邪教

鳫葉あん

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 それらがこの世に生を受けた時、それらはまだ純粋無垢な人間でした。
 清らかなそれらは多くの邪心によって崇め、奉られ、捧げられました。
 それらはそれらのまま、彼らの神となりました。悪徳を尊び、人の悲哀を喜び、糧とする魔性となったのです。


 北方の密林に隠された神殿は、酷い有り様だった。
 古びた石造りのその中には至る所に人が転がっている。皆心臓が止まり、死に顔は喜びに満ちていて――気味が悪い。不気味だ。ことの顛末を聞いているから尚更嫌悪がこみ上げてくる。
 うっ、と呻いた男の背を、供をしていた青年がさする。

「大丈夫? 気持ち悪い?」
「……ああ、ありがとう。俺は平気だ。お前は大丈夫なのか?」
「うん。人の死体なんて、見慣れてるよ」

 にっこり笑ってそんなことを言う青年に、男は不憫なものを見る目になった。
 男――ヴィレムは世界宗教となっている教団に属する騎士だ。教団を導く法王の命に従い、世界各地で発生している邪教の取り締まりをしている。
 その邪教は二人の女によって民に広められ、その教えは人を狂わせる。敬虔な教団信者すら甘言で惑わし、堕落させ、邪神の贄とする女達は悪魔の使いであった。
 実際、ヴィレムは何度かその女達と遭遇している。豊満な肉体と美しい顔を持った、何よりも残忍で冷酷な心の魔女達。
 祝福を受けた剣を手に挑みかかる彼を、女達はきゃらきゃら笑って軽くいなし、去っていく。相手にされていないのだ。
 今度こそはと挑んだ何度目かの対峙、それも風のように逃げられ、活動拠点として使われていた古城を部下と共に探索していた時だった。
 数刻前までは生きていただろう人間達が見つかる中、ある一室に息のある人間が眠っていた。埃だらけのソファーに質の良い布をひいて、その上ですやすやと眠っていたのが今現在ヴィレムの供をする青年、レネだ。
 叩き起こしたレネは話を聞く限り邪教集団での記憶はないと言う。人心を掌握する魔女達なのだから、人の記憶を操るくらい訳ないのだろう。
 運良く贄にされる前にヴィレム達が古城に辿り着き助かったのだろう彼はヴィレムに保護され、行き場がないというレネをヴィレムが引き取り部下に引き入れた。お人好しのヴィレムは放っておけなかったのだ。
 レネはヴィレムを慕ってくれた。ヴィレムもレネと過ごすうちにどうしようもなく可愛く思えてくる。
 レネは特別美しい容姿である訳でもない。痩せ気味の平凡な青年だ。そんな彼を可愛いと思ってしまうのは、惚れた欲目というものなのだろう。
 自覚したヴィレムはレネに愛を告げ、レネは真っ白い頬をほんのり染めて同じ気持ちだと頷いてくれた。
 幸いヴィレム達の神は愛を尊び、聖職者の婚姻も同性間の婚姻も許している。咎められることなく結ばれた二人は公私共に支え合っている。

「あのにっくき魔女共を捕らえさえすればこんな任務も終わってお前と聖都で暮らせるというのに……」
「僕はヴィレムや皆と旅するの、不謹慎だけど楽しいよ。人の死体を見るのは…………辛いけどね」
「レネ……!」

 健気な台詞を返してくれるレネを今すぐ抱き締めてやりたかったが二人は現在職務中。その上周りには見渡す限り死体の山だ。ムードもへったくれもない。
 散開させていた部下を集めると死体を埋葬する為の穴を掘り始めた。そのままにしておけないが、聖都の共同墓地まで運ぶのは難しいので神殿の庭に無数の穴を掘る。棺すら用意出来ない、本当に死体を埋めるだけの埋葬であるが、せめて安らかに眠るように祈りの心を持って、彼らの上へ土をかける。
 作業が終わる頃にはすっかり日が暮れ、ヴィレム達は神殿で一夜を明かすことになった。



「あぁん、暇ねぇ……ねぇミシェレちゃん。何か面白いことはないかしら」

 豪華絢爛な調度品の揃えられた一室で、きらびやかなドレスで身を飾った美しい女性がため息をついた。部屋の真ん中に置かれたテーブルセットに腰かける彼女の切れ長の目が、目の前で刺繍に励む女性と読書に耽っている青年を捉えた。

「面白いこと? 国でも滅ぼす?」
「そんなの飽きちゃったわぁ。それにしようと思えば今すぐ出来ちゃうしぃ……」
「どうせならお父様が喜ぶような暇潰しがいいんじゃないかしら。ねぇ、お兄様」

 刺繍を縫っていた、これまた美しい女性が声をかけると、その隣で青年は頷いた。

「そうだね。お父様が喜んでくれたら僕も嬉しい」
「ならぁ、人間の魂を目一杯捧げるのが一番かしらねぇ……」
「なら、昔よくやった『宗教ごっこ』は? あれはお父様もよく褒めてくれた気がするわ」
「……そうねぇ、それにしようかしらぁ……」

 姉が納得してくれたことにほっとした所で、廊下から駆けてくる足音が聞こえ始めた。気配を察した姉が「あらあら」と笑い出す。

「フィロメナ! おお、ミシェレ達もいたのか」

 ノックもなく扉を開けることの出来る人物は一人しかおらず、姉――フィロメナはすぐに立ち上がり、蠱惑的な笑みを見せた。

「まぁ陛下、私に会いに来て下さったの?」
「ああ、フィロメナ、勿論だ。本当なら政務等せずにお前と共にいたいくらいなのだ……フィロメナ……」

 男は彼女達の巣食う国の王であり、彼女達の正体を知らぬまま信奉者となっている哀れな人形だった。
 ひたすら姉を呼び、姉の気をひこうとする憐れな男。男の意識から既に除外されているのを知っている妹は冷めた目で男を見て、手元の刺繍へ意識を戻す。
 好色な姉は男にされるがまま、寝台へ身を預けた。淫欲のままに嬌声を上げ始めた二人は己の世界に浸っている。

「宗教ごっこか、懐かしいな」
「そうでしょうお兄様。私達にとって初めての遊びだったんだもの」

 目を細めて昔話を始めた妹に、青年も付き合うことにした。思い出すのは生まれたばかりの頃。
 姉と青年と妹は、本当のきょうだいではない。血の繋がりはないが、そんなものよりもっと強固な絆で結ばれている。
 三人は元々、親元から連れ去られた子供だった。両親と平凡な暮らしを過ごす筈が、邪神を奉る異教徒達に拐われ、邪神降臨の依り代として扱われた。邪神が降りる体なのでとても丁寧に扱われたが、年端もいかぬ子供が本当に求める温もりは与えられなかった。
 異常な誘拐生活の末、その日は突然やって来た。信者達が揃い、多くの供物と共に三人の子供を媒介に邪神を降ろす儀式の日。
 彼らは邪神に贄を捧げればその対価として大きな力を得られると信じていた。実際、邪神は贄の対価を与えた。
 三人の子供は生きたまま邪神の子に生まれ変わり、大きな力を得た。悪徳を尊び、人の悲哀を喜ぶ心を得た子供達は先ず、目の前の信奉者達を我が父に捧げた。
 救われる筈と信じて疑っていなかった彼らが一転して陥った絶望は、父の気に召したらしい。よくやったと褒められ、三人は喜んだ。
 幼いまま各地を転々とし、人を惑わし人を食らう彼女達はとても美しく成長した。彼は人を騙す為、あえて平凡を装った。
 彼女達の役目は父に贄を捧げることだ。幼いうちは邪教を嘯き人心を乱し、成長したらその身で惑わす。やがて国王に取り入り妃となって贅を尽くすことを覚えると、国を変えつつしばらくその手で過ごしていた。

「宗教ごっこをするならここは潰すのかな」
「そうじゃないかしら? それに姉様は飽きっぽいし」

 今まで何度も国を滅ぼしたが、その頃合いは飽きてからだ。城の暮らしにも、王にも。

「宗教ごっこなら僕はそんなに働かなくていいだろうし、楽でいいや」

 青年が邪教の教えを広めるより、姉達で唆した方が食い付きが良い。

「あら、お兄様は働いてくれないの?」
「……そうだね。宗教ごっこは二人に任せて、お父様の為に新しい手駒でも創ろうかな」

 目で尋ねてくる妹に、青年は微笑む。

「善良で清廉な魂がいい。悪を憎み正義を為す、そんな人間を虜にして、僕に堕とし込むんだ」
「さっすが、レネちゃんはお父様思いねぇ」

 いつの間にか傍らに立っていた、あられもない姿の姉に青年は頷く。

「お父様は悪堕ちが大好きだからね」

 自分の子供にする程なのだから。そう言うと姉妹が笑う。ころころと、鈴の鳴るように。

「じゃあ、もう終わりにしようかしら」

 媚びの消えた冷徹な姉の声に異を唱えることはなく。
 傾国と噂され賢君を堕落させる毒婦と呼ばれた通り、国は王妃によって滅ぼされる。真実を知らぬまま、何故滅びるかわからないまま。彼らの生は一夜で終わる。
 邪神の腹の中で、仲良く溶けて消えるのだ。



「……夢、か」

 ぱちりと目を覚ましたレネが呟く。何年前のことか忘れたが、宗教ごっこの始まる前、まだ二人と共に暮らしていた時の夢。
 レネは邪神の一部だが元は人間の体だ。億劫だが食事をしなければ死ぬし、その分排泄もする。睡眠も必要だし、眠れば夢だって見る。

「……うぅん……」

 レネの声に反応したのか、隣で眠るヴィレムが寝返りを打つ。そのせいで掛け布団代わりにしている外套がずれたのでかけ直してやる。

「……愛しいヴィレム。はやくここまで堕ちてきてね」

 正義を愛し悪を憎む。善良で清廉な騎士。虜にする筈がいつの間にかレネの心を掴んだ男。
 この魂が反転すれば、きっと素晴らしい駒になる。父は喜び褒めてくれるだろう。
 レネだって、ヴィレムとずっと一緒にいられる。
 毒は少しずつ、わからないように体に回っている。きっと近いうちにヴィレムは愛の為――己が愛だと信じるものの為に、レネを選ぶ。世界でも神でもなく、レネを。
 楽しみだと、姉によく似た笑顔を浮かべ、自分の外套をかけ直して逞しい体にすり寄る。寒さを誤魔化すように、甘えるように。
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