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「でも良かったでしょう? 充ちゃんのままじゃ逆立ちしたって出来なかったじゃない」

 そう言って笑う女はまさしく悪魔そのものであり、その言葉に全く心を動かされなかった訳ではない。
 ただそれを肯定する自分を認めるのが怖かった。まるで自分も――になってしまったようで、怖かった。


 充の目はサキュバスの言葉通り、変質したようだった。
 恋した男が充に愛を告げ、初めての体を拓いてくれた。漫画のような急展開は奇跡でも偶然でも何でもない、ただの操作だ。
 人の心の操作。充を愛しているのだと思い込む男の偽りの甘言に、充は逆らえなかった。

「あっ、うそっ……すご……あん……」

 充と岸野は時間さえあれば体を重ねるようになった。
 目の魔力に惹き付けられた彼からの誘いを充は断れない。
 ホテルや岸野の暮らすアパートへ連れ込まれ、キスをするだけで充は堕ちてしまう。岸野に懇願されるがままに何でもしてしまいたい。
 しゃぶるよう言われたら夢中になって奉仕した。何が見えているのかわからない彼は、頬を染めて上手だと褒めてくれる。
 後ろに入れて欲しいと頼めば彼は戸惑いもなくそうしてくれる。充の快感を求めて動き、優しい言葉をかけながら背中に吸い付かれる。
 痛みはやがて快楽に溶け、充の口からは悦びだけが出ていく。
 嬉しくて虚しい時間だった。


「楽しめばいいのよ。心のままに動いて、楽しんで、悦ぶの。貴方の相手をしてる彼だって、楽しい時間を過ごしてるんだから」

 悪魔はそう笑って諭す。

「……催眠術で騙して付き合わせてるだけだ。本当は間違ってるんだ、こんなの……」
「充ちゃん」

 間違いだと理解しているのに止められない。狂わされた彼からの誘いを断れない。身勝手な自分に悩み、罪悪感に苛まれる充を悪魔は哀れんだ瞳で見守っていた。

「可哀想な充ちゃん。なら……断れないなら会わなければいいわ。充ちゃんにあげた力はあたしのものと同じだけど、強さはほんの僅かなものなの。三日くらい充ちゃんの目を見なければ催眠も解けて、充ちゃんとの記憶もなくなるわ」
「……そう、なんだ」
「ごめんなさいね充ちゃん。あたしはただ……ただ、充ちゃんが楽しく生きていけたらなって思って、力をあげたの。本当に……ただそれだけなのよ」

 しおらしいことを言い、涙を見せるリリを充は簡単に許した。好意や善意からの行動だと面と向かって言われると、なかなか怒ることが出来ない。

「明日は金曜日だし、一日どうにか避けてみるよ。岸野君には全部忘れてもらった方がいい」

 心を弄んで申し訳ないことをしたのだから謝罪したいが、全て忘れる彼には通じない。充の罪悪感を消す為の行為だ。
 充に出来ることは彼の視界に二度と入らないことだろう。
 もっと根本的に解決する手段があり、その交渉をすべき相手が目の前に居るのに、充の頭にはそれが思い付かなかった。


 翌日の金曜日。岸野と被っている講義が一つあり、いつもより遅めに教室に入った。既に岸野は席に着いており、後ろの方の空いている席に座って彼の視界への侵入を防ぐ。
 講義が終わればすぐに教室を出て、次の講義へ向かう。休み時間は彼のよく居る場所やカフェテリアは避け、一日出会すことなく終わった。
 月曜日になればきっと、彼の催眠は解ける筈だと、そう自分に言い聞かせて充はアルバイト先の居酒屋へ急いだ。
 金曜日の夜は明日が休みだという仕事帰りのサラリーマンが多く訪れるので忙しい。
 ホールを動き回り、酔っ払いに絡まれたりしながら閉店時間を迎え、店の閉め作業が終わる頃にはすっかり日付が変わり、仲間達も疲れが目に見える。
 更衣室で愚痴を言い合いながら帰り支度を済ませ、挨拶をして帰路につく充の背中に声が掛かった。

「充、待って」
「……須藤君。どうしたの?」

 充を追ってきたのは同じアルバイトの須藤芳樹(すどう よしき)だった。大学は違うが学年は同じで、充の方が二週間前に入ったのでちょっとだけ先輩だ。
 須藤は今時の学生らしくコミュニケーション能力が高く、そんなに話上手ではない充とも仲良くしてくれる。顔立ちも岸野と並ぶ程整っているのでアルバイトの女性陣に慕われているのは勿論、彼目当てに通う客もいる。

「ちょっと聞きたいことあってさ」

 充の隣に並んだ彼がポケットから取り出したスマホを操作する。突きつけられた画面を見て、充は固まった。

「これ、充だよね」

 小さな液晶画面には充が写っている。男と思しき腕に肩を抱かれ、ラブホテルの中へ入ろうとしている瞬間の写真だった。
 一緒にいる男――岸野は建物の壁に隠れて腕しか見えないが、充は顔もしっかり写っている。スマートフォンの性能向上のおかげで、ボケることもなくしっかり鮮明に。
 絶句する充に須藤が「彼氏?」と尋ね、反射的に首を振って否定する。

「充って男が好きなの?」

 直球な問い掛けに、充は俯いた。沈黙が答えだ。
 須藤も察したようで、「ふぅん」と相槌を打ってスマートフォンをしまう。

「写真、消して下さい」

 か細い声で懇願する。
 渋るようなら土下座でも、可能な額なら金を渡してでも。それくらいの思考能力が戻りつつあった。

「いいよ。充が俺のお願い聞いてくれるならね」

 続けられたお願いの内容に充は驚くものの、背に腹は変えられなかった。


 二人はそのまま連れ立って歩き、須藤の願いを叶える為にそこへ入っていった。
 目に眩しいネオンが至る所で光を放つホテル街。同性同士でも入れる所を選び、適当な部屋の中で二人きりになる。

「一緒にシャワー浴びよ」

 どこか楽しそうな様子の須藤が充の肩を抱く。
 須藤の願いは「充を抱いてみたい」というものだった。女の子に困らない彼からしたら、ちょっとした好奇心を満たしてみたいのだろう。
 弱味のある充なら気を使わなくていいからちょうどいいのかもしれない。
 浴室に連れ込まれ、されるがままに服を剥がされる。
 面白味のない充の体を、須藤の目がまじまじと見つめてくる。恥ずかしさといたたまれなさから背を向ける。

「うわっ」
「……え?」

 須藤の驚いた声に、充が疑問符を浮かべる。何なのだと目で尋ねると、須藤は怪訝な顔で問い掛けてきた。

「背中見たこと……あー、まぁ自分じゃ見えないか。ねぇ、本当に彼氏じゃないの?」
「……違うよ。写真の人は……その、成り行きで付き合ってくれただけ」
「ふーん……充の背中ね、すっごいことになってるよ」

 長い指先が背中に触れる。すすっ、と何かをなぞるように動き、くすぐったさから体が震えた。

「キスマークと噛み痕だらけ。マーキングだね」
「き……ま?」

 言われて思い返せば岸野はバックから背中に吸い付くのが好きだった。快楽で頭が馬鹿になっていたから気にしていなかったが、肌に噛み付かれることもあった気がする。
 そんなに酷いのかと鏡で確認しようとすると、須藤に止められる。

「大丈夫。俺が消してあげる」

 キスマークは消せるものなのかとよく働かない頭で考える。
 内出血を瞬時に消す方法なんてないと冷静な頭なら判断出来ただろうが、今の充には無理だった。


 体中、隅から隅まで綺麗に洗われた充は備え付けのバスローブ姿で大きなベッドに横たわっていた。充を洗った須藤に、先にベッドで待っているよう言いつけられたのだ。
 浴室からシャワーの音が聞こえてくる。須藤が体を洗っているのだろう。頭はそう理解しているけれど、現実感がなかった。

(……目なんだ。きっと。いつだろう。リリと会ってから……須藤君と会ったっけ)

 リリの力を貰ってから何度かバイトに出ている。意識していなかったが須藤の目を見てしまったのだろう。そして無意識に彼に催眠をかけたのだ。岸野のように。

(写真を撮ったのは彼本来の行動かもしれない。でもそれをネタにこんなことしようとしてるのはきっと、この目のせいなんだ)

 無意識に男漁りをする目。充の浅ましい本心を叶える力。
 実際の被害者は充ではなく須藤だ。そんなつもりはないのに充を、男を抱いてみたいと思わされている。

(……バイト辞めよう。接客業はダメなんだ)

 人と関わったら、目を見たら、目を見られたらいけない。
 本当にすべきことはそうではない。現実を遮断するように、ゆっくりと目を閉ざす。
 真っ暗になった視界の中、呼吸だけを繰り返していると一日の疲れもあり睡魔がやって来る。寝息を立て始めた頃にはシャワーは止み、足音が近付いてくる。

「そこで寝ちゃう?」

 充同様にバスローブ姿の須藤が笑いながらベッドへ腰掛ける。頬を突っついてみても、起きる気配がない。

「……んー、まぁカッコ悪いとこ見られなくていいか。えっと」

 スマートフォンを手に取った須藤はそれを操り、しばらくするとベッドサイドに置く。呑気な顔で寝ている充に向かい合うと、バスローブの紐をほどき、剥ぎ取る。
 露になる肌、その背中には無数の痕が残っている。赤い華は夥しい程、噛み痕は満遍なく。
 ありありとした執着は本人に届いていない。背面のみに残す
辺り、気付いてほしい訳ではないのか。
 そんなどうでもいいことを考えながら、綺麗に洗った肌に唇を寄せる。赤みの上に吸い付き、噛み痕の上を噛む。全て上書きしても充は起きなかった。


 寝惚けた頭は耳に入り込む水音によって覚醒を促された。
 頭が働き出す前に感覚が戻り、最近慣れ始めた異物感が行為を物語る。尻を弄られている。誰に。そんなことするのは一人しかいない。

「……きしのくん」

 そんな訳ないと判断出来る思考力がなく、思い付いたままに名前を呼んだ。

「誰それ? 成り行きの人?」

 返ってきた声に、充の目が見開かれる。慌てて上体を起こして後ろを見ると、不思議そうな顔をした須藤が充の孔に指を突っ込んでいた。

「あっ、あの、その。あ、寝ててごめん」
「いいよ。疲れてたんだろ。俺も勝手にやらせてもらってたし。で、きしのくんって誰?」
「……成り行きの人」

 ふうん、と相槌を打ち、須藤は指を動かし始めた。ローションでも使っているのか、動く度にぬちゃぬちゃと音がする。痛みもない。

「須藤君、あっ……ん、ゆびぃ……」
「指じゃ嫌?」
「ちが……ああっ……んぅ……」

 須藤の長い指が充の悦い所を刺激する。それだけで体が喜び、甘ったるい声が出てくる。

「充ってさ、清楚で潔癖っぽいって言われてたんだよ。目の前で下ネタとか話したら怒られたり恥ずかしがられそうって」
「ぅぇえ……?」

 須藤の口振りからしてバイト先の男子達からだろう。須藤とは彼の人柄からよく雑談をしていたが、他のバイト仲間とは事務的な会話くらいしかしたことがない。
 何を話していいかわからないし、相手側も同じだったのだろう。

「それなのに充はこんなに淫乱でビックリした。さっきさ、寝てるうちに後ろほぐしちゃおうって指入れたら、寝ながらあんあん言い始めたよ」
「……うそだぁ」
「ホントホント。寝ながら喘いで、孔は吸い付いて締め付けてくる。最高だね」

 言いながらゆっくりと指が引き抜かれていく。襞を擦られる快感に喘ぎ、やって来る喪失感から指を逃すまいと孔が締まる。そんなもの気にせず抜け出ていく指を物欲しげに見つめてしまう。

「本当に淫乱だね。ちょっと……わかるなぁ」
「……え、なに……ぃぎっ」

 硬く勃ち上がったものの先端が孔に押し付けられ、入り込んでくる。岸野のものとはまた違う形を、孔が覚え込もうとする。
 性感帯を抉られ、突かれ、悲鳴を漏らす充を見て須藤は笑っていた。

「ほら、ここから出しなよ。俺もさ、んっ……出すから」

 腹の中を掻き回されながら、二人の間で揺れる充の性器を握られ、棒を擦ったり先端の小さな孔をいじめられる。手と腰を動かしながら胸元にも吸い付かれる。
 快楽を重ねられ、充の頭が馬鹿になる。否、抱かれて馬鹿にならない時がない。
 正常な思考を保てられない。与えられる快感に喜び、貪欲に求めようとする。
 口付けの位置が胸から唇に変わる。性器から手が離れ、腰の動きが速まる。吐き出そうとしているのだと、少ない経験から察した。
 充の中にあたたかくて美味しい種を目一杯蒔かれる。発芽することのない無駄遣いなのに、最高に気持ちいい種蒔き。

「だして」
「……充?」

 行為中はいつもそうだ。馬鹿になった頭は脳を通さず言葉を繰り出させる。

「なかにだして。あったかいの、いっぱいだして……」

 そうするべきだと知っているように、自然と足が動いた。ほっそりとして見えるがしっかり筋肉のついた須藤の足に絡ませる。投げ出していた腕を須藤の背中へ回す。

「須藤君の精液、お腹いっぱい飲みたい」
「……いいよ。いっぱい飲んでね」

 律動が止まり、呻き声と共にあたたかいものが腹の中を占めていく。それに感じ、喜びの声を上げる充に構わず須藤は律動を再開する。
 肉棒に押しやられた精液が孔から少しずつ漏れ出てくる。それらが尻を伝う感覚にすら、充は喜んでいた。
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