬で屠る。
 スライムはセヴェリの視線に気付いても気にした様子はなく、石の床の上を動き回っている。村で暮らしていた時も森の中へ入るとスライムに出会すことがあり、身近といえば身近な存在だった。

 用意された昼食には獣肉のステーキがあった。小さく切り分け、スライム目掛けて投げてみる。体に当たった肉片に身を大きく震わせ驚いたものの、認識すると透明な体は肉片を器用に包み取り込んだ。補食だ。

「スライムに餌付けしてるの?」

 外へ遊びに出ていたミラが帰ってくる。肉を補食するスライムとそれを観察しているセヴェリを見て、不思議そうに尋ねた。

「……僕の村は不要な殺生を禁じてた。スライムも……魔物も同じで、村を襲われない限りは討伐したりしない。森でスライムを見ても襲いかかってこなければ逃げるんだ」

 ミラは黙って聞いている。話をしてくれるようになってしばらく経ったが、セヴェリが何か言って教えてくれるのは嬉しくて仕方なかった。

「たまに広場……みんなの遊び場まで入り込んでくる群れがいて、おやつなんかをあげるとぴぃぴぃ言って食べてたなぁって。食べたら満足して帰ってくし」

 思い出しているのか、セヴェリの顔は綻んでいる。ミラが口を開くより先に、肉片を補食し終えたスライムが鳴き始めた。
 セヴェリには伝わらない言語もミラにはわかる。このスライムはセヴェリの話していたスライムらしく、お礼を言っている。そのまま通訳してやることにした。

「いつもありがとうって言ってるわ」

 あの群の一匹だったのだ。驚くセヴェリにスライムはまだ何か鳴いている。
 拾い上げたスライムをセヴェリに掲げて見せる。ミラの小さな手からスライムを受け取ったセヴェリは、手の中の透明な生き物を不思議そうに見つめていた。
 スライムは祭壇の近くに住みつき、セヴェリのペット面をし始めた。日が経つにつれ数を増やし、セヴェリが祭壇から降りると我先にと足元へ群がる。
 一番最初に住みついたスライムはセヴェリの足の上に乗ってすり寄るのが好きだった。いつの間にか新調されていたブーツにすり寄り、満足そうに鳴いている。

「……そういえばこのブーツ。どうしたんだろ。買ったのかな」
「それ? それは作ったの。装備作りの上手いのがいるのよね。パパの為ならって慣れない人間用のブーツも一生懸命作ってくれたのよ」

 あいつはそのうち紹介してもいいかも、と語る。紹介出来ない者もいるのか尋ねると、ミラは苦い顔をした。

「話通じないのがいるのよ」
「ミラにもわからない言葉があるんだ?」
「違うわ! 奴の頭がおかしいの!」

 ミラの気迫にふふっ、と思わず笑みを溢すセヴェリを見て。ミラは信じられないくらい嬉しかった。
 生まれてすぐは呼び名を間違えたせいで話どころかミラを見てくれなかったセヴェリが、今はミラと話して気を許してくれている。もっともっとセヴェリの顔が見たかった。
 セヴェリに笑ってほしかった。喜んでほしいから、セヴェリの心の底から漏れ出た呟きを叶えてしまった。


「外に出たい」

 セヴェリは迷宮に閉じ込められている。明確に告げられたわけではないが迷宮はセヴェリを外に出さない。
 悪魔と暮らし始めた当初、隙を見て逃げようとしても悪魔の庭ではセヴェリの行動など筒抜けで、すぐに捕まってしまった。可愛い悪戯だと笑って手酷く抱かれ、セヴェリは社と祭壇のある部屋から出なくなった。
 悪魔と違って普通の会話が出来る存在を得たことにより、セヴェリもミラに気を許してしまっていた。呟かれた本音にミラは笑って頷く。
 少しだけならいいだろうと思ったのだ。セヴェリは日の光を忘れてしまっている。それに。

(きっと外に出れたら喜んでくれるし、わたしのこと、褒めてくれるかもしれない!)

 ありがとう、ミラはいい子だね。そう微笑んで頭を撫でてほしくて、ミラは迷宮を従えた。今や迷宮を空けてばかりの悪魔より毎日迷宮を駆け回るミラの方が主のようになっている。
 迷宮も生きている以上、感情があった。

「頭花畑とは会わないようにお願いしたから大丈夫! パパ、行きましょう」

 小さな手が少しだけ大きな手を引き、二人は迷宮を歩き始める。迷宮は可愛らしい主の願いを聞き届け、最短かつブラックリスト入りした魔物を避けて道を開き道を閉じる。
 迷宮の入口から差し込む光は闇に慣れた目には突き刺すように眩しい。セヴェリの村が滅んだあの日から一年が経っていた。

 セヴェリの目が慣れるのを待ち、しばらくして二人は外へ出た。森の空気はどこか以前より淀んでしまった気がするけれど、生きているうちに再び外に出られた感動に比べたら些末なことでしかなかった。

「ミラ」

 思わず名前を呼ぶ。呼ばれたミラはピシッと姿勢を正した。気をつけ、である。

「ありがとう」

 ミラが思い描いていたものより優しく、柔らかく、甘く、輝いた眩しい笑顔のセヴェリがお礼を言ってくれた。ミラよりちょっとだけ大きな体がぎゅうぎゅうと力一杯ミラを抱き締めてくれる。
 ミラの胸にあたたかい何かが募った。幸福がミラを鈍くする。二人に近付く二つの気配を普段のミラならすぐに察知出来ただろう。


「ちょっと目を離すとこれだ」

 一つ目の声は聞き慣れたもの。迷宮の主。ミラの父でありセヴェリの支配者である悪魔が、笑っているのに目だけは無表情のままセヴェリの背後に立ち、セヴェリを見ている。咄嗟にセヴェリを背後へ引き寄せ庇ったミラに冷笑する。
 これから何をされるのか。怯えるセヴェリといっそここから逃げ出そうか算段を立て始めたミラは魔力の揺らめきを感じた。瞬間的に魔術が発動し、察知から反応までに間に合わない。

「これはっ」

 珍しく焦った声を出す悪魔。何かを察するミラ。
 状況がわからないセヴェリを置いてけぼりに、二人は突然姿を消した。二人だけでなくセヴェリの背後に聳えていた筈の迷宮も。社の形すらない。

「……なん……なの……?」

 呆然と呟くセヴェリの耳に木の根を踏み折る音が聞こえた。音を探すとそこには綺麗なローブを着た老人がセヴェリに向かって歩いてきた。

「……人喰いの魔窟と聞いて……来てみれば……お前は人間か?」

 老人は未知の展開と恐怖から座り込むセヴェリの前までくると、同じように座り込んでセヴェリの頭を撫でた。瞬間、セヴェリに強烈な頭痛が走る。
 脳の中を、詰め込まれた記憶をかき回されていく。忘れたい悪夢が掘り返され、鮮明な映像となってセヴェリの頭に蘇った。


「すまない。辛いことをしたな」

 まるでセヴェリの苦悩を理解したかのような口振りで老人は謝った。そしてぽつぽつと教えてくれる。
 老人は魔術師の世界ではとても高名な魔術師だという。

「この森に何かあると聞いて来たのだがお前のおかげでよくわかった。悪魔どもは迷宮ごと封じ隠したから、ひとまず安心していい。儂が生きとるうちは何も出来ん」

 混乱するセヴェリには老人の説明全てがわかったとは言えないけれど、悪魔がいなくなったことだけわかると安堵から泣き出した。

「……辛い記憶だろう。忘れて、変えてしまいなさい。お前の村はなくなってしまったが……お前は新しい道を得た。儂の弟子になるんだ」

 セヴェリの記憶は厳重に蓋をされる。セヴェリは森をさ迷い歩き、偶然出会った魔術師の弟子になる。





「パパ。思い出してくれたでしょう?」

 セヴェリがいるのは石造りの迷宮の中。ミラと対峙するセヴェリは二十五歳の青年で、十三歳の子供ではない。現在。現実だ。

「……ミラ」

 自分が与えた名前を呼ぶ。たったそれだけで、ミラは唇を吊り上げて喜びを表そうとする自分に眉を顰めた。怒っているのだからそんなに簡単に許してはいけないのに、セヴェリがミラを思い出しただけでこんなに嬉しいのだ。

「パパのバカ! ジジイが悪いとはいえわたしのこと忘れて! おいてけぼりにして……」

 我慢が出来ず突進してくる小さな体を、昔のセヴェリなら受け止めきれず一緒になって倒れ込んでいた。今のセヴェリはびくともしない。

「……ここを出ていきたいのなら、わたしは協力する。パパがわたしに…………わたしを、好きになれないのは……わかる、わ……でも、でも。おいていかないで。わたしをおいていかないで……」

 幼い少女の姿をした、それでも魔性である生き物を突き放すことが出来たなら、セヴェリはそもそもきっと、あの悪魔に囚われることはなかった。石の封印を破ることなく、閉ざされた村で静かな一生涯を終えただろう。
 無理矢理産まされた目の前の生き物に、幼いセヴェリは情を持ってしまっていた。その感情を思い出し、なくすことが出来なかった。

「うん。一緒にここを出よう。ミラ」

 今度はもう置いていかないから。
 セヴェリの答えにミラは笑った。打算のない、ただただ心底安堵しただけの。幼い少女らしい笑顔だった。
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