邪教

鳫葉あん

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信徒

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※BL成分なしの胸糞(モブ女性のすれ違い悲劇)
※お姉ちゃんの話(読まなくても支障なし)



 例えその人が悪魔だとしても。残酷な心を持った邪悪の化身なのだとしても。
 彼女は私にとって神様なのです。
 闇の中を目映く照らしてくれたのは、教会に奉られた目に見えぬ神様ではなく。
 目の前に現れ、私の木彫りの像を褒めた美しい彼女なのですから。
 例え私の魂が邪神に捧げられようと。私の命が親しい人に奪われようと。
 彼女は。私の神様なのです。


 女は盲人だった。天性のものではなく、幼い頃の事故で両目が傷付き視力を失ったのだ。
 いっそ初めから見えなければ良かったのにと思う。幼い記憶に残る美しく色鮮やかな世界を焦がれ、もう一度この目に焼き付けたいと願えど、彼女に光は戻らない。
 それこそ、奇跡でも起きなければ。

 女の祖父は細工師だった。中でも木彫りの像作りは巧みで、遠方からわざわざ彼の作品を買いに訪れる客もいた。
 幼い女は祖父を魔法使いだと思っていた。黒いローブは着ていないけれど、長く伸びた真っ白い髭も、両目を隠すように伸び放題の眉毛も、迷いのない手つきで木の棒を動物に変える両手も、全て絵本の中の魔法使いのようだった。
 作業を始めると傍らでじっと眺めている可愛い孫娘に、祖父はやってみるかと声を掛けた。
 刃物を使うので危ないと母に咎められても、女は祖父に習って木彫りをした。怪我をしても魔法使いの塗り薬を塗れば出血は抑えられるし、治りもはやかった。
 祖父の付きっきりの指導のおかげで、幼いながらに可愛く味のある木像を作れるようになった孫を祖父はこれでもかと褒めた。
 可愛い木像を作れて楽しいし、祖父に褒めて貰えるのは嬉しかった。母もいつしか咎めず、可愛い出来だと褒めてくれるようになった。幸福だった。
 何より、この頃はまだ光に包まれていた。


 女には幼馴染みがいた。同じ年の男の子で、母親同士仲が良く、何かと顔を合わせるうちに性別の垣根を越えて仲良くなった。
 男の子は優しかった。木彫りに夢中な女を根気良く遊びに誘う。
 時間さえあればずっと木彫りをしていたい女だが、友達と遊んでおいでと祖父に促されれば従うしかない。男の子と村の近所の森で遊ぶのも楽しかった。
 その日も森でおいかけっこをしていた。遊び慣れた森だ。危険な場所なんてわかっている。崖や川には近付かない。
 なのに何故かその日は、何もない筈の場所に精密に隠された落とし穴が掘られていた。
 えっ、と声を上げた途端、女の体が落ちる。身体中を襲う激痛に悲鳴が上がる。
 穴の中には動物を捕らえる為の罠が張られていた。獲物が逃げられないよう体を傷付ける刃物が仕掛けられており、運悪くその刃が肌だけでなく両目を貫いた。
 女は重傷を負い、両目を失った。
 落とし穴の罠を仕掛けた住人はいなかった。誰も名乗り上げなかった。
 女の悲鳴を聞き付け、大人を呼んだ男の子は酷く嘆き、謝った。自分が森に誘わなければこんなことにはならなかった。そう、自分を責めていた。
 女も女の両親も、祖父も、村の住人も。誰もが男の子を悪くないと言っても、彼は自分を責めた。
 毎日女の見舞いに通い、香りの良い花を摘んでは女に差し入れる。
 そして少しずつ大人に近付き始める頃、男の子は女に告げた。

「成人したら結婚しよう。俺が一生面倒を見る。どんなことからも守ってみせるよ」

 女が断っても、彼は引き下がらなかった。
 彼は女と結婚するものだとして、生きていた。

 女は視力を失っても、木彫りは続けられていた。
 幼い頃から握り続けた短刀は最早体の一部も同然。目が見えずとも感覚だけで器用に木像を作り上げる。手で触れば切れ込みの入った完成形を思い描くことが出来る。
 祖父の作品に劣らぬ物を作る女に、祖父が世話になっていた行商人が作品の売買を持ちかけてくれた。目の見えぬ自分でも金を稼げるならと、喜んで作品を売った。

「娘さんの木像はじい様と違って猫やら兎やら可愛いのが多いから、若い女の子に人気だよ。出任せで幸福を運ぶって付け足してみると、わんさか売れるんだ。本当に幸運になったって人もいるしさぁ」
「まぁ。悪い人」

 女がくすくす笑うと、行商人も笑う。女は接する人間が少なく、昔馴染みのこの男の話を聞くのが好きだった。

「ほいじゃ、今日の分だな。旦那さん、確認しとくれよ」
「――ええ。大丈夫です。いつもありがとうございます」

 女の横に静かに佇み、二人のやり取りを静観していた青年が行商人から貨幣を受け取り、額を確認する。
 目の見えぬ女には金貨と銅貨の違いがわからない。誰かに確認を頼まなければならないが、祖父と両親は数年前に流行り病で亡くなってしまった。
 それもあって、罪悪感に縛られる男の子――成長した青年は、女の家で暮らしていた。行商人が来る日は今のように仕事を抜け出し、売買の確認をしてくれる。
 青年は弟子入りした鍛治屋で働いている。店主であり師である老人は祖父と仲が良かったらしく、女の不幸に心を痛め、青年が女の為に時間を取ろうとするのに協力的だ。
 行商人が帰ると青年も金をしまって仕事に戻る。女の感謝と謝罪の言葉に、大丈夫だと笑っていた。
 誰かに頼り、誰かに助けてもらい、誰かに迷惑をかけなければ生きていけない自分が、女は大嫌いだった。

「失礼するわぁ。ここって、とっても可愛い木像を作ってくれる細工師さんのお家かしら」

 その人はある日何の前触れもなく、ノックの後に家の扉を開け、そう言いながら現れた。
 女にはその人の姿は見えず、声からして若い女性だということしかわからなかった。

「あの、可愛いかはわかりませんが、木像なら作っています」
「とある商人から買ったのだけれど……盲人の細工師が作った幸運を呼ぶ木像だと言われたの。貴女は……目が見えないみたいね」

 やっぱり貴女ね。と。彼女は話しながら、女の座る作業机に近付いてくる。足音と気配でわかった。

「ええと、わざわざお訪ねになるとは、何か不手際でも?」
「ううん。その逆。私、貴女の木像がすっかり気に入ったの! だからね、お父様と、可愛い妹と、またまた可愛い弟の分も作ってほしくて依頼に来たの」

 特に差し迫った依頼のない女は快く了承した。完成品の希望を聞く。

「……そうね。私が買ったのは可愛らしい羊だったのだけど……山羊を三つ、お願いしようかしら。報酬は貴女の目でどうかしら」
「……は?」

 彼女の言葉に、女は声を上げた。からかわれているのだろうか。だとしたら悪質だ。

「ふふ。怒っちゃ嫌よ。そうね、これは前払い分」

 女の額に冷たいもの――彼女の指先が触れる。瞬間、背筋を何とも言えない感覚が走り抜けた――かと思えば、突然。目に違和感を覚えた。
 眩しいのだ。
 ありえない。
 女の目が光を感じることは、一生無い筈なのに。

「あ……ぇ……」

 普段は閉ざしきったままの瞼を、久しぶりにゆっくりと上げていく。全く使っていなかった筋肉を動かすので痛みが走るが、女の心はそんなもの気にしない。
 世界が見えた。女性が居た。上等な衣服に身を包んだ、目映い長い金髪に負けず劣らず輝く美貌を持った、とても美しい女性が。同性である女ですら見惚れてしまう、そんな人が。

「前払いだから、断るならすぐに目は戻るわ。だけど依頼を受けてくれるなら、貴女の目に光をあげる」
「……貴女、何者なの? 神様なの?」

 呆然とした女の問いかけに、女性は大声を上げて笑った。心底愉快そうに。

「私はフィロメナ。悪魔よ。人をたぶらかす悪魔。貴女の目に光を与えたのは私の力だけど、代償があるわ」
「代償?」
「貴女の魂は死後、お父様……邪悪の神に喰われることになる。それでもいいなら山羊の」
「いいわ!」

 遮って返答する女に、フィロメナは初めて表情を崩した。ちょっと驚いている。

「目が見えるようになるなら何でもいい! 死んだ後どうなろうと構わないから! だから……だからお願い。お願いします。私の目を……光を……下さい!」

 悲壮な懇願を、フィロメナはニッコリ笑って受け入れた。
 こうして女は悪魔と契約し、光を取り戻した。

「じゃ、また今度山羊を取りに」
「待って! 目が見えるなら山羊三匹くらいすぐ作れます! お茶でも淹れるので待ってて下さい!」

 来るわね、と続ける筈だったのに、女はフィロメナの返事も聞かずバタバタと動き出す。

「……調子狂う子ねぇ。まぁ、いいけど」

 ぼやくフィロメナにハーブティーを差し出すと、女は作業机に向き合った。手早い動きで木を刻み、その形を変えていく。
 黙々と作業する女の姿は、生き生きとしていた。


 本当にあっという間に山羊を作り上げていく女に、悪魔は素直に感心していた。

「凄いわねぇ。はやいわぁ」
「普段ならこれの五倍はかかります。目が見えないから木を削る度にどんな風に削れたのか触って確認しないといけないし、慣れてるとはいえ刃物を使いますから、どうしても慎重になります」

 けれど今の女には目がある。役立たずの目ではなく、色鮮やかな世界を見せる目が。
 感動のままに、早業で山羊を三匹作り上げると、フィロメナは感謝の言葉と共に帰っていく。窓を覗くと空が赤らみ始めていた。
 じきに完全に日が沈み、夜になる。そうなる前に青年が帰って来る。目が見えず火を使わせられない女の代わりに食事を作り、食後に体を清める為の湯を沸かしてくれる。
 でも、それも今日で終わりだ。
 女の目が治ったのだから、彼が気に病むことは何もなくなった。女に縛られる理由はない。もともとなかったのに、責任感の強い彼は女を背負い込もうとしてくれた。
 彼は村に住む年頃の女性達に慕われている。前述の通り責任感が強く真面目で勤勉で、そして何より顔がいいらしい。成長した姿はわからないが、女と野山を駆け回っていた頃の彼は幼いながらに可愛らしい顔立ちをしていた。
 目さえ無事であったなら、彼は女を選びはしなかっただろう。女には木彫りくらいしか出来ない。顔だって平凡だと、陰で言われているのは知っている。
 幼少期に一緒に遊んで目が見えなくなった女の面倒を見る青年に、彼を慕う女性のヘイトは自然と女に集まる。これで女がフィロメナのような誰もが認める美女なら諦めもついたろうが、現実はそうではない。
 女は青年のことは好きだ。だが、罪悪感に縛られた結婚はしたくなかった。彼には彼の心の思うままに生きてほしい。
 女の面倒を見て一生を終えるなんて可哀想すぎる。
 帰宅した青年に目の回復を伝えれば全て上手く回ると思っていた。自由になっていいのだと伝えれば彼は喜ぶと思っていた。
 予想以上に美しく成長した彼に、仕事道具で目を貫かれるなんて微塵も思っていなかった。


「我が愛するお父様に。とぉっても可愛い贈り物ですわん」

 石造りの神殿。その奥深くに隠された祭壇に、フィロメナは山羊の木像を供えた。手のひらサイズのそれは丸く彫られた両目が可愛らしい。

「……とても美しい魂も、一緒に捧げられたようね。美味しいでしょうお父様。醜い人の心を聞いて、おぞましい怪物と共に暮らして。それに気付くことなく純粋に育った娘の魂よ」

 レネちゃんが好きそう。そう呟くと祭壇の間が音を立てて揺れる。

「あら、笑いすぎよ。美味しかったのかしら」

 揺れの正体は地震ではなく、邪神の笑い声だ。
 再び神殿が揺れる。先程よりは控えめに。

「あら酷い。私は……本当に珍しく、善意で動いたのよ。彼女の作った羊がとっても可愛かったから。お礼の気持ちで目を治したのよ。代償は貰うけれど」

 きっかけとなったのはフィロメナだが、選択は全て彼女達だ。

「彼を切り捨てようとしたのは純粋で残酷な彼女の善意。それに逆上したのは彼の短慮。惨めったらしく捨てないでくれとすがりつけば良かったのに。頭に血が上って……ふふっ。目を串刺し!」

 ケラケラ笑い出すフィロメナに連鎖するように神殿も揺れる。

「……そうね、あの男……ふふ、現実逃避して村中皆殺しの末自殺! 最低! さいっこう! あっはは! ……獣よろしく、死肉と魂を漁りに行きましょうか。レネちゃんがいなくて寂しそうだし、ミシェレちゃんも誘いましょう」

 また来るわ、と言葉を残し、悪魔は妹のもとへ帰っていく。
 祭壇の上で贄の目が、その後ろ姿を見送った。
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