憧憬ロマンス

鳫葉あん

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 メルヴィンは侯爵家の三男に生まれた。幼少期から貴族としての教育を受け、年が近いということもあり父の紹介でガーランドの次なる王であるジェロームと知り合った。ジェロームはなかなか難しい子供だったが、メルヴィンとは気が合った。
 十代になると二人は騎士学校へ通い始め、知識を深め見聞を広げた。武術の腕も悪くない。将来は自分の下で助けてくれと笑って頼むジェロームに、それも悪くないかと考えていた。
 メルヴィンが家督を継ぐ可能性は殆どない。決められた将来もなく、思い描くものがないメルヴィンは予定通りに学校を卒業したら他国への留学を考えていた。ジェロームの下で働く前の猶予期間が欲しかったようなもので、特に学びたい何かがあったわけではない。
 結局、メルヴィンは留学をすることもジェロームの配下になることもなかった。何の灯火もなかった筈の道筋に強烈な光を与えられたのだ。
 強く輝くその光は不安定極まりなく、本人に自覚があるのか不明だが酷く脆い。死を厭わない。望んでいる節がある。
 その人はメルヴィンより二つも下だというのに、小さな頃から誰かの為に働いていた。自分に出来る善行を精一杯考える彼に、世間は無関心だった。メルヴィンもそうだ。
 小さな王子様のきまぐれだと思われていた。善行は今だけで飽きたらそのうち終わるのだろうと。口だけで王子の善行を讃え笑う自分達と同じだろうと。
 身勝手にそう決め付けられた彼は彼の献身を証明した。犠牲のない善行を人は偽善と謗るが、その身を省みない善行を人は正義と謳うのだ。


 騎士学校に通い始めて二年目、メルヴィンが十六歳の夏。国は未曾有の大災害に襲われていた。ガーランドは都の背後を山に囲われており、麓の丘に造られた城を中心に街が広がる。普段なら外敵の進行を防ぐ砦となる山が、数日続いた豪雨によって牙を剥いた。
 ガーランドの街には川が流れる。山中から長く伸びたそれはガーランドを抜けた遥か先まで繋がっている。民にとって慣れ親しんだそれは溢れかえり、土砂を連れて街を襲った。
 高台にある城とその近くに造られた貴族階級の家々は庶民街に比べれば被害は少なかった。平地に建てられた家の多くは破壊され、流されるのは無機物だけではない。
 屋敷の窓から変わり果てた街の残骸を見ていたメルヴィンはジェローム直々に助力を請われ、迷いなく頷いた。
 メルヴィンに物事への情熱はなかったが決して悪人でも冷徹漢でもない。自分の暮らす国に異変があれば何かをしようと思う気持ちくらいは芽生えた。
「父上が城を開放した。騎士団総出で住民に城への避難を呼び掛けているが城内対応にも騎士が割かれていて人手が足りない。悪いが私と共に避難勧告をしてほしい」
「……王子様直々に? そんなに人がいないのか」
「一回目の土砂で騎士も流された。怪我を負って歩行すら出来ない者もいる。人が足りないんだ。実地訓練だと思ってくれ」
 騎士学校は国を守る騎士となるべき教育を行っている。災害時の行動なども座学で学び、着衣水泳などの訓練も行った。
 雨避けの外套を着て、ジェロームの連れてきた馬を借りて街へ急ぐ。
 窓の内側から見る世界と実際の街は違って見えた。逃げ惑う人々の焦りも親を探して泣き喚く子供の声も、窓の中には届いてこない。
 出会う人にとにかく城を目指すように声を掛ける。街の状況に注意しながら逃げ遅れた者がいないか探すメルヴィンの目に、その人は映り込んだ。
 騎士と共に街を駆け回る金髪の少年。声を上げて避難を呼び掛けるその人はジェロームの弟であり、ガーランドの第二王子であり、気まぐれの善行が噂になっているクラレンスだった。
 クラレンスも騎士学校に入りある程度の訓練を受けている。それがなくとも彼は緊急事態とあらば奔走するだろう。
 先に街へ降りていたクラレンス達とジェローム達の行動範囲を合わせれば街を一通り回ったらしい。逃げ遅れていないかもう一度確認する騎士達と分かれ、ジェロームとメルヴィン、クラレンスは城へ戻ることになった。馬を連れていなかったクラレンスはジェロームの後ろに跨がり、辺りを見回している。
「クレア、駆け回って疲れたろう。城に着いたら少しお休み」
「いえ。私は平気です」
 返事こそしているがクラレンスの意識は周囲に散っている。土砂に潰された家の跡を抜け、街の中心を流れる増水した川が視界に入るようになると、クラレンスは声を上げた。
「兄さん止まって!」
 何事かと反応したジェロームが馬を止めた途端、クラレンスの体は転がるように馬から飛び降り、迷いなく川へ駆けた。珍しくジェロームが焦った声を出して弟の名前を読んでいる。
 メルヴィンは何も発せず、ただ後ろ姿を目で追うしか出来なかった。弟を追って駆け出すジェロームを見てようやく体が動く。

 普段の美しい憩いの姿とは程遠い太く肥えた濁流の中に。彼は躊躇なく飛び込んだ。
 理由を探すメルヴィンの目に、土砂によって茶色く濁った川の変色に紛れてしまっていた手を見つけた。メルヴィン達より、クラレンスよりも小さな。子供の手だ。
 避難の際に川へ落ちたのだろう子供を見つけ、助ける為に彼は川へ飛び込んだのだ。
 川へ駆けていくジェロームに追いつき、その体を止める。離せと騒ぐ親友までも川に飛び込ませまいと、メルヴィンは落ち着くよう言い聞かせた。
「お前まで飛び込んでどうする! とにかく誰か騎士を探して……本職に任せるべきだ!」
「だがクレアが!」
 山からの土砂は落ち着いているが雨は止んでいない。川の増水が収まるのはまだまだ先のことで、増えた水量は川の流れの勢いを強めている。
 まだ街の何処かで見回りをしている騎士を探しに行こうと馬へ飛び乗ったメルヴィンは見た。クラレンスが飛び込んだ位地からかなり離れた下流、川辺に流され積まれた瓦礫に何かが掴まっている。彼だ。
「クラレンス殿下!」
 今度こそメルヴィンは彼の名前を叫んで駆けた。クラレンスの手が瓦礫を離してしまうのと、馬から飛び降りたメルヴィンがその手を掴むのは同時だった。
 メルヴィンごと流されそうになったがジェロームによって引っ張り止められ、騒ぎを聞きつけた騎士達に発見され助け出された。クラレンスの片腕がしっかりと抱え込んでいた幼い子供も、騎士によって処置され命を繋いだ。
「クレア……本当に良かった……」
 意識が朦朧としている様子の弟をかき抱く親友は心底安堵している。メルヴィンも同じだった。
 子供は幼いながらに恩人を忘れず、後になって母親のもとへ帰されるとクラレンスの話をした。溺れた自分を助けてくれた王子様の勇姿を幼い言葉で懸命に語る。
 クラレンスの活躍は僅かながら人の噂となり、少しずつ彼らの心に染み入っていった。『彼ら』にはメルヴィンも数えられる。

 決定的になったのは翌年のことになる。暴雨による傷痕の完全に癒えぬガーランドを疫病が襲ったのだ。
 頭と喉の痛みや咳、発熱を訴える患者が多く風邪と診断され、出された薬は全く効かなかった。症状が悪化し衰弱し、そのまま息を引き取る。治療院のベッドは空いてもすぐに埋まった。空き部屋の床に寝転がされる姿の方が多かった。
 患者の家族が運び込まれ、次は彼らの世話をしていた治療院の人間が倒れる。感染速度に大事を悟った医者の声を聞き、国の中枢は解決への糸口を探し始めた。
 彼はやはり身を投げ捨てていた。子供を助ける為に川へ飛び込んだ、愚かなまでに善良な彼は城から離れて治療院で病に倒れ苦しむ人々と向き合っていた。
 国の危機に誰もが考え、探していた。自分に出来ることを。自棄を起こしそうになると誰もが自然と思い出すのだ。治療院の中で甲斐甲斐しく働く王子様の姿を。
 彼らの心の中にクラレンスがいるのは彼の献身を知っているからだ。いつからか慈善活動を始めた小さな王子様は国の為に民の為に、その身で献身を示した。
 暴雨による土砂で潰れた街の中を騎士に混じって復興作業を行った。街の悲惨な有り様に項垂れる人々は彼の姿を見て自然と鼓舞された。王子様が泥塗れになって懸命に働いてくれるのなら、自分達も頑張らないといけないと。

 人々が病に苦しむ今。看護に励む彼の体が病魔に蝕まれるのと薬が開発されたのは同時期だった。
 最初、それが彼だと思わなかった。彼の姿が見当たらない治療院の中を数人の騎士や修道士達と共にジェロームとメルヴィンが進む。年寄りと子供を優先して薬を飲ませていくうちに、とある一室に彼は寝ていた。
 民が硬い床の上に寝かされる中、彼は数少ないベッドの上に横たわっていた。その顔は青白く、生気がない。慌てて駆け寄るジェロームが薬を飲むよう言っても力なく断る。
「私は大丈夫だから皆に先に飲ませてあげて」
 か細い声で途切れ途切れにそう伝えられ、ジェロームは民への処置を急いだ。少しでも早く弟に薬を飲ませてやりたかった。

 多くの死者を出したものの薬によって病は収まり、国にはようやく平穏が戻った。クラレンスも無事に快復し、元気に誰かの為に駆け回っている。
「騎士学校を辞めるよ。悪いがきみの手伝いは出来そうにない」
 親友からそう切り出されたジェロームは特別驚いた様子もなく、何故か聞いてくれた。メルヴィンは心の中に住み着いた彼の顔を思い浮かべながら答える。
「助けてあげたいというか、助けてあげないといけないと思える人が出来たんだ」
 照れや憧れ、他にも好感情を滲ませるメルヴィンの表情に何かを察したのか、ジェロームは少し嬉しそうに了承してくれた。



「そうして私は騎士学校を辞め、交易の真似事をして稼いだ資金をもとに父から領地の一角を借りてワイナリーを始めました。ありがたいことに大変好評で、こうして殿下のお力になれております」
 クラレンスの自室。お気に入りのソファーセットで向かい合いながら聞かされた話に、むず痒さを覚えながらメルヴィンの成功を讃え日頃の感謝を伝えた。
 婚約者候補となったメルヴィンとも理解を深めようと思い、彼の話を聞く為に午後のお茶に招待していた。
「過去の自分を誰かの目線から聞くのは恥ずかしいものですね…………私は私をメルヴィン卿が思っているような素晴らしい人間だと思えませんから」
「そういうものなのでしょうね。貴方の尊さを貴方はわかっておられない」
「……尊くなんてないですよ。皆が私の姿を好意的に捉えてくれているだけです」
 民の為にその身を捧げる。そう言えば聞こえはいいが実際は無謀な子供の暴走だった。
 川で溺れた子供を助けたのも、治療院で看護に励んだのも。間違ったことをしたとは思わないけれど、正解だったとも思えない。
「貴方もあの子も。理想の中の私を愛しているだけですよ」
 クラレンスの言葉に対し、メルヴィンは頷いた。頷いてそれを認めて自分の思いを返す。
「だからこそ本当の貴方を知りたいのです。たとえ貴方の献身が……そう。例えば金儲けの為だったとしても、多少の失望はあれ私の愛を消すことは難しいでしょう」
「金儲けなんて」
「ええ。例えばです。そしておそらく。貴方の思う貴方の本心は、とても可愛いものだと、私にはわかりますよ」
 何故だと問い返してもメルヴィンは愉しげに微笑むだけで答えない。
 クラレンスのことなら何でもわかる顔をして、クラレンスのことなら何でも受け入れる男はただ、向かい合って話をする時間を楽しんでいた。
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