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過去の自分をどう思うか。答えを出すのは難しい。
間違っていたかと言われると全てが正しくはなかった。行いを恥じたことはないが、善意からの行動は時として自分の身を省みない向こう見ずな行いでしかない。
『クラレンス』の価値を見出だせなかったクラレンスは、ただひたすら善行に励むしかなかった。皆から認められる存在にならなければいけなかった。
クラレンスの居場所が欲しかった。念頭にあったのはそれだ。やはり偽善者なのだろう。
輝く目で自分を見上げてくれる無垢な瞳。好意を滲ませてくれるたくさんの人達。愛すべき、愛する民からの信頼をクラレンスが喜べなくなったのはいつのことだったか。
クラレンスは毎日忙しく過ごしている。
個人的に行っている慈善活動の他にも公務がある。少ない休みの中に時間を作り、人と他愛のない話をするようになったのは久しぶりのことだった。
果実の香る紅茶と焼きたての菓子と共にテーブルを挟むのは婚約者候補であるアレンだ。クラレンスの護衛につくようになった彼の休みはクラレンスと同じように取られており、相互理解を名目にお茶に誘うと彼が断ることはなかった。
護衛として常に付き従ってくれる彼の人となりをクラレンスは充分に理解したつもりでいる。
実直で誠実、清廉な心を持った少年だ。幼い頃の思い出はいつまでも美しいまま彼の胸にしまわれ、理想に囚われている。
少年時代のクラレンスも幼い恋に苦悩した。物理的な離別がなければ厄介な感情を抱き続けたかもしれないが、クラレンスは昇華出来ている。
綺麗な思い出だったのだと。過去のものとして完結させ、それらの理想化の自覚もある。
クラレンスと関わりがないのなら美しい思い出のままでいたらいい。けれどクラレンスと共にあろうとするのなら幻想を壊さなければならない。
クラレンスは美しい理想の象徴ではない。宗教画の中で微笑むこともない。ガーランドの王の息子に生まれただけのただの男なのだ。
それまでの話に区切りがつき、喉を潤す。焼き菓子の減った皿と底が透けて見えるカップが時間の終わりを告げようとしていた。
「ねぇ、アレン」
名前を呼ぶと頬を染めた少年が返事と共に見つめ返してくる。クラレンスに憧れを抱き、道を切り開いた少年。それらをクラレンスのおかげだと思っている彼。
「きみとの結婚について。私なりに考えてみたのだけれど……その。きみは……勘違いをしているんじゃないかな」
「勘違い、ですか」
そうと頷く。彼から聞いた話では幼いアレンはクラレンスに懐き、憧れ、感謝してくれているようだった。それは純粋に嬉しいけれどそれだけで恋い焦がれるとは思えない。
「きみが騎士になりたいと思ったのは私がきっかけかもしれない。その始まりから勘違いしてるんじゃないのかな」
かつてのクラレンスは護衛の騎士に恋をした。優しく頼もしい彼に憧れ、それはいつしか恋になった。
アレンと同じように思えるが関係性と時間に大きな違いがある。クラレンスと騎士は多くを共有し、特別な感情を抱いてもおかしくない時間を過ごしたが、アレンとクラレンスは孤児院で僅かながらに過ごしただけだ。それだけで十以上年上で同性のクラレンスに恋をするとは思えなかった。
「小さな頃に抱いた憧れが美化されて、私に恋していると思い込んでしまったんじゃないか?」
「いいえ」
クラレンスの言葉を聞くアレンの目を見張り、食いぎみに否定する。僅かな憤りが見えた。
「私が殿下と結婚したいと、貴方へ恋をしたことは勘違いなんかじゃありません。貴方にわかりますか? 叔母に引き取られて……新しい家族が出来て……嬉しくはあったけれど、優しくて綺麗な王子様と会えなくなった幼い私の気持ちが」
孤児院の暮らしに慣れ始めた頃、小さなアレンはクラレンスが訪れる日を指折り数えて待ち望んでいた。大好きなクラレンスに会いたくて仕方なかった。
叔母の暮らす農村ではクラレンスの噂話すら聞こえてこない。レミントンからクラレンスの昔話を聞くくらいしか慰めがなかった。
「老師に教えを受けていた頃、考えていたのはいつも貴方のことでした。騎士として城に入り時折貴方を見られるようになって、私がどれだけ嬉しくて歯痒かったことか」
クラレンスは定期的に騎士団の訓練場に訪れ、騎士相手に鍛練している。一般の騎士では挨拶程度の会話しか出来ない。それすらアレンには至高の一瞬だった。
「ただの憧れと勘違いで済ませられる程、ちっぽけな感情じゃないです」
「なら尚更目を覚ましてほしい。私はきみが思っているような人間じゃないんだ」
え、と声が漏れる。意を決したクラレンスは勢いのまま言葉にする。
「私は偽善者だ。慈善活動だなんて言われているけれど、実際は自分の為なんだよ」
「…………裏金とかですか」
「裏金?」
「え?」
察したようなアレンの問いに不思議そうな声が返され、二人揃って首を傾げる。
「その……私が活動を始めたきっかけは困ってる人を助けたいっていうよりも、皆に私を認めてほしかったんだ。ガーランドの第二王子っていうだけでなく、クラレンスが、私がいてもいいんだって……思ってほしかっただけなんだよ」
弱者に手を差し伸べる心優しい王子様を気取っていただけだと。まるで懺悔のように吐き出された。
「きみが憧れてくれた王子様はいないんだ。私は自分を良く見せたいだけの男なんだよ」
さぞかし幻滅するだろうと覚悟し、いつの間にかきつく目を閉ざしていたクラレンスが恐る恐る瞼を持ち上げていく。
開いた視界に映ったのは激怒して――おらず、きょとんとした顔で自分を見つめているアレンだった。
「それだけですか?」
「……それだけって。ああ、うん。そうだけど」
クラレンスの返事を聞いたアレンは「良かった」と微笑む。何がいいのかクラレンスにはわからない。
「だって、そんな深刻な顔をして言われたらもっと酷い想像をしますよ。ふふっ」
「何がおかしいんだ」
「申し訳ありません。馬鹿にしてるとかではなく……本当に、心から安堵しているだけです」
予想とかなり違う反応をされて眉を顰めるクラレンスとは対照的に一人でわかったような顔をして笑っていたアレンだが、しばらくすると平静を取り戻し再び詫びた。
罵られるかもしれないとすら考えて、それでも腹を割って話をしたつもりのクラレンスには目の前の彼がよくわからなくなってきた。
「殿下は私達の憧れた心優しい王子様に違いありません」
自信を持って答える理由がアレンにはある。護衛として傍らに控えて見えたクラレンスの心の隅には常に民が住んでいる。
「偽善者は休みの日にまで孤児達へのお土産なんて考えませんよ」
つい先程まで行われていた会話の中で、子供がいる同僚の話にクラレンスはやけに食いついてきた。最近の子供は何に興味を持つのか知りたいようだった。
「きみは私を……少しも嫌いにならないのか?」
「ちっとも。それどころかますます好きになりました」
クラレンスがクラレンスで良かったと言って笑う目の前の少年を、クラレンスは初めてきちんと見つめた気がする。緩く笑んだ美しい少年は優しい眼差しでクラレンスを見つめ返していた。
間違っていたかと言われると全てが正しくはなかった。行いを恥じたことはないが、善意からの行動は時として自分の身を省みない向こう見ずな行いでしかない。
『クラレンス』の価値を見出だせなかったクラレンスは、ただひたすら善行に励むしかなかった。皆から認められる存在にならなければいけなかった。
クラレンスの居場所が欲しかった。念頭にあったのはそれだ。やはり偽善者なのだろう。
輝く目で自分を見上げてくれる無垢な瞳。好意を滲ませてくれるたくさんの人達。愛すべき、愛する民からの信頼をクラレンスが喜べなくなったのはいつのことだったか。
クラレンスは毎日忙しく過ごしている。
個人的に行っている慈善活動の他にも公務がある。少ない休みの中に時間を作り、人と他愛のない話をするようになったのは久しぶりのことだった。
果実の香る紅茶と焼きたての菓子と共にテーブルを挟むのは婚約者候補であるアレンだ。クラレンスの護衛につくようになった彼の休みはクラレンスと同じように取られており、相互理解を名目にお茶に誘うと彼が断ることはなかった。
護衛として常に付き従ってくれる彼の人となりをクラレンスは充分に理解したつもりでいる。
実直で誠実、清廉な心を持った少年だ。幼い頃の思い出はいつまでも美しいまま彼の胸にしまわれ、理想に囚われている。
少年時代のクラレンスも幼い恋に苦悩した。物理的な離別がなければ厄介な感情を抱き続けたかもしれないが、クラレンスは昇華出来ている。
綺麗な思い出だったのだと。過去のものとして完結させ、それらの理想化の自覚もある。
クラレンスと関わりがないのなら美しい思い出のままでいたらいい。けれどクラレンスと共にあろうとするのなら幻想を壊さなければならない。
クラレンスは美しい理想の象徴ではない。宗教画の中で微笑むこともない。ガーランドの王の息子に生まれただけのただの男なのだ。
それまでの話に区切りがつき、喉を潤す。焼き菓子の減った皿と底が透けて見えるカップが時間の終わりを告げようとしていた。
「ねぇ、アレン」
名前を呼ぶと頬を染めた少年が返事と共に見つめ返してくる。クラレンスに憧れを抱き、道を切り開いた少年。それらをクラレンスのおかげだと思っている彼。
「きみとの結婚について。私なりに考えてみたのだけれど……その。きみは……勘違いをしているんじゃないかな」
「勘違い、ですか」
そうと頷く。彼から聞いた話では幼いアレンはクラレンスに懐き、憧れ、感謝してくれているようだった。それは純粋に嬉しいけれどそれだけで恋い焦がれるとは思えない。
「きみが騎士になりたいと思ったのは私がきっかけかもしれない。その始まりから勘違いしてるんじゃないのかな」
かつてのクラレンスは護衛の騎士に恋をした。優しく頼もしい彼に憧れ、それはいつしか恋になった。
アレンと同じように思えるが関係性と時間に大きな違いがある。クラレンスと騎士は多くを共有し、特別な感情を抱いてもおかしくない時間を過ごしたが、アレンとクラレンスは孤児院で僅かながらに過ごしただけだ。それだけで十以上年上で同性のクラレンスに恋をするとは思えなかった。
「小さな頃に抱いた憧れが美化されて、私に恋していると思い込んでしまったんじゃないか?」
「いいえ」
クラレンスの言葉を聞くアレンの目を見張り、食いぎみに否定する。僅かな憤りが見えた。
「私が殿下と結婚したいと、貴方へ恋をしたことは勘違いなんかじゃありません。貴方にわかりますか? 叔母に引き取られて……新しい家族が出来て……嬉しくはあったけれど、優しくて綺麗な王子様と会えなくなった幼い私の気持ちが」
孤児院の暮らしに慣れ始めた頃、小さなアレンはクラレンスが訪れる日を指折り数えて待ち望んでいた。大好きなクラレンスに会いたくて仕方なかった。
叔母の暮らす農村ではクラレンスの噂話すら聞こえてこない。レミントンからクラレンスの昔話を聞くくらいしか慰めがなかった。
「老師に教えを受けていた頃、考えていたのはいつも貴方のことでした。騎士として城に入り時折貴方を見られるようになって、私がどれだけ嬉しくて歯痒かったことか」
クラレンスは定期的に騎士団の訓練場に訪れ、騎士相手に鍛練している。一般の騎士では挨拶程度の会話しか出来ない。それすらアレンには至高の一瞬だった。
「ただの憧れと勘違いで済ませられる程、ちっぽけな感情じゃないです」
「なら尚更目を覚ましてほしい。私はきみが思っているような人間じゃないんだ」
え、と声が漏れる。意を決したクラレンスは勢いのまま言葉にする。
「私は偽善者だ。慈善活動だなんて言われているけれど、実際は自分の為なんだよ」
「…………裏金とかですか」
「裏金?」
「え?」
察したようなアレンの問いに不思議そうな声が返され、二人揃って首を傾げる。
「その……私が活動を始めたきっかけは困ってる人を助けたいっていうよりも、皆に私を認めてほしかったんだ。ガーランドの第二王子っていうだけでなく、クラレンスが、私がいてもいいんだって……思ってほしかっただけなんだよ」
弱者に手を差し伸べる心優しい王子様を気取っていただけだと。まるで懺悔のように吐き出された。
「きみが憧れてくれた王子様はいないんだ。私は自分を良く見せたいだけの男なんだよ」
さぞかし幻滅するだろうと覚悟し、いつの間にかきつく目を閉ざしていたクラレンスが恐る恐る瞼を持ち上げていく。
開いた視界に映ったのは激怒して――おらず、きょとんとした顔で自分を見つめているアレンだった。
「それだけですか?」
「……それだけって。ああ、うん。そうだけど」
クラレンスの返事を聞いたアレンは「良かった」と微笑む。何がいいのかクラレンスにはわからない。
「だって、そんな深刻な顔をして言われたらもっと酷い想像をしますよ。ふふっ」
「何がおかしいんだ」
「申し訳ありません。馬鹿にしてるとかではなく……本当に、心から安堵しているだけです」
予想とかなり違う反応をされて眉を顰めるクラレンスとは対照的に一人でわかったような顔をして笑っていたアレンだが、しばらくすると平静を取り戻し再び詫びた。
罵られるかもしれないとすら考えて、それでも腹を割って話をしたつもりのクラレンスには目の前の彼がよくわからなくなってきた。
「殿下は私達の憧れた心優しい王子様に違いありません」
自信を持って答える理由がアレンにはある。護衛として傍らに控えて見えたクラレンスの心の隅には常に民が住んでいる。
「偽善者は休みの日にまで孤児達へのお土産なんて考えませんよ」
つい先程まで行われていた会話の中で、子供がいる同僚の話にクラレンスはやけに食いついてきた。最近の子供は何に興味を持つのか知りたいようだった。
「きみは私を……少しも嫌いにならないのか?」
「ちっとも。それどころかますます好きになりました」
クラレンスがクラレンスで良かったと言って笑う目の前の少年を、クラレンスは初めてきちんと見つめた気がする。緩く笑んだ美しい少年は優しい眼差しでクラレンスを見つめ返していた。
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