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前編
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世界の中心に聳える一本の大樹。世界樹と呼ばれるその樹は世界を守る神聖な力を宿し、大樹を守る生命を育む。
美しく強靭で長命な肉体と高い知性、大樹から授けられた魔力を糧に奇跡を起こす神秘の一族。エルフと呼ばれる彼らの多くは世界樹を守る秘匿の森に隠れ住むが、他種族との交流を求めて外へ出ていく者も少なくない。トビアスの暮らすレンダールの街にも移住してきたエルフは居るし、街に立ち寄る旅のエルフを見かけることもある。
彼らは世界樹で行われる儀式によって生まれる――人間や動物とは違う生命の仕組みをしており、種の存続に性別の概念を必要としていない。世界樹の守護者としてより強靭な資質を求められたからなのか、彼らは皆力強く逞しく、それでいて美しい男性の姿をしている。
その容姿は作り手の理想を込められた彫像よりなお美しく整っており、人間の女性は勿論同じ男性の目をも奪う。トビアスもその一人だ。
「あー、疲れたぁ」
「お疲れ。ドラゴン退治は流石に骨が折れたな」
笑い合って互いを労う美しいエルフ達。二人は共に裸体であり、無駄のない筋肉のついた引き締まった肉体美を惜し気もなく晒している。
端正な顔立ちから伸びる首に隆起する男らしい喉仏。逞しく弾力のありそうな胸筋。腹は六つに割れ、さらにその下には太く立派な男性器が揺れる。美しい者はそれすら綺麗だ。
雄の象徴を振り翳さんばかりに見せつける姿は自信に満ち溢れている。少し前までは入浴の際にどこまでも美しいことを証明せんとばかりに肛門を見せつけていたエルフで溢れていたらしいことが覚え伝えられており、彼らの常識もかなり人に歩み寄られてきているのがわかる。
すらりと伸びる足を動かした彼らはシャワーの前に立つと、指が鉄製の丸いバルブを回す。配管に湯が回り、頭上の管から出てくる熱いシャワーを浴びながら石鹸で体を洗い始めた彼らが居るのは街唯一の共同浴場だ。
浴室の備え付けられた個人宅はまだ少なく、殆どの住人は共同浴場に通う。トビアスも広い湯船に浸かり、湯を吐き出す彫像の陰から、焦げ茶色の髪を掻き分け珊瑚の瞳を不自然にならないよう動かし、エルフ達を覗き見ていた。
エルフ達は人とは違った価値観、常識を持って生きている。人の群れに入るにあたり、擦り合わせられる常識もあるが彼らの美しさに関しては妥協も譲歩もなかった。
彼らは自らの美しさを理解している。この世で最も美しい生命だと言っても過言ではないし、実際その通りだ。トビアスは彼らより美しいものなど見たことがない。生きた美術品である彼らは、だからこそ自らを晒す。
昼間は彼らに似合う衣服で身を飾り立てながら、その身に宿る力を活用して力仕事を買って出たり街の外へ魔物退治に向かう。汗水垂らす姿すら美しい彼らは皆がそうするように一日の疲れと汚れを落とす為に共同浴場へ来ると、誰よりも男らしく裸になって身を清める。
美しいエルフにとって裸体を晒すことは恥ではない。むしろ美しい姿を――芸術品を見せてあげている、という慈悲ですらあるのだ。
なので彼らを覗き見ても怒られることはないのだが、小心者なトビアスは堂々と見つめることが出来ない。美しい彼ら、否、美しいシグムントを物陰から見つめるので精一杯だ。
長いプラチナブロンド。日に当たっても白いままの陶器のような肌。人のものとは違う長く尖った不思議な形の耳。切れ長の青い瞳は澄んだ泉のように透明で、鼻筋の整った顔は言葉に出来ない程美しい。
同じ男であるとか種族が違うとか、そういう問題を忘れてうっとりと見入ってしまう。だがそのような目を彼らに向けるのはトビアス一人ではない。目を向けるだけで止まらない存在もおり、今も若い人間の男が彼らに声を掛けこの後食事でもどうかと誘っている。
人間にしてはなかなかの容姿の男だが、エルフ達は相手にせず断りの言葉を返している。肩を落として離れていく男を見てトビアスは安堵しつつ、他人事なのに項垂れる。
美しい彼らがただの人間を相手にするわけがない。
トビアスの朝はそれなりに早い。両親を早くに亡くし、幼い孫を育ててくれた宝石細工師の祖父の跡を継ぎ、祖父亡き後は工房を譲り受けたが固定客は少なく、朝晩は工房で装飾具を作り昼日中は街に出て露店を開く。
持ち運び式のテーブルにシンプルな赤一色の布を掛け、その上に作品達を並べていく。小粒の宝石達が陽を反射して見せる輝きに目を奪われるのは鳥だけではなく、道行く女性が「あら」と声を出して近寄ってくる。
人と接するのは得意ではないけれど苦手でもない。精一杯の愛想を浮かべて装飾具を売り込みながら、トビアスの昼は終わっていく。その日もいつものようにいくつか品が売れて終わる筈だった。
「へぇ。綺麗じゃないか」
聞こえた声も見える姿も、トビアスが一方的に知っているシグムントのものだった。
いつもなら昼は街の外へ出て魔物を狩りに行き、トビアスが店を閉める夕方に街へ帰ってくる。狩人のような暮らしをしている彼が日中に帰ってきて、トビアスの作品に触れている光景は高名な絵画のように美しかった。
「それは魔除けの聖水で清められた銀に、小さいですがターコイズもはめています。お守りになると思いますよ」
美しい指先が掴んだのは銀製の腕輪だった。トビアスの説明通り、輪の中央に青緑色の石がはめられている。
憧れの人を目の前にして、普段のトビアスならろくに言葉も出なかっただろう。けれど今のトビアスは露店の売り子だ。客が誰だろうと関係ないし、売り子が愛想の良いことを言っても彼に不審がられることはない。
「素朴な作りで悪くない。これ、貰うよ」
腕輪にくくりつけられた小さな値札を確認したシグムントが札通りの硬貨を差し出してくる。礼を言って受け取ろうと掌を差し出したトビアスへシグムントは付け足した。
「きみ、よく共同浴場で鉢合わせるよね」
「…………え。あっはい、そうですね」
道端の石ころを覚えているとは思わず、トビアスは間の抜けた返事しか出来なかった。そんなことなど気にしていない様子で彼は言葉を続ける。
「今日もいつもの時間に行くんだろう?」
「ええ。はい。特に変えるつもりは……」
何故そんなことを聞くのか。トビアスの視線は不快だっただろうか。動揺を隠して頭を働かせても、人間のトビアスにシグムントの考えがわかる筈がない。
「ならば風呂の後、食事でもどうだろうか」
シグムントの問いにトビアスは固まった。何を言われたのかすぐに意味を理解出来ず、ようやく頭脳処理が始まると誘いの目的を探る。
トビアスからしたらとても魅力的な誘いだが、彼がトビアスと食事に行く理由がわからない。
彼と時間を共に出来るなら騙されていたりからかわれていたとしても怒りはないが、そもそも高潔な種族であるエルフが人を貶める為に何かをするとは考えにくかった。
頷いてしまいたいが現実は非情だ。食っていくのに精一杯なトビアスには時間と金の蓄えが少ない。
先日まとめて買った宝石をアクセサリーに加工して、それが売れれば貯蓄に回せるだろう。だがまだ宝石の研磨すら出来ていない。今夜から作業に入ろうとしていた所だった。
「あの、とても魅力的なお誘いなんですが、夜に仕事が残ってるので……すみません」
「……そうか。仕事なら仕方ない」
トビアスの掌へ硬貨を乗せたシグムントは足早に去っていく。何だったのだろうかと首を傾げるトビアスだったが、新たな客に声を掛けられそちらへと意識を向けた。
夕方まで露店を開き、片付けをしたトビアスは工房へ帰った。売れ残った作品と展示に使った道具をしまい、代わりに着替えと財布を手に共同浴場へ向かう。
生まれた時から親に連れられて通った共同浴場は、経営者も利用客も皆顔馴染みだ。番台の親父に入浴料をきっちり払い、浴場に繋がる更衣室へ入っていく。
裸になったトビアスが浴場へ入ると、既にシグムントはシャワーで体を洗っているようだった。人々の視線を集めながら、隣で体を洗う相棒のエルフと何かを話している。
いつものように彼らを眺めつつ湯船へ向かおうとしたトビアスは、浴場の扉の音に反応して目を向けた彼の相棒と目線が合った。示し合わせたかのようにしっかりと合ってしまい、居心地の悪さを覚えたトビアスは思わず目を伏せる。
「きみ! 宝石細工師の……トビアスだっけ?」
男性にしては高めだが中性的とも違う、艶のある声がトビアスを呼んだ。今まさに目を合わせてしまったエルフがシャワーを止めて近付いてくる。その後ろにはシグムントも続いていた。
「きみ、この後も仕事なの?」
「えっ? ええ、はい……」
「いつなら空いてる? 休みの日とかにちょっとだけこいつの食事に付き合ってやってよ。奢るからさ」
高潔で気位の高いエルフにしては砕けた話し方をする彼に聞き出されるがまま、トビアスは頭の中の予定表の空きを探し約束を取り付けられた。シグムントと食事に行く約束を。
了承したトビアスを見て、シグムントの顔にうっすらと安堵が浮かんでいる気がした。
トビアスは自営業な上に販売実績も日中の露店が殆どなので、時間を作ろうと思えば自由に休みを取れる。取れはするが暮らしが苦しくなる可能性が高いので殆ど毎日休まず朝から晩まで働いていた。最後に丸一日休みを取ったのはいつのことだったか。
シグムントの相棒であるエルフの青年・ビャルネに押しきられるような形で誘いを受けた三日後の夜、食事に行くことに決まったトビアスはその日の露店活動はやめ、一日工房にこもっていた。
真剣な眼差しで宝石を磨き上げ、どんな装飾にするか考える。今手にするサファイアの深い青色はシグムントの瞳のようにとても美しく、指輪にしたら持ち主の指を光り輝かせることだろう。耳飾りにすれば顔が華やぐ。
「……ペンダント。いや、世界樹様の紋様を掘ったタリスマンにしたら神々しさが増すんじゃないかな」
覚え書きを残し、他の宝石を磨き始める。
そうしているうちに時間が経ち、いつもより早く浴場へ向かったトビアスを入口で待つ美しいエルフの姿があり、その腕には銀の輪が輝いていた。
その日のトビアスは注目の的だった。同族としか連んでいる所を見たことがないシグムントがビャルネではなくトビアスと共に浴場に入り、隣に置いているのだ。ざわめきは浴場に反響しているが、シグムントは気にした様子がない。
トビアスも初めはシグムントの隣にいるという緊張から周りを気にする余裕がなかったが、慣れれば何を噂されてるか察せられた。
それほど遠くはない昔話。田舎から上がってきた一人の若者によってエルフは常識を覆された。エルフの持つ並外れた怪力を恐れ彼らにあまり口出しの出来なかった街の者と違い、エルフすら居着かない田舎で生まれた若者はエルフの恐ろしさを知らず、共同浴場で肛門見せつけ洗体を行っていたエルフを説教した挙げ句体を繋いで恋人になったというのだ。ちょっとよくわからない。
エルフもエルフで人間に対し庇護すべき存在といった印象しか抱いていなかった所へ、本来なら必要としなかった肉欲を教え込まれドハマリした。
肛門はわざわざ見せつけるものではなく恋人にのみ許すべきものだと若者に諭され、エルフは肛門見せつけ洗体はやめて人間の恋人を作り始めた。トビアスの知り合いにもエルフに見初められた者がおり、彼からエルフを抱く素晴らしさを耳にタコが出来るほど聞かされた。
まぁ要するに。常にビャルネと共に行動していたシグムントが人間を連れているとなれば、人々はトビアスが見初められたと思っているのだ。
(そんなわけないのに)
嫉妬や羨望、囃し立てるような視線に突き刺されながらトビアスは小さく笑う。そうでもしないと自分すら勘違いしてしまいそうだ。
自惚れてしまえる程の何かをトビアスは持っていなかった。
浴場ではこれといった会話はなかった。いつもと違ったのは憧れのシグムントがすぐ傍に居ることと、そんな彼を盗み見る勇気がなかったトビアスは終始視線をさ迷わせる。
シグムントの隣にいるからか、自分にも視線が集まっている気がして俯いてばかりのトビアスはすぐ傍から注がれるものに気付くことなく時間は過ぎていった。
風呂上がりに連れていかれたのは共同浴場のすぐ近くにある食事を主にした酒場だった。品のいい落ち着いた内装は静かな雰囲気を作り出し、トビアスがたまに訪れる飲んだくればかりの酒場とは違う。
ウエイターに傷一つないテーブルへ案内され、品書きを渡されるがどれがいいかと目移りしてしまう。
「好きな物を頼むといい」
「ええ。はい。えっと、どれも美味しそうで迷ってしまって……あの、シグムントさんと同じ物でいいです」
「私と。うん。責任重大だな」
シグムントは茸や野菜のたっぷり使われたリゾットと果実酒を選び、トビアスも同じように注文を出した。料理が運ばれてくるまでの間、手狭なテーブルの向かいに座る相手を無視することは出来ない。何か会話の糸口を探すトビアスへ、シグムントが口を開いた。
「今日は忙しい中すまなかった」
「いえ。俺もたまには何か食べに行きたかったので」
「きみは夜も仕事をしているのか?」
「露店を出してない時は殆ど装飾品を作ってます朝起きてしばらくしてからとか、夜は寝る前までとか」
「ああ、なるほど」
ふっと微笑まれる。その笑みの何と美しいことか。トビアスは教会に飾られた宗教画の中で微笑む、世界樹の擬人化として描かれた女神を思い出した。
「仕事熱心なのは良いことだ。だがもっと体を労った方がいい」
「はい……」
「きみにはいつまでも健やかに、装飾品を作っていてほしい」
「……あ。はい。そうですよね」
シグムントのその一言でトビアスはようやく合点がいった。彼がトビアスを気に掛け、食事に誘った理由。それはきっと。
(エルフは美しいものが好きだっていうから、宝石のあしらわれた装飾品を気に入ってくれたんだ)
宝石細工師としてのトビアスが評価されたのだろう。そうわかれば彼の行動の辻褄が合い、何も怯えることはない。
美しい憧れの人に仕事が認められたのだと思えて嬉しかった。
美しく強靭で長命な肉体と高い知性、大樹から授けられた魔力を糧に奇跡を起こす神秘の一族。エルフと呼ばれる彼らの多くは世界樹を守る秘匿の森に隠れ住むが、他種族との交流を求めて外へ出ていく者も少なくない。トビアスの暮らすレンダールの街にも移住してきたエルフは居るし、街に立ち寄る旅のエルフを見かけることもある。
彼らは世界樹で行われる儀式によって生まれる――人間や動物とは違う生命の仕組みをしており、種の存続に性別の概念を必要としていない。世界樹の守護者としてより強靭な資質を求められたからなのか、彼らは皆力強く逞しく、それでいて美しい男性の姿をしている。
その容姿は作り手の理想を込められた彫像よりなお美しく整っており、人間の女性は勿論同じ男性の目をも奪う。トビアスもその一人だ。
「あー、疲れたぁ」
「お疲れ。ドラゴン退治は流石に骨が折れたな」
笑い合って互いを労う美しいエルフ達。二人は共に裸体であり、無駄のない筋肉のついた引き締まった肉体美を惜し気もなく晒している。
端正な顔立ちから伸びる首に隆起する男らしい喉仏。逞しく弾力のありそうな胸筋。腹は六つに割れ、さらにその下には太く立派な男性器が揺れる。美しい者はそれすら綺麗だ。
雄の象徴を振り翳さんばかりに見せつける姿は自信に満ち溢れている。少し前までは入浴の際にどこまでも美しいことを証明せんとばかりに肛門を見せつけていたエルフで溢れていたらしいことが覚え伝えられており、彼らの常識もかなり人に歩み寄られてきているのがわかる。
すらりと伸びる足を動かした彼らはシャワーの前に立つと、指が鉄製の丸いバルブを回す。配管に湯が回り、頭上の管から出てくる熱いシャワーを浴びながら石鹸で体を洗い始めた彼らが居るのは街唯一の共同浴場だ。
浴室の備え付けられた個人宅はまだ少なく、殆どの住人は共同浴場に通う。トビアスも広い湯船に浸かり、湯を吐き出す彫像の陰から、焦げ茶色の髪を掻き分け珊瑚の瞳を不自然にならないよう動かし、エルフ達を覗き見ていた。
エルフ達は人とは違った価値観、常識を持って生きている。人の群れに入るにあたり、擦り合わせられる常識もあるが彼らの美しさに関しては妥協も譲歩もなかった。
彼らは自らの美しさを理解している。この世で最も美しい生命だと言っても過言ではないし、実際その通りだ。トビアスは彼らより美しいものなど見たことがない。生きた美術品である彼らは、だからこそ自らを晒す。
昼間は彼らに似合う衣服で身を飾り立てながら、その身に宿る力を活用して力仕事を買って出たり街の外へ魔物退治に向かう。汗水垂らす姿すら美しい彼らは皆がそうするように一日の疲れと汚れを落とす為に共同浴場へ来ると、誰よりも男らしく裸になって身を清める。
美しいエルフにとって裸体を晒すことは恥ではない。むしろ美しい姿を――芸術品を見せてあげている、という慈悲ですらあるのだ。
なので彼らを覗き見ても怒られることはないのだが、小心者なトビアスは堂々と見つめることが出来ない。美しい彼ら、否、美しいシグムントを物陰から見つめるので精一杯だ。
長いプラチナブロンド。日に当たっても白いままの陶器のような肌。人のものとは違う長く尖った不思議な形の耳。切れ長の青い瞳は澄んだ泉のように透明で、鼻筋の整った顔は言葉に出来ない程美しい。
同じ男であるとか種族が違うとか、そういう問題を忘れてうっとりと見入ってしまう。だがそのような目を彼らに向けるのはトビアス一人ではない。目を向けるだけで止まらない存在もおり、今も若い人間の男が彼らに声を掛けこの後食事でもどうかと誘っている。
人間にしてはなかなかの容姿の男だが、エルフ達は相手にせず断りの言葉を返している。肩を落として離れていく男を見てトビアスは安堵しつつ、他人事なのに項垂れる。
美しい彼らがただの人間を相手にするわけがない。
トビアスの朝はそれなりに早い。両親を早くに亡くし、幼い孫を育ててくれた宝石細工師の祖父の跡を継ぎ、祖父亡き後は工房を譲り受けたが固定客は少なく、朝晩は工房で装飾具を作り昼日中は街に出て露店を開く。
持ち運び式のテーブルにシンプルな赤一色の布を掛け、その上に作品達を並べていく。小粒の宝石達が陽を反射して見せる輝きに目を奪われるのは鳥だけではなく、道行く女性が「あら」と声を出して近寄ってくる。
人と接するのは得意ではないけれど苦手でもない。精一杯の愛想を浮かべて装飾具を売り込みながら、トビアスの昼は終わっていく。その日もいつものようにいくつか品が売れて終わる筈だった。
「へぇ。綺麗じゃないか」
聞こえた声も見える姿も、トビアスが一方的に知っているシグムントのものだった。
いつもなら昼は街の外へ出て魔物を狩りに行き、トビアスが店を閉める夕方に街へ帰ってくる。狩人のような暮らしをしている彼が日中に帰ってきて、トビアスの作品に触れている光景は高名な絵画のように美しかった。
「それは魔除けの聖水で清められた銀に、小さいですがターコイズもはめています。お守りになると思いますよ」
美しい指先が掴んだのは銀製の腕輪だった。トビアスの説明通り、輪の中央に青緑色の石がはめられている。
憧れの人を目の前にして、普段のトビアスならろくに言葉も出なかっただろう。けれど今のトビアスは露店の売り子だ。客が誰だろうと関係ないし、売り子が愛想の良いことを言っても彼に不審がられることはない。
「素朴な作りで悪くない。これ、貰うよ」
腕輪にくくりつけられた小さな値札を確認したシグムントが札通りの硬貨を差し出してくる。礼を言って受け取ろうと掌を差し出したトビアスへシグムントは付け足した。
「きみ、よく共同浴場で鉢合わせるよね」
「…………え。あっはい、そうですね」
道端の石ころを覚えているとは思わず、トビアスは間の抜けた返事しか出来なかった。そんなことなど気にしていない様子で彼は言葉を続ける。
「今日もいつもの時間に行くんだろう?」
「ええ。はい。特に変えるつもりは……」
何故そんなことを聞くのか。トビアスの視線は不快だっただろうか。動揺を隠して頭を働かせても、人間のトビアスにシグムントの考えがわかる筈がない。
「ならば風呂の後、食事でもどうだろうか」
シグムントの問いにトビアスは固まった。何を言われたのかすぐに意味を理解出来ず、ようやく頭脳処理が始まると誘いの目的を探る。
トビアスからしたらとても魅力的な誘いだが、彼がトビアスと食事に行く理由がわからない。
彼と時間を共に出来るなら騙されていたりからかわれていたとしても怒りはないが、そもそも高潔な種族であるエルフが人を貶める為に何かをするとは考えにくかった。
頷いてしまいたいが現実は非情だ。食っていくのに精一杯なトビアスには時間と金の蓄えが少ない。
先日まとめて買った宝石をアクセサリーに加工して、それが売れれば貯蓄に回せるだろう。だがまだ宝石の研磨すら出来ていない。今夜から作業に入ろうとしていた所だった。
「あの、とても魅力的なお誘いなんですが、夜に仕事が残ってるので……すみません」
「……そうか。仕事なら仕方ない」
トビアスの掌へ硬貨を乗せたシグムントは足早に去っていく。何だったのだろうかと首を傾げるトビアスだったが、新たな客に声を掛けられそちらへと意識を向けた。
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生まれた時から親に連れられて通った共同浴場は、経営者も利用客も皆顔馴染みだ。番台の親父に入浴料をきっちり払い、浴場に繋がる更衣室へ入っていく。
裸になったトビアスが浴場へ入ると、既にシグムントはシャワーで体を洗っているようだった。人々の視線を集めながら、隣で体を洗う相棒のエルフと何かを話している。
いつものように彼らを眺めつつ湯船へ向かおうとしたトビアスは、浴場の扉の音に反応して目を向けた彼の相棒と目線が合った。示し合わせたかのようにしっかりと合ってしまい、居心地の悪さを覚えたトビアスは思わず目を伏せる。
「きみ! 宝石細工師の……トビアスだっけ?」
男性にしては高めだが中性的とも違う、艶のある声がトビアスを呼んだ。今まさに目を合わせてしまったエルフがシャワーを止めて近付いてくる。その後ろにはシグムントも続いていた。
「きみ、この後も仕事なの?」
「えっ? ええ、はい……」
「いつなら空いてる? 休みの日とかにちょっとだけこいつの食事に付き合ってやってよ。奢るからさ」
高潔で気位の高いエルフにしては砕けた話し方をする彼に聞き出されるがまま、トビアスは頭の中の予定表の空きを探し約束を取り付けられた。シグムントと食事に行く約束を。
了承したトビアスを見て、シグムントの顔にうっすらと安堵が浮かんでいる気がした。
トビアスは自営業な上に販売実績も日中の露店が殆どなので、時間を作ろうと思えば自由に休みを取れる。取れはするが暮らしが苦しくなる可能性が高いので殆ど毎日休まず朝から晩まで働いていた。最後に丸一日休みを取ったのはいつのことだったか。
シグムントの相棒であるエルフの青年・ビャルネに押しきられるような形で誘いを受けた三日後の夜、食事に行くことに決まったトビアスはその日の露店活動はやめ、一日工房にこもっていた。
真剣な眼差しで宝石を磨き上げ、どんな装飾にするか考える。今手にするサファイアの深い青色はシグムントの瞳のようにとても美しく、指輪にしたら持ち主の指を光り輝かせることだろう。耳飾りにすれば顔が華やぐ。
「……ペンダント。いや、世界樹様の紋様を掘ったタリスマンにしたら神々しさが増すんじゃないかな」
覚え書きを残し、他の宝石を磨き始める。
そうしているうちに時間が経ち、いつもより早く浴場へ向かったトビアスを入口で待つ美しいエルフの姿があり、その腕には銀の輪が輝いていた。
その日のトビアスは注目の的だった。同族としか連んでいる所を見たことがないシグムントがビャルネではなくトビアスと共に浴場に入り、隣に置いているのだ。ざわめきは浴場に反響しているが、シグムントは気にした様子がない。
トビアスも初めはシグムントの隣にいるという緊張から周りを気にする余裕がなかったが、慣れれば何を噂されてるか察せられた。
それほど遠くはない昔話。田舎から上がってきた一人の若者によってエルフは常識を覆された。エルフの持つ並外れた怪力を恐れ彼らにあまり口出しの出来なかった街の者と違い、エルフすら居着かない田舎で生まれた若者はエルフの恐ろしさを知らず、共同浴場で肛門見せつけ洗体を行っていたエルフを説教した挙げ句体を繋いで恋人になったというのだ。ちょっとよくわからない。
エルフもエルフで人間に対し庇護すべき存在といった印象しか抱いていなかった所へ、本来なら必要としなかった肉欲を教え込まれドハマリした。
肛門はわざわざ見せつけるものではなく恋人にのみ許すべきものだと若者に諭され、エルフは肛門見せつけ洗体はやめて人間の恋人を作り始めた。トビアスの知り合いにもエルフに見初められた者がおり、彼からエルフを抱く素晴らしさを耳にタコが出来るほど聞かされた。
まぁ要するに。常にビャルネと共に行動していたシグムントが人間を連れているとなれば、人々はトビアスが見初められたと思っているのだ。
(そんなわけないのに)
嫉妬や羨望、囃し立てるような視線に突き刺されながらトビアスは小さく笑う。そうでもしないと自分すら勘違いしてしまいそうだ。
自惚れてしまえる程の何かをトビアスは持っていなかった。
浴場ではこれといった会話はなかった。いつもと違ったのは憧れのシグムントがすぐ傍に居ることと、そんな彼を盗み見る勇気がなかったトビアスは終始視線をさ迷わせる。
シグムントの隣にいるからか、自分にも視線が集まっている気がして俯いてばかりのトビアスはすぐ傍から注がれるものに気付くことなく時間は過ぎていった。
風呂上がりに連れていかれたのは共同浴場のすぐ近くにある食事を主にした酒場だった。品のいい落ち着いた内装は静かな雰囲気を作り出し、トビアスがたまに訪れる飲んだくればかりの酒場とは違う。
ウエイターに傷一つないテーブルへ案内され、品書きを渡されるがどれがいいかと目移りしてしまう。
「好きな物を頼むといい」
「ええ。はい。えっと、どれも美味しそうで迷ってしまって……あの、シグムントさんと同じ物でいいです」
「私と。うん。責任重大だな」
シグムントは茸や野菜のたっぷり使われたリゾットと果実酒を選び、トビアスも同じように注文を出した。料理が運ばれてくるまでの間、手狭なテーブルの向かいに座る相手を無視することは出来ない。何か会話の糸口を探すトビアスへ、シグムントが口を開いた。
「今日は忙しい中すまなかった」
「いえ。俺もたまには何か食べに行きたかったので」
「きみは夜も仕事をしているのか?」
「露店を出してない時は殆ど装飾品を作ってます朝起きてしばらくしてからとか、夜は寝る前までとか」
「ああ、なるほど」
ふっと微笑まれる。その笑みの何と美しいことか。トビアスは教会に飾られた宗教画の中で微笑む、世界樹の擬人化として描かれた女神を思い出した。
「仕事熱心なのは良いことだ。だがもっと体を労った方がいい」
「はい……」
「きみにはいつまでも健やかに、装飾品を作っていてほしい」
「……あ。はい。そうですよね」
シグムントのその一言でトビアスはようやく合点がいった。彼がトビアスを気に掛け、食事に誘った理由。それはきっと。
(エルフは美しいものが好きだっていうから、宝石のあしらわれた装飾品を気に入ってくれたんだ)
宝石細工師としてのトビアスが評価されたのだろう。そうわかれば彼の行動の辻褄が合い、何も怯えることはない。
美しい憧れの人に仕事が認められたのだと思えて嬉しかった。
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キャプションで危ないな、と思った方はそっと見なかった事にして下さい…。
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