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磐越西線
名門校日新館・名城鶴ヶ城
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戊辰戦争後に取り壊された会津藩校日新館は1987年に復元された。戊辰戦争の時までに建てられていた鶴ヶ城下ではなく、郡山・猪苗代方面からの会津若松の手前である東長原駅と広田駅の中間付近の磐梯山や会津盆地が見渡せる高台に建てられた。そのような場所に再建されて多くの会津藩士達も訓練されて来た弓道や剣道などの武道の練習合宿にも使われているのみならず、旅人や観光客にも公開されているのも、本書でもこれまで記述してきたような、会津松平藩からも生み出された儒教の五常を大切にする心を後世にも伝えようとする地元の方々の願いも込められている。
旅人や観光客や合宿向けに止まらず、地元の方を中心に会津の誇りと魂を後世に伝えて行きたい方々による働きかけなどにより、例えば中高一貫校など、未来の日本を背負って立つ子供達を教育する学校そのものを完全復活はできないだろうか?
「歪んだ世の中を正すために会津地方のみならずあちこちに日新館を学校として建ててしまえは良いのでは?」
と思える自分もいる。
列車はその旅や観光や合宿向けに復元されている日新館の辺りを通り、会津盆地の中心へ入って行き会津若松駅に到着する。
会津若松駅に降りバスの中から、戊辰戦争で焼かれるなど荒らされた後に建てられたであろう新しい建物からなる街並みを眺め、飯盛山で白虎隊のお墓参りをした時は、儒教の五常を基に培われた会津の魂は現代ではすっかり眠ってしまった印象を持った。その飯盛山では今でも白虎隊の魂を現代や未来にも訴えているかのように、お線香の煙が生々しく立ち込めていた。
ところがかつて会津藩の本拠地であった鶴ヶ城に足を運ぼうとバスを降りてお堀や石垣の間を縫った時、先ずは天守閣にすぐにたどり着けないお城の広さやその途中で見られた立派な石垣に驚いた。そして見えてきた白い城壁や茶系の赤い瓦などで立派に建つ天守閣に圧倒され、更に城内にある武道館(武徳殿)で地元の方々が一生懸命に武道の稽古に励む様子が外にいるだけでも伝わってきて、眠ってしまったのではなく今日でもしっかり宿っている印象に変わった。天守閣は1965年(昭和40年)に再建されたというが、江戸時代から今日まで何百年も建っているくらい威風堂々としていた。天守閣内は博物館として鶴ヶ城や会津藩の歴史やそれに関わる貴重な資料などを展示公開してあり、先述したように会津藩により儒教の五常を基に培われた地元会津の方々の魂や誇りを改めて感じる事が出来た。天守閣が再建されて100年も経っていないのに、何百年も建っているくらい威風堂々としている理由がよくわかる気がする。
その天守閣が天守閣からの眺めは良く近くは会津若松市街地や飯盛山、遠くは磐梯山や飯豊連峰などが望める。私が独り天守閣から望めた緑の松なども植えられた鶴ヶ城内や会津盆地とその周辺の山々からはミンミンゼミなどの大合唱が鳴り響いていた。鶴ヶ城内の一角に正岡子規の出身地で俳句の街でもある愛媛県松山市による俳句のポストがあったので
「魂の 眠る会津に 蝉時雨」
「魂の 宿る会津に 蝉時雨」
とつたない2句を投函した。そのうちの
「魂の 眠る会津に 蝉時雨」
が入選して記念品をいただいた。我々が今日会津地方を旅できるのも戊辰戦争による悲しみや憎しみを超えて、儒教の五常を基にした誇りや魂を引き継いでこられた会津の方々のお蔭でもあるのは言うまでない。
旅人や観光客や合宿向けに止まらず、地元の方を中心に会津の誇りと魂を後世に伝えて行きたい方々による働きかけなどにより、例えば中高一貫校など、未来の日本を背負って立つ子供達を教育する学校そのものを完全復活はできないだろうか?
「歪んだ世の中を正すために会津地方のみならずあちこちに日新館を学校として建ててしまえは良いのでは?」
と思える自分もいる。
列車はその旅や観光や合宿向けに復元されている日新館の辺りを通り、会津盆地の中心へ入って行き会津若松駅に到着する。
会津若松駅に降りバスの中から、戊辰戦争で焼かれるなど荒らされた後に建てられたであろう新しい建物からなる街並みを眺め、飯盛山で白虎隊のお墓参りをした時は、儒教の五常を基に培われた会津の魂は現代ではすっかり眠ってしまった印象を持った。その飯盛山では今でも白虎隊の魂を現代や未来にも訴えているかのように、お線香の煙が生々しく立ち込めていた。
ところがかつて会津藩の本拠地であった鶴ヶ城に足を運ぼうとバスを降りてお堀や石垣の間を縫った時、先ずは天守閣にすぐにたどり着けないお城の広さやその途中で見られた立派な石垣に驚いた。そして見えてきた白い城壁や茶系の赤い瓦などで立派に建つ天守閣に圧倒され、更に城内にある武道館(武徳殿)で地元の方々が一生懸命に武道の稽古に励む様子が外にいるだけでも伝わってきて、眠ってしまったのではなく今日でもしっかり宿っている印象に変わった。天守閣は1965年(昭和40年)に再建されたというが、江戸時代から今日まで何百年も建っているくらい威風堂々としていた。天守閣内は博物館として鶴ヶ城や会津藩の歴史やそれに関わる貴重な資料などを展示公開してあり、先述したように会津藩により儒教の五常を基に培われた地元会津の方々の魂や誇りを改めて感じる事が出来た。天守閣が再建されて100年も経っていないのに、何百年も建っているくらい威風堂々としている理由がよくわかる気がする。
その天守閣が天守閣からの眺めは良く近くは会津若松市街地や飯盛山、遠くは磐梯山や飯豊連峰などが望める。私が独り天守閣から望めた緑の松なども植えられた鶴ヶ城内や会津盆地とその周辺の山々からはミンミンゼミなどの大合唱が鳴り響いていた。鶴ヶ城内の一角に正岡子規の出身地で俳句の街でもある愛媛県松山市による俳句のポストがあったので
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