憧憬ロマンス

鳫葉あん

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 約束は守られねばならない。民と交わしたものなら尚更だ。クラレンスに出来るのは誠実であることくらいなのだから。
 たとえ自分の発言に奮い立った妹の独断だとしても、発端はクラレンスの浅慮にある。
 先日の試合で見事勝利を手にした年若き騎士は城の客間に案内された。勝者への褒美であるクラレンスとの見合いの為に。
「後は若いお二人で存分にお話なさって!」
 城の造りに慣れない年若い騎士に付き添ってくれたクレイグを引っ張り、さっさと退室してしまうローザに流石に無責任過ぎるだろうと珍しく腹を立てる。
「……えぇと」
 応接の為に設えられた揃いのソファにテーブルを挟んで向かい合う。目を向ければキラキラと輝く眼差しがクラレンスを見つめていた。
「アレン……だったね。この間の試合は素晴らしかったよ」
「恐縮です」
 騎士の名前を思い出し、確認がてら先日の試合を褒める。世辞ではなく本当に素晴らしかった。筋骨隆々とした男と対峙するとアレンは細く頼りなく見えてしまい、失礼ながら勝つとは思っていなかった。
 ローザの我が儘から行われた試合とはいえ、クレイグ直々に審判を務めるとあれば騎士達は手を抜くことも出来ない。それなりに実力を出し合って闘った筈だ、とクラレンスは考えている。
 実際は王女から提示された褒美を真剣に奪い合っていた。クラレンスの前でしおらしく微笑む彼も。
「優勝賞品が私との見合いで申し訳ないくらいだ」
「私には過ぎた褒美です。身分違いとわかっていても私は……クラレンス殿下と……結婚したい、です」
「――何故?」
 当然の疑問だった。ローザの我が儘に付き合うだけにしては度が過ぎる。
「拒否権のない貴方達をローザの我が儘に付き合わせたのは兄として詫びよう。本当に申し訳ない。だからといってそこまでする必要は」
「ローザ殿下は関係ありません。クラレンス殿下と結婚したいというのは、私の本心です」
 クラレンスの言葉を遮る彼の目は燃えるように熱く、クラレンスを射抜く。再び問う。
「……殿下はきっと覚えていないでしょうが、私が騎士になれたのは殿下のおかげでした」
 ゆっくりと語られていくのはクラレンスにとっては遠く朧気な記憶。アレンにとってはつい先日のように色褪せることなく鮮やかに思い出せる、大切にしまわれた昔話だった。


 十年前、幼いアレンは教会が運営する孤児院に預けられた。病で両親を亡くし、行き場がなかったのだ。
 両親が突然いなくなり、シスターに世話をされ、見知らぬ子供達に囲まれる暮らしをすぐに受け入れられなかった。元々物静かな性格だったのもあり、人目につかない場所に隠れ、一人でぼうっとしていた小さな子供を他の子供の世話もするシスターはすぐに気付いてやることが出来ない。
「きみ、そんな所でどうしたの?」
 背後から声が聞こえ、俯いていた顔を上げてゆっくりと振り返る。見たことのない青年が不思議そうにアレンを見つめていた。
 孤児院の裏庭にある大きな木の下に隠れるように座り込んでいたアレンの大きな目に、太陽の光を浴びた青年の金の髪は輝いて見えた。
「体調が悪いのか?」
 頭を振って否定すると「良かった」と青年の顔が綻んだ。
「孤児院に来たばかり?」
 頷く。孤児院に預けられてから三日程だった。
「そうか。皆と遊ばないのか?」
 頷く。他の子供達と大声で話したり、孤児院の庭を駆け回る気にならなかった。
「……ここにずっと一人でいるのは寂しくないか?」
 迷う。子供達と遊ぶ気分にはならないけれど、一人でいたいわけでもない。
「なら本でも読んであげようか。今日はちょうど新しい本の寄贈があるんだ」
 返事も聞かずに青年は小さな体を抱き上げ、孤児院の中へ入っていく。庭で遊んでいた子供達は青年の姿を見て遊びをやめ、わらわらと後へ続いた。
 部屋の中で行われた童話の朗読には殆どの子供が参加し、目を輝かせながら青年の話に聞き入っていた。勿論、青年の腕の中という特等席で聞いていたアレンも。
 青年は子供達に懐かれていた。シスターを困らせてばかりの腕白な子供も、彼の前では行儀がいい。青年が王子様だと知っても、それが理由の全てだとは思わなかった。
 一月も過ぎればアレンも自分の境遇を受け入れ、孤児院の暮らしに慣れ、他の子供達とも打ち解け合って笑うことが増えた。青年の尽力も大きかった。
 他の子供達同様にアレンも青年に懐き、彼が訪問すると後ろに引っ付いていた。アレンより年上の子供へ剣術を教える姿を見て、アレンも習いたいと言ったら「もう少し大きくなったらね」と諭される。
 大きくなったら青年に稽古を付けてもらえるのだと期待したが、その夢は果たされることはなかった。アレンは一年と経たず孤児院を出ることになったのだ。


「南の農村に母方の叔母が住んでいたんです。長らく疎遠だったのですが、流行り病がおさまってから久しぶりに母を訪ねて、両親が亡くなったのを知って……叔母夫婦には子供がいなかったので私を引き取って育ててくれました」
 互いに別れを惜しみながら、孤児院の人々に見送られながらアレンはガーランドを出た。叔母夫婦との暮らしは慎ましくも楽しいもので、農村では新しい出会いもあった。
「昔、騎士団の長を務めていたという老人が住んでいました。図々しい子供は暇を見つけては彼にせがんで剣の稽古をつけてもらったのです」
「……もしかしてレミントン老師?」
「ええ。貴方に憧れて貴方のような騎士になりたいと言ったら、とても喜んでいました」
 レミントンはクレイグの前代団長だった。クレイグに団長の座を渡した彼は騎士団の相談役となり、ジェロームとクラレンスは少年期に彼から剣術を教わっていた。
 クラレンスへの指南が終わると役目を終えたとばかりに暇乞いをし、故郷へ帰ると言って城を去ってしまった。
「叔母達の手伝いをしながら師に剣を習い、一年前に私は家を出ました。騎士になる為に」
 レミントンの紹介状を手に、身一つで騎士団を訪ねた。クレイグに実力を認められ、最年少で騎士になったという。
「最年少。アレン、きみ今いくつだ?」
「…………十…………です」
「聞こえない。いくつだ」
「……十五です」
 クラレンスの顔がわかりやすく引き攣った。
 ガーランド王国の成人年齢は男女共に十八歳である。環境によってはアレンのように未成年のうちから働き始める者はいるが、成人を迎えなければ認められないことは多々ある。身近なわかりやすいものでは飲酒と結婚だ。
 それがなくとも二十八のクラレンスに、ローザと一つしか違わないだけのアレンは若過ぎた。
「殿下と出会わなければ騎士の私はいなかった。孤児院に馴染めぬまま叔母に引き取られ、農夫として一生を終えたことでしょう」
 レミントンに興味を持たれ指南を受けた幸運も、最年少で騎士となった栄光も。全ての源になったのはクラレンスなのだと語る。幼い憧れと若さ故の行動は、ただクラレンスに会いたかったからだ。
「それは」
 クラレンスの言葉が出るより先に、扉が叩かれた。待ちくたびれたローザが戻ってきたのだろうと入室を促す。扉を開けたのはクレイグで、その後ろにはローザがいる。だがそれだけではなかった。
「やあクレア。取り込み中の所を申し訳ないんだが、見合いと聞いては黙っていられなくてね」
 ふて腐れた様子のローザの後ろには愉しげに笑う兄がいる。そしてさらにその後ろには、クラレンスも知った顔があった。
「メルヴィン卿?」
 兄の親友であり、リンドバーグ侯爵家の三男であり、クラレンスの慈善活動の主な支援者であるメルヴィンがジェロームの後ろに控えていた。
 立ち上がるアレンとクラレンスに座るよう促し、ジェロームは口を開く。
「そちらの若く凛々しい騎士がローザの選んだ婚約者候補くんかな?」
「は、いや」
「その通りです。ジェローム殿下」
 アレンが肯定するとメルヴィンの眉がひくりと動く。誰も気付かないようなその変化を、何故かアレンは見逃せなかった。
「そうか。ではこちらもご挨拶を。俺が選んだクレアに相応しい婚約者候補のメルヴィンだよ」
「あ?」
 思わず声を上げたクラレンスへ向けて、名前を呼ばれたメルヴィンは長い足を動かし、その足元へ跪いた。美しい指先がクラレンスの手に触れる。一連の動作はまるで舞台演劇のような優雅さがあって、雰囲気に呑まれたジェローム以外はただ、見守ることしか出来なかった。
「クラレンス殿下。愛しています。どうか私と結婚して下さい」
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