愛執染着

鳫葉あん

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 人はいつまでも純粋無垢な――無知な子供のままではいられない。
 サンタクロースの正体も。キャベツ畑、あるいはコウノトリの真実も。隠されたものを知り、現実と向き合い、思考し。大人になっていく。
 勿論、雅も。



 雅は今年で大学四年生になった。高校に上がってからというもの家庭内教師のおかげで雅の成績は大変優秀で、知名度の高い国立大学へと進学出来た。
 親戚であり親友である芹沢裕也も同じ大学に進み、彼ともとても強い絆で結ばれている。伴侶が焼き餅を焼く程に。
 単位の取得も問題なく、商社への内定も決まった年度末。新たな春を目前に控えた雅はすっかり住み慣れた寝室にいた。
 伴侶と暮らすようになってから使い続けているベッド。寝室の隅に置かれた机は雅専用で、高校の宿題も大学の課題もほとんどここで済ませてきた。本棚には篤史の経済書やインテリア雑貨がしまわれている。

「……」

 部屋を見渡す雅の表情は暗い。何かを耐え忍ぶような悲壮感すらあった。

「言うんだ……」

 一人呟く。その胸に渦巻き育ち上がった疑念は、雅に一つの決意をさせていた。



 雅には小さな頃から憧れる人がいた。兄の親友であるその人は雅にも優しかった。兄がもう一人いるような気持ちはいつしか変わってしまい、彼へ恋い焦がれるようになる。
 幼く純粋な恋心はとても無垢で美しく、盲目だった。彼にされること全て、彼の望むこと全てに従う程に。
 高校生になった雅の誘いに乗った彼に教え込まれるまま、肉欲に溺れ倒錯的な行為すら受け入れた。夜中の野外露出わんわんプレイが日常だったのだ。
 彼が好きだから。愛しているから。嫌われたくないから。言い訳をして自分を説得し、彼の思うがままにした。雅自身に興奮がなかったとも言えないのでそれらの行為を否定はしないが、疑念の材料にはなった。
 元々おかしかったのだ。満開だった花畑が散り去り、冷静な冬の訪れで我が身を振り返ることが出来るようになった。
 若くして成功し、富を築き人を魅了する彼が何故雅と結婚したのか。親友の実家の危機を憂いてくれた気持ちに偽はないだろうが、それだけで年端もいかない少年との結婚には至らない。
 雅が持っていた財宝はただ一つ。若さだった。
 彼が結婚を持ちかけてきた時、雅は中学校だった。数年経てば高校生という一瞬のブランドが輝く。社会人からしたら大学生でも魅力的なのかもしれない。
 高校生になった雅が動かずとも、彼は雅に手を出していたかもしれない。それが――高校生の伴侶が重要だったなら。
 彼は雅という存在を愛しているのではなく、
ただ若い相手を好きに抱きたかっただけなのではないか、と。
 雅は一つの賭けに出る。彼の真意を確める為に。疑念を晴らすことになるのか、証明することになるのか。
 答えを聞くのは恐ろしいけれど、知らないまま彼と過ごしていくことは出来ない。それだけは確かだった。



 彼はよほどのことがない限り定時に帰宅する。雅と少しでも長く一緒にいたいのだと目尻を下げる姿は愛妻家そのものだが、彼と過ごした数年で彼が裏表のある人物だとは察している。台詞一つで雅の機嫌が保てるのなら心にもないことでも言葉にするだろう。
 疑念に苛まれる雅には彼の言動一つ、行動一つを信じることが出来ず、疑ってしまうようになる。そんな自分に疲れてしまった。

「雅、ただいま」

 玄関から物音が聞こえ、しばらくすると雅を探した彼が寝室の扉を開ける。ベッドに腰掛ける雅の姿を見て微笑む彼、芹沢篤史は雅を救ってくれた恩人であり、伴侶であり、初恋の人だ。

「……お帰りなさい」

 高校生の雅なら満面の笑みと抱擁で迎えただろうが、大学生になった雅はいつからか笑みが薄れた。様子の変わりゆく雅を篤史は憂い気に見つめ、遅い反抗期かと苦笑する。雅の繊細な心を理解出来るのはきっと雅だけだ。
 素直で単純で愚鈍だった高校生の雅と違い、今の雅は疑いを覚え賢くなった。それでも篤史に抱く愛情は色褪せない。消えてなくなればいいのにとすら思う。
 篤史が帰宅すれば二人で夕飯の支度をして、平日は部屋で抱かれるのが常だった。今日もそうだと思っている男に雅は変化を突き付ける。

「篤史さん。話が……頼みがあるんだ」
「うん? そうか、どうした? 最近の雅はすっかりつれなくなって……俺に出来ることなら何でもするよ」

 嬉しそうに笑う姿もどれだけ本当かわからない。どう切り出すか言葉を選ぶ雅の隣へ同じように腰掛けて、成長した背中に腕を回される。

「就職だって俺に何も言わずに他の企業の内定取ってくるし……田中くんが残念がってたよ。雅はうちに入社するんだと信じて疑ってなかったたから」
「自分の力で就職したかったんだよ」

 雅が就職活動を始める頃、篤史の会社のエントリーシートを彼直々に渡された。一応形式として提出してもらわないといけないと告げてくる篤史に「そんなつもりない」と雅は受け取りもしなかった。
 どんなに酷い内容のエントリーシートを提出しても、面接がボロボロでも。応募さえすれば雅は篤史から内定を貰えるだろうことが明白だったから、絶対に出したくなかった。

「で? そんな自立性に長けた雅の頼みっていうのは何かな」

 促されるままに伝えてしまったらどうなるのだろうか。
 そんなことはしないと断られる。あっさりと了承される。雅の望む答えが得られるかどうか、最後まで迷っていた。
 今ならまだ誤魔化せる。適当なことをねだって笑い、日常に戻ればいい。

「……離婚してほしい」

 言葉が口から溢れていた。耳に届いた雅の頼みに篤史が息を詰める気配がする。雅の言葉を待っているのだ。

「実家を援助してもらって、お世話になって……何も返せてないのはわかってる。これから働いて、いつになるかわからないけど助けてもらった分全て返します」

 ベッドから降りた雅は寝室に敷かれたカーペットの上へ座り込み、手をついて頭を下げた。人生で初めての土下座だった。

「雅が想像してるより桁が多いよ?」
「……借金してでも返します」
「借金なんてしなくていい。そう……」

 ベッドから降りた篤史の手が雅の体を抱き起こす。慈しむような優しい眼差しを向けられ、理由を聞いてくれるのだと期待した。どうしてそうしたいのか。何かを頼む雅に、篤史はいつも聞いてくれた。

「わかった。雅、今までありがとう。……ごめんな」
「え」

 これからのことを話そうと、篤史に体を引き起こされリビングへ連れていかれる中。雅は自分の疑念が正しかったのだと気付かされた。

(若い男を好き勝手に調教して、遊びたかっただけなんだ)

 高校から大学卒業までの七年間。輝かしい雅の時間を満喫し、きっと満足したのだろう。

「おじさん達への報告はしばらく待ってもらえるか? 桜花堂は今、新しい企画を抱えて忙しいだろうから心配させたくないんだ」

 今後の雅の生活について話を始められ、頭には入ってくるのに考えが追いつかない。どうにか言葉を理解して頷くことで精一杯だ。

「報告するまでは実家には帰せないし、雅の就職先近くに部屋を用意するよ。ただ時期が時期だからあまりいい部屋ではないかもしれない」

 雅は寝起きが出来れば何でもいい。我が儘が言えるような立場ではないし、雅の給料はそれほど多くなかった。篤史への返済もあるから少しでも安い方がいい。

「……自分で探すよ」
「いや。それくらいはさせてくれ」

 離婚届は雅が先に書いて、篤史が提出することになった。財産に関しては雅の稼ぎがないので分けるようなものがないのに、今後の暮らしの為にと幾らか渡されることになった。

「働き始めたら何かと入り用だから取っとけ」

 遠慮する雅にそう言い聞かせる。悪い方へ考えてしまう雅には、手切れ金のように思えた。

 その日から引っ越しまでの数日間。篤史は雅に触れなくなった。
 態度は以前と変わらず優しいままだが、その手が伸ばされることはなかった。寝室を雅に渡し、篤史は空いている部屋を使っている。
 毎晩眠りにつく前に静かに涙を流す雅の姿を知っているのは本棚に置かれたインテリア雑貨達だけで、だから雅は遠慮なく泣いて呟いた。失望も恋慕も後悔も。我慢して見えないふりをしていたら別れなくて済んだかもしれないし、若さを失った雅はどのみち切り捨てられていたかもしれない。
 何が正解だったのか、思い悩む雅にはわからない。滞りなく離婚が決まり進んでいくのは悲しいけれど、疑って暮らすよりは良かったのではないかと思い込むしかなかった。
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